「アリス・イン・ワンダーランド」
2010年・米:ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ
原題:ALICE IN WONDERLAND
監督:ティム・バートン
原作:ルイス・キャロル
脚本:リンダ・ウールヴァートン
ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」、「鏡の国のアリス」をベースに、19歳になったアリスの新たな冒険を描いた作品。監督は「チャーリーとチョコレート工場」のティム・バートン。ジョニー・デップが、バートンと7度目のコンビを組んでいる。
原題は原作と同じだが、年齢は原作の6歳から19歳に変わっており、原作、並びにディズニーによる原作に忠実なアニメ映画化「不思議の国のアリス」(1951)のお話から13年後に、アリスが再びワンダーランドを訪れる…という、映画オリジナル・ストーリーである。
原作は、ワンダーランドに迷い込んだアリスが、いろんなクリーチャーや、トランプをイメージしたキャラクターと出会い右往左往するだけの、ほとんど筋らしい筋もない、ナンセンスの極みとでも言うべきマカ不思議な作品である。
子供にも判り易いのが基本のディズニー・アニメの中でも本作は異色で、そのシュールかつナンセンスな展開に、子供たちにはあまり評判は良くなかったはずである。
原作は有名な童話なので、ここでバラしてしまうけれど、アリスが体験した不思議なお話は、実は“すべてアリスが見た夢だった”というのがオチ。アニメの方でも、[空想好きなアリスが花畑でまどろんでいるうちに夢の世界に入ってしまい、ラストでは女王たちに追いかけられ、最初に入って来たドアにたどり着き鍵穴から覗くと、眠っている自分を発見し、やがて姉の呼ぶ声で目が覚める]という展開になっている。
ところが本作では、気に入らないヘタレ男との結婚話に嫌気がさした時に、時計を持ったウサギを見つけ、それを追いかけてワンダーランドに迷い込む。
つまり本作におけるアリスの冒険は、夢ではなく、ワンダーランドは実在している、というのが基本ラインとなっている。
そして、オリジナルでのキャラクター、マッドハッター、芋虫のアブソレム、チェシャ猫、トランプの女王(本作では赤の女王)などはそのまま登場し、マッドハッターたちは“救世主であるアリスが戻って来るのを待ちわびていた”ことになっている。
原作や、アニメ版を知っている観客はここで混乱する事になる。
いったい、このお話は“アリスの夢”なのか、現実なのか…。
夢であるなら、アリスはいったい何時眠ったのか(そんな描写も、伏線もなかったと思う)。ラストでも、アリスは穴から這い出て、そのまま家族の元に戻って来る。…夢から醒める描写はない。
現実であるなら、原作やアニメで明示されていた、“すべてはアリスの夢だった”という前提が崩れてしまう事になる。おまけに、アリスは6歳の時にワンダーランドに言った事を覚えていない。…確かアニメ版では、夢から醒めた後、姉に、夢の中で見た冒険を興奮して喋っていた筈なのだが…。
そして物語も、予言の書に示された救世主と名指しされたアリスが、悩んだ末に救世主となる事を引き受け、鎧に身を包んで勇ましく赤の女王(ヘレナ・ボナム=カーター)や、その手先であるジャバウォッキーに戦いを挑み、見事勝利する…という、よくあるヒロイック・ファンタジー通りの展開となる。
こういうパターンって、'80年代に我が国で、OAV(オリジナル・アニメーション・ビデオ)が全盛だった頃にさんざん作られた魔界ファンタジーものと同工異曲で、ほとんど新味はない。…今どきこんな使い古されたストーリーを、シュールさとナンセンスが持ち味の「不思議の国のアリス」に持ち込むとはねぇ。
こういうお話にするのなら、ティム・バートンよりは、テリー・ギリアムに監督させた方がまだマシだったかも知れない。
…ちなみに、テリー・ギリアムは知る人ぞ知る「アリス」おタクである。'77年にはそのものズバリ、ルイス・キャロル原作とクレジットされた「ジャバウォッキー」という作品を監督している。
