「孤高のメス」
2010年・日本/東映配給
監督:成島 出
原作:大鐘 稔彦
脚本:加藤 正人
現役の医師である大鐘稔彦の同名ベストセラー小説の映画化。監督は「フライ、ダディ、フライ」、「ミッドナイト イーグル」等の成島出。
原作は文庫本で全6冊にも及ぶ大作。作者本人も手がけたと言う、「エホバの証人」の無輸血手術など、豊富なエピソードが網羅された、現代の医療制度の問題点も突いた話題作である。
観る前は、深刻な暗い話かなと思っていた。山崎豊子原作「白い巨塔」みたいな作品かとも想像した。
ところが観て驚いた。なんと爽快で心温まるエンタティンメント感動作だった。何度も泣いた。これは意外なと言っては失礼だが、掘り出し物の泣ける秀作である。お奨め。
素晴らしいのは、主人公・当麻鉄彦(堤真一)のキャラクター造形である。ピッツバーグ大学で外科手術を学んだという天才的な医師で、手術の腕前は超一流、それでいて少しも偉ぶらず、名誉も欲にも無関心、ただ患者の命を救う事だけを信念とし、困難な手術に取り組んで、周囲の人々の信望を集めて行く。…まるで、「赤ひげ」と「ブラック・ジャック」を足したような理想のキャラクターである。
傑作なのは、「手術は編み物にも似て根気がいる作業、だから演歌が似合う」と語り、手術中に都はるみのカセットを流したり、彼を気に入った市長(柄本明)がセッティングした見合いの席でも、まったく気付かないで周囲を呆れさせる。
こういうユーモラスでトボけたキャラクター設定が、主人公の人間的な奥行きの深さを示すと同時に、暗くなりがちな物語に明るさと爽やかさをもたらしている。
膨大な原作から、当時(1989年)まだ法的に認められていない脳死肝移植にポイントを絞り、ダイナミックに再構成した脚本(加藤正人)が素晴らしい。最近でも、「雪に願うこと」、「クライマーズ・ハイ」(成島出と共作)など、骨太の力作が目立つベテラン加藤正人だが、本作はそれらをも超えた見事な出来である。本年度の最優秀脚本賞候補だろう。
映画は、かつて地方病院の看護師を勤めていた中村浪子(夏川結衣)が亡くなった現代からスタートし、その息子・弘平(成宮寛貴)が、彼女が残した、20年程前に書かれた日記を読む事で、浪子の目から見た当麻鉄彦の人間像とその行動が語られるという構成。ラストに、何故現代からスタートし、回想形式にしたか、その理由が見事なオチで示される。秀逸!
時代は1989年、ある地方都市の市民病院が物語の舞台となる。大学病院から出向して来た、横柄で腕は大した事のない野本外科医長(生瀬勝久)が牛耳るこの病院では、医療ミスや無気力・怠慢が横行し、看護師たちも情熱を失いかけている。しかし大学病院に医師派遣を頼らざるを得ない病院側は、なすすべもない。
そんな町に、フラリと現れた当麻は、着任早々、外科医長が手に負えず、大学病院回しになりかけた患者の手術を成功させ、その後も次々難手術を見事にこなして行く。
命を助けられた患者からは感謝されるが、それでいて少しも偉ぶらない。病院に勤務する多くの医師や看護師は当麻に心酔し、浪子もその人間性に魅かれて行く。
医療とは本来どうあるべきか、を問い直す社会派ドラマとしてもよく出来ているが、凄腕の医師が、モラルも技術も荒んだ病院を建て直し、人々に勇気を与えて行く、これは“正義のヒーロー”が活躍する、エンタティンメント・ドラマにもなっているのが素晴らしい。
当麻の力になりたいと、メスを渡すタイミングを練習したりする浪子は、いつしか彼に尊敬以上の念を抱き、また、人の命を助ける医療従事者としての矜持を取り戻して行く。
本作はまた、浪子の、心の成長の物語でもあるのである。
ある日、市長が末期の肝硬変で倒れる。助ける為には生体肝移植しか道がないが、それはドナーの命を危うくする危険なオペでもある。
