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2010年3月25日 (木)

「プリンセスと魔法のキス」

Princessthefrog 2009年:米/ディズニー・スタジオ
原題:THE PRINCESS AND THE FROG
監督:ジョン・マスカー、ロン・クレメンツ
製作総指揮:ジョン・ラセター
原作:E・D・ベイカー
脚本:ロブ・エドワーズ、ジョン・マスカー、ロン・クレメンツ

グリム童話「かえるの王子さま」にヒントを得た、E・D・ベイカー原作によるファンタジー小説「カエルになったお姫様」を原案として、「リトル・マーメイド/人魚姫」「アラジン」のジョン・マスカー&ロン・クレメンツが映画化した長編アニメの楽しい快作。

舞台は1920年代の米ニューオーリンズ。自分のレストランを持つことを夢見てウェイトレスとして働くティアナは、夢の実現まであと少しのところなのに、うまく行かず悩んでいる。そんな彼女の前に、一匹の喋るカエルが現れる。カエルは自分はマルドニア国のナビーン王子だが、魔法で変身させられてしまったのだと言い、キスで呪いを解いてくれればティアナにレストランを持たせてくれると提案してくる。ティアナはその提案に乗ってカエル王子にキスをするのだが、なんとティアナもカエルになってしまった。二人はいがみ合いながらも、魔法を解く為に沼に住む魔女、ママ・オーディを探す冒険の旅に出る…。

本作の見どころは、何と言っても「トレジャー・プラネット」(2002)以来7年ぶりに、ジョン・マスカーとロン・クレメンツのコンビが帰って来た事と、2004年に当時のアイズナーCEOが、「今後アニメはCGに一本化する」と宣言して以来途絶えていた、2D手書きアニメの、5年ぶりの復活、という点にある。

 
ジョン・マスカー&ロン・クレメンツは、創生期のディズニー・アニメを支えたスタッフが引退した後、これといったヒット作も生み出せずジリ貧状態になり、ディズニー・アニメ存亡の危機にあった1986年に、「オリビアちゃんの大冒険」でデビューした(バーニー・マティソン他との共同監督)。

これはほとんど話題にもならなかったが、続く'89年のコンビ作「リトル・マーメイド/人魚姫」(マスカー&クレメンツ共同脚本・監督)が大ヒットを記録し、これをきっかけに「美女と野獣」(91)、「アラジン」(92・マスカー&クレメンツ作品)、「ライオン・キング」(94)等の大ヒット作が続々作られ、ディズニー・アニメの第2期黄金期が到来する。そのきっかけを作り、かつ隆盛を支えたのがマスカー&クレメンツ・コンビである事は疑いもない。

以後このコンビ作は「ヘラクレス」(97)を経て2002年の「トレジャー・プラネット」まで続くのだが、'95年に、ピクサーによるフル3DCGアニメ「トイ・ストーリー」が登場、センセーションを巻き起こしたのが端緒となって、手書きセル・アニメはまたまた危機を迎える事となる。

2000年にはディズニー本体も、遂にCGアニメ「ダイナソー」を製作、2D手書きアニメの方にもヒット作が生まれなくなって、そして2004年に前述のアイズナー宣言が飛び出すわけである。

これによって、同年マスカー&クレメンツはディズニーを退社する(はっきり言ってクビに等しい)。以後二人は手書きアニメ製作を望むも、不遇をかこつ事となる(インタビューによると、マスカーは「もう手書きアニメは作らないと言い渡された時は、まるで家族の誰かが亡くなったようだった」としみじみ語っている)。

流れが変わったのが、2005年の(悪名高い)アイズナー退任と、2006年のピクサーのディズニー子会社化である。これにより、ピクサーの総帥ジョン・ラセターがディズニーのチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任する。

ラセターが打ち出したのは、お得意の3DCGアニメではなく、昔ながらの書きアニメの復活であった。
早速マスカー&クレメンツ・コンビをディズニーに呼び戻し、準備を着々進め、そして遂に、ディズニーの伝統たる、手書きアニメが本作において見事復活する事になったのである(アメリカでは昨年末に公開され、見事全米興行収入第1位に輝いている)。

実に泣ける話である。
CGアニメを世に生み出したラセターが、手書きアニメを復活させた…というのも皮肉なようだが、実はラセターは宮崎駿とも親交があり、手書きセル・アニメの大ファンだったようである。これが幸いした。手書きアニメにも愛着があるからこそ、ラセターの作るCGアニメには、どこか人間的な温かみが感じられるのである。
単にCGアニメにしか興味のないクリエイターがディズニーのチーフ・オフィサーに上り詰めたら、手書きアニメの復活は望めなかったかも知れない。まったく、何が幸いするか分からない。

