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2010年8月29日 (日)

「カラフル」 (2010)

Colorful2010年・日本/サンライズ=東宝
監督:原 惠一
原作:森 絵都
脚本:丸尾 みほ

直木賞作家の森絵都のファンタジー小説を、「クレヨンしんちゃん/アッパレ!戦国大合戦」「河童のクゥと夏休み」等の秀作アニメで知られる原惠一監督がアニメ映画化。

一度死んで、天国への入口でさまよっていた“ぼく”の魂は、プラプラという名の天使(まいける)から、ある抽選に当った事を告げられる。それは、自殺したばかりの内気な少年・小林真(冨澤風斗)の身体を借りて、6ヶ月のホームスティ期間中に自分が何の罪を犯したかを思い出せば、もう一度現世に戻ることが出来るというものだった。“ぼく”は新しい生活の中で、さまざまな人と触れ合い、生きる意味をもう一度問い直して行く…。

この原作は、一度実写で映画化されている。2000年(20世紀最後の年!)に、脚本・森田芳光(「家族ゲーム」「それから」)、監督・中原俊(「櫻の園」)という、共にキネ旬ベストワン作品を監督した実力派の二人が組んで作られているが、かなりマメにミニシアターに通ってる私でも、この作品については全く知らなかった。公開されたかも記憶がない。その年のキネ旬ベストテンでも、50位(わずか2名で7点)という低位置だから作品的にもほとんど話題にならなかったようだ。
知名度のある2人が組んだにしては、この程度の評価とは信じ難い。

だが、考えれば“天国に行った人間が、天使の導きでもう一度別の人間として生まれ変わる”という設定は、昔から何度も映画化されていて、目新しいものではない。
古くは、1941年製作の米映画「幽霊紐育を歩く」(アレクサンダー・ホール監督)というのがあり、間違って天国に来てしまったので、天使が下界に戻そうとするが、元の身体が火葬になっていたので仕方なく別の身体を借りる…というコメディ。これのリメイクがウォーレン・ベイティ主演・製作・共同監督で話題になった「天国から来たチャンピオン」(78)。
わが国でも最近、西田敏行が美女になって生き返るという、浅田次郎原作の「椿山課長の7日間」(2006・河野圭太監督)が作られている。
さらに、“自殺を図った男が、天使に導かれて別の人生を見せられ、生きる意味をを見つめ直す”という共通性では、フランク・キャプラ監督による「素晴らしき哉、人生!」という、映画史に残る傑作がある。

つまり、設定そのものは「幽霊紐育を歩く」「素晴らしき哉、人生!」をミックスしたようなものなのだが、原作が高く評価され、ベストセラーとなったのは、誰にも覚えがある、中学生生活の心の悩みと葛藤を繊細に描いた部分にあるのだろう。
これを、映像ですべてを表現する映画として描くのは、意外と難しい。ましてや、過去の記憶がない“ぼく”の心が乗り移った真、という微妙な人物像を演じるのは、うまい俳優でも相当難しい。
中原作品がほとんど評価されなかったのは、そういう問題点もあったのではないだろうか。

 
それで本作だが、観る前にいくつか不安があった。
1つは、製作した会社が「サンライズ」。アニメ・ファンならご承知の通り、「機動戦士ガンダム」等のメカ・アクション・アニメで知られるプロダクションで、こういう、日常生活描写が中心となる作品とは社風が合わない気がする。
2つ目は脚本を書いたのが丸尾みほ。くだんの「機動戦士Zガンダム」、「魔法使いサリー」「とっとこハム太郎」等の子供向けアニメを手掛けて来たベテランだが、劇場用作品では「ドラえもん」に併映の「ドラミちゃん」と「フランダースの犬」くらいで、本格的な長編劇場アニメの実績はない
3つ目に、ファンタジーとは言え、いじめ、不倫、援助交際、進学問題…といったリアルで生々しいテーマを持った本作は、どちらかと言えば実写向きで、アニメ化には不向きではないか、と思える点である。

…というわけで、観る前は不安だらけだったのだが、さすが、これまで観客を泣かせる感動作を連打して来た原惠一監督だけのことはある。杞憂は吹き飛んで、心に沁みる見事な秀作になっていた。

 
成功の第一要因は、全体に灰色がかった、モノトーンともカラーとも、あるいは市川崑監督が何度か使用した“銀残し”映像とも微妙に異なる不思議な映像効果である。
これによって、これは現実なのか、異世界なのか、それとも主人公が見た夢なのか、といった不思議な感覚に観客を誘う。
あるいは、今の小林真としての人生が、6ヶ月間のテスト期間という“仮りの人生”である事を表わしているのかも知れない。
…ただし、すべてモノトーンではない。病院の外にある大きな木に咲く満開の花は、色鮮やかな赤と黄で描かれている。これはつまり、主人公の“ぼく”が眼にする光景のみ、色(カラー)が褪せている、という事なのだろう。

(以下ネタバレあり)
“ぼく”は一旦死んで、それを受け入れているのに、その意志に反して、もう一度生きる事を強制されている。
しかも、真の家族は、リストラされたらしく、影の薄い父親、不倫している母、大学進学を控え、不機嫌で真に辛く当る兄、そして自殺した真…と、ほとんど崩壊状態である。

“ぼく”はこんな家族に溶け込めない。不倫の母は許せず、彼女の作った料理を食べようともしない。
学校に行けば、同級生たちには無視される。ほのかに好意を寄せる後輩の桑原ひろか(南明奈)は、中年男と援助交際をしており、真の自殺の原因も、それと母の不倫を同時に目撃した事にある。

