「今度は愛妻家」
中谷まゆみ原作の同名の舞台劇を、若手実力派の行定勲監督により映画化。
世話好きで美しい妻・さくら(薬師丸ひろ子)との結婚生活も10年目、かつては売れっ子カメラマンだった北見俊介(豊川悦司)も、今では1枚の写真も撮らず、自堕落な生活を送っている。1年前、夫婦は結婚生活を見直す為に、沖縄に子作り旅行に出かけるが…
冒頭、1年前の沖縄旅行のスケッチを、コマ落としのサイレント映画風に描くシーンが面白い。出世作「GO」でケレン味のあるモンタージュ・カットを多用し、新鮮な感動を与えて多数の映画賞に輝き、若手のホープとして期待された行定勲監督だが、最近は大味な大作をまかされたりで、ここ数年は期待外れの凡作が続いていた。
「クローズド・ノート」(2007)以来2年ぶりの本作では、久しぶりのケレン味演出と共に、昔の切れ味が復活したようだ。ラストでは泣けた。お奨めの佳作である。
舞台劇が元になっているだけあって、映画は北見家の、事務所兼自宅の居間を中心に、そこに出入りする北見夫婦、カメラマンの弟子の誠(濱田岳)、俊介の浮気相手の女優の卵・蘭子(水川あさみ)、そして何故か気安く世話を焼くおかまの文ちゃん(石橋蓮司)…といった多彩な人物が織り成す、小市民の日常を描いたヒューマン・コメディといった趣を呈す。
妻は気立ては優しく、常に夫の健康を考え、細かく気配りをしてくれる良妻であるのに、夫はそんな妻のおせっかいがどうもわずらわしくて辟易している。「好きなものが食えないんなら死んだ方がマシだ」と悪態をつく。
愛し合って結婚したはずなのに、10年も一緒に暮らすうち、いつしか次第に夫婦の間には微妙なすきま風が吹き始めている。
こんなはずではなかった…。妻はやがて、別れる事も視野に入れ始めるようになる。
似た境遇の夫婦であれば、誰しもが身につまされる話であろう。
そばに居ればわずらわしい。出来れば、一人になって好き勝手な事をしたい。男は勝手な生き物である。
…だけど、もしパートナーが居なくなった時、人は心の中にポッカリと空洞を抱え、改めてその存在の大きさを思い知る事になるのかも知れない。
夫婦とは、人生とは何なのか、共に生きて行くとはどういう事なのか、そういう事を考えさせてくれる、これは泣ける、大人の為の寓話である。
映画をまだ観ていない人は、出来ればこれ以上の情報は仕入れずに、白紙で観て欲しい。
(以下は、重要なネタバレになるので隠します。読む場合はドラッグ反転させてください)
映画は、現在の話の合間に、1年前に沖縄旅行に行った話がさりげなく挿入されるのだが、時制がボカされている為に、冒頭の1年前の、旅行前のささいないざこざが、現在とそう遠くない時の話と観客は思い込んでしまう。ために、現在のシーンでさくらが箱根に旅行に行こうとし、忘れ物をしたと言って何度も戻って来て俊介を慌てさせるシークェンスで、観客はさくらが今も存在していると錯覚してしまう。うまい構成である。
実は、さくらは1年前の旅行で死んでいるのだが、さくらの死を受け入れる事が出来ない俊介は、妄想の中でさくらと対面しているのである。出入りする周囲の人たちは、そんな俊介を心配し、励ますためにおせっかいを焼いている事が後に判る。
俊介の周囲に、食べ残しのゴミが散在している等、よく考えれば思い当たる伏線が巧みに配置されているのも秀逸。
浮気相手の蘭子に、リビングボードの上のさくらの写真を指して「1年前に死んだ女房だ」と言うのだが、俊介のヘタな芝居を見せられている観客は冗談だと思ってしまう。よく考えれば、さくらと、俊介以外の人物との会話シーンが全然ない点も含め、作者はちゃんとフェアに伏線をバラ撒いているのだが、ごく自然な俊介と、幻影のさくらとの会話シーンを巧みに配置している為に観客は騙されてしまう。巧妙なミスディレクションである。カンがいい人は早々と気付くかも知れないが。
秀逸なのは、さくらにせがまれ、久しぶりに彼女を撮った写真を現像してみると、どの印画紙にもさくらの姿が写っていない。ここでようやく観客は、なにか違うと感じ始める。私はそこでアッと気が付いた。