ディズニーがCGアニメを手掛ける…という事に始終違和感を感じていた私は(昨年の「ティンカー・ベル」に辛い評価をしたのもそのせいである)、この手書きアニメ復活劇に一も二もなく喜んだ。観る前から期待感は膨らむばかりであった。

 
で、作品の方だが、いやー素晴らしい!楽しい。マスカー&クレメンツ・コンビにとって、半ばあきらめていたであろう手書きアニメを、また作れるようになった、その嬉しさが画面に満ち溢れている。

お話も、まさにディズニー・アニメの伝統たる、プリンセスもの「白雪姫」「シンデレラ」「眠れる森の美女」 etc...)であるし、動物は喋るし、「シンデレラ」や「眠れる森の美女」でお馴染み、魔女の婆さんも出て来るし、さらには空に光る星への願い「ピノキオ」)やら、12時までのタイムリミット「シンデレラ」)やらと、さながら過去のディズニー・アニメの総ざらい、といった趣で、古くからのディズニー・アニメ・ファンであったなら余計楽しめるだろう。

(ここからネタバレあり)
グリム童話でお馴染みの、カエルにプリンセスがキスしたら、王子さまに戻った…というお話をひっくり返して、キスしたら女の方までカエルになった、という展開が楽しい。これは、“プリンセスとキスしなければ人間に戻れない”という呪いのルールによるもので、ティアナはプリンセスでないのに、たまたまティアナが服を汚して、代わりに仮装舞踏会用の衣裳を着ていた為、王子が勘違いしてしまった、という成り行きが秀逸(原作ではヒロインは最初からお姫様であるので、映画の方が自然)。これが伏線として効いていて、ラストではティアナは[本当のプリンセスになったので呪いが解けた]という、うまいオチに持って行っている。

基本線は伝統的なディズニー・パターンだが、ヒロインを黒人にし、ワーキング・プアとして必死に働きながら、自立して店を持つ夢を抱いている、という設定がいかにも時代を反映している。
なおティアナの父が心なしかオバマに似ているようにも見えるのは気のせいか。

ヒロインが主体性と目標を持っているのに対して、王子の方は親のスネ齧って遊びまくってるダラシなさで、ここらも時代を反映している。そんな二人(2匹?)が反撥しながらも、人間に戻る為の冒険を重ねるうちに、ティアナは(仕事にかまけて考えていなかった)人を愛する事の大切さを学び、王子は行動力と、労働の大切さをティアナから学び、共に(人間として)成長して行くのである。

彼らの仲間となって協力する、トランペットが大好きなワニのルイスと、空の星にエヴァンジェリーンと名付けて恋しているホタルのレイが、いかにもディズニー的キャラでいい。ちなみに、ワニ「ピーター・パン」「ビアンカの大冒険」に登場するディズニー・アニメではお馴染みキャラである。ホタルのレイは、「ピノキオ」に登場するコオロギのジミニー・クリケットへのオマージュだろう。星への願いも共通しているし。

お約束のミュージカル・シーンも、舞台がニューオーリンズという事も手伝い、ジャズがふんだんに流れ、リズミカルでノリがいい。音楽は「トイ・ストーリー」などのピクサー・アニメで活躍して来たランディー・ニューマン。なお、ニューマンの作曲した「Almost There」、「Down in New Orleans」の2曲がアカデミー賞主題歌賞にノミネートされている(受賞は逃がす)。
ちなみに、「リトル・マーメイド」ではレゲエ・ミュージックを取り入れ、それまでどちらかと言えばオペレッタかアリア風だったディズニー作品の音楽をガラッと陽気でポップなノリに変えるという、一大転換を果たしたのもマスカー&クレメンツの功績である(作曲は以後のディズニー・アニメの音楽を一手に引き受けたアラン・メンケン)。

本作にはもう一つ、過去のディズニー作品(を含むギャグ・アニメ)のお約束を破る展開がある。レイが踏み潰され、死んでしまうくだりだ。ギャグ・アニメではキャラクターたちは踏まれようがペチャンコになろうが、絶対死なないのがセオリーである。

だが、そんなギャグ・アニメに慣れてしまうと、子供たちは虫や蟻を踏み潰す事に何の抵抗もなくなってしまうかも知れない。

この映画は、そのセオリーを破る事によって、子供たちに、“どんな小さな虫だって命を持っており、必死で生きている”事、“命とはかけがえのない、大切なもの”である事を伝えようとしているのだろう。

