« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »

2010年7月29日 (木)

「華麗なるアリバイ」

Granalibai 2008年 フランス/配給:アルバトロス・フィルム
原題:LE GRAND ALIBI
監督:パスカル・ボニゼール 
原作:アガサ・クリスティー「ホロー荘の殺人」
脚本:パスカル・ボニゼール、ジェローム・ボジュール

ミステリーの女王と言われるアガサ・クリスティの推理小説「ホロー荘の殺人」の映画化。監督は「美しき諍い女」等の脚本を担当した、これが監督5作目となるパスカル・ボニゼール。

フランスのとある田舎の屋敷に、持ち主である上院議員夫妻を始め、9人の男女が集まった。その屋敷内のプールで、精神分析医のピエール(ランベール・ウィルソン)が射殺される。彼は美しい妻・クレール(アンヌ・コンシニ)がいながら、屋敷に集まった女たちとも浮気をしていた。犯人はこの屋敷内にいるのか。そんな時、第2の殺人が起きる…。

クリスティ原作の、名探偵エルキュール・ポアロものの1作で、題名が「華麗なるアリバイ」。…こう聞けば、(原作を読んでいない人の)ほとんどが、“容疑者に鉄壁のアリバイがあって、名探偵がそのアリバイを推理で崩して行くミステリー”と思うだろう。
私もそう思った。

特にクリスティ原作ものの映画化作品では、「そして誰もいなくなった」「オリエント急行殺人事件」といった秀作があり、またその2作は共に、あっと驚く完全犯罪トリックが仕掛けられていて堪能させられた(これに「アクロイド殺し」を加えた3本が、奇想天外トリックの3大傑作として評価が高い)。
それらの作品から観客が期待するのは、“難攻不落の完全犯罪と謎解き”である。

ところが、本作には名探偵ポアロは登場しない。話によると、本作はミステリーと言うより恋愛小説であり、原作者自身、「ポアロの登場が失敗だった」として、後にポアロを登場させない形で舞台化し、そちらの方が評価されているそうだ。

で、本映画化作品は、その舞台劇を踏襲し、愛憎渦巻く心理劇として再構成したのだそうな。

その事を私が知ったのは映画を観終えてからで、そうと初めから知っていれば、観る気は起きなかった。…あるいは、観る心構えが違っていただろう。

“謎解き完全犯罪ミステリー”とばかり思って観ていたから、いつまで経っても容疑者のアリバイ工作も、名探偵の冴え渡る推理も登場せず、結局、題名にある“華麗なるアリバイ”なんてどこにも登場しなかった題名に偽りあり。「え??これで終わり?」と拍子抜けも甚だしい失望作であった。

(以下ネタバレあり)
そもそも、ピエールの死体の横に、妻のクレールがいたのだから、動機もあって一番怪しいクレールが疑われるのは当然。てっきり、“クレールが怪しいと見せかけて、実は真犯人は他にいた”という展開になるものだとばかり思っていた。
しかしそれにしても、話を追う限り、容疑者が少な過ぎる。「オリエント-」ではポアロが調査する度に、登場人物それぞれに動機がある事が判明して行ったのだが。本作では、物語が進んでも一向に容疑者は増えない。観ててイライラする。

警察も、証拠不十分で釈放は仕方ないとしても、尾行を付ける等、クレールの動向を見張っているべきだった。さすれば第2の殺人は防げただろう。警察も怠慢である。…ともかく、ミステリーにしては穴だらけである。

ややムサくるしい風体の、白髪交じりの刑事が登場したので、「こいつがポアロの代りに、コロンボ並みの捜査と推理を展開するのだな」と思っていたら、その期待も外れた。なんか、期待外れっぱなし。

最後に、真犯人(クレール)が判明するオチも、単に行き当たりばったりにしか見えない。
で、警察は何やってたんだ?

(↑ネタバレここまで)

ともかく、“完全犯罪アリバイ崩しもの”という先入観で映画を観ていたものだから、ミステリーとしては全然楽しめなかった。かと言って、恋愛ドラマとしても人物描写の掘り下げが足らないし、心理描写も今一つ。そもそもそっちに行くのなら、主演俳優にはもっとゴージャスで、オーラを放つ名優を起用すべきではなかったか。俳優にも、まるで華がなかった気がする。「オーケストラ!」で好演したミュウ=ミュウも出演(上院議員の妻役)しているが、可愛そうなくらいのその他大勢的役柄であった。

これから観賞される方は、題名に惑わされず、普通の、“大人の恋愛映画”として観る事をお奨めする。…もっとも、そのつもりで観たとしても、感動にはほど遠い平凡な出来だと思うが。    (採点=★★

ランキングに投票ください → ブログランキング     にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

原作本(ハヤカワ文庫)
 
..................................................................................................................................................

