「月に囚われた男」
2009年・英:ソニー・ピクチャーズ配給
原題:MOON
原案・監督:ダンカン・ジョーンズ
脚本:ネイサン・パーカー
カリスマ・ロック歌手デヴィッド・ボウイの息子で、CMクリエイターとして実績を重ねて来たダンカン・ジョーンズの長編映画デビュー作。本作でいきなり英国アカデミー賞作品賞にノミネートされ、最優秀新人賞を受賞した他、数多くの新人監督賞を受賞した話題作。
近未来、宇宙飛行士であるサム・ベル(サム・ロックウェル)は地球最大の燃料会社ルナ産業との3年契約により、単身月に派遣され、エネルギー源ヘリウム3を採掘して地球へ送る作業に従事していた。地球には妻と3歳が彼の帰りを待っている。その契約もあと2週間で終わりという日、サムは作業中に事故を起こしてしまう。基地内の診療室で目覚めた後、彼は誰もいないはずの基地内に、もう一人の自分がいる事に気付く…。
…というストーリーを聞いて、私は何やらとても知的好奇心をくすぐられた。誰もいない宇宙空間で、たった一人で3年も暮らすなんて、私にはとても耐えられない。発狂するかも知れない。
主人公サムは、ひょっとしたら本当に神経がおかしくなって、幻影を見たのかも知れない(現に、直前に別の人間を幻視している)。
あるいは、ドッペルゲンガーが登場したのかも知れない。だとすると、とても哲学的な作品になる可能性すら秘めている。
“私”とは何なのか。客観的な目で、自分という存在を見つめ直す事から、彼は新たな自己を発見する事が出来るのか。―あるいは、広大かつ無限の宇宙全体から見れば、人間とはいかなる存在であるのか…いくらでも、考える余地はあるだろう。
そういう、あれこれを考えさせてくれるだけでも、この映画が作られた値打ちは十分にある。
(以下ネタバレあり。注意)
やがて真相が明らかになると、哲学とはあまり関係がなく、要するに企業の自分勝手な都合が原因だったという話になる。
簡単に言えば、サムのクローン人間を多数作って、スペアとして保存していたという事である。
人間を派遣すれば、特殊勤務だから報酬も多額になる。しかも、もしそいつが事故で動けなくなったら、代わりの人間がすぐに見つかる保証はなく、採掘作業に大きな支障が生じてしまう。死んだら補償額も莫大なものになる。また3年ごとの往復の渡航費用もバカにならない
そういったリスクを考慮したら、またコスト削減を考えたら、企業論理としては、“人間を派遣するのでなく、クローンを多数置いといて3年ごとに次々交換して行けば、人件費は払わなくて済むし、途中で事故れば、そいつは死なせてすぐに次のクローンを働かせれば、作業に穴が開く事もないし無駄がない”という結論になるのも当然だろう。
その為に、クローンは3年で寿命が尽きるように作られている。元からいたサムが血を吐き、次第に衰弱して行くのはそれが原因である。恐らくその方が、クローン製造コストが安くつくのだろう。
それまでは、基地の長距離通信機が壊れていて、地球との交信はできないと聞いていたのだが、それに疑いを抱いたクローンのサムが通信機を見つけ、地球の家族と連絡を取ると、娘はすっかり大人になっていて、しかも父親は傍にいるという(多分、本物のサムなのだろう)。
つまりは、クローン人間の記憶も、過去にクローンの製造時に、人為的に植えつけられたものなのである。娘の年齢経過からして、恐らくはクローンたちは15年ほど前に一斉に量産され、その当時の、本物のサムの記憶を移植されたのだろう。悲しい事にクローンたちは3年ごとに、当初の記憶をリセットしては、目覚めを繰り返して来たのである。通信機が故障しているというのは、その事がバレない為の細工である。
…なんとも冷酷な企業論理だと言えよう。テーマは、利潤追求を最優先する巨大企業のエゴへの批判がメインとなる。…哲学テーマを期待したのに、えらく分かり易い話になってちょいと拍子抜けではある。
しかし、それでもこの映画は面白い。一時的にせよ、いろいろと知的好奇心をくすぐられ、人間という存在について考えされてくれたからである。
またいずれにせよ、文明批判、人間のエゴ批判という、いかにもイギリス的な辛辣な風刺が効いている。
二人のクローン・サムが、最初は相手を互いに自分のニセ物と思い、疑心暗鬼に陥ったり、いがみ合ったりするが、やがて真相を知り、次第に協力し合い、互いを思いやる心すら芽生えてくる。
死んで行く第1のサムを、第2のサムが優しく看取るシーンは感動的ですらある。“自分自身を見つめ直す”という当初のテーマは、しっかりと生きているのである。
製作費はわずか500万ドル(低予算と言われた「第9地区」のさらに6分の1である)だそうで、SFXは確かにあまり金はかかってはいない。CGもほとんど使われておらず、レトロな味わいすらある(ただ、二人のサムが交錯するシーンは、CGを使ってるのだろうが違和感がなく見事なSFXである)。
また隠し味として、'70年代以前に作られていた、クラシックなSF映画へのオマージュも感じられる。
宇宙空間で孤独と向き合う人間の幻視や哲学的テーマは、A・タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」を思わせるし、たった一人で黙々と作業する姿は、ダグラス・トランブル監督の「サイレント・ランニング」の影響を感じさせる。短い命の人造人間の運命は「ブレードナンナー」だろう。人間性を無視した組織への反逆と脱出は、これも低予算のジョージ・ルーカスの出世作「THX1138」を思わせる。
そして全体的には、キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」へのオマージュが濃厚だ。人工知能ガーティ(声はケヴィン・スペイシー!)はHALを思わせるし、哲学性なテーマも共通するし、あの作品のラストには、もう一人の自分と遭遇するシーンもある。白っぽい月面の描写も心なしか似てるように思える。
最近のSF映画は、CGを多用したビジュアルや、アクションを満載した、派手で見世物的な作品が幅を利かせているが、本作のような、地味だが考えさせてくれるSF映画もあっていいと思うし、映画史的にも、そのようなSF映画がいくつか作られて来て、SFというジャンルの、幅の広さ、奥行きの深さを見せ付けて来たし、SF映画の発展にも寄与して来たのではないかと思う。
例えば、ドン・シーゲル監督の「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」などは低予算でSFXもほとんど使われていないが、“最も知的なSF映画”として高く評価されている。また、フランソワ・トリュフォー監督がイギリスで撮った「華氏451」も、優れた文明批評SF映画としてファンは多い。
本作も、まぎれもなく、そうした低予算・知的SF映画の1本として、記憶に残る作品だと言えよう。やや理屈に合わない所も確かにあるが、奥深いテーマと、メッセージ性を強調した為にやや細部に破綻をきたしたとも言える。その程度は、作品の性質からは私は目を瞑ってあげたいと思う。
父親の威光に頼らず、強い作家性を打ち出した作品を完成させた、ダンカン・ジョーンズ監督の今後が楽しみである。期待して見守りたい。 (採点=★★★★)
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