こうした状況を目の当たりにして、せっかく与えられた生きるチャンスに、“ぼく”は、どう対応していいのか、揺れ動き、悩み、迷い続ける。
これは、いろんな悩みを抱え、親に反抗したくなる、思春期特有の心の揺れともシンクロする。

でも、悩んでいるだけでは何も解決しない。壁にぶち当ったなら、その壁を乗り越える努力を重ね続ける事だ。何事も試練である。

“ぼく”は、真が乗り越えられなかった壁を越えようとする。ラブホテルに入ろうとするひろかを目撃した“ぼく”(真)は、ひろかの手を取って走り出す。冴えない顔の同級生・早乙女(入江甚儀)とも次第に心が打ち解け、一緒に行動するようになる(その頃から、画面に少しづつ“色”が増えて来る)。

素晴らしいのは、早乙女に誘われ、廃線となった電車の路線の後を辿る旅の描写である。
おそらく、実際の写真を基にしているのだろうが、実写と見まがうくらいのリアルな風景に息を呑む。
現在の廃線となっている風景が、やがてありし日の、玉電の電車が走る過去の風景にオーバーラップするシーンはノスタルジックでジーンとする。
アニメだからこそ、電車が走っていた頃の昔の光景が現出しても違和感はない。実写では作り物っぽくなってシラけるだろう。
二人で歩く、二子玉川近辺の風景…特に暮れ行く夕方の川原べりのなんという美しさ。

そうした美しく、荘厳な風景を見れば、生きている事の素晴らしさを実感する。ちっぽけな事で悩んだりする事が馬鹿らしくなる。

“ぼく”はやがて、一面しか見ていなかった人間にも、いろんな色を持っている事に気付く。風景が、季節や時間によって、さまざまな色を見せるように…(これが題名の意味である)。

自分を馬鹿にしていたと思っていた兄が、とても弟の事を気遣っていた事を知ったり、軽蔑していた母も、内面で苦しんでいた事を知る。
ここで、それまで食べる事を拒否していた、母が作った夕食を、真が食べるシーンが感動的である。“食べる”事がコミュニケーションの道具にもなっているのである。…そう言えば真と早乙女がフライドチキンと肉饅を分け合うシーンも、友情の深化の表現として効果的だ。

ポジティブに、前を見て歩けば、人間だって、生きる事だって、捨てたものではない。
“ぼく”=真の心も、大きく成長するのである。

ラストの真相は、ある程度途中で予測はつくが、プラプラの意外な真相も胸をうつ。

観終わって、やはりこれはアニメでなければ描けないと思い至った。
早乙女と旅する、二子玉川近辺の美しい風景は、前半のモノトーンな映像があるからこそ、ハッとするほど心に沁みるし、人物のキャラクター・デザインも、まさに個々の性格をも絶妙に表現している。
眼鏡をかけた佐野唱子の、オドオドしながらも厚かましいキャラなど絶品である。この声が宮崎あおいだと知って驚いた。大胆なキャスティングだが大成功である。実写で、こんな顔でこんな複雑な演技の出来る俳優を探すのは至難である。

 
原惠一監督の、的確で、繊細かつ丁寧な演出は相変わらず冴え渡っている。「河童のクゥと夏休み」でも、少年とクゥとの心の交流を見事に表現した原監督だが、本作ではさらに進化している。丸尾みほの脚本も予想を超えて素晴らしい。お見逸れしました。

現代社会が抱える、さまざまな問題―人間関係の歪み、心の荒廃、家族の、親子の断絶…それらは、原作が発表された頃より、さらに深刻になっている。自殺者は3万人を超えている。
そんな時代だからこそ、本作を映画化する意味は大きい。

今、心に悩みを抱え、壁にぶち当っている、多くの若い人に是非観て欲しい。
この映画を観て、いやだと思っている人間にだって、いろんな色がある事を知って欲しい。いろんな美しい風景を見て、生きている事の素晴らしさを感じて欲しいと思う。そんな事さえも感じさせてくれる、これは本年屈指の秀作である。    (採点=★★★★☆

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(付記)
原監督インタビューによれば、サンライズの内田社長が森絵都さんの大ファンで、いつか「カラフル」を自社でアニメ化したいと思っていたらしい。そして監督には「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」を内田社長が観て、この人がいい、と思ったという事だ。そして原監督が、「河童のクゥと夏休み」を完成させ、体が空くまで待っていてくれたらしい。
いい話である。「オトナ帝国-」に、「カラフル」と通じるものがある事を見抜いた内田社長の眼力も凄いが、その期待に見事応えた原監督も凄い。そういう経緯を聞いて、サンライズという会社(と内田社長)を見直した。この調子で、次回もさらなる傑作を生み出してくれる事を期待したい。

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2010年8月28日 (土)

アニメ界の巨星2つ堕つ…今敏氏、川本喜八郎氏追悼

信じられない思いです。

 

日本アニメ界のみならず、世界的にも評価の高い、2人の天才アニメーション作家が、ほぼ同じ時期にお亡くなりになりました。

Konsatoshi 今敏氏の訃報が入って来たのは、8月25日。

亡くなられたのは、8月24日、すい臓がんの為、46歳での早過ぎる死去でした。

46歳と言えば、コンさんつながりで、市川崑監督の享年の半分ではないですか。
宮崎駿に追いつき、追い越せるのは、今さんくらいだろうと思って、とても期待していたのに…。