(さて、口直しに、お楽しみはココからだ)

フランス製、推理ミステリー、と言えば、映画史に残る傑作がいくつかある。

まず挙げられるのが、アラン・ドロン主演、ルネ・クレマン監督の傑作「太陽がいっぱい」(60)。完全犯罪を企むトム・リプレイを演じたアラン・ドロンの最高傑作。オシャレで、俳優が魅力いっぱいで、ラストのドンデン返しが衝撃的で、いかにもフランス映画らしい余韻を残す洒落たエンディング。さらにニーノ・ロータ作曲のいつまでも耳に残るテーマ曲…。もう言うことはない。何度見直してもウットリ、惚れ惚れする名作。

次にイチ推ししたいのが、近々日本でもリメイク!される「死刑台のエレベーター」(57・監督:ルイ・マル)。ジャンヌ・モローが抜群に良く、「太陽がいっぱい」にも出演していた名優モーリス・ロネも絶妙の快演。そしてやはり、ラストシーンが粋で洒落ている。さらにマイルス・デイヴィスの音楽がまた絶品。その上、恋愛映画としても、「華麗なるアリバイ」より数倍出来がいい。

もう1本、「悪魔のような女」(55・監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー)もお奨め。原作はピエール・ボワローとトーマス・ナルスジャックのコンビ。クルーゾー監督の演出は古典的だが、何度観てもコワい。やはりシモーヌ・シニョレの演技が凄い。

…こういう、傑作ミステリー(何度観直しても面白いし、満腹感を感じる)を観ているものだから、どうしてもこのくらいのレベルは求めたくなるのは仕方のないところ。

特にそれらの作品で見事なのは、エンディングである。クドクド説明せず、スパッとワンカットでアッと言わせ、そのまま余韻を残して終わる。おシャレである。
ミステリー(特にフランス製の)は、こうあるべきだ、と私は思っている。

これら傑作は、例えて言うなら、フランス産のワインみたいなものである。芳醇なコクと香りがあり、何年経っても味は変わらないし、今もなお新しい。
最近の(特にフランス)映画に欠けているのは、まさにそんな、コクと香りである。

 
そう言えば、ミステリーの巨匠、ヒッチコック作品も、ラストはシャレているものが多い。代表的なのは「北北西に進路を取れ」だが、「裏窓」「めまい」「フレンジー」等もラストがいい。

思えば、ヒッチコックの代表作「見知らぬ乗客」の原作は「太陽がいっぱい」パトリシア・ハイスミス「めまい」の原作は「悪魔のような女」ピエール・ボワローとトーマス・ナルスジャックである。

さらに、前記「裏窓」の原作はコーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)だが、ミステリー好きのフランソワ・トリュフォがこの原作者のミステリーを「黒衣の花嫁」「暗くなるまでこの恋を」と、2度も映画化しているのも興味深い。

同じ原作者の作品が、フランス・ミステリーとヒッチコックのそれぞれの傑作の元になっている、というのも面白いが、結局はそれら原作の完成度が高い事の証明でもあるわけだろう。

ヒッチコックで思い出したけれど、「華麗なるアリバイ」のラストに、突然「めまい」の冒頭とそっくりなシーン(屋根からの転落)が登場する。

これはヒッチコックへのオマージュなのだろうか。だとしても、真似るならヒッチコック監督のミステリー演出術(並びに洒落たオチ)をこそ参考にして欲しかった。…まあ、ヒッチ・ファンとしてはここだけニヤリとさせられましたがね。

 

DVD「太陽がいっぱい」

DVD「死刑台のエレベーター」HDリマスター版

DVD「悪魔のような女」(H・G・クルーゾー監督版)

| | コメント (3) | トラックバック (4)

2010年7月25日 (日)

「トイ・ストーリー3」と「借りぐらしのアリエッティ」から見えて来るもの

Toystory3 「トイ・ストーリー3」
2010年・米/ピクサー=ディズニー
原題:Toy Story 3
監督:リー・アンクリッチ
製作総指揮:ジョン・ラセター
原案:ジョン・ラセター、アンドリュー・スタントン、リー・アンクリッチ
脚本:マイケル・アーント

