「カティンの森」
ポーランドの巨匠、アンジェイ・ワイダ監督が、戦後封印されて来た、「カティンの森事件」と呼ばれる、第二次大戦中のソ連兵士によるポーランド軍将校虐殺事件を、事実に基づいて映画化した渾身の作品。
冒頭、ドイツ軍に追われ、大勢の難民が移動しており、その中には、小さな娘、ニカを連れて夫を探すアンナ(マヤ・オスタシェフスカ)の姿がある…。このシーンで、古い映画ファンなら、ルネ・クレマン監督の名作「禁じられた遊び」を思い起こす人もいるだろう。
大国が起こした戦争で、犠牲となるのはいつも名もなき大衆であり、小さな子供である。
あの作品は、そんな戦争への激しい怒りに満ちた傑作であったが、本作もまた、ポーランドという小国が、第二次世界大戦の只中で、ドイツとソ連両国に踏みにじられて来た歴史への静かな怒りに満ちている。
「カティンの森事件」とは、1943年、ソ連領へ侵攻したナチスドイツ軍によって、カティンで、夥しい数(1万人を超えるとも言われる)のポーランド軍将校の虐殺遺体が発見された事件を指し、その真相は、ソ連軍による大量虐殺であったわけなのだが、終戦後ソ連はその事実を隠蔽し、敗れたドイツ軍に濡れ衣を着せた。何ともやり切れない事件である。これはソ連による、二重三重に卑劣な犯罪である。
物語は、アンナ一家が、ソ連軍に連行されたまま行方が分からなくなった夫、アンジェイ大尉の帰りを待ち続ける姿を中心に、さまざまに、この事件によって心に傷を負った人々や、事件の真相を追い求める人たちの姿を並列して描く。
エピソードが複雑に交錯する上に、ポーランドの歴史を知っていないと要領を得ない所もあって、筋を追うのに多少難儀するかも知れない。
だが、圧巻なのはラスト、アンジェイ大尉が残した手帳が遺族のアンナの元に戻り、そこに書かれた日記を元に事件を再現したシークェンスである。
連行されて来た将校たちが、狭い部屋に連れ込まれ、まるで家畜を屠殺するかの如く、一人づつ後頭部を撃ち抜かれ、流れた血はバケツで洗い流され、死体は外に運び出される。…それらが一連の流れ作業のように、静謐に、淡々と進むだけに余計おぞましい。
いくら戦時中であるとは言え、人間とは何故かくも残忍、冷血になれるのだろうか。
ナチスのホロコースト、南京大虐殺、ベトナム・ソンミ村虐殺…20世紀に起きたこれら大量虐殺事件は、ある程度はもう周知の事実として一般的に認識されている。
だが、この「カティンの森事件」は、こうした戦争犯罪にある程度関心を持っている人でも、あまり知らなかった事実ではないだろうか。
歴史上には、まだまだこのような残酷で非人間的な、悲しい事実が隠されているのかも知れない。
ワイダ監督の父親は、実際にこのカティンの森の虐殺で命を落としており、ワイダ監督は映画作家としてデビューした頃の1950年代半ばにこの事件の存在を知り、自ら映画化を希望していたが、当時のポーランドはまだソ連の衛星国であり、国内ではこの事件を語ることはタブーとされていた。
1990年、冷戦終結に至って、ようやくこの事件の封印が解かれ、真相が明らかになったが、ワイダ監督の映画化の執念が結実するまでに、さらに17年の時を要した。
こうした歴史的事実をふまえてこの映画を観ると、ワイダ監督の事件の映画化に賭けた熱い思いに心を打たれ、映画が終っても、しばらくは万感の思いが胸にこみ上げる。
映画における事件の描写は、残酷で目を背けたくなる。
だが、目をそらすべきではない。我々と同じ、人間が行った、悪魔のような仕業を、しっかりと目に焼き付け、二度とこのような事件を起こしてはならない。…その事を胸に刻むべきである。
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さて、アンジェイ・ワイダ監督と言えば、映画ファンにとっては懐かしい名前である。
1959年に我が国で公開されたワイダ監督の「灰とダイヤモンド」(57)は、ポーランドにおける、ドイツ降伏直後の混乱期を舞台に、一人の青年・マチェック(ズビグニエフ・チブルスキー)の、テロリストとしての孤独な戦い、そしてラストのパセティックな死に様までを描いた、映画史に残る傑作である。