そのレイの魂が星になって、彼が恋していたエヴァンジェリーンと並んで天空に光っているシーンは感動的で泣ける。

クライマックスの、呪いが込められたペンダントの争奪戦もスリリングでハラハラさせられる。

とにかく、ラブストーリーあり、追っかけアクションあり、歌あり、そして夢と冒険に満ちた、最高に楽しい作品に仕上がっている。大人も、子供も、若い人も、それぞれに楽しめる、これぞまさにディズニー・2D手書きアニメの伝統を確実に継承した秀作である。

私が観た劇場では、意外にも60歳以上のシニア・カップルが多かった。きっと子供の頃に「白雪姫」や「シンデレラ」等のディズニー・アニメに夢中になった世代なのだろう。そういう観客層を目にするだけでも感慨深いものがあり、映画ともども私の目はウルウルしっぱなしであった。

そんなわけで、マスカー&クレメンツの復帰を祝して採点は大マケに。今後もディズニーには、手書きアニメを作り続けていただく事を期待したい。     (採点=★★★★☆

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(さて、お楽しみはココからだ)
Louis_armstrong_3 トランペットを吹くワニの名前は、ルイスとなっているが、これは明らかに、トランペッターの名手、ルイ・アームストロングへのオマージュだろう。

ルイ・アームストロングのスペルは LOUIS ARMSTRONGであり、ワニのルイスと同じ表記である。またアームストロングもニューオリンズ出身である。

ワニのルイスがトランペットを吹く時、アームストロングがペットを吹く時のように、頬っぺたをゴムマリのように膨らませるのも芸が細かい。

またアームストロングは、1968年に、ディズニー映画の名曲を取り上げたアルバム「サッチモ・シングス・ディズニー」を発表している(出典はwikipedia)。ディズニーとも縁が深いのである。

 

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2010年3月21日 (日)

「花のあと」

Hananoato2010年:日本/デスティニー=東映
監督:中西 健二
原作:藤沢 周平
脚色:飯田 健三郎/長谷川 康夫

藤沢周平の同名短編時代小説を、「青い鳥」の中西健二監督が映画化。

舞台は藤沢時代劇お馴染みの東北、海坂藩。武家の家に生まれ、剣の腕が立つ18歳の娘、以登(いと、北川景子)は、たった一度剣の手合わせをした下級剣士・江口孫四郎(宮尾俊太郎)に恋心を抱くが、彼女には既に家が定めた許嫁がいた。以登は孫四郎への想いを断ち切ろうとするが、そんなある日、孫四郎の身に事件が起き…。

藤沢時代劇は、山田洋次三部作を始め、最近よく映画化されている。日本人の心に響くものがあるのだろう。

委員会方式ではあるが、実質的に製作を担当したデスティニーの代表、小滝祥平氏は熱烈な藤沢時代劇ファンのようで、前回も藤沢作品「山桜」(2008)をプロデュースしている。

前作と共通するのは、どちらも女性が主人公である点で、女性の視点から、女性が自分で男性を選ぶ事が困難な武家社会の中で、密かに恋した侍を一途に思う、その恋心の切なさを描いている点でも共通している。

藤沢作品の中でもそれほど多くない、女性主人公作品を2作続けて取り上げたというのが興味深い。そして、どちらも小品ながら味わい深いウエルメイドな佳作に仕上がっている(脚色も、前作に続き飯田健三郎と長谷川康夫)。

ただ、前作と異なり、こちらの方の主人公は剣の達人であるという点で、まさに男勝り。稽古着で剣を握り、髪を後ろに束ねて勝負に立ち向かう以登の姿がなかなか凛々しい。ラストには迫力ある決闘シーンも用意されている。

(以下ネタバレあり)
下級武士ながら剣の腕は藩随一と評判の孫四郎は、以登が道場で2人の門弟を破ったと聞き、以登との試合を望む。父の許しを受け、一度だけ竹刀を交えた以登は孫四郎に敗れるのだが、腕に竹刀を受け、倒れかけた以登を抱きとめてくれた孫四郎に、以登は恋心を抱いてしまう。だが、双方共に婚約が決まっている以上、それは叶わぬ恋である。腕に残る痛みは、恋の痛みでもある。腕をさする度に孫四郎の面影が浮かぶ以登の思いが切ない。