まだ、宮崎さんの子供くらいの年齢なのに…。ちなみに宮崎駿が46歳の時は、「天空の城ラピュタ」を完成させた翌年くらいのはず。
いかに早過ぎるかが分かります。

監督デビュー作「PERFECT BLUE」(97)からして、完全に大人の観客を意識した、完成度の高いサイコ・サスペンス・スリラーの秀作でした。
続く「千年女優」(02)も、原節子を思わせる伝説の女優の数奇な人生と、スペース・シャトルが登場するSFファンタジーとがコラボする異色作。
そして3作目「東京ゴッドファーザーズ」(03)は今監督の最高作。笑い、涙、サスペンス、アクションが絶妙に交錯する感動のエンタティンメントの傑作でした。私はその年のマイ・ベスト3に入れましたが、キネ旬ベストテンではなんと圏外!以来キネ旬ベストテンは信用してません(笑)(ちなみに読者ベストテンでは3位。映画ファンの方がよく分かってる)。なお、翌年には米アカデミー賞長編アニメ賞の候補作に挙げられて話題になりました。
4作目筒井康隆原作の「パプリカ」(06)も異色作。夢の世界に侵入する女探偵が主人公で(「インセプション」だ(笑))、そのイマジネーションの豊かさに驚嘆しました。

作る作品がいずれも独創的で、すべて違うジャンル。それでいて1本も駄作がない。これから、どんな凄い傑作を作るか、期待していたのに…アニメ界ならず、日本映画界に取っても、計り知れない大損失です。

今さんの公式サイトがあるのですが、8月25日が最終更新となっていて、そこに今さんの、お別れの言葉が掲載されています。

それを読めば、また涙が溢れて止まりませんでした。いかに無念だったか。心中察するに余りあります。

新作映画「夢みる機械」が準備中だったとか。本人も心残りだ、と書いておられます。遺志を継いでどなたかが完成させて欲しいものです。

 

今さんの逝去に呆然となっていたところに、今度は我が国人形アニメーションの第一人者であった、川本喜八郎さんの訃報が飛び込んで来ました。
Kawamotokihchirou4 川本さんも、私の大好きな作家であっただけに、よりショックでした。あまりの事に、映画評を更新する気も失せてしまいました。

8月23日、肺炎の為逝去。享年85歳。

なんと、今敏さんの逝去の1日前です。

我が国は、2日続けて、世界に誇るアニメ界の2大巨匠を一度に失ったわけです。

1925年生まれ。学校卒業後、1946年に、最初は東宝撮影所美術部に入り、実写の美術助手をやっていましたが、歴史に残る東宝大争議のあおりで失職。子供の頃から好きだった人形絵本作りに参加しましたが、チェコの人形アニメの巨匠、イジー・トルンカの「皇帝の鶯」を観て感動、以後チェコに渡り、トルンカの下で人形アニメーションの技術を学びました。

Kawamotokihchirou2 話題となったのは、'72年発表の「鬼」。これで内外の映画賞を多数獲得。以後「道成寺」(76)、「火宅」(79)、「蓮如とその母」(81)と立て続けに秀作を発表しました。
その他、NHKテレビの連続人形劇「三国志」「平家物語」の人形造形でも有名です。
'88年には、上海国立動画映画制作所に出向し、「不射之射」を監督、上海アニメの発展にも貢献しました。

晩年になっても創作意欲は衰えず、2003年には川本さんが企画して、世界の著名アニメーター35人に、松尾芭蕉が考案した、連句(複数の歌人が前の人の下の句を受け、自分の句を鎖のようにつなげて俳句を作る)の手法をそのままアニメで行うという、連句アニメーション「冬の日」を完成。ロシアの巨匠、ユーリ・ノルシュテインをはじめ、アレキサンドル・ペトロフ、「頭山」がアカデミー短編賞にノミネートされた山村浩二、その他久里洋二古川タク林静一小田部羊一高畑勲…といった、夢のようなコラボを実現させました。
川本さんの人脈なくしては実現不可能とも思える快挙です。これは凄い傑作ですので、アニメ・ファンは是非ご覧になってください(詳細は私の過去記事参照)。

そして2005年には、ライフワークと位置付けていた、折口信夫の小説を原作とした「死者の書」を発表。これが遺作となりました。

今さんとは違って、80歳まで旺盛な創作を続け、やりたい事もやり尽くして、悔いのない人生だったでしょう。その点が救いです。

 
ともあれ、惜しい人材を無くした事に変わりはありません。

謹んで、お二人の冥福をお祈り申し上げます。

 
 関連記事 「東京ゴッドファーザーズ」
        連句アニメ「冬の日」

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2010年8月21日 (土)

「キャタピラー」

Caterpillar2010年・日本/若松プロダクション=スコーレ
監督:若松孝二
脚本:黒沢久子、出口出

今年74歳!映画監督歴47年!にもなるベテラン、若松孝二監督が、秀作「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」(2008)に続いて、またも傑作を完成させた。
その旺盛なる創作活動ぶりには頭が下がる。

凄いのは、無数のピンク映画、B級ピクチャーを作ってきた、所謂マイナー・ピクチャー作家であった監督が、70歳を超えて、立て続けに骨太の問題作を連打し、高い評価を得た点である(「実録・連合赤軍-」はキネ旬ベストテン3位)。
本作も、おそらくベストテン上位を賑わすだろう。

