「息もできない」
2008年・韓国/ビターズ・エンド、スターサンズ配給
原題:똥파리/英題:Breathless
脚本・監督:ヤン・イクチュン
新しい人材が続々登場している韓国映画界から、またしても凄い映画がやって来た。
ヤン・イクチュンという、インディーズ映画界ではそこそこ知られた男が、製作・脚本・監督・主演・編集まで一人でこなした、長編映画監督デビュー作。本作で、世界中にセンセーションを巻き起こし、東京フィルメックスで最優秀作品賞と観客賞の2冠に輝いた他、国際映画祭・映画賞で25もの賞を受賞したという。いろんな批評でもかなり評判がいい。これは観ずばなるまい。
大阪では4月10日封切。で、早速初日に観てきた。
これは本当に凄い。傑作だ。今の所、今年のマイ・ベストワンである。
まず、出だしがいい。夜の街で一人の女性を殴り続ける男を、主人公のサンフン(ヤン・イクチュン)が叩きのめす。が、その直後、助けた女にも殴りかかり、「なんで殴り返さないんだ!」と怒鳴りつける。
たったこれだけのシークェンスで、観客は一度に次のような事を知る。
①まず、主人公は相当に粗暴で、すぐに暴力を実行する男である。
②ただ、弱いものに暴力を振るう奴には激しい怒りを覚え、弱い人間を助ける義侠心は持ち合わせている。
③ただし、理不尽な暴力に反抗しない人間も、許せない、という屈折した心を持っている、少し変わった男である。
最近の韓国映画は、「母なる証明」でも顕著だが、冒頭の短いツカミのエピソードで、主人公の性格から、映画の方向まで簡潔に伝える脚本作りが実にうまい。日本映画は見習うべきである。
本作も、この冒頭のエピソードで、主人公のキャラクターを鮮明に打ち出すと同時に、彼の人間形成に及ぼしたであろう辛い過去をも想起させ、また、最後に示されるであろう彼の運命まで予想させる。秀逸なイントロである。
(以下、ややネタバレ注意)
実際その通り、サンフンは子供時代、父親に母と妹を殺されている。その父親の暴力に幼いサンフンは抵抗出来ず、見かねて止めに行った妹はその為父に刺し殺されてしまった。
“あの時、自分が父に立ち向かっておれば…” その悔悟がトラウマとなって、サンフンは暴力を憎みつつも、自分もまた暴力を振るう事でしか、自分の存在を主張出来ない男となったのである。
借金の取立を生業とする事務所の仲間も殴りつけ、社長だろうと誰だろうと、何かと言うと、「クソ野郎」という汚い言葉を投げる。
粗暴な男だが、どこかに優しさも内在している。だがその思いをうまく伝えられない、不器用な男なのである。
そんな彼が、偶然一人の女子高生、ヨニ(キム・コッピ)と知り合う。サンフンに臆する事なく突っ張り返すヨニを、サンフンは殴り倒すが、彼女が目覚めるまで傍にいるという、変わった優しさも持ち合わせている。
ヨニもまた、粗暴な弟ヨンジェ(イ・ファン)と、ベトナム戦争帰りで精神を病んだ父との家庭生活で心が荒んでいる。
互いに似た境遇の二人は、これをきっかけに、やがて心を通わせて行く。このくだりもうまい。
仲間はずれにされている甥っ子の面倒を何かと見たり、仲良くなった甥の仲間たちと無邪気に遊ぶシーンも、サンフンの心優しい一面を伝えて心和む。
カメラもまた、手持ちで始終揺れ続け、荒々しく躍動する。
サンフンの、父親への屈折した思いの表現も秀逸である。父を憎み、「殺してやる」と言いながら、その父が自殺を図った事を知ると、病院に担ぎ込み「俺の血を全部抜いて輸血しろ」と叫ぶ。…血の絆は、憎んでも断ち切れないのである。
その後、漢江の川べりにヨニを呼び出し、彼女の膝を枕に慟哭するシーンには涙が溢れた。この美しいシーンは、長く映画ファンの心に残り続けるかも知れない。
サンフンは、本当は、優しく、傷つき易い男なのである。…人間とは、そんな悲しい生き物なのである。
ヨニと触れ合う事で、サンフンは少しずつ人間的に成長し、暴力世界から足を洗おうとするが、ラストには悲劇が待ち受けている。
(以下ネタバレ)
[皮肉にも、サンフンから、暴力で生きる道を教えられたヨンジェに彼が報復されるとは。ラストで、冒頭のサンフンと同じように、強制立ち退き作業に従事するヨンジェの姿を捕らえて映画は終る]
暴力にしか生きる道を見いだせない男がまた一人、サンフンを継承するかのように誕生する、このラストはシニカルで、かつ悲しい。
