「パレード」
2010年:日本/ショウゲート配給
監督:行定 勲
原作:吉田 修一
脚本:行定 勲
第15回山本周五郎賞を受賞した、吉田修一の同名小説を、「GO」や、先ごろ公開の「今度は愛妻家」等で知られる行定勲監督が映画化。
映画配給会社に勤める直樹(藤原竜也)、売れないイラストレーターの未来(香里奈)、大学生の良介(小出恵介)、無職の琴美(貫地谷しほり)ら4人は、直樹のマンションでルームシェア生活を送っていた。どこか上っ面だけのように見えながらも、バランスの取れた人間関係を保っていた彼らの前に、あるとき男娼を自称する正体不明の男、サトル(林遣都)が現れる。その頃、町では女性連続暴行事件が多発していた…。
「今度は愛妻家」という秀作を発表したばかりの行定勲監督が、立て続けに快作を連打した。ファンとしては喜ばしい事である。
都会でルームシェアをしている…という設定がまず面白い。若い男女ばかりであるのに、彼らの間にセックスや愛情の交歓は不在である(他所ではセックスしてるのだが)。まるで寮生活を送っているかのような、そのくったくの無さは、同じ小出恵介、林遣都が主演した、駅伝を目指す青春ドラマ「風が強く吹いている」を思い起こさせる。
5人の登場人物の、年齢と職業、キャラクターもうまく分散配置されている。
年齢の順に紹介すると、直輝は28歳で、一番まともな職業に就いている(それが映画配給会社というのが微妙だが)し、健康にも異常に気を使い、夜のジョギングを欠かさない。
24歳の未来は“自称イラストレーター”。収入は不安定のようであり、酒癖が悪い。サトルを連れ込んだのも彼女だが、酔っていて全然覚えがない(サトルがどうやって未来と意気投合したのか、実は不明であり、少し不気味ではある)。
23歳の琴美はフリーターで、さらに生活は不安定。テレビに出ている俳優に恋している。
21歳の良介は大学生で、バイトで食っているが、よくサボるし、年上のOLと寝たり、フワフワとしたモラトリアム生活を送っている。
つまりは、同じ部屋で共同生活を送りながらもこの4人は、固いサラリーマンから、定職を持たない根無し草的若者まで、まるで生活基盤も性格も異なり、そうしたいつ崩れるかも知れない不安定さの上に、危ういバランスを保っているのである。
そうした環境の中に、4人の誰とも異なる、異分子としてのサトルが闖入することにより、共同生活に微妙な化学反応が起きる。
サトルは、一番年下であるが、実は社会のダークな部分を一番巧妙に世渡りして来た人物で、一番謎を秘めている。近隣で多発している女性連続暴行事件の犯人ではないかと、4人の同居人たちも、我々観客も疑ってしまう。彼の参入で、平穏で変化のない青春モラトリアム・ドラマが、次第に異様なサスペンス・ドラマの容貌を帯びて来る。
先が読めない、徐々に緊迫感が高まって行く展開の中で、反面、政治家も出入りする、胡散臭い謎の隣人が、緊張の中の息抜きの役割も果たす。まさに緩急自在の行定演出は快調である。
サトルを演じた林遣都がいい。これまでの、健全で明るいスポーツマンのイメージを覆す、翳りのある複雑な人間像を見事に表現している。その他の役者もみんな上手い。
香里奈や貫地谷しほりは、個人的にはこれまで上手いとは思っていなかったが、本作では自然体で作品に溶け込み、見事な存在感を見せる。見直した。
サトルが彼らの生活を評して、「上辺だけの付き合いなんだね」と語るが、映画は、その上辺からは見えない、それぞれの心の闇を次第にあぶりだして行く。未来が、レイプシーンばかりを集めたビデオを所有している事が、サトルの探索によって判明する辺り、まさにその闇の顕在化である。コワい。
(ここから完全ネタバレにつき隠します)
ラスト間際になって、近隣における女性連続暴行事件の犯人が明らかになる。多分彼らの中に犯人がいるだろうとは予測がつくのでそれほどショックは受けないが、一番常識人だと思っていた直輝だったとは意外である。