ピクサーの記念すべき3DCGアニメ、第1弾であり、ピクサーの今日の隆盛を築き上げた名作、と言っていいシリーズ第3作。そして、シリーズ中でも最高の傑作となった。

おもちゃが大好きだったアンディも大学に入学することとなり、おもちゃたちの処遇に悩む。手違いで保育園に寄付されてしまったおもちゃたちに襲い掛かる絶体絶命の危機、新たな出会い、そしてウッディたちが選んだある決断とは…。

…子供は、やがて成長し、いつかはおもちゃと訣別しなければならない。“おもちゃは、子供たちを楽しませるのが使命”であるなら、年月を経ればいつかは持ち主と別れ、処分されるか、あるいは新しい持ち主の手に渡る事となる。それはどうしようもない運命である。

(以下ネタバレあり)
アンディのお気に入りだったウッディは、大学に連れて行ってもらえる事となり、その他のおもちゃは屋根裏にしまわれる運命となる(しかしいずれは忘れられてしまうだろう)。ウッディは嬉しいはずなのだが、仲間たちの事を思うと胸が痛む。バズたちも、表面には出さないが、その差別的仕打ちに内心は平穏でいられないだろう。
間違ってゴミに出されそうになった時、遂に人間不信の怒りが爆発し、ウッディが「手違いだ」と言っても信用されない。

一方、サニーサイド保育園に君臨し、恐怖政治を敷く、クマのロッツォもまた、人間に棄てられた悲しい過去があり、それが人間不信から来る、激しい憎悪の源となっている。

つまり本作のテーマは、人間の身勝手さに対する不信感と怒り、がメインにあるわけである。これは我々人間にとっては心が痛む。
これは単なる子供向けアニメではない。人間としての根源的な問いかけがなされているのだ。

それでも、最後には人間(アンディ)への信頼感の回復、そしてせつない思いを断ち切っての、本当の別れがやって来る。このラストは号泣ものだ。

無論、ラスト以外にも泣ける所(絶体絶命の危機に、おもちゃたちが手を繋ぎ合う所など)はあるし、シリーズ全作にも共通する、ダイナミックなアクション、サスペンスはいつもながら盛り沢山で飽きさせない。
友情、絆、相手を思いやる心、信じる事、…さまざまな、人間にとって大切な事について考えされられる、これは大人こそ観るべき、素晴らしい傑作である。    (採点=★★★★★

 

Alietty 「借りぐらしのアリエッティ」
2010年・日本/スタジオ・ジブリ=東宝配給
監督:米林宏昌
企画:宮崎駿
原作:メアリー・ノートン「床下の小人たち」
脚本:宮崎駿、丹羽圭子

1956年に邦訳出版されたメアリー・ノートン原作のファンタジー「床下の小人たち」のアニメ映画化。監督はジブリ・アニメーター出身の、若干37歳の新人、米林宏昌。

御大・宮崎駿の高齢化に伴い、スタジオ・ジブリも後継者育成を図らねばいけない所だが、なかなか思うように新人が育たない。近藤喜文が監督した「耳をすませば」は、企画・脚本から絵コンテ、果てはイバラードの幻想シーンまで宮崎自身が手掛けて、近藤監督の個性が見えにくい作品になってしまっていたし(あげくに早逝)、「ハウルの動く城」は、最初細田守監督で動き出すも頓挫、結局宮崎本人が監督する事となり、細田は他社で監督作品(「時をかける少女」)を手掛け、高く評価された。

結局ジブリは、宮崎駿の個人商店みたいなもので、新人監督が出て来ても、宮崎カラーから抜け出せず、自己の個性が出しにくい状況にあると言えよう(実子の宮崎吾朗が監督した「ゲド戦記」は、結局宮崎駿作品の劣化コピーみたいな出来であった)。

そんな中、アニメーターとしてその才能を高く評価された米林宏昌が監督に抜擢された本作は、不安半分であったが、結果として想像以上にウエルメイドな佳作になっていた。何より、最近の宮崎作品に顕著であった、“出だしは高密度、終盤迷走(笑)”の悪いクセが影を潜め、一貫して高密度を保ち、最後には泣かせる名シーンも用意されていてホロリとさせられた。
宮崎駿監督作品以外のジブリ作品としては、本当に久しぶりに登場した力作である。

“人間に見られてはいけない”という掟を頑なに守る、床下の小人たち。一方、重い心臓病を抱え、生きる事に絶望している少年・翔はアリエッティたちに、自分と同じ、“消え行く命の運命”を感じ、共感を寄せて行く。が、人間に姿を見られた事で、アリエッティ一家は住み慣れた家を離れる決断をする。

(以下ネタバレあり)
シニカルなのは、翔が小人たちの為、と思って取った行動(ドールハウスをこっそり提供してあげた事)が、結果的にアリエッティたちに災難をもたらす結果になった点である。