そんな折、小学校教師で、浪子とも仲がいい武井静(余貴美子)の息子が交通事故で脳死に陥る。福祉活動に従事し、人の為に役に立ちたいと言っていた息子の遺志を生かす為、静は当麻に、息子の臓器提供を涙ながらに申し出る。だが法整備が出来ていない当時では、脳死肝移植は犯罪行為として刑事処罰の対象になりかねない。
彼を快く思わない野本医長はマスコミに情報を洩らし、当麻を病院から追い出そうとする。生瀬勝久が絵に描いたような悪役を演じているが、そういう狡すっからい人間も確かにいるだろうなと思わせるリアリティがあるのが逆に怖い。
情報を得た警察まで登場し、「刑事告発するかも知れない」と脅しをかけて来る。だが、当麻は全くひるまない。彼には、それが法に触れるかどうかは大した問題ではないのである。
彼の内面には、目の前に助かる命があるなら、どんな事をしても助けようとする、医者としての使命感があるのみである。
そこから先の物語はここでは書かないが、私はこれ以降、もう泣きっぱなしであった。感動で何度も涙を拭った。
泣ける理由は、命の尊さをストレートに訴えた直球展開にある。
命は、かけがえのない、尊いものである。自殺者が毎年3万人を越え、命の軽さが蔓延する現代において、例えマスコミで叩かれようとも、法律で罰せられようとも、医者として、とにかく人の命を救いたい…その事だけにひたむきに全力を傾ける当麻の行動は、ひときわ胸をうつ。まさに彼こそ、孤高のヒーローなのである。
人によっては、あまりに理想的過ぎる、そんな人間は現実にはいない、と醒めた見方をする人もいるだろう。
だが、この物語はフィクションである。正義のヒーローが活躍するフィクションに、人は喝采を送って来たのではないか。現実には起こり得ない話であっても、せめてドラマの中に、人は高い理想の姿を追い求めたいのである。―いつの日か、その理想が現実になる時を夢見て…。
私は、本作を観て、フランク・キャプラのいくつかの名作を思い出した。キャプラ作品には、理想を追い求めるヒーローが人々を感化し、その理想が実現する物語が多い。「スミス都へ行く」、「素晴らしき哉、人生!」、「オペラ・ハット」等々である。彼の作品も、理想主義的過ぎて現実味に乏しい、と揶揄されたものだが、それでも多くの人を感動させ、今もなお名作として語り継がれている。
当麻のような医師は、現実にはいないだろう。…だが、いて欲しい、という願望は多くの人の心にある。そんな理想の姿が映画館の大画面に展開するからこそ、そして自分は、そんな人間にはなれない、という慙愧の思いがあるからこそ、涙を呼ぶのである。
ラストシーンがとてもいい。(ここからはネタバレに付隠します)
現代に戻って、母の日記を読み終えた弘平は、とある地方の病院に医師として赴任する。ちょうど20年前の当麻のように。
院長を待つ間、弘平はボードに置かれた、都はるみのCDを見つける。観客は、あれ、ひょっとして、と思う。
そして、机の上に、当麻が浪子たちと撮った最後の記念写真を弘平が見つける。
ここで観客はジワーっと心が温かくなるはずである。
地方病院を去った当麻が、その後どうなったかを、観客も知りたいはずである。
これらのショットを見せる事で、観客は、当麻が地方病院のトップにまでなっていた事を知って、ホッとし、良かった…と感動する。
さらに、浪子から当麻の人間的素晴らしさをずっと聞かされていただろう弘平が、当麻と同じ道を進んだ事にも感動する。
当麻の姿が見えない点も憎い演出である。
静も言っていたが、“人は、つながっている”事を示す、日本映画らしからぬ、まさにキャプラ的、心温まる素敵な名シーンである。
(ネタバレここまで)