だが、考えようによっては、ある程度自由気儘で、束縛をあまり受けないフリーターや学生に比べて、会社の歯車として組み込まれているサラリーマンが、実は一番窮屈でストレスが溜まり易い人種である事は高度成長時代から言われていた事である(手垢の付いた言葉だが、“管理社会”というキーワードを思い出す)。
そう考えれば、未来がレイプ・ビデオを所有している理由も納得出来る。彼女も直輝らに次いでストレスが溜まり易い人種なのである。正体をなくす程泥酔するのもその為なのだ。
だが、もっと意外なのは、暴行を目撃したサトルが直輝に、「大丈夫ですよ。どうせみんな知っているでしょうから」と言うくだりだ。
考えれば、直輝は毎晩のようにジョギングと称して夜中に部屋を離れている。女性暴行事件があった日時に、アリバイがないのは誰か、と推理を働かせれば、薄々感づく事なのかも知れない。
未来たちが直輝を見つめながら「直輝も行くんでしょう」と尋ねるのは、“私たちはみんな共犯者なのよ”という意思表明なのだろう。
そして、キャメラがゆっくり引いて行って、映画は終わる。
本来はマンションの主で、彼らのリーダーだったはずの直輝と、サトルも含めたその他の住人との立場がまるで逆転してしまうラストはシニカルだ。見事な幕切れである。
(↑ネタバレここまで)
人間関係とは何か、人の繋がりとは、そして、人間の心の内に隠された闇を、人はどうコントロールしながら生きて行くのだろうか…。さまざまな事を考えさせてくれる、これは問題作である。
怖いと評判の原作では、5人の登場人物ごとに章を立て、それぞれが1人称で心の内面を語るのだが、映画は同じように章立てながら、客観的に若者たちを観察するかのように描く。
小説と違って、心の中が見えないだけに余計怖い。原作の意図を的確に掌握し、それを映画的に巧みに再構成した脚本(も行定勲)、演出が見事。
今年に入っての、行定勲監督の復活はファンとして嬉しい。この好調を今後も持続してくれる事を望みたい。 (採点=★★★★☆)
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コメント
ずっと行定監督を追ってますが、今回久方ぶりに復活近いかなと思わせてくれました。巧い!と思いました。
でも比較しては悪いけど、「息もできない」を観た後では、もうまったく印象に残ってないです。
抽象的な言い方ですけど、映画に宿ってる「力」と「ハート」が全く違うと思わされるんですよ。韓国映画の凄さは一体なんなんだろうと、また驚かされました。
「パレード」好きなんですけどね。
投稿: タニプロ | 2010年3月24日 (水) 18:40
◆タニプロさん
沢尻の「別に」だけが有名になってしまって、作品はまったく話題にならなかった(笑)「クローズド・ノート」以来さっぱり音沙汰なしだった行定監督。
心配してたのですが、ここに来て見事復活してくれましたね。ファンとしては嬉しい限りです。
「息もできない」凄く評判がいいようですね。大阪では4月10日からの公開が予定されていますが、どうもかなりの小規模公開のようです。
http://www.bitters.co.jp/ikimodekinai/movie-info.php
劇場がちょっと遠いのが難ですが、なんとか見たいと思っております。楽しみですね。
投稿: Kei(管理人) | 2010年3月25日 (木) 01:58
沢尻エリカ氏は叩かれ過ぎたと思います。今でもエールを送り続ける井筒監督に男気を感じます。
それはさておき、行定監督は「GO」の後に回り道し過ぎたと思います。それに我々はずっと付き合い続けてたわけですけど(笑)。
西川美和監督が「母なる証明」を観て、「韓国映画は覚悟が違う」というような「敗北宣言」をしていたのが思い出されました。
僕のような日本映画好きにとって、最近の韓国映画を観ることは試練だとすら思いました(苦笑)
「巧い」じゃダメなんですよ。
管理人さんのレビュー楽しみにしております。
投稿: タニプロ | 2010年3月26日 (金) 20:17