翔から見ればささやかな親切でも、小人たちの目から見れば、大地震のような天変地異のように感じて慌てふためく、という演出が効果的。
そしてそれが、お手伝いのハルさんに、小人の存在を感づかれてしまう結果となる。…このハルさんが、決して悪人ではなく、好奇心旺盛な普通の人間、として描かれている点も見逃せない。彼女が、捕まえたアリエッティのお母さんを、ワクワクしながら空きビンに入れるシーンなどは、我々が子供だった頃の、珍しい昆虫を捕獲した時の高揚感を思い起こさせ、胸がチクリと痛む。

最後の別れのシーンは泣ける。初めて“人間と分かり合えそう”になったのに、翔と別れざるを得ないアリエッティの悲しみに、この世で永遠に続く、“差別する者とされる者”あるいは“強者と弱者”の間に横たわる、相互不信の溝の深さを思わざるを得ない。

派手さはないが、丁寧で、小さな小道具等のディティールにまで配慮が行き届いた米林演出は、ジブリの新しい方向性を感じさせる。今後が楽しみな、新人監督の登場に拍手を送りたい。     (採点=★★★★☆

 
............................................................................................................................................................

…さて、この夏話題のアニメ2作をまとめて取り上げたのには理由がある。
それは、同時期に登場したこの2作には、いろんな共通点があるからである。

まず、主人公たちがどちらも、身長が10cmほどの小さな生き物である(おもちゃたちも、生命が宿っている点では、立派な生き物である)。

そして、どちらも、人間に絶対に、活動している所を見られてはいけない、というルールを守っている。

それ故、人間が寝静まった夜中に、こっそり活動する(あるいは大冒険を行う)点も共通している。

あるいは、イヌやネコ等の小動物に身の危険を感じたり、又は仲間が捕らえられ、それを救出するシークェンスがサスペンスフルな山場になっていたりする。

そして、これが一番肝心なのだが、主人公たちから見た人間たちが、畏怖の対象であり、その背景には根強い人間不信の感情がある。

傲慢で、驕りがあり、片や自分たちが作ったおもちゃなんかは、飽きたら棄ててもいいと思ってるし、方や自然界に生息する生き物たちの命を軽んじ、乱獲し、あるいは開発の名の元に、絶滅の危機に追いやっている事に気付かない人間たち。

翔がアリエッティに対してつぶやく「君たちは滅び行く種族なんだね」という言葉は、一面では真実だが、そうした結果に追いやっているのは他ならぬ人間自身なのである。

両作は、まさに、小さな生き物たちの懸命な生き様や、その視点を通して、人間という、驕れる存在に対する鋭い批判が込められているのである。

そうした、シニカルな視線を保ちつつも、最後に、共に、純朴な少年の行動を通して、僅かながらも人間を信じたい、という希望が垣間見えるのが救いとなっている。

 
思えば、ピクサーの総帥、ジョン・ラセターは宮崎駿の大ファンであり、宮崎とも交流がある。

「トイ・ストーリー3」には、宮崎アニメの、トトロがゲスト出演しているし、エンドロールには Special Thanks として宮崎駿と鈴木敏夫の名前も見える。

トトロと言えば、まさに宮崎駿が描き続ける、自然への畏敬、アニミズム思想、―の象徴である。

大人たちの前には、決して姿を現さないトトロだが、子供たちには夢と勇気を与えている。「トイ・ストーリー3」のテーマとも一致するわけで、ゲストに選んだのは、単なるオマージュだけではなく、思想的な繋がりも考慮しての事だろう。

この夏は、是非この2本を続けて観て、そこに込められた作者たちの、人間という存在への思いを受け止めて欲しい。1本だけ観ては分からなかった事が、見えて来るはずである。 

 ランキングに投票ください → ブログランキング     にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

| | コメント (2) | トラックバック (34)

2010年7月18日 (日)

「必死剣 鳥刺し」

Hisshiken2010年・日本/東映配給
監督:平山秀幸
原作:藤沢周平
脚本:伊藤秀裕、江良至

藤沢周平の短編時代小説「隠し剣」シリーズの一編を、「今度は愛妻家」の豊川悦司主演で映画化。監督は「愛を乞うひと」「しゃべれども、しゃべれども」の平山秀幸。

天心独名流の剣の達人・兼見三左エ門(豊川悦司)は、海坂藩の藩政に口を出し、良からぬ影響を与える藩主の妾・連子(関めぐみ)を城内で殺める。しかし処分は何故か軽いもので、1年の閉門後には近習頭取として役職に復帰、藩主の傍に仕えることになった。そんなある日、三左エ門にある藩命が下った。…