中国戦線へ出征した夫・久蔵(大西信満)が、四肢を失い顔面は焼け爛れた無残な姿で帰還する。妻・シゲ子(寺島しのぶ)は最初嫌悪するが、“軍神”の妻の役割として、久蔵の尽きることのない食欲と性欲を満たしつつも、その関係性はやがて逆転して行く…。

 
寺島しのぶが素晴らしい。裸身も惜しげなく晒し、体当たり演技で戦前の“銃後の妻”になりきっている。彼女以外にこの役を演じられる女優はいないだろう。ベルリン国際映画祭最優秀女優賞も納得である。本年度の演技賞も総ナメするだろう。

いわゆる“反戦映画”であるのだが、山本薩夫や新藤兼人監督が撮るような、まっとうな反戦映画とはまるで違う。若松監督が、これまで撮って来た、無数のピンク映画とスタンスはほとんど変わらない(これについては後述)。久蔵とシゲ子は毎日、ただひたすら“食べて、SEXして、寝る”だけの日々を送るのである。
それが、昭和天皇・皇后の御真影の下で行われる。昔から、権威や権力をコケにして来た、いかにも若松監督らしい描き方である。

 
(以下ネタバレあり)
国家によって徴兵され、無残な姿にさせられた男の悲劇。妻はそれでも、軍神と奉られた夫の世話をしなければならない。夫にとっても、妻にとっても悲劇である。

だが、久蔵が戦場で行った事は、無抵抗な中国の民間人を虐殺し、女を強姦するおぞましい悪行である。久蔵が狂ったように妻にSEXを求めるのは、その記憶が脳裏から離れないからである。戦場に赴いた兵士は、相手から見れば悪鬼のような加害者に他ならない。戦争とは、そういうものである。

人間は、罪深い存在である。あくなき欲望を追い求め、する事がなければSEXしか思い浮かばない。…その罪でこのような身体になってしまったのかと、久蔵は煩悶を続け、終戦の日に遂に自分の顔を水面に映した後、自死してしまう。

一方で、結婚当初は夫から暴力を受け、それでも耐えていた妻は、無残な帰還を果たした夫の姿に、最初こそ惨めな思いにかられ、心中をも考えるが、夫を世話するうちに、次第に優位性を獲得して行く。

妻が、夫をリヤカーに乗せ、村を散歩するシークェンスが印象的である。妻は、“軍神の妻”である事を晴れやかに誇示し、村の人々は久蔵を崇める。だが罪の意識に苦悶する夫はそれを激しく拒否する。
それでも、身体は自由にならない。妻のなすがままにしなければならないのだ。そもそも、妻に頼らなければ食事もSEXもままならない。

人間の根源は、支配と被支配である(戦争がまさにそう)。妻を支配していた男が、犯した罪におののき、やがて妻に支配されてしまう。

この映画は、のどかな風景が広がる農村を舞台に、人間が生きて行くという事の根源(食べる、SEXする)を見つめつつ、国家と人間、支配と被支配の関係性をアイロニーを込めて描いた秀作である。

もう一つ、ストーリーとはあまり関係がないように見える、篠原勝之扮する、頭のおかしい(ように見える)男の存在も興味深い。

彼は精薄と見られたおかげで兵役を逃れられたのだが、終戦を迎えた時、シゲ子の前で、「終わった、戦争が終わった!」と歓喜する。
精神薄弱であれば、何も理解出来ないはずだが、それなのに、終戦は喜ばしい事と理解出来ている。

察するに、この男は“兵役に取られない為に狂ったフリをしていた”のだろう。これも、庶民の知恵と言えるし、笑えるエピソードである。

エプロン姿の村の女性たちが、竹ヤリ訓練をしたり、バケツリレーを必死になって訓練する姿も、考えれば滑稽である(上空1万メートルを飛び、無数の焼夷弾を落とすB29爆撃機に、そんな訓練は何の役にも立たない)。実際に大真面目で行われていた事実だから余計おかしい。

さまざまな角度から眺める度に、いろいろなアイロニーや寓意が読み取れる、そういう意味でもこれは、反戦映画という枠に留まらない、優れた人間喜劇であるとも言える。本年屈指の秀作としてお奨めしたい。   (採点=★★★★☆

(付記)
元ちとせが歌う主題歌「死んだ女の子」が印象的だが、実はこの歌、1970年代初期、高石友也が既にレコードで発表している。

YouTubeでの高石友也バージョンはこちら 
→ http://www.youtube.com/watch?v=sNkVxvXBhpc

個人的には、こちらの方が好きである。素朴なだけに、余計心に響く。

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お楽しみはココからだ-若松孝二監督作品論)

若松監督は、夥しい数のピンク映画を量産して来た、ピンク映画界の巨匠である。

が、ピンク映画とは言っても、若松作品は凡百の同傾向作品とはちょっと一味違う。1960年代後半から70年代にかけての初期の若松作品では、常に、時代の空気を敏感に反映させ、政治性や反権力志向を巧みに網羅して、若い映画観客の心を掴んでいたのである。

ベルリン国際映画祭に出品され、「国辱映画だ」と叩かれた「壁の中の秘事」(1965)では、男女がSEXする団地の部屋には、スターリンの肖像が貼られており、主人公は広島原爆の被爆者である。