その孫四郎が、彼の妻と不倫の関係にある藤井勘解由(市川亀治郎)の罠に嵌まり、自害した事を知り、以登は復讐を決意し、藤井に対し決闘を申し込む。
許せぬ悪人との決闘
というラストの展開は、「武士の一分」を思わせる。市川亀治郎がいかにも画に描いたような悪人面で、映画全盛期の東映チャンバラ映画の悪役(進藤英太郎、山形勲、阿部九州男、等)を彷彿とさせ、私のようなオールド映画ファンには余計楽しい。
そう言えば、本作も東映配給だった。

原作では、刀の決闘ではなく、近づきざま懐剣のひと刺しで勘解由を倒すだけなのだが、映画では以登は冒頭の孫四郎との立会い時と同じ稽古着姿(孫四郎の弔い合戦である事の意思表示)で、勘解由の手下3名と合わせ、4人との太刀回りとなる。これは勘解由の極悪非道ぶりを強調すると同時に、チャンバラ映画ファンへのサービスショットだろう。手強い勘解由に勝つ、最後の手段も、その前に配された伏線で予測が付く。これは原作よりも納得だ。

だが、本作で面白いのは、以登の許婚である才助(甲本雅裕)の存在である。原作でも面白いキャラクターだが、大飯は食うわ不作法だわ、以登の尻にタッチするわの傍若無人ぶりだが、一たび以登に孫四郎の死の原因の探索を頼まれるや、人脈を使ってたちまち真相を探り当てる。甲本雅裕がなかなかのコメディ・リリーフぶりで、物語のアクセントとしてうまく生かされている。今年の助演賞候補に挙げられるだろう。

見た目は風采が上がらず、役に立たないように思われながら、実は心の内は誰よりも誠実で、以登の孫四郎への思いも薄々感じながらも、以登を優しく見守り、以登の為に献身的な助力をする。表向き有能に見えながら陰で不正・不実を働く勘解由とはまるで対照的である。

この男、後に家老にまで上り詰め、昼行燈と呼ばれながら長く筆頭家老を勤めたとナレーションで語られる。“忠臣蔵”の大石内蔵助を思わせるが、考えれば嘘の作法を教え、孫四郎に恥をかかせて切腹に追いやる勘解由の悪辣ぶりは、忠臣蔵の吉良上野介とそっくりである。最後は仇討ちだし、物語全体に「忠臣蔵」の諸要素が隠し味として巧みに織り込まれていると見たが、どうだろうか。

 
「山桜」
でもメインであった、庄内地方の、四季の美しい風景を1年かけてロケして丹念に描いており、また、“桜の風景で始まり、桜で終る”という点でも前作とよく似た構成である。“桜と女”2部作と言ってもいいかも知れない。

そしてもう一つ印象的なのが、女性が襖を開けたり、前に進み出る時の所作を丁寧に描いている点で、こうしたしきたり、作法が厳然と守られている時代だからこそ、かなわぬ思いを内に秘めて日々生きて行かざるを得ない、武家社会の中の女性の悲しみが余計観客に伝わって来るのである。

丁寧で、隅々にまで配慮が行き届いた中西健二監督の演出は好感が持てる。

配役は、以登役の北川景子がやや固さが感じられるものの、稽古着姿と太刀回りのカッコ良さでカバー。その分、甲本雅裕、市川亀治郎、以登の父親役の國村隼などの脇役陣が役柄に合った適材適所で全体を締めている。ただ孫四郎役の宮尾俊太郎(本職はダンサーだそうだ)が、やや力不足が感じられたのが惜しい。それと、女優陣が印象が薄いのも気になった。もう少し、地味でもうまい役者を持って来るべきだ。ナレーションの藤村志保はさすが貫禄だが。

ともあれ、藤沢周平ファンには十分楽しめる出来になっている。昔からの時代劇映画ファンなら、前述のごとく余計楽しいだろう。

ただ、前作(「山桜」)の時にもクレームをつけたが、一青窈の主題歌がまたしても作品世界をぶち壊している。ご丁寧に、主題歌の間奏部に藤村志保のナレーションをおマケ扱いで挟むという愚挙で、映画の余韻が台無しだ。なぜナレーションが終わり、画面がゆっくり閉じられるまで待てないのか。いいかげんにして欲しい。    (採点=★★★★

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2010年3月14日 (日)

テレビ「相棒 -シーズン8-」最終回

Aibou8_2 「相棒」シーズン8が、3月10日放映の第19話で終了した。

テレビドラマをほとんど見ない私だが、この番組だけは欠かさず見た。今再放送中の旧シリーズもすべて録画している。

いやー、テレビドラマでこんなにハマったのは「古畑任三郎」以来だ(笑)。ここ数年のテレビドラマの中では(と言ってもほとんど見ないので比較出来ないのだが)、完成度、質の高さでは随一ではないだろうか(以前に書いた感想はこちら)。

