「第9地区」
2009年・米:ワーナー/ギャガ配給
原題:District 9
監督:ニール・ブロムカンプ
脚本:ニール・ブロムカンプ/テリー・タッチェル
製作:ピーター・ジャクソン
昨年度の、雑誌「映画秘宝」のベストテンにランクインしていたので、気になっていた作品。「少林サッカー」を始めとして、翌年公開予定作品で、ここのベストテンに早々と入選した作品には掘り出し物が多いので、いつもチェックしているのだが、今回も大当たりだった。
これは本年屈指の、特にSF映画ファンなら必見の秀作である。
南アフリカ・ヨハネスブルグ上空に巨大UFOが出現して28年。地球に難民としてやって来たエイリアンたちは、スラムのような「第9地区」に居住させられていたが、地球人とのトラブルに手を焼いた南ア政府は、超国家機関・MNUを使ってエイリアンたちを別地区に移住させようとする。その責任者に選ばれたMNUエージェントのヴィカス(シャルト・コプリー)は、あるエイリアンの小屋で、奇妙な液体を浴びてしまい、その時から彼の身体は次第に変異を起こし始めてしまう…。
エイリアンものと言えば、古典的な侵略ものか、友好的なもののどちらかが大半で、本作のような、終始一貫しての“難民もの”というのは珍しい(東宝「地球防衛軍」('58)のように、住む星を失った宇宙人が登場するものも、基本的には侵略ものである)。
また本作には、新しい発想のさまざまなギミックが用意され、それらを観るだけでも充分面白い。
例えば、手持ちカメラを多用した、ドキュメンタルな映像である。ピーター・ジャクソン率いるWETA・ワークショップがVFXを担当していることもあり、始終揺れるフレームの中で、リアルな質感で描かれるUFOやエイリアンは、実在するそれらをハンディ・カメラで取材したのではと思えるほど迫真性がある。
しかもそれらの映像の多くが、ニュース報道番組や、街頭のモニター・カメラの映像として登場する。従って余計リアリティが感じられる。うまい着想である。
さらに、舞台がアパルトヘイト(人種隔離政策)で悪名高い南アフリカである。上空から映し出されるエイリアン居住区は、みすぼらしいスラム街そのものである。エイリアンたちも、差別され迫害されて来た黒人さながらに貧しく、過酷な生活を送っている。
エイリアンたちを別地区に移住させる…という事は、即ち“隔離”を意味する。国家機関(MNU)の実行する作戦は、そのままアパルトヘイトの暗喩に他ならない。人類がエイリアンたちを、シュリンプ(エビ)と呼ぶのも、他国から移住して来た(あるいは強制連行されて来た)黒人や朝鮮人や中国人を差別し、特定の蔑称で呼んで来た過去の歴史を嫌でも思い起こさせる。彼らは、そうした移民外国人の暗喩でもあるのだろう(移住した外国人を昔、我が国政府は“エイリアン”と呼んでいた時代があった事を思い出す)。
立ち退き承諾のサインをもらおうと、ヴィカスたちがエイリアンと交渉するくだりは、お役所仕事そのまんまでなんともおかしい。
こうした、痛烈な皮肉やユルいギャグが巧みに網羅されている一方で、抵抗するエイリアンたちを容赦なく痛めつけたり射殺したり、エイリアンの卵の巣を火炎放射器で焼き尽くすといった、ハードかつ残酷な描写もある。それらがドキュメンタルなニュース画像で描かれるだけに、余計生々しい。
だが、ヴィカスが、恐らくは怪我した左手からエイリアンのDNAが体内に入った為に、次第に身体に変異を生じる辺りから、映画は、元の身体に戻ろうと苦闘するヴィカスと、クリストファーと呼ばれるエイリアンとその子供との、奇妙な共闘と連携の物語が芯となって行く。
ヴィカスが浴びた液体の入った筒は、実はエイリアンのスペースシップを起動させる燃料が入っており、それを取り戻したいクリストファーは、協力すれば元の身体に戻してやるとヴィカスに約束する。
それまで、エビと呼んで他の人間たちと同様、エイリアンを差別して来たヴィカスは、クリストファーに協力するうちに、次第に彼との間に友情のようなものが生まれて来る。
ヴィカスと共にMNUの研究所に侵入したクリストファーは、研究所内で、生体実験にされていた仲間のエイリアンを発見し、愕然とし、しばし立ちすくんでしまう。その姿を見て、ヴィカスの心は痛む。
こうした描写を積み重ねる事によって、映画は、“いったい、野蛮で、自分勝手なエゴイストはどっちなのだ”という痛烈なメッセージを我々に突きつけるのである。