ダサい、と言われていた日本映画も、こんな粋でウィットに富んだしゃれたラストシーンを描けるようになった…その事も私の胸を熱くした。
当麻を飄々と演じた堤真一が素晴らしい。彼の最高の演技である。…そして、余貴美子がやはりいい。「おくりびと」、「ディア・ドクター」、そして本作と、奇しくもここ3年続けて、“命と向き合った感動の傑作”に助演して作品の力となっている。前記2作は共にキネ旬ベストワンとなり、映画賞を独占したが、本作も十分狙える位置にある。
成島出監督も、前作とは見違えるような風格ある、どっしりとした演出ぶりが光る。そして重ねて言う、脚本が見事。観ておいて損はない。イチ押しである。 (採点=★★★★☆)
(さて、お楽しみはココからだ)
本作には、もう一つ、西部劇的な隠し味があるのもお楽しみである。
なにしろ、腕の立つヒーローが、とある地方の町にフラリと現れ、凄腕を発揮してたちまち町の人々から慕われ、いくつかの正義を実行し、悪を駆逐し、そしてまたフラリと去って行く…というお話である。
「シェーン」を代表とする、正統西部劇のパターンそのままである。ヒロインがヒーローにほのかな思いを抱き、その息子も男に畏敬の念を抱く所まで「シェーン」そっくりである。
当麻が、あっという間の早業で手術を成功させ、悪役医長が形無しになる展開も、まさに目にも止まらぬ早撃ちで悪人どもの度肝を抜く、例えば「荒野の用心棒」などのパターンそのままである。
刑事告発する、と刑事が脅すくだりも、町のボスの息のかかった悪徳保安官が主人公を、難癖つけて逮捕しようとする、B級ウエスタンによくあるパターンを彷彿とさせる。
特に西部劇らしいのは、最初に当麻が登場するシーンである。
大きなトランクを引きずった当麻が、後姿で登場し、市民病院を見上げる。
この、主人公が最初に、後姿で登場するシーンも、西部劇ではお馴染みである。
前述の「シェーン」も、「荒野の用心棒」も、フランコ・ネロ主演「続・荒野の用心棒」も、いずれも主人公の最初の登場シーンは、後姿である。そう言えば「荒野の用心棒」の元ネタとなった、黒澤明の「用心棒」もまた、主人公は後姿で登場する。
特に「続・荒野の用心棒」では主人公ジャンゴは、大きな棺桶を引きずって登場するのだが、当麻が引きずる大きなトランクがこの棺桶を連想させてニヤリとさせられる。
当麻が病院を去るシーンもいい。当麻に一言礼を言いたい浪子が、「わたし、都はるみが大好きです」と言うシーン、これは「映画がはねたら、都バスに乗って」ブログのジョーさんも指摘しているが、ジョン・フォード監督「荒野の決闘」で、ヘンリー・フォンダ扮するアープがヒロインに、「私はクレメンタインという名前が大好きです」と告げるシーンを思い起こさせる。
ちなみに、「荒野の決闘」の、アープに友情を示す印象的なサブ・キャラクターは、医者でもあるドク・ホリディである。
この映画が、社会派的なテーマを持ちつつも、爽快な後味があるのは、西部劇のパターンをうまく取り込んでいるせいかも知れない。
(そう思っているのは私やジョーさんだけではないようで、キネ旬の特集号を読んだら、脚本家の桂千穂さんも、これはウエスタンだと指摘していた)
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コメント
なるほど。
ウエスタンですか!?
あのトランクに
『続荒野の用心棒』の棺桶を見てとった慧眼に
恐れ入るばかりです。
投稿: えい | 2010年6月18日 (金) 23:15
フランク・キャプラですか!!
全くノーマークでした。
こりゃ、観ねば!
投稿: omiko | 2010年6月21日 (月) 17:24
観た!
もうベスト1候補にしちゃうもんね♪
東映さんしばらく獲ってないから、
日本アカデミー賞獲れるかも??
