「カールじいさんの空飛ぶ家」
(2009年:米・PIXAR=ディズニー/監督:ピート・ドクター)
良質のCGアニメを発表して来たピクサー+ディズニー提供の新作。
今回の主人公は、78歳の老人。一応子供も楽しめるこの手のアニメで、老人が主役というのは記憶にない。
冒頭、1930年代のアメリカで、冒険にあこがれるカール少年が、同じく冒険を夢見る少女エリーと出会い、結婚し、やがて歳を取ってエリーと死別するまでを、わずか10分ほどの映像で、セリフなしで積み重ねるシークェンスがとてもいい。短編アニメを観ているような味わいがあり、ホロリとさせられる。
で、思い出したが、本年度の米アカデミー短編アニメ賞を受賞した、加藤久仁生監督の「つみきのいえ」も、やはり妻と死別した老人が過去の幸福だった日々を回想する話。似ているのはたまたまだろうが、アニメもこうした具合に、人の一生をじんわりと振り返る傾向が出て来たのは、進化と呼ぶべきだろう。
この老人が、妻を失った喪失感で、誰にも心を開かず(ドアの鍵を4つもつけている事で表現しているのもうまい)、さびしく暮らしている描写がせつない。いずれ人間は年老いれば誰しも経験する事だろうが、こうした深くて切実な大人のテーマを、常に斬新な作品世界でCGアニメ界をリードして来たピクサーが取り上げた事は賞賛に値する(そう言えば前作「WALL・E/ウォーリー」も“文明が行き着いた先の孤独”がテーマだった)。
妻を失った偏屈な老人…という切り口は、本年度の傑作、クリント・イーストウッド監督の「グラン・トリノ」をも連想する。彼が心を開くのが、東洋系の少年、という所まで共通している。多少はオマージュが入っているのかも知れない。
それにしても今年は、老人版“俺たちに明日はない”の「人生に乾杯!」もあったし(それと並べるなら、本作は老人版「インディー・ジョーンズ」だ。東洋系の少年を連れての大冒険は、2作目「魔宮の伝説」を髣髴とさせる)、今年は期せずして、“老人が大暴れする娯楽映画”が続出した年として記憶されるべきかも知れない。
オマージュついでに言うなら、無数の風船で空に舞い上がる…という映像は、明らかにアルベール・ラモリス監督の「赤い風船」(56)へのオマージュだろう。
これには根拠があって、同じA・ラモリス監督作品に、「素晴らしい風船旅行」(60)というのがあり、これは、老科学者が、少年(演じるのは「赤い風船」の主役も演じたラモリス監督の息子)を連れて気球の旅に出る、というお話。きっと作者はラモリス監督のファンなのだろう。
…とまあ、のっけから“お楽しみはココからだ”コーナーをやってしまったが(笑)、このコーナーは後にも出て来るのでお楽しみに。
さて、映画はカールじいさんが、自分の家に2万個もの風船を取り付けて、妻との約束の地、南米奥地の秘境“パラダイス・フォール”に向かって空中旅行に旅立つ事となる。
なお、ボーイスカウトの少年ラッセルが便乗してしまったので状況が変わるが、もしラッセルが乗っていなかったら、カールは天国に向かう気だったのかも知れない(本作の原題は“UP”だが、これには“昇天”の意味も含んでいる気がする)。
風船の旅は、やがて目的地に到達し、そこで出会った行方不明の冒険家、マンツと対決し、巨大飛行船を舞台の大活劇を繰り広げる事となる。
老人が走ったり、ロープにぶら下がったり、飛行船をよじ登ったりなんか出来るのか…と突っ込むのはヤボ。そこはアニメと割り切って気楽に楽しむのがよい(ギックリ腰になりかけたりのギャグが笑える)。
子供が観ても楽しいし、大人の方は、老人になっても、夢を見続ける冒険心を失ってはならない、と勇気付けられる。大人も子供も、共に楽しめる素敵なファンタジーの傑作としてお奨めである。
私は3D版で観たが、これまでの3Dアニメとは違い、無闇に前方に飛び出して来るような驚かされる映像はほとんどない。どちらかと言えば、遥か彼方の地上や雲の風景がずっと奥の方に見えている、“落ち着きのある立体効果”が図られている。なので、派手な3D映像は期待してはいけない。これまでの派手派手飛び出し映像に飽きた人なら観る価値があるが、そうでなければ2D版で充分だろう。まあ好みの問題である。
なお、私は観ていて、もう一つのテーマにも心打たれた。それは“生きて行くとは、何を守り、何を捨てるべきなのか”という点である。
カール老人は、妻との思い出の品が捨てられない。家も捨てられない。
老人ホームに収容させられれば、すべてを捨てて行かなければならない。カールはそれが忍びなかった。従って、家ごと、すべての思い出の品と一緒に風船の旅に出る決心をするのである。