「性賊/セックス・ジャック」(1970)では過激派のテロリストが主人公で、よど号ハイジャックの映像が流れるし、同年秋に作られた「性輪廻/死にたい女」(1970)ではなんと割腹自殺した三島由紀夫のニュースが流れ、盾の会を思わせる男たちが登場する。

当時の監督作品中でも傑作と評価の高い「犯された白衣」(1967)は、当時アメリカで起きた無差別殺人事件をモデルにしているが、ラストで、機動隊が乱入し、警棒を振り上げた所でストップ・モーションとなり、さまざまなニュース映像がコラージュされるのが斬新である。
当時は絵空事に思えた題材だが、今では現実に似た事件が頻発している。その先見性には驚嘆せざるを得ない。

そんな若松作品の中でも、「現代好色伝 テロルの季節」(1969)は異色である。過激派の活動家らしき若者が主人公。何かテロを起こすと睨んだ公安警察が、部屋に盗聴器を仕掛けて監視を始める。ところが男は毎日、ただひたすら女二人とSEX三昧。まさに、“食べて、SEXして、寝る”だけの日々である。とうとう公安も呆れて監視を解くが、やがて男は腹に爆弾を巻いてテロに向かう。

終盤の描写が圧巻。延々とSEXするシーンに、アメリカと日本の国旗がはためく映像がオーバーラップされる。

“国家の象徴が映し出される下で”、延々と“食べて、SEXして、寝る”だけの日々…。こうした描写は、本作とまさに共通する。

若松監督作品は、本質において描こうとする事は、40年を経過した今もまったくと言っていいほど、変わってはいないのである。

おまけに、製作プロダクションは、40年前と変わらず「若松プロダクション」であるし、脚本もまた当時と同じ“出口出”名義である(これは本人と合作者の共同ペンネーム)。

こういう、過去の監督作品を観てくれば、若松孝二という監督が、如何に凄い映画作家であるかがよく分かる。観る機会があれば、是非。

ちなみに、「現代好色伝 テロルの季節」で、主役のテロリスト役を演じているのは若松映画常連の吉澤健。で、その吉澤健が本作で、久蔵の父親に扮しているのも見どころ。ファンとしては感慨深い。

 *ピンク映画についての過去記事

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2010年8月15日 (日)

「ヒックとドラゴン」

Hickdragon2010年・米・ドリームワークス/配給:パラマウント
原題:How to Train Your Dragon
監督:ディーン・デュボア、クリス・サンダース
原作:クレシッダ・コーウェル
脚本:ディーン・デュボア、クリス・サンダース、ウィリアム・デイヴィス

クレシッダ・コーウェルによる同名児童小説を、3Dアニメとして映画化したアドベンチャー・ファンタジー。監督は「リロ&スティッチ」のコンビ、ディーン・デュボア&クリス・サンダース。

 
印象としては、子供向けの気がしたので、あまり観る気が起きなかったのだが、別の観る予定だった作品(題名を言うと「告白」)が満員で入れなかったので(今だに凄い人気だ)、仕方なく他の作品の上映時間を見たら、丁度時間が空いてたのがこの作品。

「リロ&スティッチ」が平凡な出来だったので、全然期待していなかったのだが、観てびっくり、面白い!本年度公開のアニメとしては「トイ・ストーリー3」に次ぐ傑作であった。これは予想外の掘り出し物。…にしても、客が入ってない

お話としては、目新しいものではない。宿敵・ドラゴンと永年戦ってきたバイキングの村。ある日気の弱い少年が、傷を負ったドラゴンと出会い、親に隠れてコッソリそれをかくまい、仲良くなるが、やがてその事が知られてしまい…

…と、古くは「仔鹿物語」(1947)、わが「ドラえもん のび太の恐竜」(1980)、「E.T.」(1982)、最近では「ウォーター・ホース」(2007)と続く、“少年と、森で見つけた動物(-もしくは怪物)との交流と友情”ものの流れを汲む作品であり、特に“大人たちが捕獲しようとする怪物と、少年との友情”というパターンは、「E.T.」とよく似た構成である。
製作したのも、スピルバーグが設立したドリームワークスである点が興味深い。

しかし、本作で特筆すべきは、アクションのスケールの大きさである。

冒頭の、バイキング対ドラゴンの戦闘シーンからしてダイナミックで壮絶だし、特に炎の描写は実写並みの迫力。

(以下、ややネタバレあり)
少年ヒックが、やがて仲良くなったドラゴン、トゥースの背中に跨り、空中を飛翔するシーンのスピード感とダイナミズムは、J・キャメロン監督の「アバター」の飛翔シーンと比べても遜色ない。アニメである事を忘れるくらいである。

そして後半のクライマックス、巨大ドラゴンとの戦闘シーンは、小ドラゴンに跨った少年たちが空中を自在に飛び回り、遂に敵を倒すまでのアクション・シークェンスは、まさに「アバター」並みのスケール、スピード、アクション満載でワクワクさせてくれる。

それだけではない。物語としても奥行きは深い。

芯となるのは、気弱で、父親バイキングの期待を裏切り続けてきた少年が、トゥースとの交流を通じて、次第に勇気と行動力を持った逞しい若者へと成長して行く物語である。

その物語を縦軸として、横軸にあるのは、“敵対し、憎しみ合う、果てし無き不毛の戦いは止めて、理解と寛容の道を歩むべきではないか”という重要なテーマである。

ある意味では、世界各地で絶え間なく続く、民族間紛争、テロ・戦争への異議申立てと深読み出来なくもない。

アメリカ映画で、こうしたテーマを打ち出した作品が作られるのは珍しい。そもそも、イラク、アフガンと、世界の紛争に武力介入して来たのが他ならぬアメリカなのだから。
―だが昨年、同様のテーマを有したクリント・イーストウッド監督作品「グラン・トリノ」が作られたように、少しづつアメリカは変わっている気配を感じる。
あるいは、核廃絶方針を打ち出したオバマ大統領の登場と、どこかでリンクしているのかも知れない。