 
このシリーズの素晴らしさは、要約すると、次の3点にまとめられるだろう。

①毎回、杉下右京(水谷豊)が、ささいな手掛かりから見事難事件を解決する、推理ミステリー・ドラマとしての面白さ。
 この点では「刑事コロンボ」、「古畑任三郎」に並ぶ、犯人との知能合戦が展開する名探偵刑事ものの流れを汲んでいると言える。

②ベテランで人情味の熱い杉下と、(シーズン7までは)元気はいいが少し未熟な若手刑事の亀山(寺脇康文)との2人組のコンビネーションが絶妙で、さまざまな事件を解決するプロセスを経て、亀山が次第に杉下に心酔し、一人前の刑事に成長して行く、人間ドラマとしての奥行きの深さがある。脇のキャラクターもそれぞれ魅力的である。
…従って、亀山がある程度成長した事により、シーズン7で彼が卒業したのも当然の流れと言える。

③難事件を解決する優れた人材でありながら、杉下が窓際的な特命係に追いやられ、上層部からは煙たがられ、冷遇されているという複雑なシチュエーションを設定し、そこから、官僚的で事なかれ主義がはびこる、警察組織や行政機構の矛盾を突く社会派ドラマとしての側面も併せ持つ。

これだけを見ても、このシリーズが凡百の刑事ドラマに比べて、ずっと中味の濃い、良質な作品である事が分かるだろう。「古畑任三郎」やコロンボが、実は上記のうち、①の要素だけしか持っていない事から比較しても、この作品の奥行きの深さは際立っている。

 
さて、最終回だが、さすがに2時間スペシャル版だけあって気合が入っている。以下ネタバレ

大手物産会社の電子通信部設計係長が転落死する事件が起こり、事件に関係があると見られた警備保障会社が、警察OBが多く再就職(つまり天下り)している先であり、案の定天下り警察官僚である顧問が捜査に圧力をかけて来る。その背後には、警察庁が極秘に開発していたFRS(顔認証)システム導入をめぐる政治的駆け引きがあった…というお話。

上記③の要素がかなり前面に出て来ている。天下り官僚批判や、警察組織が国民監視システムを極秘に、見えない所で進めているという、国家権力機構の不気味さが描かれているのだが、本当にやっているかも知れないリアリティが感じられてゾッとする。脚本(櫻井武晴)が見事。
いつもは憎まれ役の伊丹刑事(川原和久)が、横ヤリを入れて来る警察OB顧問を、杉下が聴取している取調室から強引にほっぽり出すシーンでは快哉を叫びたくなった。いいとこあるねぇ(笑)。

しかも今回で、新相棒の神戸尊(及川光博)が特命係に配属された真の理由や、杉下の秘密裡の配置転換計画まで飛び出して来る仰天の展開。

見応えがあった。シーズン8中でもベストに入る出来である。こういうのこそ劇場版として公開して欲しい。見逃したら再放送か、DVD発売まで待たなければならないテレビの枠に留めておくのはもったいない。

 
だが、一番感銘を受けたのは、神戸が警察庁に戻れる事になったのに、それを拒否して特命係に残る茨の道を選んだ事。

最初の頃は杉下に反感を持っていた様子もあった神戸が、次第に杉下に尊敬の念を抱くようになり、とうとう最終回では自分の意思で栄転をあえて撥ね退け、杉下の本当の相棒になる事を決意するのである。…無論、警察庁の組織の横暴さや汚さに愛想をつかした…という面もあるのだろうが、この決断には泣けた。昨年の「3時10分、決断のとき」に匹敵する男の決断である。

セリフも泣かせる。
杉下:「強制はしないと言いましたよ」
神戸:「はい、だれかから強制されて動くのは、もうやめました」
   「僕もね、したくなったんですよ、警察官らしいことを」

杉下:「ようこそ、特命係へ。ところで神戸君、今夜も飲めそうですか」

―― 本当の、相棒の始まりである。「カサブランカ」のラストのセリフを思い出した…というのは褒め過ぎか(笑)。

 
ところで、このラストを見て思い起こしたのが、黒澤明監督の名作「赤ひげ」(65)である。

ちょっとした不始末で、御殿医を目指していた保本登(加山雄三)が、掃き溜めのような小石川養生所に送り込まれ、最初は反撥しふてくされるものの、次第に赤ひげ(三船敏郎)の人間性に尊敬の念を抱き始め、最後は御殿医になれる道を捨てて養生所に留まる決意をする。