マンツによって、家が焼かれそうになった時、カールはラッセルの願いも無視して、ラッセルの友達(怪鳥のケヴィン)を守る事より、家を必死で守ろうとした。
その事にラッセルは大いに失望し、彼はたった一人でケヴィンを救出すべく敵陣に乗り込もうとする。
それを知った時、カールはやっと気がつく。“守るべきは、もうこの世にいない妻の思い出ではなく、これからの未来を生きて行く子供なのだ”という事を。
そしてカールは、妻との思い出が詰まった家財道具をすべて外に投げ捨て、家を軽くして飛行船を追うのである。
マンツとの戦いに勝利した時、かろうじて飛行船に乗っかっていた大切な思い出の家は、遂に地上に降下して行く。
だがカールにはもうあの家に未練はない。思い出の家に別れを告げ、カールは元の世界に戻って行き、そしてラッセルたちと新しい人生を歩み始める。
このラストには感動した。ここで前述のテーマが鮮明に浮かび上がるのである。
人はいつまでも過去を振り返ってはいられない。年寄りはやがてこの世を去るが、子供たちには遥かなる未来がある。
その未来を築き、子供たちを守るのは、大人たちの責任なのである。
人が生きるとは、そうやって何かを捨て、何かを守って行く事なのである。守る為には、大切なものも捨てなければならないのである(この事は「のんちゃんのり弁」を観て気付かされた)。
ラスト、あの家がどこに着地したのかを示すあたりも配慮が行き届いている。
やはりピクサー・アニメはあなどれない。今後の展開も楽しみである。 (採点=★★★★☆)
(で、お楽しみはココからだ)
この映画にはまだお楽しみがある。
本作にもどうやら、宮崎駿作品へのオマージュが隠されているフシが覗える。なにしろピクサー・スタッフには宮崎アニメ・ファンが多いのは、前作「WALL・E/ウォーリー」でも証明済み(同批評のお楽しみコーナー参照)。
“大空を飛翔する”という映像は、宮崎アニメの典型パターンであるが、それだけではない。本作には宮崎作品「天空の城ラピュタ」との共通点がいくつかある。
1930年代、探検家(マンツ)が秘境を発見し、怪鳥の骨を持って帰るが、それがニセモノと判断され、失意のうちに探検家は姿を隠すが、「ラピュタ」においても、探検家である少年パズーの父は、ラピュタを発見するも世間からは無視され、失意のうちに亡くなっている。
巨大飛行船は「ラピュタ」にも、政府軍の艦船ゴリアテとして登場している。
ついでに、空中に浮かぶパズーたちの気球とドーラの船とは、ずっとロープで繋がったまま移動する。
そして、敵の巨大飛行物体に、主人公たちが別の飛行物体で近づき、飛び移って敵と一大バトルを繰り広げる、という展開は、「未来少年コナン」におけるファルコから空中要塞・ギガントに飛び移っての戦い、「ルパン三世・死の翼アルバトロス」におけるプロペラ機からアルバトロスに飛び移っての戦い、と、宮崎作品ではお馴染みのパターンである。
多分この空中での大アクション・シークェンスで、宮崎アニメを連想した人も多いのでは。
そして一番のポイント、―雲の中を進むうちに雲が晴れて来て、雲の切れ間からうっすらと、目的地の光景が見えて来るシークェンス。
―「ラピュタ」の、雲の切れ間からラピュタが姿を現す感動のシーンにそっくりなのである。
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コメント
映画の意味などをあまり深く解釈せずに、素直に涙を流した自分で良かったです。
冒頭の人生振り返りシーンの素晴らしさに感激したものの、それからのシーンは良い意味でも良くない意味でも計算されているディズニーらしさがフル展開する内容だった。
私は、最初の10分間を記憶にとどめておくことを選びます。あの美しさは凄い。邦画は決して真似できない。
投稿: おやすみ小僧ちまき | 2009年12月 9日 (水) 03:14
こんにちはー。
この作品、ご指摘の通り、宮崎作品、とりわけ初期の作品へのオマージュがいっぱいで、その頃の作品が好きな私としては、もうワクワクしっぱなしでした。とにかく、スピード感と次への期待感が途切れないところ、さらには感動物語まで織り込むあたり、たとえ宮崎作品をパクったとしたって、ここまで完成度高く出来るものではありませんよね。
あと、絵の美しさにも(いつものことなのですが)感動させられました。ギアナ高地の滝が出てきたシーンとか、背筋がシビレましたよ。(^^;
これからも、よろしくお願いしますー。
投稿: マサル | 2009年12月11日 (金) 16:07
いやー最近つくづく思うのは、去年リバイバル上映の際に「赤い風船」観に行っておいて良かった~!ってことです。歴史的名作は観ておいてホント損はないですね!