西部劇って、気付かなかったので、
もう一度見直してみようかな?
投稿: omiko | 2010年7月 1日 (木) 20:45
◆えいさん
いつもコメントありがとうございます。
>『続荒野の用心棒』の棺桶を見てとった慧眼に恐れ入るばかりです。
いえいえ、いつもの事ですが、半分冗談です(笑)。
◆omikoさん
気に入っていただけまして何よりです。
多分年末の映画賞でも、いい所まで行くと思います。
個人賞も、脚本賞、主演賞(堤真一)、助演賞(余貴美子)は候補に挙がるでしょうね。期待しましょう。
投稿: Kei(管理人) | 2010年7月 9日 (金) 01:10
とあることに気付きました。
今年柄本明さんをやたら観てる気がするなあ、と思い振り返ってみましたところ、
「ゴールデンスランバー」「花のあと」「春との旅」「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」「孤高のメス」
こんなに!
しかも「悪人」「死刑台のエレベーター」「桜田門外ノ変」にも出演しているとのこと。
もっとも助演男優賞にふさわしいと言えるような。
しかしいつ休んでるんでしょうか!?
投稿: タニプロ | 2010年8月30日 (月) 01:17
◆タニプロさん
お元気なようで、安心しました。
>今年柄本明さんをやたら観てる気がするなあ…
あと、秋公開の「脇役物語」「雷桜」にも出演されてますね。
その他、アニメの吹替も。
ただ、「ゴールデンスランバー」「花のあと」「春との旅」「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」は、いずれも2009年に撮影済みで、公開が今年にずれ込んだだけですので、そんなに多くはないと思います。
それに、主演と違って、助演は拘束日数もわずかでしょうし(「春との旅」のようにワンシーンだけの出演も)。
日本映画が量産してた頃は、例えば小林旭さんなんか、1960年には、主演作だけで12本!もあります。しかも危険なスタントも全部自分でやってました。それこそ、休む間も、寝る間も本当になかったそうです。
よくまあ過労死しなかったものです。
主演ですらそうですから、助演者なんかおそらく年間で20~30本は出てた人がいたかも知れません。
拓ボンこと川谷拓三さんは、3,000回殺された、と言われてますから推して知るべし、でしょう(笑)。ただ、いくら何でも…。年50回斬られたとしても60年かかる計算ですからねぇ(笑)。
まあ余談ですが、今は製作本数が激減してますから、そんな中では確かに多い方でしょうね。「孤高のメス」のように、突然ぶっ倒れない事を祈るのみです。
投稿: Kei(管理人) | 2010年8月31日 (火) 03:41
あと四時間超えの映画らしい「ヘヴンズストーリー」にも出てるみたいです。
というか、柄本明さんの家族を映画でよく見かけるような気がします。
昔は監督でも量産していた人たちがいたらしいですからね。ホント、身体に気をつけてほしいものです。
投稿: タニプロ | 2010年9月 1日 (水) 00:10
こんにちは!!
ちょいと「孤高のメス」検索してたどり付きました 僕も二度見て 結構書いてますが
ここまで 映画の事をかかれると・・・
もう「脱帽」です 凄いです。
映画賞が「悪人」に持ってかれそうで
なんとか 「孤高のメス」に一矢当てて欲しいです。
投稿: saku | 2010年12月 5日 (日) 00:37
◆sakuさん ようこそ
お褒めいただき、ありがとうございます。
sakuさんの記事も結構読み応えがありましたよ。
やはり、いい映画だと、いろいろ書きたくなりますね。
今年は「悪人」が総ナメしそうですね。私もベストワンにしましたし(笑)。相手が悪すぎましたね。ホントに悪人だ(笑)。
でも「泣ける度合い」から言ったらこちらの方が上だと思います。「泣ける映画ベストテン」(があればの話ですが)の方で、ベストワンにしておきましょう。
投稿: Kei(管理人) | 2010年12月 6日 (月) 02:00