保本の最後の決意は、神戸の行動に良く似ている。神戸も、栄転が待っているのに、あえてその道を捨て、陸の孤島と呼ばれる特命係で、尊敬する人物の部下になる道を選ぶ。養生所も言ってみれば陸の孤島である。

そう考えれば、優れた医者としての能力がありながら養生所に留まり、貧しい病人の為に尽力し、権力者に怒りを燃やす赤ひげは、杉下にも似ている。

前に私は、「相棒」の人物や物語設定は、黒澤作品の「野良犬」に似ている…と書いたが、今回の作品を見て、企画者(プロデューサー)はやはり黒澤映画にオマージュを捧げているのに違いないと確信した。

そもそも、“未熟な若者が、師に教えられて成長して行く”という、上記②の要素自体が、「姿三四郎」以来の、黒澤作品の基本パターンでもある。

おそらく半年後にスタートするであろう、シーズン9も楽しみである。こうした骨太の反権力姿勢は、今後も貫いて欲しい。期待したい。

(関連記事)
  「相棒」 TV版第1回
  テレビ「相棒 -シーズン7-」最終回
  

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2010年3月10日 (水)

「ハート・ロッカー」

Hurtlocker 2008年:米/ブロードメディア配給
原題:THE HURT LOCKER
監督:キャスリン・ビグロー
脚本:マーク・ボール

イラク戦争下で、爆発物処理にあたる兵士たちの姿をリアルに描いて、本年度のアカデミー賞において、ライバル「アバター」を破って作品・脚本・監督賞等6つのオスカーを獲得した、本年屈指の力作。監督は「ハートブルー」「K-19」等の骨太サスペンスで知られる女性監督のキャスリン・ビグロー。

2004年夏、所はイラクのバグダッド郊外。現地で活動を続ける米陸軍ブラボー中隊爆発物処理班(EOD)に、ウィリアム・ジェームズ(ジェレミー・レナー)二等軍曹が、爆死した前任リーダーの後釜として赴任して来る。処理班員のJ・T・サンポーン(アンソニー・マッキー)軍曹とオーウェン・エルドリッジ(ブライアン・ジェラティ)技術兵は、巧妙に仕掛けられた爆発物を大胆に処理するジェームズ軍曹の恐れ知らずの行動に畏敬の念を抱くが、それによって彼らの任務はますます危険にさらされることになる…。

 
女性監督による作品だが、ほとんど女性が出て来ない、男臭さがプンプン匂うハードなサスペンスだ(同じイラクの戦場を舞台とした「勇者たちの戦場」には、ジェシカ・ビール扮する女性兵士が重要な役で登場していたが)。

イラク戦争がテーマになっている事もあって、前述の「勇者たちの戦場」「告発のとき」「リダクテッド 真実の価値」等のイラク戦争物と同様に、なんだか重苦しい作品であるように思われがちだが、“爆発物処理”という題材を持って来た着想が素晴らしい。これによって、映画は、いつ爆弾が爆発するかも分からないという緊迫した空気を孕み、観客は固唾を飲んで見守る事となる。

そういう意味でこの作品は、イラク戦争を題材にしているという共通項はあるが、前記の作品群とはやや趣を異にして、スリリングなサスペンス映画的要素も併せ持った、より幅広い観客層にアピールしうる作品にもなっている。

なお、本作でアカデミー脚本賞を受賞したマーク・ボールは、前述の「告発のとき」の原案も書いており、この作品も、戦場で謎の死を遂げた息子の死の真相を追う、犯人探しミステリー的味わいを持っていた事も付記しておきたい。

中盤では、砂漠の真ん中で、ジェームズたち一行がテロリストたちと遭遇し、超遠距離での狙撃合戦が行われるが、これもまるで「ザ・シューター/極大射程」等のスナイパー・アクション映画を思わせるスリリングな展開となる。

加えて、前線の兵士が、戦闘(=つまり殺戮)を任務としている故に、イラク市民や平和愛好家たちにとっては好ましい存在ではないのに対し、ジェームズ軍曹らEODの活動は、消防士や救急医療士と同じく、“人の命を救う”人道的側面を持っているが故に、多くの人に支持され易いとも言える。

本作がイラク戦争という重い題材を扱っているにも係らず、アカデミー賞で9部門にノミネートされ、6部門で受賞出来たのは、これら2つのプラス要素があったおかげだとも言えるだろう。

ビグロー監督が、アカデミー賞受賞スピーチで、「世界中でユニフォームに身を包む、爆発物処理班、消防士、救命士」の人々にエールを送ったのも、まさにこの作品の本質がそこにある事を示している。