それにしても宮崎駿監督は偉大です。
「マイマイ新子と千年の魔法」と「カールじいさんの空飛ぶ家」、傑作アニメが続きました!
投稿: タニプロ | 2009年12月14日 (月) 23:10
懐かしい系映画へのコメントありがとうございました。
お邪魔したら同じ映画をご覧になってたので、さっそくトラバを送らせて戴きました。
ダラダラと二本も書いておきながらも何か大切な事を書き忘れたような気がずっとしていたのですが、『何を守り、何を捨てるべきなのか』というくだりを拝読していて目から鱗が落ちる思いでした。
風船というのは日本人が思う以上に欧米人にとっては何か意味するものがあるんでしょうか、内容は記憶ないんですが、昔テレビで観たフランス映画、ジャック・タチの『ぼくの叔父さん』も風船のシーンだけが印象に残ってるんです。
宮崎アニメといえば、ラッセルが飛行船の窓の外をプキューッとこすりながらいざってゆくシーンはオマージュではないけど、いかにもあの人なら描きそうな気がして大笑いしました。
『WALL-E』のチャップリンのような笑いのセンスを観ても感じましたが、こういう芸とも呼べる細やかな感性こそがピクサーの最大のよさであり凄さだと思います。
これからもよろしくおねがいします。
投稿: よろ川長TOM | 2009年12月15日 (火) 09:40
>おやすみ小僧ちまきさん、ようこそ。
映画の見方は人それぞれ。>あまり深く解釈せずに、素直に涙を流……
すという見方も大切だと思いますよ。
この映画は、角度によって、いろいろな見方が出来ると思います。それもまた傑作の条件ではないでしょうか。
ただ、冒頭の10分間は、宮崎駿さんも絶賛してますし、誰が見ても素晴らしいシークェンスである事は異論のない所だと思います。
>マサルさん
私は、先人の作ったものが素晴らしければ、いい所を上手にいただいた上で、それを上回る傑作が誕生するなら、とてもいい事だと思っております。黒澤明監督もジョン・フォードやらトルストイの名作や、ダシール・ハメットのハードボイルドを巧妙にパクって素晴らしい傑作を作って来ました。G・ルーカスはその黒澤作品を換骨奪胎して「スター・ウォーズ」を作りました。
宮崎作品が巧妙に消化され、感動の傑作が生まれた事は、そういう意味でも素敵な事だと思います。
こちらこそよろしく。またお邪魔させていただきます。
>タニプロさん
「マイマイ新子と千年の魔法」、お奨めだったのではるばる遠出して観てきました。
いやー、秀作でしたね。この人も宮崎駿の弟子筋です。師匠のいい所を受け継いでますね。近々批評アップしますのでお楽しみに。
>よろ川長TOMさん
書き込みありがとうございます。
タチの「ぼくの叔父さん」風船持ってましたね。
風船で思い出すのは「第三の男」のラスト間際、警察がハリー・ライムを待ち伏せる緊迫のシーンで、大きなシルエットで風船売りが登場して空気が一瞬和らぎます。
風船は、心に潤いを与えてくれる効果があるのかも知れません。ただチャップリンの「独裁者」のように、地球型の風船で世界を弄ぶ、ブラックな使い方もあるようですね(笑)。
投稿: Kei(管理人) | 2009年12月17日 (木) 01:54
いつも楽しく拝見しています。
パブでしょうが、この映画の制作者たちがジブリを訪ねて、宮崎氏たちと話す動画をYoutubeで見ました。
彼らの宮崎氏に対するレスペクトが見ていて気持ちが良かったです。
さて、カールさん(この名前って映画の中で出てきたでしょうか?)が、はられたロープづたいに、家から飛行船に飛び移るシーンが有りますが、ここ、ナウシカですね。
マイマイ新子も見ました。アニメがちゃんと文学しているのに驚きました。
投稿: こーいち | 2009年12月18日 (金) 13:35
生意気に(!?)字幕版で観たのですが、妻との思い出が詰まった
Adventure Book(だったかな)に、確か
Stuff
I am going to do
と書いてある頁があり、何度かアップになったものの、残念ながら翻訳がなく、どういう意味か、わかりませんでした。すみません、どなたか教えて下さい!!
投稿: 純ドメ | 2010年1月 3日 (日) 10:21