いやあ、久しぶりに、大乱闘チャンバラ映画が登場した。こんな熱いチャンバラ映画を新作で観るのは何年ぶりだろうか(もっとも、今年後半には「十三人の刺客」が待機しているが)。
それだけでも、チャンバラ映画ファンの私には点数が甘くなる。

単に決闘シーンがあるだけではない。私が好きなのは、“封建的なサムライ社会の中で、本人は武士道の道を正しく歩んでいるのに、理不尽な仕打ちや行き違いから、最後はたった一人で多数を相手に斬りまくる”というパターンの作品である。

そのパターンの嚆矢は古く、1925年の阪東妻三郎主演の無声映画「雄呂血」にまで溯る。まさに上記のパターンそのままで、ラストに延々と続く大乱闘には圧倒された。

その後の、このパターンの代表的な秀作を列挙すると、市川雷蔵主演「薄桜記」(昭和34年・森一生監督)、橋本忍脚本・仲代達矢主演「切腹」(同37年・小林正樹監督)、これも橋本忍脚本・中村錦之助主演「仇討」(同39年・今井正監督)、リメイク…というよりインスパイア版、雷蔵主演「大殺陣・雄呂血」(同41年・田中徳三監督)…といった辺りが思いつくが、よく見ればほとんどが昭和30年代の作品。時代劇が全盛を誇った時代ならではと言える。

その後も時代劇は作られてはいるが、また最近になって、藤沢周平原作ものが多く作られては来たが、上記に挙げたような、1対多数のクライマックスがあり、また主人公が壮絶な死に様を見せる映画はほとんどなかったように思う。

そういう意味でも、本作は久方ぶりに登場した、前記のような本格大チャンバラ映画の系譜に連なる力作であると言えよう。

 
(以下、ネタバレあり)
主人公、三左エ門が藩主の愛妾を殺したのは、妻が病死し、子もなく、生きる意欲を失った為、言わば“死に場所”を求めての行動であったと思われる。当然、よくて切腹、悪ければ打ち首、を覚悟の上だろう。

だが、何故か死罪にならず、彼は心ならずも生かされる事となる。

長い蟄居生活の中で、三左エ門は、ただ木を削って、木彫りの鳥を作る以外に何もしない。
死ぬ、と決めていた彼は、もはや心は死んだようである。

その三左エ門が、近習頭取として役職に復帰後、中老・津田の命を受け、死ぬかも知れない闘いの覚悟を決めた時、彼の身の回りの世話をしていた里尾の、密かに思う彼への恋心を知って、心が揺らぐ。

皮肉にも、“今度こそ死ねるかも知れない”と思った時に、里尾の思いを知って、生きる意欲が湧いて来るのである。
彼がその夜、里尾を抱いた、という事は、生への希求の現れなのだろう。万一死んでも、新しい命が里尾の中に宿る。

事実、里尾はその後、三左エ門の子を産むのである。

この映画は、三左エ門という侍の“死から生、そして死”の軌跡を通して、“サムライの生き様とは、死ぬという事とは”というテーマに迫った作品、と見る事も出来る。

剣の達人である彼の取っておきの技が“必死剣”という、“半ば死んでいる状態の時しか使えない剣”であるというのが象徴的である。

ラストの立ち回りは凄い迫力。名殺陣師、久世浩の殺陣は映画全盛期を彷彿とさせる。平山監督の演出も、正攻法で風格があり、見応え十分。

ストイックに、寡黙に生きる三左エ門を演じた豊川悦司はさすがの巧演。藩主を倒す執念に取り付かれた帯屋隼人正を演じた吉川晃司、狡猾なマキャベリストを演じた岸部一徳、いずれも見事な快演。

岸部一徳の、“キレ者だが、やや危ない男を自分の懐(ふところ)刀として巧妙に利用する策略家”、という役柄、岸部のハマリ役、「相棒」の小野田官房長とキャラクターがそっくりである。そう思えば、三左エ門の与えられた仕事はまさに“特命”だ(笑)。

 
…と、映画そのものには満足しつつも、ややしっくり行かなかった点をいくつか。

別家・帯屋隼人正の作品における立ち位置がやや曖昧。百姓一揆に理解を示し、藩主に政道の誤りを直言する隼人正は、志としては一番正義感が強い。つまりは三左エ門に同志的親近感を抱いていると思えるのだが、そうした感情がいま一つ映画からは見えない。