 
(以下、ややネタバレあり)
さて、映画は冒頭からいきなり、爆発物処理班の活動が描かれるのだが、始終揺れる手持ちカメラ、短くて歯切れのいいカッティングに、16ミリフィルムをブローアップしたザラついた映像が、まるでドキュメンタリーを見ているような迫真性があって一気に作品世界に没入させられる。
爆弾が破裂する際、衝撃で砂や車の錆が舞い上がる超スローモーション映像も効果的。

主人公のキャラクター設定が秀逸。これまでの爆弾処理回数が873回だというジェームズ軍曹は、豪胆で命知らず、どんどん危険に飛び込んで行く。冒頭に引用される「戦争は麻薬である」の言葉通り、彼はほとんど爆発物処理ジャンキーである。ただし合間にDVDを売るイラクの少年との、つかの間の交流も差し挟んで、普段は心優しい男である点も抜かりなく描く。
任務が終了し、故郷に戻っても平和な生活になじめず、再び志願し戦地に戻って行くラストも効いている。その他のサンボーン、エルドリッジらのキャラクターの描き分けもうまい。

緊迫感あふれる演出も見事だが、彼らの活動を冷ややかに眺めるイラク人民の姿も随所に配置し、アメリカ兵は所詮余所者である事を印象づけている。またジェームズらが爆弾を見事に解除して行くにつれ、テロリストたちの爆弾工作もますます巧妙になって行き、死体の内臓に爆弾を仕掛けたり、強固な鍵をいくつもセットして、遂にジェームズをもってしても解除出来ずに犠牲者を出したりと、いくら彼らが献身的な活動をしても、戦いは終わらず、果てしがない。それが戦争の現実である。

 
さまざまなエピソードを通して、戦争というものの底知れぬ奥の深さ、空しさ、悲しさを痛烈に描いた、これは見事な力作である。

ただ、やや引っかかるのは、前述した中盤の遠距離狙撃戦のシークェンスで、戦場とは言え、ここではジェームズらも容赦なく敵を殺して行くのだ。見事に敵を撃ち殺したエルドリッジにジェームズは「GOOD JOB!」と言い放つ。“人の命を救う”彼らの職務を描く作品テーマの中では、やや浮いているように思えるのだが。特に消防士、救命士と並べた、ビグローのスピーチがあっただけに…。

そんなわけで私の評価としては満点には出来なかったが、本年屈指の秀作であり、必見の問題作である事に変わりはない。お奨め。     (採点=★★★★☆

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(さて、固い話はひと休みで、お楽しみはココからだ)

爆弾がいつ爆発するかも分からない、という話は、サスペンス映画の常道としてこれまでに多くの作品が作られている。

本作と同じく、特殊部隊による爆発物処理を描いた作品としては、有名な所では、リチャード・レスター監督の「ジャガーノート」(1974)がある。豪華客船に仕掛けられた無数の時限爆弾を、特殊部隊爆弾処理班が解除して行く、行き詰るサスペンスの佳作である。
赤か青か、どちらの電線を切断すればよいのか、という、いわゆる電線切断サスペンスもののハシリでもある。

同様に爆発物処理班が主人公の作品としては、キアヌ・リーブス主演「スピード」、トミー・リー・ジョーンズが珍しく爆弾魔を演じた「ブローン・アウェイ/復讐の序曲」等があるし、ビグロー監督の元ダンナ、ジェームズ・キャメロン監督の「アビス」にも、ラスト間際に核弾頭の起爆装置を解除するサスペンス・シーンがある。

ヒッチコックは、すでに戦前に「サボタージュ」という、時限爆弾が仕掛けられた荷物を持ったまま少年が電車に乗り、いつ爆発するかハラハラさせられるサスペンス映画を撮っている。さすがはスリラーの神様である。

で、面白いのは、今年のアカデミー主演賞を受賞した2人、サンドラ・ブロック「スピード」に、ジェフ・ブリッジス「ブローン・アウェイ/復讐の序曲」に、それぞれ主演しているのである。

作品賞を受賞した本作を含め、アカデミー賞の主要部門で最優秀賞を受賞した、キャスリン・ビクロー、サンドラ・ブロック、ジェフ・ブリッジス、(ついでに作品賞を争い、結局3冠に留まったジェームズ・キャメロンも)…この人たちが、ことごとく“爆発物処理”サスペンス映画に係わっている…というのも、不思議な縁と言うか、奇妙な偶然ではある。

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2010年3月 3日 (水)