そんなわけで、ルイス・キャロルの原作、及びディズニー・アニメ「不思議の国のアリス」が大好きな方にはなんとも不満の残る作品になっている。
かと言って、ティム・バートンらしさも出ていない。なんせ製作はディズニー・ピクチャーズである。バートンは雇われ監督に徹したのかも知れない。おかげで、ティム・バートン監督作品としては過去最大のヒットになってるのは皮肉である。
ただ、バートン・ファンならニヤリとする箇所はいくつかある。
ウサギを追いかけて木の根っこにある穴に落ちるシーンで、背後にそそり立つ巨木が、バートン作品「スリーピー・ホロウ」に登場する朽木と、不気味な捻じ曲がり方がそっくり同じであったり、マッドハッターのお茶会のシーンで、背後にこれまた「フランケンウィニー」に登場したような風車の残骸があったりする。…ただ、3Dメガネをかけていると画面が暗すぎて、この風車がほとんど判別出来ないのは困りものだが…。 (採点=★★★☆)
(さて、お楽しみはココからだ)
そんなわけで、作品としてはイマイチの出来であったが、あちこちに仕込まれた小ネタで私は結構楽しむ事が出来た。
その小ネタとは、“宮崎アニメ・オマージュ”である。そもそもディズニーには宮崎アニメ・フリークがいるのは有名な話である。
まず、“予言の書に書かれた、救世主としての戦う少女”は、「風の谷のナウシカ」だろう。アリスの甲冑姿はトルメキアの女王クシャナに似てるし、そう思えば赤の女王の忠実な部下、ハートのジャック(クリスピン・グローヴァー)はクシャナの忠実な部下、クロトワとキャラがかぶっている。
その頭の異様にデカい赤の女王は、「千と千尋の神隠し」における、湯婆婆を思わせる。ちなみにアニメ版「不思議の国のアリス」の方では女王の頭は普通の大きさである。
その赤の女王の宮殿には、直立するカエルの一団がいるが、これも「千と千尋-」の、油屋で働くカエル男を嫌でも連想させる。
また、アリスが途中でモンスターに傷つけられ、右腕に醜い傷跡が残っているのは、「もののけ姫」のアシタカの、タタリ神によってつけられた右腕の傷を思わせる。ジャバウォッキーは「もののけ姫」のシシ神を連想させるし、そしてシシ神と同じく、首を切り落とされる。
だが、「アリス」と宮崎アニメとの関連はもっと溯る。アニメ版「不思議の国のアリス」を見直して思ったのは、
“宮崎駿監督のアニメ作品自体が、「不思議の国のアリス」からかなりヒントを得ている”のではないかという点である。
「となりのトトロ」で、妹のメイが、庭で不思議な生き物(小トトロ)を見つけ、後を追いかけて森の中に迷い込み、ヘンな穴にころがり落ちてトトロに出会う。ご丁寧にその後、メイは姉に揺り動かされて眠りから目を覚ますのである。
そう思えば、大きな顔と口に、自由に姿を消す事が出来、空も飛ぶ事が出来、普段は木の上にいる猫バスは、チェシャ猫のキャラクターとほとんどそっくりである。
また「千と千尋の神隠し」では、千尋は奇妙なトンネルを通って(トンネルも“穴”である)、不思議の国に迷い込む。
舟に乗ってやって来る神様のうち、春日さまの一団は平たい長方形で(右参照)、「アリス」のトランプ兵を思わせる。その他、頭(カシラ)だとか巨大な坊だとかのマカ不思議なキャラクターも、いかにも「アリス」的キャラである。
…とまあ、「アリス」からヒントを得たと思しきキャラクターやストーリー展開がいくつも見つけられる。宮崎作品には、「クラバート」とか「ゲド戦記」などの海外ファンタジーからの影響が見られるので、「アリス」からも影響を受けている可能性は大いにあるだろう。
その宮崎アニメから、今度は「アリス・イン・ワンダーランド」が影響を受けているとするなら誠に興味深い。ことによったら、宮崎アニメが「アリス」からヒントを得ているだろう事を、ディズニー・スタッフ(あるいはティム・バートン)も感じていて、意識的に逆輸入したのかも知れない。
…とまあ、こうやって、いろいろ想像を巡らせれば、映画はもっと楽しめるし、本編が期待外れであっても、料金分は楽しんだ気になれるのである。
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