原作では隼人正は、権力欲が強い、藩主の政敵のように扱われていて、正義感から藩主を倒そうとしているのではない。
映画のような描き方では、同じようにバカ殿を抹殺しようとする侍たちを描いた「十三人の刺客」(1963)で言うなら、隼人正の方が同作の主人公で刺客のリーダー・島田新左衛門(片岡千恵蔵)、そして三左エ門の方がバカ殿を命をかけて守る鬼頭半兵衛(内田良平)、のように見えてしまう。これでは観客は三左エ門に感情移入しにくい。

大立ち回りで、取り巻く侍たちを斬りまくるのもちょっと違和感。悪人であるなら何人殺しても爽快だが、彼らは三左エ門の同僚であり、かつ、ただ命令で動いているだけで悪人ではなく、彼らにも守るべき家族がいるはずである。殺すのは可哀相ではないか。
これも原作では、それほど殺しまくっている印象はない。

チャンバラ・エンタティンメントとしての要素は膨らんだが、その分、三左エ門に殺される側の心情が無視されてしまった気がするのはやや残念。
しかし、本年を代表する時代劇の秀作である事は間違いない。時代劇ファンは必見であろう。     (採点=★★★★

 ランキングに投票ください → ブログランキング     にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

 
(で、お楽しみはココからだ)

以前、藤沢作品「武士の一分」を書いた時に、市川雷蔵主演作品との類似性を考察したのだが、本作にもいくつか、雷蔵作品を思わせるシーンを見つける事が出来る。

Kiru1 まず、市川雷蔵の代表的傑作「斬る」(1962)。この作品の冒頭で、一人の女(藤村志保)が、殿の愛妾を刺殺するという、本作の冒頭とそっくりなシーンが登場する。

この女性は、主人公(雷蔵)の母であり、処刑送りから逃れている間に、彼女を助けた侍の子(主人公)を身ごもる。―なにやら三左エ門と里尾の関係を逆転したような成り行きである。

雷蔵が、必殺技の剣を会得しており、重鎮の身辺警護をまかされる、という、これまた本作も含めた一連の藤沢作品とよく似たシチュエーションとなるのは前掲批評でも述べた通り。

Kenki そして、これも雷蔵の代表的傑作「剣鬼」(65)では、主人公はやはり剣の腕を見込まれ、城代家老より対立派の侍を斬る役目を与えられる。しかもこの作品では、藩主が傍若無人に振る舞う為、反主流派の侍たちが新藩主を迎え入れようとする、というお家騒動が起き、最後に主人公は斬った侍たちの遺族の恨みを買い、多数の侍に囲まれ無残に斬られる、と、本作と似た構成を持っている。おまけに、藩の名前が“海野藩”と、藩名まで似ている(笑)。
主人公が、ストイックで寡黙で、普段は静かに花作りをしている、という性格までなんとなく似ている。

Hakuouki もう1本、上記でも紹介した雷蔵の代表的傑作「薄桜記」(59)のラストで、主人公は大勢の侍に取り巻かれ、たった一人で闘うも、遂に最後は無残に斬り刻まれ、死んで行く。闘いは雪の降りしきる中で行われるが、本作における雨の中での乱闘は、このシーンにインスパイアされたのかも知れない(原作では天候は雨とも何とも描かれていない)。

ちなみに、「斬る」も「剣鬼」も、どちらも原作は柴田錬三郎である(雷蔵の当り役「眠狂四郎」の原作者でもある)。

藤沢周平さんは、ひょっとしたら、市川雷蔵映画の密かなファンであったのかも知れない。

 
上記3作は、私が雷蔵の侍もの・ベスト3と確信している傑作である。映画ファンなら、是非ご覧になる事をお奨めしたい。

| | コメント (4) | トラックバック (18)

2010年7月12日 (月)

「ファンボーイズ」 (DVD)

Fanboys 2008年・米/ワインスタイン・カンパニー
原題:FANBOYS
監督:カイル・ニューマン
原案:アーネスト・クライン、ダン・ピューリック
脚本:アーネスト・クライン、アダム・F・ゴールドバーグ

「スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス」公開半年前の1998年を舞台に、同作の公開を待ち切れない熱狂ファンの狂騒ぶりを、パロディ満載で描いた楽しい快作。

DVDスルーの予定だったが、ファンの熱狂的な要望で、東京限定ながら劇場公開に漕ぎ着けたという(なんか最近そんなのが多い(笑))。大阪では当然観れないので、仕方なくDVDで鑑賞。

いやあ、それにしても楽しい。「スター・ウォーズ」のコアなファンであれば絶対に見逃してはいけないのは無論だが、熱烈ファンでなくても、最低シリーズ最初の3作を観ている人なら十分楽しめる。