「ボーイズ・オン・ザ・ラン」

Boysontherun 2010年:日本/ファントム・フィルム配給
 監督:三浦 大輔
 原作:花沢 健吾
 脚本:三浦 大輔

雑誌「ビッグコミック・スピリッツ」に連載の花沢健吾原作のコミックを、これが初メガホンとなる、劇団「ポツドール」主宰の三浦大輔が映画化。主演は銀杏BOYSのボーカル、峯田和伸。

弱小ガチャポン・メーカーに勤める29歳の田西敏行(峯田和伸)は未だ独身、冴えない日々を送っている。そんなある日、商品企画部の同僚・ちはる(黒川芽以)と仲良くなり、ようやく恋が実ると思われたが、ちょっとした焦りと誤解からちはるに嫌われてしまい…

眼鏡をかけ、容貌も冴えず、恋のかけひきも苦手でドジばかり、日々悶々と過ごす情けない若者像を、本業は歌手の峯田和伸が好演。

ちはるの隣部屋のソープ嬢、しほ(YOU)だとか、田西の同僚で仕事中にも酒びたりだが、実はボクシングに精通している鈴木(小林薫)だとか、最初は気さくで田西と仲良くなるが、後に決闘を申し込む相手となるライバル企業勤務の青山(松田龍平)、その他田西が勤める会社の社長(リリー・フランキー)等々、登場人物がそれぞれにユニークなキャラクターで、また役者も役柄にピッタリはまって好演している。

この手の青春ドラマは、松本零士のマンガ「男おいどん」を嚆矢として、これまでいくつも作られて来た(眼鏡にボサボサ頭の田西の風貌からして、「男おいどん」の主人公大山昇太とそっくりだ)。

女に恋しながら、失敗を繰り返し、フラれてばかりのドジな主人公像は、「男はつらいよ」の車寅次郎とも重なる。

(以下、ややネタバレあり)

また後半、[ちはるを弄び、妊娠させ捨てた卑劣な]青山に対し、田西が決闘を申し込み、鈴木の指導の下、ボクシングの練習に励むくだりは、岡田准一・堤真一主演で映画化された「フライ,ダディ,フライ」(原作・金城一紀)を思わせる。

奇しくも、堤真一が演じた主人公の名前も“鈴木”である。ありふれた名前ではあるが。

 
ただ、「フライ,ダディ,フライ」の方はラスト、主人公が見事勝利する、爽やかな幕切れであったのに対し、こちらの主人公はあっさり惨敗する。しかも、その敗因の一端はちはるのせいだった事も判る。ラストも、二人は何ともギクシャクした、煮え切らない別れ方をする。

このエンディングは正直不満である。ちはるは、映画全体の中でもヒロイン的役割であるのに、およそヒロインらしからぬ態度で田西を悩ませ、彼を裏切り続ける。観客は最後まで感情移入出来ないままである。

無論、現実は、なかなかうまく行かないものであり、悩み、夢破れ、壁にぶち当たって惨めな体験をする人だっているには違いない。

だが、観客は、現実に夢を持てないからこそ、せめて映画の中では夢を見たいのである。頼りないけれど、一生懸命頑張る主人公が、最後には夢を実現し勝利する、爽やかで気持のいい感動を味わいたいのである。

無論、寅さんだって毎回フラれてはいるが、ヒロイン以下、悪い人間は登場しないし、幕切れは爽やかでかつ感動的である。

本作は少々後味が悪過ぎる。観客にとってはフラストレーションが残る幕切れであった。

 
いろいろ調べると、原作ではこの後も物語は続いているし、田西の前に、真のヒロインも登場するようだ。ちはるや、青山の運命も大きく変転する。

それであるなら、本作はパート1で、この後続編も作られ、そちらで物語は真の完結を迎える…という事なのだろうか。

だが、今のところ続編が作られるとは聞かない。映画のエンディングで、“To Be Continued(続く)”と表示されているわけでもない。

本作で、映画は完結だとするなら残念だ。是非パート2で、爽やかな幕切れを迎えるよう切望する。

 
とは言え、三浦監督の演出は、(舞台演出のキャリアがあるにしても)なかなか手際よく好感が持てるし、笑いの間もタイミングよく配置されていて新人監督としてはまず及第。出演者も前述の通りそれぞれに好演している。
これでラストを(原作を変えてでも)ハッピーにまとめてくれたなら、もっとを増やしてあげてもいいのだが…。ともあれ、三浦監督には、次回作も大いに期待したい。繰り返すが、続編希望。     (採点=★★★☆

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