 
本作が、ディズニーやピクサー・アニメと一線を画しているのは、ラストのヒックの身体に起きる悲劇である。
子供向きアニメとしては、やや刺激が強過ぎる描写である。ここは多分製作会社内でも異論が起きた部分に違いない。

だが、あえて異論を撥ね退け、取り入れたであろうこの描写は、やはり正解だったと思う。

ヒックは、小ドラゴンたちとは融和出来たが、そのドラゴンたちもひれ伏す、強大な悪玉とは結局熾烈な戦闘を行い、遂に倒す事となる。
いくら、融和と寛容の精神を持とうとも、それが理想である事は分かっていても、それでも争いはなくならない。…これはシニカルであり、人間が永遠に抱えざるを得ない矛盾なのである。

敵を倒して万歳、で終わってしまっては、せっかく打ち出したテーマがぼやけてしまう事となる。

勇ましい戦いを肯定するのではなく、戦いの空しさを訴える、しかしそれでもヒックは戦わざるを得ない…、その相反する矛盾に向き合う為には、ヒックにも辛い代償を払って貰わなくてはならないのである。

考えれば、凄くテーマは奥が深いのである。

なぜ戦いはなくならないのか、なぜ人は憎み合うのか、寛容と調和は成立し得るのか、人間とは何と矛盾に満ちた生き物なのか…
そうした重いテーマを周到に配しつつも、映画としてはダイナミックなアクションを縦横に網羅し、かつ勇気、友情、男としての成長を存分に描いた、爽快なエンタティンメント作品に仕上がっている。

そういう点では、「アバター」や「トイ・ストーリー3」にも匹敵する力作と言っていいだろう。見事である。

テーマの奥深さを考えれば、むしろ大人にこそ観てもらいたい秀作であった。

私は3Dで観たのだが、3D効果も見事である。「アバター」といい、空中飛翔アクションは3D向きなのかも知れない。

 
残念なことに、興行的には大苦戦を強いられている。初登場8位とは寂しい。…もっとも、この夏は「トイ・ストーリー3」にジブリ・アニメと、2強がダントツの争いを展開しているので分が悪過ぎる。別の時期に公開すべきだったと思う。多くの人たちに観てもらいたいだけに、残念である(と言う私も危うく見逃す所だったが(苦笑))。

折しも今日は8月15日―終戦記念日である。あの戦争を思いながら、本作について考えるのも悪くはない。お奨め。   (採点=★★★★☆

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2010年8月11日 (水)

「ザ・コーヴ」

Thecove_22009年・米/ライオンズゲイト他 配給:アンプラグド
原題: THE COVE
監督:ルイ・シホヨス
脚本:マーク・モンロー

和歌山県・太地町の入り江(コーヴ)で行われているイルカ漁の隠し撮りが物議をかもし、上映中止運動にまで発展した、イルカ保護を訴えるドキュメンタリー。アカデミー長編ドキュメンタリー賞を始め、23の映画賞を獲得した話題作。

「靖国(YASUKUNI)」に続いて、上映反対運動が起きて公開が危ぶまれたが、この点について一言。

確かに作品の内容に問題があるのは事実だが、どんな(例え出来の悪い)作品であろうと、作家が発表した作品を、気に入らないからと言って、圧力をかけて上映中止に追い込もうとする事は間違っている。作家が作品を作り、多くの人に見せたい、という意志を示している以上は、その表現の自由は最大限守られるべきである。
その上で、作品を観た人が反論したり、批判するのも、これまた自由である。大いに批判を展開すればいい。
それが民主主義社会、自由主義社会のいい所である。今回、なんとか上映が行われた事は、まずは喜ばしい。

1960年代の人気ドラマ「わんぱくフリッパー」の調教師だったリック・オバリーは、その後イルカの保護運動の先頭に立ち、活動して来た人物である。本作は、その彼が日本で行われているイルカ漁の情報を聞きつけ、これを阻止する為に、海洋保全協会(Oceanic Preservation Society, OPS)創設者の一人であるルイ・シホヨスに声をかけ、シホヨス自身が監督を引き受けて現地撮影を敢行し、完成させたものである。

映画を観て思ったのは、“これは巧妙なエンタティンメントとしてはよく出来ている”という点である。

和歌山県太地町にやって来た、オバリー一行は、マスクで顔を隠し、隠密行動で現地に車で向かう。と、尾行する車がある。現地にはあちこちに立入禁止の看板が。調査を始めると、ビデオカメラを持った住民がしつこくカメラを向けて来る。この町には何か知られたくない秘密があるのでは。
…とまあ、いきなりスリリングな展開で、まるで
太地町が、陰謀渦巻くスペクターの秘密要塞であるかのようである(笑)。

クルーは、隠し撮りを行う為、元ILMのスタッフに依頼して、ニセの岩を作り、中にカメラを仕込む。夜中でも撮影可能なサーモカメラを使って、夜の住民たちの行動を撮影する。…と、ますます007風スパイ映画もどきである。

そうしたサスペンスを盛り上げて、クライマックスの、入り江でのイルカ漁撮影に成功するのだが、ここはまるで、秘密の悪魔の儀式であるかのように描かれている。

つまり、“正義の一行が決死の潜入を行い、さまざまな妨害を乗り越え、遂に奥地で密かに行われて来た、恐るべき野蛮な行為が白日の下に暴かれた”といった感じの、ドラマチックな展開で首尾一貫しているのである。
実に巧妙なエンタティンメント的手法である。

そういう意味では旨い作りである。世界中でいろんな賞を獲得したのも納得出来る。

 
ドキュメンタリーを標榜してはいるが、実は結構ヤラセ的カットが混じっている。クルーの車と、それを尾行する車を道路沿いの位置から捕らえたカットがあるが、なんでそんな所に都合よくカメラが据えられていたのだ?(笑)。

ニセの岩に仕込んだ無人カメラのはずなのに、被写体を追ってカメラがパンするショットもある。

つまりは、いい絵を見せる為に、いろいろと演出しているのである。…しかし、優れたドキュメンタリーには大抵ヤラセ・演出があるのも事実である。レニ・リーフェンシュタール監督の「民族の祭典」は、オリンピックの記録映画の名作として評価が高いが、実は競技が終わった後で、選手にカメラの前でもう一度演技してもらったシーンがあるそうだ。

昔、テレビで、「水曜スペシャル/川口探検隊が行く」という番組があった。一見、各地の秘境を探検した、ドキュメンタリーに見えるが、ほとんどはヤラセであった。東京スポーツの記事みたいなもんである(笑)。

なにしろ洞窟探検等で「これからカメラが、誰も入った事のない神秘の世界に初めて入る!」とか大げさなナレーションが入るのだが、実はカメラやスタッフはとっくに中に入っていて、その内側から、足を踏み入れる川口隊長の姿を撮影しているのである(笑)。

“ドキュメンタリー”と銘打たれているからといって、真実が公平に描かれているわけではない。ヤラセや捏造や、都合の悪い部分はカットし、都合のいい映像だけを抽出して編集すれば、いくらでも不公平で偏った意図を持った作品は出来上がってしまう。…さらに、耳で聞くよりも、文字を読むよりも、映像のインパクトは何倍も強烈である。その気になれば、観客をマインドコントロールする事くらいは訳ないのである。怖いことである。

 
太地町のイルカ漁は、昔からの伝統のある漁で、秘密でも、違法でも何でもない。銛で突く漁もクジラやマグロと同じで、格段残酷な方法でもない。非難されるいわれはない。
そんな地元の人たちにとっては、この映画は、悪意に満ちた、とんでもない愚作だろう。隠し撮りされて、世界中の、とりわけ動物愛好家からは極悪非道の残虐な野蛮人…のように思い込まれてはたまったものではない。そういう意味では、上映反対と叫びたくなる気持もよく分かる。

だが、イルカ漁の残酷さを訴えたい製作者にとっては、
野蛮に見える絵は実にインパクトがあって好都合である。イルカ漁をしている地域は他にもあるのだが、そういう絵が撮れる場所だから、太地町が選ばれたのだろう。

「フリッパー」の可愛らしいイルカの映像、そして入り江内に広がる、真っ赤な血の映像…これらを巧妙にモンタージュする事によって、“なんて酷いことを…止めさせなくては”と観客に意識付ける事に映画は成功している。

まさに、この映画は、映画手法の基本である、モンタージュの威力(あるいは怖さ)をまざまざと見せ付け、そしてリック・オバリーの意図は見事に成功しているのである。

 

ただし、その事と、映画に共感出来るか、という事とは別問題である。

動物愛護、環境保護運動そのものは、とてもいい事である。リック・オバリーは、とても純粋な人なのだろう。
…だが、行き過ぎると、シー・シェパードのように、“目的の為には過激な行為、違法行為もやむなし”という狂信的な方向に走ってしまう。

そういう独りよがりの、動物愛護精神に酔って、自分たちだけが正義だ、という独善性には共感出来ない。…しかし映画としては面白い

まことに、評価に困る作品である。まあ、ドキュメンタリーのあり方について、いろいろ考えさせてくれた点では、観るだけの値打ちはあったと言えよう。採点は、あくまでエンタティンメント性のみの評価である。   (採点=★★★

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2010年8月 4日 (水)

「ゾンビランド」

Zombieland 2009年・米/コロムビア=日活配給
原題:Zombieland
監督:ルーベン・フライシャー
脚本:レット・リース、ポール・ワーニック

ウイルスが蔓延し、国民のほとんどがゾンビと化したアメリカで、引きこもっていたためにゾンビにならなくて済んだ青年を中心に、4人の男女がサバイバルを繰り広げるホラー・コメディ・ロードムービー。監督は本作が長編デビュー作となるルーベン・フライシャー。

 
ゾンビ・コメディと言えば、以前にも「ショーン・オブ・ザ・デッド」(DVDスルーのみ)という楽しい快作があったが、本作はそれに引けを取らない出来。

あっちの方は、パロディ満載のおフザケ・コメディだったが、本作は、知り合った僅かの生き残り人間たちが、ゾンビのいない土地を求めて旅するロード・ムービー、という具合に、ストーリー・ラインは割としっかりしている。

荒廃した世界に、西へ向かっての旅、と言えば、先頃公開された「ザ・ウォーカー」と設定が似ている。

つまりは、いくらでもシリアスな作品として作れる題材であるとも言える。

この作品が秀逸なのは、一応きちんとした、ゾンビ・ホラーものの定型を踏まえたストーリーの中に、ロードムービーという青春映画的パターンを取り入れ、かつ要所にブラックかつシニカルな笑いを絶妙に網羅している点である。

その為、ゾンビが襲って来るという、本来は怖いはずの状況なのに、何故か笑えてしまう。

 
(以下ネタバレあり、注意)

主人公・コロンバス(ジェシー・アイゼンバーグ)は、ゾンビ対策32か条のルールを作り、そのおかげで今までゾンビにならずに生き延びて来られた。…このルールがなかなか説得力があり、かつ脱力するユーモアがあって楽しい。―しかし生き延びて来られた、最大の理由が、引きこもりで他人と接触して来なかった事と、その間サバイバル・ゲームにハマっていて、そのゲームで敵をかわすテクニックを学んだ点…即ち、人間として、本来は失格であるこうした性格が幸いした、という所が実に皮肉である。

その彼が、必死でサバイバルを生き抜き、旅を続けるうちに、他人とも接触出来るように変わって行き、遂には愛する女性を見つける事にも成功する。
これはある面、引きこもりでひ弱かった青年の、人間的成長のドラマでもあるのである。

彼が旅で出会う人間も、みんなどこかヘンである。マッチョなタラハシー(ウディ・ハレルソン)は、ゾンビを徹底して殺しまくる、ほとんどその事に快感を感じているのでは、と思えるほどで、かつ甘ったるいトゥインキーというお菓子が大好物。

もう一組、あの手この手の策略でまんまとコロンバスたちをだまして車を乗り逃げする、ウィチタ(エマ・ストーン)とリトルロック(アビゲイル・ブレスリン)の姉妹もやはりヘンだ。本来は生き延びた正常な人間同士、助け合うべきなのに、ほとんど人を騙す事が生きがいであるかのようである。

こうした、ある意味では変人ばかりの4人組が、一緒に旅を続けるうちに、次第に心を通わせて行き、そして生きる為には、みんなで力を合わせて助け合う事がいかに大切か、という事を学んで行く。―そのプロセスが、意外と丁寧で、見せてくれる。

これが長編デビューだというフライシャー監督、なかなか確かな演出力である。

彼らが到着したハリウッドで、とある豪華な邸宅(正面に“B・M”の大きな文字があるのも微妙におかしい)に侵入するのだが、この持ち主が、かつては人気を誇っていたが、今では若い人には忘れられたスター[ビル・マーレイ]で、なんとそれを本人自身が演じている。B・Mのイニシャルを見て、「ボブ・マーリーか?」と言われてしまう辺り、何ともおかしいやら身につまされるやら。おまけに何ともしまらない死に方をしてしまう。製作者側もよくまあオファー依頼したもんだが、出演を承諾した本人もエラい!

クライマックスは、遊園地・パシフィック・ランドを舞台に、盛大なゾンビ退治アクションが展開するが、ここの演出も、ハズした笑いを巧みにブレンドして楽しい。ピエロが怖い、というトラウマを持つコロンバスの前に、ゾンビ・ピエロが登場するのだが、ピエロの扮装で口から血をしたたらせている、という絵も、シュールかつおかしい。

最後はハッピー・エンド(?)。コロンバスとウィチタもいい感じだし、頼りになるタラハシーを父親のような存在、と考えれば、この4人の間には、擬似家族のような絆が生まれたと言える。ホラーであるはずなのに、観終わって何やら清々しい気分になれたのは、出来の良さの証明でもあるのだろう。

 
とにかく、あまり予備知識がなかっただけに、これは拾い物の佳作であった。新人監督、ルーベン・フライシャー、名前を覚えておいた方がいいだろう。次作が楽しみである。
PS.エンドロール後にもおマケがあるので、最後まで席を立たないように。      (採点=★★★★☆

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(で、お楽しみはココからだ)

この監督の、ルーベン・フライシャー(Ruben Fleischer)という名前がちょっと気になった。

フライシャーと聞いて思い浮かぶのは、戦前、ディズニーのライバルとして、「ベティ・ブープ」「ポパイ」「スーパーマン」等の傑作アニメーションを連打した、フライシャー兄弟(マックス&デイブ・フライシャー)である(苗字のスペルも同じ)。

ホウレン草を食べると、無茶苦茶怪力を発揮して大暴れする「ポパイ」は、戦後も何度もテレビ放映され、人気を博した。

Bugsgoestotown また、長編アニメとしては「バッタ君町に行く」(41)という傑作があり、最近もリバイバル公開された。
人間が侵入して来た為に、命の危険にさらされた虫たちが、安住の地を求めて旅をする…というお話で、どことなく 本作と似たようなストーリーである。
そう言えば、トゥインキーが大好物で、無茶苦茶な大暴れをするタラハシーは、まるで「ポパイ」である(笑)。

…というのは冗談だが、ルーベン・フライシャー、ひょっとしたら案外フライシャー兄弟と血縁ではないかと思ったりしただけである。本作の冒頭近く、上からピアノが落下してゾンビが下敷になる、というギャグは、アメリカ製アニメ(カートゥーンという)から明らかにいただいてると思えるし…。
誰か調べてくれないかな。

ちなみに、マックス・フライシャーの息子は、「海底20,000哩」、「ミクロの決死圏」、「トラ!トラ!トラ!」で知られる、リチャード・フライシャー監督である。

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