スター・ウォーズファンが15年間も心待ちにしていた待望の新作「スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス」公開を半年後に控えた1998年秋。いずれ劣らぬSWオタクのエリック(サム・ハティントン)と仲間たちは、末期ガンでEP1の公開まで生きられないライナス(クリス・マークエット)の「死ぬ前にEP1を観たい」という願いを叶えるため、スカイウォーカー・ランチに侵入しEP1のフィルムを盗み出す計画を立て、大陸横断の旅に出る…。

冒頭から、SWタイトルのパロディが飛び出して笑わせるが、とにかく全編、「スター・ウォーズ」へのオマージュやら小ネタが満載で、それだけでも十分楽しい。

SWファンである事を確認する為、超トリビアなクイズを出し合ったりするのだが、これも楽しい。
エピソード4でのルークのコールサインは?だとか、チューバッカの生まれた星は?なんかは、シリーズ作品を何度も観てる私でも答えられない(笑)。

(以下、少々ネタバレあり)
もっと嬉しいのが、豪華なカメオ出演で、レイア姫ことキャリー・フィッシャーとか、ランド・カFanboys8 ルリシアン役のビリー・デイ・ウィリアムス等がチラリと出て来た時には、懐かしさでウルウルした。ダース・モールを演じたレイ・バークは警備員役で、棒のような物を振り回してるのがおかしい。ビリー・デイ・ウィリアムスは判事(ジャッジ)役で、名前が“ジャッジ・ラインホルド”なのには笑った。それにしても、「ビバリー・ヒルズ・コップ」以降はパッとしないラインホルド、最近はどうしてるのだろうか。

Fanboys7 SW関連だけでなく、なんと「スター・トレック」のカーク船長ことウィリアム・シャトナーが本人役で出て来たのには仰天した。エリックたちに、スカイウォーカー・ランチの内部見取り図やパスワードまで教えてくれるのだ。何で知ってるのかと聞くと、「ウィリアム・シャトナーに不可能はない」(笑)。

首尾よく潜入したスカイウォーカー・ランチの、お宝ルームは、ルーカス映画ファンにはよだれ物。SW関連だけでなく、インディー・ジョーンズの帽子とか鞭とか、はては「ウィロー」の魔法の本まで置いてあるとはねぇ。もっとも、インディーはともかく、「ウィロー」を知ってる人はもう少ないかも知れない。

ライナスの願いがかなったかどうかは映画を観てのお楽しみ。

ラストは、当然ながら「ファントム・メナス」の初公開日の狂騒。多分あんな感じだったんだろうなと納得させられる。
ここで仲間の一人がふとつぶやくセリフにも大笑い。その気持、分かるよなぁ。

 
まあそんなわけで、「スター・ウォーズ」シリーズを楽しんだ人、愛着のある人なら絶対に楽しめる作品である。

また、単なるパロディ、おフザケ作品に留まってはおらず、仲間の友情にも焦点が絞られているし、“何かに熱狂し、夢中になれる”事の素晴らしさを謳い上げている点も重要である。観終わって、私は意外にもジーンと来てしまった。

本作は、「スター・ウォーズ」ファンだけでなく、若い頃に、特定のジャンルや作品に夢中になった経験がある、すべての映画ファンに捧げる、これは“映画への愛”の素晴らしさを描いた作品なのである。    (採点=★★★★

 ランキングに投票ください → ブログランキング     にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

 
(お楽しみはまだある)

この映画は、まだ他にもいろいろとネタがある。観直す度に新たな発見がある映画とも言える。

例えば、スカイウォーカー・ランチの警備員の服装が、ジョージ・ルーカスの出世作「THX-1138」の警官の格好と同じ、というのも、一度観ただけでは気が付かない。

またよく見ると、エリックたちグループの人物像には、ルーカスの最初のヒット作、「アメリカン・グラフィティ」の登場人物たちが微妙に投影されているフシが伺える。

Fanboys2 例えば、仲間の一人、ウィンドウズ(ジェイ・バルシェル)は、メガネをかけた風貌からして「アメ・グラ」のチャーリー・マーティン・スミスを思い起こさせるし、末期ガンのライナス(クリス・マークエット)の顔はリチャード・ドレイファスにやや似ている気がする(右)。

彼らは高校時代の仲間たち、という設定だが、高校時代は「アメ・グラ」のような学生生活を楽しんでいたのかも知れない。

ハチャメチャ・コメディであるにも係らず、仲間の一人が死ぬ、という展開も、「アメ・グラ」のラストのテロップを思い起こせば納得出来る。

そう考えると、本作は「スター・ウォーズ」に留まらず、ルーカスのその他の監督作品、とりわけ「アメリカン・グラフィティ」へのオマージュも込められている、と言えるのではないか。

| | コメント (2) | トラックバック (4)