映画の出だしで、グロテスクな風貌のエイリアンに最初は嫌悪感を抱いていた我々観客は、やがてヴィカスに感情移入し、さらに次の段階で心情がクリストファーらエイリアンに移って行き、最後はクリストファーたちが人類の妨害を撥ね退け、無事宇宙船に戻り、旅立つ事を祈る気持すら生まれて来る。
冒頭と最後で、地球人とエイリアンそれぞれに寄せる心情がこれほど180度逆転してしまう映画は初めてではないだろうか。
この映画のユニークな点はそこにある。
人間とは、自分勝手で、自分を中心にしか物事を見ないから、差別や虐殺等を歴史の上で産み出して来たし、反面、目の前にある情報に簡単に扇動(あるいは洗脳)されてしまう弱さも一面で持っている。
これはそうした人類の愚かさを、呵責なきまでに皮肉った、痛烈な文明批判、人類批判映画なのである。
それを、“ニュース・ドキュメンタリー手法で描く宇宙人SF映画”という、ジャンル・クロスオーバー的な、しかしあくまでエンタティンメントの枠組みの中で作り上げたところに、この映画のユニークさがある。
また、随所に、映画史に記憶に残るSF映画へのオマージュを仕込んである所も楽しい。
上空に停止する巨大なUFOは無論「インデペンデンス・デイ」だし、ヴィカスの変身は、デヴィッド・クローネンバーグ監督の「ザ・フライ」を思わせるが、左手がまるで爬虫類か虫のように黒く不気味に変形している様は、「ザ・フライ」のオリジナルである古典SF「蝿男の恐怖」(1958)へのオマージュではないかと思う。ヴィカスが中に入って操縦するロボットは、わが「ガンダム」か「機動警察パトレイバー」か。
これが長編第1作となる監督のニール・ブロムカンプは、'79年南アフリカ共和国生れの若干30歳。18歳でカナダに移住し、CMや短編映画を数多く撮って来たが、26歳の時作った「Alive in Jo'burg」という、僅か6分半の短編SF映画がピーター・ジャクソンに認められ、ジャクソンが資金面のバックアップを行い、3,000万ドルという、VFX満載のSF映画にしては低予算作品ながら(「アバター」の約8分の1だ(笑))、興行成績では全米初登場第1位となり、最終的に米国内だけで1億5,600万ドルを稼ぐ大ヒットとなった他、先頃のアカデミー賞でも作品賞にノミネートされるなど、大反響を巻き起こした。
才能を認めた製作者のバックアップによる、その幸運なサクセス・ストーリーといい、まったく新しいSF映画の誕生といい、彼こそはまさに、ジョージ・ルーカス、スティーヴン・スピルバーグ以来の超大物新人ではないだろうか。今後の活躍を大いに期待したい。 (採点=★★★★☆)
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コメント
ちっちゃいほうのエビが可愛かったです
投稿: タニプロ | 2010年4月25日 (日) 13:32
◆タニプロさん
最初の方に登場するエビはかなりグロテスクで、観客の感情移入をワザと避ける描写をしておいて、後半はどんどんクリストファーらに感情移入するように持って行く演出が見事ですが、それをさらに強調させる為、あのちっちゃな子供を登場させる辺り、心憎いばかりですね。
お見事です。
投稿: Kei(管理人) | 2010年5月 4日 (火) 13:42
TB有難うございました。
世間ではこの映画は高評価で
意表をついた展開に驚きましたが
自分は、エイリアンに敢然と立ち向かう
人類の姿を見るほうが心揺さぶられるので
ちょっと、普通という感じでした。
個人の感性なんですが…
評価が高い理由はなんとなく
分かりましたけど。
投稿: シムウナ | 2011年3月 6日 (日) 17:28
◆シムウナさん
人によって作品評価や受け止め方は、違って当然だと思いますよ。
本作の場合は、これまで作られたいろんなエイリアンもののパターンを咀嚼したうえで、巧妙にはずしている所が斬新で、なおかつそれらに対するオマージュもぬかりない所が、SFファンの心を鷲掴みにしたと言えるでしょう。
それにしても、「映画秘宝」や「この映画がすごい」誌の高評価は当然としても、キネ旬でも3位とは意外ですね。ちょっと持ち上げ過ぎな気もします(笑)。
投稿: Kei(管理人) | 2011年3月 7日 (月) 00:13