密かに心を寄せるクリスチナとの短い逢瀬、人を殺す事への葛藤、苦悩等を描いて、これは悲痛な青春映画としての側面も持っており、私も含めて多くの映画青年を感動させ、今や古典的な名作として位置付けられている。…なにしろ、もう50年も前の作品である(私が観たのは20歳代になってからであるが)。
だが、上記のような映画「カティンの森」製作背景を知ると、あの名作「灰とダイヤモンド」が作られた時には、ワイダ監督は、「カティンの森事件」の真実をすでに知っていた事になる。
上記にもあるように、当時からワイダ監督は、カティンの森事件の映画化を望んでいたのだろうが、それが叶わなかった為に、抵抗運動という題材を通して、“戦争の非情さ、戦争によって狂わされる人間の運命”を描いたのだろう。よく観直せば、ソ連の息がかかった当時の新政府に対する批判が込められているのが見て取れる。ワイダ監督としては精一杯の抵抗だったのだろう。
自分の父が理不尽にも殺されたカティンの森事件…ワイダ監督はこの真実を描くために、数多くの映画を撮りながら、50年待ち続けたのかも知れない。そのワイダ監督、今年83歳!まさに執念の映画化である。
そういう意味では、本作はまさにワイダ監督でなければ成し得ない、ワイダ監督によって作られるべき映画なのである。
そう思って本作を観ると、「灰とダイヤモンド」と本作との繋がりを思わせるシーンが1箇所ある。
「灰とダイヤモンド」の中で、マチェックがクリスチナと、教会の廃墟で逢うシーンがある。
このシーンで、キリスト像が逆さにぶら下がっている印象的なシーン(右)があるが、
映画「カティンの森」でも、冒頭の方で、アンジェイ大尉を探してアンナたちが教会にたどり着き、そこで愛する人の上着を見つけるのだが、その中には、キリスト像がくるまれている。
あのシーンには、どういう意味があるのか、映画を観た後でもしばらくは判らなかったが、「灰とダイヤモンド」について調べていた時、あのキリスト像のシーンを思い出して納得した。両作は、イコンとしてのキリスト像を通して繋がっているのである。…思えば、イエス・キリストもまた、当時の権力者によって目をそむけたくなるような残虐な方法で殺されている(メル・ギブソン監督「パッション」が思い浮かぶ)。
50年という時を超えた、ワイダ監督の、あの戦争への思いの深さに心打たれる。心して観るべき秀作である。 (採点=★★★★☆)
(付記)
対ナチ・レジスタンスとテロリズム、という共通項で、デンマーク映画「誰がため」は、「灰とダイヤモンド」に似た構造の作品だと言える。見比べてみるのも面白いだろう。
で、大阪では、偶然にも「誰がため」と「カティンの森」は同じ日(1月9日)に封切られている。これも不思議な縁である。
VHS「灰とダイヤモンド」
DVDは出ていないみたい。リリース希望。
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コメント
あのラストシーン、凄かったですね。観終わった後息苦しくなって叫びたくなりました・・・
映画館で観るからこそ緊張感が増すのかもしれません。
金子修介監督もグッとくる評を書いておられました。
http://blog.livedoor.jp/kaneko_power009/archives/50946853.html
投稿: タニプロ | 2010年2月 9日 (火) 23:05
「荒戸源次郎監督と荒井晴彦氏をゲストにアンジェイ・ワイダ監督を語る」なんて放送があったのを教えてもらいました。
http://www.youtube.com/watch?v=Jx23g5kWaQk
↓は、荒戸源次郎監督の次回作は荒井晴彦氏の脚本?「人間失格」と太宰治を語る。
http://www.youtube.com/watch?v=Uj6zzBmK7-4
それにしても、荒戸さんオシャレ過ぎ。「メンズノンノ」の表紙に出てきそう。
投稿: タニプロ | 2010年5月 6日 (木) 23:09
別件ですみません。
例の試写会の件、続報きました。
掲示板に書き込みさせていただきました。
投稿: タニプロ | 2010年5月17日 (月) 22:36