こういう映画を以前に観たことがあるな、と考えていたら、思い至った。
深作欣二監督の代表作、「人斬り与太/狂犬三兄弟」(1972・東映)である。
主人公(菅原文太)は徹底して凶暴で、親分だろうと組の仲間だろうとお構いなく逆らい、暴力を振るう。拾った女(渚まゆみ)は無理矢理強姦する。とんでもない男である。
だが、女はそんな文太を愛するようになる。文太も、いつしか女に心を寄せるようになるが、最後は凄惨な死を迎える。
彼もまた、暴力でしか己を表現出来ない男なのである。
無論、カメラは手持ちで、激しく揺れる(尤も、深作監督の代表的なアクション映画はほとんどそうなのだが)。
その深作が、本来は監督する予定だった、北野武の監督デビュー作、「その男、凶暴につき」(89)からの影響も、本作は受けていると思える。
冒頭の、夜のホームレス暴行事件と、その犯人の高校生を徹底的に痛めつける主人公(ビートたけし)というツカミ部分もよく似ている。
この主人公も徹底して暴力的である。同僚だろうと上司だろうと、キレると無茶苦茶暴れまくる。…だが、精神を病んだ妹にはとことん優しい面も見せる。
暴力的な主人公+「狂犬三兄弟」の凶暴性の中の純愛+「その男―」の歪な家族の絆…というDNAが、本作に受け継がれているように私には思えるのだが、どうだろうか。
本作の暴力描写に抵抗を感じる方もいるようだが、深作の「狂犬三兄弟」に比べたらまだ優しい(笑)。
自宅を抵当に入れてまで、この作品の完成に執念を燃やした、ヤン・イクチュン監督の思いがほとばしる、これは本年屈指の傑作である。必見。 (採点=★★★★★)
(付記1)
本作の英題は“Breathless”。邦題はほぼそのままだが、これはジャン・リュック・ゴダール監督のフランス・ヌーベル・バーグの代表作「勝手にしやがれ」の原題でもある。手持ちカメラ、刹那的に生きる男の不器用な恋愛、悲劇的な結末…と、共通する要素も多い。ちなみに、ヨニがサンフンに対して、「勝手にすれば!」とつぶやくシーンも要チェック。
(付記2)
小説の方で似た作品を探せば、花村萬月の一連のハードボイルド作品、中でも「笑う山崎」が、女をいきなり殴るシーンから始まる、暴力的な男が主人公である点がよく似ている。その暴力描写のエグさには辟易するが、それにもかかわらず全編を貫く“凶暴性の裏に隠された一途な愛の姿”に感動を覚える秀作である。
DVD「人斬り与太・狂犬三兄弟」
DVD「その男、凶暴につき」
小説・花村萬月「笑う山崎」
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コメント
気が早すぎますが、今年のキネ旬外国映画部門2位有力候補なんでは・・・1位は「インビクタス 負けざる者たち」
こんな素晴らしい映画だって言うのに、僕の周りじゃ、ちーとも話題になってません!というか、いくらなんでも上映館が少なすぎます!シーバルノマァ!
投稿: タニプロ | 2010年4月11日 (日) 22:31
◆タニプロさん
私もベスト1~2位には入れたいですね。
ちなみにYahoo映画では 4.46点と高得点ですが、レビュー数が4/25現在でたったの54件。数少ないけれど、見た人は高く評価している事が分かります。
口コミで広がって欲しいですね。
投稿: Kei(管理人) | 2010年4月25日 (日) 22:11
Yahoo映画は以前書いてましたが、書き逃げと複数アカウントのあまりの多さに腹が立ってやめました。
そんなことはさておき芝山幹郎さんはパンフの評に「三つ数えろ」のボギーとベティみたいだとおっしゃってました。自分は見たことが無い映画なんで見ようかなと。
ところで別件で管理人さんのご意見がお聞きしたく掲示板に書き込みさせていただきました。お気づきになられたらお読みいただけたらと。
投稿: タニプロ | 2010年5月 3日 (月) 01:41
明日というか今日、ヤン・イクチュン、園子温両氏がネットの生放送で対談するそうです。自分は観れないんですけど・・・まあ興味ありましたら。
http://www.cinra.net/news/2011/02/03/180431.php
投稿: タニプロ | 2011年2月 5日 (土) 02:01