2010年7月 8日 (木)

「ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」

Hangover 2009年・米/ワーナー・ブラザース
原題:The Hangover
監督:トッド・フィリップス
原案:ジョン・ルーカス、スコット・ムーア
脚本:ジョン・ルーカス、スコット・ムーア、トッド・フィリップス、ジェレミー・ガレリック

アメリカ本国では大ヒットし、第67回ゴールデングローブ賞のコメディ・ミュージカル部門作品賞を受賞した話題作でありながら、コメディがヒットしにくい我が国興行事情、加えて配役が地味である為、一時はDVDスルーになりかけた。
だが、一部の熱狂的なファンが署名活動を展開し、雑誌「映画秘宝」の2009年度ベストテンでも、未公開でありながらベスト17位にランクインするなど、徐々に人気が高まり、めでたく劇場公開にこぎ付けた。

…と聞くと、以前紹介した「ホットファズ 俺たちスーパーポリスメン!」とまったく同じケース。こういうのは好きだから、喜んで観に行った。

いやー、楽しい、面白い!大笑いしつつも、どこかシニカルで、身につまされ、考えさせられ、かついろんなジャンルともクロスオーバーする、一筋縄では行かない奥の深さも持った、アメリカン・コメディの快作だ。

お話は、サブタイトルそのまんま。結婚式を2日後に控えた花ムコの悪友たちが計画した、バチェラー・パーティー(独身サヨナラパーティー)でハメをはずし過ぎ、翌朝目覚めてみれば、酷い二日酔いで全員前夜の記憶はなく、花ムコは消え、部屋には何故か赤ん坊と、トラ!がいる、という、まるでフランツ・カフカの「変身」か、島田荘司のミステリー「眩暈」を思わせる不条理ドラマが展開する。
さらには乗って来たベンツはパトカーと入れ替わり、いきなり現れたマイク・タイソン(本人)にはぶん殴られ、おかしな中国人からは脅迫される…とお話はどんどん混乱して行く。

―といった具合に、これはただのおバカなコメディではない。島田荘司を例に挙げたが、本作は、まず、不可思議で先の予測がつかない謎がいくつも提起され、残った3人の男たちがわずかの手掛かりを元に、消えた花ムコの行方を追いつつ、謎を解明して行くサスペンス・ミステリーの要素を持っている。

さらに、翌日の結婚式までに、花ムコを探し出し、式場に駆けつけなければならない、というタイムリミット・サスペンスの要素もある。

脚本が実によく出来ている。いくつのも謎にはすべて理由があり、それらがラストに近付くにつれ、見事に解明されて行く。

これ以上はネタバレになるので書けない。とにかく観て欲しい。1つだけ注意。エンドロールもお見逃しなく。ここに、すべての解答が明示され、かつ大笑いさせられる。見事なオチである。

 
私にも、酒を飲み過ぎて、前夜の記憶がまったくないという経験がある。友人の中にも、宴会でとんでもない醜態を晒して、でも翌朝になると、まったく覚えていない、という者が実際にいる。

本作の場合は更に[ドラッグ]がからんでいるから余計さもありなん、と思わされる。

つまり、現実に我々自身の身にも起こりうるかも知れない、というリアリティがあるから、観ている間は大笑いしつつも、観終わった後も、単に「あー面白かった」だけでは終わらない、ちょっぴり考えさせられる作品でもある。そこがこの作品の奥の深さなのである。

ハチャメチャな抱腹絶倒コメディ、不条理サスペンス、謎解きミステリー、酒のコワさ、…そうした、複合的な要素を縦横に交差させ、違和感なくまとめた脚本の見事さには唸りたくなる。見事!

役者は、久方ぶりのヘザー・グラハム以外はまったく無名だが、それぞれに個性的で将来が楽しみ。特にデブっちょのザック・ガリフィアナキス(覚えにくい名前だ)はチェックしておく必要があるだろう。

よくぞ公開してくれた、と褒めたい所だが、配給会社(ワーナー・ブラザース)も、署名運動なんかなくても、面白さをいち早く見極めて、絶対当ててみせる、くらいの意気込みで売るべきではないか。熱烈ファンに尻押しされてるようでは情けない。苦言を呈したい。    (採点=★★★★☆

 ランキングに投票ください → ブログランキング     にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

| | コメント (2) | トラックバック (13)

« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »