テレビ「田原総一朗の遺言」
BSジャパン(テレビ東京系)で10月23日、午後9時から「田原総一朗の遺言~タブーに挑んだ50年! 未来への対話~」が放映された。
これは、現在はジャーナリストとして活躍中の田原総一朗氏が1970年代、東京12チャンネル(現・テレビ東京)に勤務していた時代にディレクターとして手掛け、今もテレ東の保管庫に眠る約60本のドキュメンタリー番組から3本を選び、それを早稲田大学・大隈講堂で学生たちと共に観賞し、作品の出演者もゲストとして呼び、3時間に渡って討論した内容を2時間にまとめて放送したものである。
田原氏のブログより紹介。 ↓
http://www.taharasoichiro.com/cms/?p=419
いやー、凄いものを見た。よくこんな過激な番組が当時、堂々とテレビ放映されたものだ。
田原氏が東京12チャンネル時代に、過激なドキュメンタリーを作っていたという話は、氏の著作「テレビと権力」(講談社刊・ 2006年)等で読んで知ってはいたが、現物を見た事はなかった。
今回、その内の代表作3本が(多少編集され短くなってはいるが)番組で放映された。
内容は、
① 「バリケードの中のジャズ~ゲバ学生対猛烈ピアニスト」―山下洋輔(1969年)
② 「宣言ポルノ女優 白川和子」(1972年)
③ 「オレはガンじゃない!~片腕の俳優・高橋英二の一年半~」(1970年)
①は、当時、学園闘争のバリケードの中、過激派の学生たちが大隈講堂からピアノを(大学に無断で)担ぎ出し、なんと対立組織(民青系)の拠点の中で、山下洋輔に演奏させ、その一部始終をカメラで捕らえたものである。
うっかりすればセクト間の乱闘になって、命の危険に晒されかねないが、山下も田原氏も「死んでも構わない」と思ったそうである(しかし田原氏はいいが、撮影を担当したカメラマンは心臓が縮んだ事だろう(笑))。
②は当時の日活ロマンポルノの人気女優・白川和子と共に老人ホームを慰問、白川と老人との触れ合いを通して、人間と性の関係に密着した作品である。
白川にインタビューで鋭く迫り、本音を引き出す辺りもいかにも田原氏らしいが、凄いのは白川と、彼女の大ファンという白いアゴ髭の老人とが親密になり、老人が白川に抱きつき、とうとう胸に手を突っ込み、白川のオッパイがポロリとなるまでをずっとカメラが追うくだりである。
身寄りもなく、寂しさに飢えている老人の潜在願望を赤裸々に描いて、これは感動的な人間洞察のドキュメントになっている。
今だったら老人ホーム側が放送中止を要請するだろうし、テレビ局も尻込みして放映など出来ないだろう。第一マスコミに叩かれる。放送したテレビ局もエラい!
“一切のタブーに挑戦する”という田原氏の意気込みに溢れた、傑作ドキュメントだと思う。
③は、がんに侵され、片腕を切り落とした俳優、高橋英二にカメラで密着し、30歳で亡くなるまでの1年半を追い掛けたものである。最後は、棺の中の遺体まで映している。
どれも、自主規制で腰が引けてしまってる今のテレビ界では、絶対に不可能な企画ばかりである。そもそも、企画を出す勇気のあるディレクターもいないだろう。
これは、製作した東京12チャンネルが後発の弱小局で(田原氏によると“テレビ番外地”と言われていたそうだ)、製作費が安い代わりに、ディレクターが好きなように作ってもあまり文句を言われない、鷹揚な雰囲気があった事も幸いしたようだ。
大手の日テレやTBS、NHKだったら、絶対に企画は通らないだろう。
「他のテレビ局では放送できない、危ない番組を作るのである」と田原氏は言う。「刑務所の塀の上を歩くようなもので、内側に落ちたらおしまいだという覚悟でいた」とも言う。そんな危ない番組を毎週放送してくれた東京12チャンネルも、凄い会社である。
こんなエピソードもあったようだ。
1971年に、田原氏が清水邦夫氏と共同監督で、映画「あらかじめ失われた恋人たちよ」を作った時、「撮影に2か月必要だったが、会社は休ませてくれない。しかし仲間は面白いと応援してくれて、毎日ぼくの代わりに出勤簿を押してくれた。そういういんちきのおかげで完成した」(田原氏談)
なんとも、おおらかな時代である。古きよき時代と言えようか。
田原氏はドキュメンタリー制作に当り、“対象者に、ある程度の意図を伝え、了解を得ておく”(つまりヤラセである)、“隠し撮りはしない、望遠レンズも使わず、すぐ近くにカメラを置く”を基本方針としたそうだ。
この方針に基づき撮影された、③のがん患者、高橋英二に密着した壮絶なドキュメントは、後に原一男監督が撮った、小説家・井上光晴氏の、がんで亡くなるまでの晩年の5年間を追った傑作ドキュメント「全身小説家」の手法によく似ている。
実際、原監督は、田原氏の著作でこの手法を知って衝撃を受け、「全身小説家」に取り入れたと語っている。
ある意味では、田原氏は、原監督らの優れたドキュメンタリー映画作家に多大な影響を与えたクリエイターである、とも言えるだろう。
余談だが、和歌山県太地町のイルカ追い込み漁を追ったドキュメンタリー「ザ・コーヴ」の撮影手法は、“対象者の了解を得ず、無断で”、“望遠レンズで隠し撮りをしている”という2点で、前述の田原氏のドキュメンタリー方針とは正反対であり、そういう意味では邪道ドキュメタリー、という事になるだろう。
ともかく、これらの田原ドキュメンタリーを見て、改めて田原総一朗という人は、凄い、反骨のジャーナリストであると思い知った。
田原ドキュメンタリーに比べたら、マイケル・ムーア作品など、ひよっ子みたいなものだろう(笑)。
今年3月、田原氏が司会するテレビ朝日系の「サンデー・プロジェクト」が終了したが、後番組、悦っちゃんの「サンデー・フロント・ライン」はまるでつまらない。只のワイドショーになり下がっている。
その後田原氏は、BS朝日の「激論クロスファイア」に移って相変わらずご活躍されているが、視聴者がぐっと制限されるBSでは、その真摯なドキュメンタリストぶりが多くの人に伝えられないのが残念である。
今の時代では、もう田原氏が東京12チャンネルで作っていたような過激なドキュメンタリーは、作るのは不可能だろう。…と言うより、田原氏のようなタブーを恐れない硬骨のジャーナリストも、もう出てこないだろう。
田原氏が遺した優れたドキュメンタリー映像は、まさに“田原総一朗の遺言”なのである。
とにかく、刺激的な、感動的な番組だった。1回きりの放送ではもったいない。…というより、BSジャパン、というテレビ局の番組をどれだけの人が見る機会があるのか。ごく少数の視聴者に限られるだろう。
多くの人に見てもらう為にも、今回の放送はドキュメンタリー映画として全国の映画館で上映して欲しいと思う。…それがダメなら、地上波(テレビ東京)で再放送し、あるいはDVDで発売して欲しい。それだけのインパクトのある番組である。
あと、出来ればBSジャパンででもいいから、現存する60本の田原ドキュメンタリーを、ノーカットで放送してはもらえないだろうか。そちらの方こそを是非見たいという思いがしきりである。
…でも、あの過激ぶりでは、特に登場する人たち(あるいはその遺族)の了解が得られないと難しいだろう(現に今回の放送でも、登場する関係者の了解が得られず、放送出来なかったものがあるという)。
とにかく、素晴らしい番組だった。今年のテレビ番組の(といっても私は報道番組以外ほとんどテレビは見ないのだが)最優秀作品であると断言したい。繰り返すが、再放送、あるいは第2弾を切に希望。
田原氏の本「テレビと権力」
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