写真は残酷である。リビングでは幻影のさくらの姿を視認しているのに、写真の中にまでは幻影を見る事が出来ない。そこではじめて俊介は、さくらはもうこの世に居ない事を認めざるを得なくなる。
最後に定着液の中に浮かび上がったさくらの写真は、1年前に撮ったきり、カメラの中に封印していた、さくらの走り去って行く後姿。…俊介が最後に見たさくらの姿である。もう、行ったきり、彼女は戻っては来ない。…その事実を、俊介は認めざるを得ないのである。
居ればわずわらしいけれど、いなくなって、いや、いない事を認識して、はじめて俊介は、かけがえのないパートナーの、存在の大きさ、大切さを知るのである。幻影のさくらに、俊介がポツリと語りかける「おまえ、なんで死んだんだよ」という言葉が切ない。
ラスト、クリスマス・ケーキに刺したローソクを1本づつ吹き消す度に、さくらの姿がゆっくりと消えて行き、最後の1本と共に、俊介はさくらとの、永遠の訣れを確認するのである。私はここでドッと泣いた。あざといと判っていても泣ける。デミ・ムーア主演の「ゴースト/ニューヨークの幻」を思い出した人もいるかも知れない。
うまいと思ったのは、俊介が何度も、つぶやくように歌う、井上陽水の名曲「夢の中へ」の使い方である。
♪探しものは何ですか 見つけにくいものですか 夢の中へ行ってみたいと思いませんか ♪
俊介は、さくらを探して、夢の中(幻想の世界)へ入ってしまっていた事を暗示している。これも伏線だったと後になって気付く。やられた。
(↑ネタバレここまで)
薬師丸ひろ子がとてもキュートで素敵。いい歳なのに、いつまでもチャーミングで、どこかにあどけなさを残す雰囲気が作品にマッチしている。
出色なのは、おかまの文ちゃんを演じる石橋蓮司の演技である。ヘタすると作品のイメージを壊してしまいかねないキャラクターだが、見事に作品の中に溶け込んで、主演者たちをサポートしている。心のどこかに悲しみを秘めながらも、精一杯明るく生きている文ちゃんの存在が、作品を引き締めている。本年度の助演男(?)優賞の一番手だろう。
蘭子と誠の恋愛話が、やや煩わしいが、これを取っ払ってしまうと物語が寂しくなる。これはこれでアリだろう。若くて、これからの人生を歩み始める二人の恋物語が、くたびれかけた俊介・さくら夫婦に対する、表裏の関係を示している。10年連れ添って子供がない夫婦に、まだ結婚していないのに子供が出来た若いカップル、と何から何まで対照的だ。
俊介たちのように、夫婦間に少し倦怠感が漂い始めた方たちには特にお奨め。観終われば、きっと少しは相手を思いやる心が芽生える事だろう。 (採点=★★★★☆)
| 固定リンク
コメント
海坂藩(山形県鶴岡市)在住の者です。
私達も丁度満10年になります。
お互い支えあって持ちつ持たれつの姿勢を
改めて実感出来そうな作品のようですね。
「今度は」ではなく「いつも」の気持ちを
常に持ちたいと思います。
投稿: ぱたた | 2010年1月30日 (土) 10:46
◆ぱたたさん
10年目ですか。それなら、是非ご夫婦で観賞される事をお奨めします。
>「今度は」ではなく「いつも」の気持ちを常に持ちたいと思います。
そうありたいと、いつも思ってるのですが…うまく行かないのが、人間でしょうかね。反省。
投稿: Kei(管理人) | 2010年2月 1日 (月) 01:34
マイブログに、トラバ&リンク&引用を、
貼らせてもらいました。何か不都合あれば
お知らせください(削除します)!
なにとぞ宜しくお願いいたします~m(_ _)m
投稿: ジョニーA | 2014年6月 7日 (土) 05:18
◆ジョニーAさん
TBありがとうございます。
リンクO.Kです。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
投稿: Kei(管理人) | 2014年6月 8日 (日) 00:42