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2010年11月28日 (日)

テレビ「刑事定年」

いつも言ってるが、私はテレビドラマはめったに見ない。「龍馬伝」「ゲゲゲの女房」も見ていない。この1年で見たのは「相棒」シリーズと「仁 -JIN-」くらいか。どちらも見応えある力作で、最低でもこのくらいのレベルは保って欲しいもの。

で、我が家では、やっとこの夏からBSデジタルケーブルが開通し、民放BS番組が見れる様になったが、再放送やショッピングばっかりでまったく面白くない。まあまあ良かったのは、田原総一朗さんのBS朝日「激論!クロスファイア」と、前回紹介したBSジャパン「田原総一朗の遺言~タブーに挑んだ50年! 未来への対話~」くらいである。

そんな中で、久しぶりに、面白い、と思えるテレビドラマを見つけた。

KeijiteinenBS朝日で放映中の「刑事定年」。民放BSでは珍しいオリジナル・ドラマである。主演は柴田恭兵、浅田美代子、田丸麻紀、等。

刑事ドラマは山ほどあるが、これは“定年退職した刑事を主人公としたホームドラマ”というユニークな設定。この目のつけどころがいい。

舞台を、建設中の東京スカイツリーが見える東京の下町とし、定年退職して、ほとんど家にいる元敏腕刑事の自宅に舞台を限定して、家族や、そこに集まって来る元同僚や、在任中に面倒を見た人たちが織りなす、下町人情ドラマといった趣である。

カメラはほとんどと言っていいほど、主人公・猪瀬直也(柴田恭兵)の家から一歩も出ない。
そしてこの家に、毎回、おかしな人たちが闖入して来てドタバタ騒動を繰り広げたり、微妙な空気をかもし出したりする展開は、笑いと涙の人情コメディである点も含めて、「吉本新喜劇」にも似ている。

だが、泥くさい吉本コメディなどと決定的に異なるのは、“仕事一筋に生きて来た男から仕事を奪ったら何が残るのか”、
“夫婦とは何なのか、家族とは、親子とは”、“老後の長い人生を、どういう目的を持って生きるのか”
といったシリアスな問題とも正面から向き合い、ハラハラさせたり、考えさせられたり、最後は人情の機微でホロリとさせる、絶妙なドラマ展開にある。

Keijiteinen2 第1回から、仕事一筋で、家庭をほとんど顧みなかった為に、子育ては妻・早季子(浅田美代子)が一人でして来ており、妻からも娘からもどことなく距離が出来てしまっている状態が描かれる。早季子は夫を無視して自分なりの生活を楽しんでいるし、娘の真紀(田丸麻紀)からは「私、このうちでお母さんと二人で育ってきた気がする」だとか「夫婦の会話がほとんどない」と突っ込まれ、直也は愕然とする。
仕事を辞め、家に入ったら、毎日ゴロゴロとして、やる事がなく、居場所の無さを痛感する直也…。

サラリーマン、特に同じように定年を迎えて来ている団塊の世代には、身につまされる話だろう。

これだけだったら、何となく暗くなってしまいそうなシチュエーションだが、主人公を元刑事…それも、取調べでも犯罪者に対し、温情を示す人情脆い男、にした点が秀逸。これによって、自宅にヤクザの親分やら、虚言癖の女やら、ややこしい人物が直也を慕ってやって来て、ドタバタ騒動を巻き起こす事によって笑いが生まれる。さらに、何か秘密があるのでは、犯罪が起きているのでは、というサスペンスも生まれ、スリリングで飽きさせない。

 
最新作、11月24日放映の第5回「泥棒の帰郷」は特に良かった。

Keijiteinen1 今回のゲストは國村隼。
妻が留守中、直也が近所の買い物から戻ると、洗面所で物音がするので覗いてみると、怪しい男(國村隼)がいる。どうやら空き巣である。刑事の習性で尋問を始めるうちに、20年以上前に出稼ぎで上京したが、仕事がうまくいかず、家族の待つ故郷の青森へ帰る前に、出来心で侵入してしまったという身の上話を聞かされ、見逃してやる事にしたが、そこへ妻が帰って来て…という展開。

國村隼が絶妙の名演。離れた娘との心の交流を中心とした、親子の情愛がテーマとなっており、最後は思わず泣かされる。金子成人の脚本がよく練られている。

1回目の頃は、妻ともギクシャクしていたのが、回が進むごとに会話やコミュニケーションが増えて、次第に夫婦の絆を取り戻して行くプロセスが丁寧に描かれる。また、29歳にもなってまだ結婚相手が見つからない娘の真紀も、今回の國村と娘との心の触れ合いを目にして、次第に自分自身を見つめ直して行く。

これはまた、一つの家族の、再構築のドラマでもあるようだ(東京スカイツリーが、建設途中だというのも、テーマと被らせているのかも知れない)。今後の展開が楽しみである。

 
笑ったのが、第4回の直也のセリフ。「そりゃ、刑事(デカ)としてあぶない事や、刑事としてはみだす事もあったよ」。
柴田恭兵の当たり役刑事ドラマのタイトルに引っかけてますね。ただお話の方はこの回はイマイチだったが…。

 
“笑い、涙、下町人情”
というテーマは、「男はつらいよ」に代表される、山田洋次の世界とも繋がっているし、また“半完成のテレビ塔(スカイツリー)が見える下町”という舞台は、これまた下町人情ドラマの秀作「ALWAYS 三丁目の夕日」を思わせる。

脚本は、「金曜日の妻たちへ」等の名作で知られる鎌田敏夫をメインに、金子成人、樫田正剛が参加。そして演出は「キサラギ」で名を上げた佐藤祐市。なるほど、1つの屋根の下だけで展開する物語は、「キサラギ」で得意とする所である。

中高年以上の方には特にお奨めだが、若い人が観ても十分面白い。本年出色の秀作ドラマである。

それにしても、こんな優れたドラマを、BSだけで放映するのはもったいない。是非地上波での再放送をお願いしたい。

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2010年11月23日 (火)

「ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ 」

Nowhereboy2009年・英/配給:ギャガ
原題:Nowhere Boy
監督:サム・テイラー=ウッド
脚本:マット・グリーンハルシュ

若き日のジョン・レノンと彼の2人の母親の交流を描いた青春ドラマの佳作。監督は、イギリスの現代アートを代表する新進女性アーティストで、本作が長編映画デビュー作となるサム・テイラー=ウッド。

 
着眼点がいい。これまで作られたミュージシャンの伝記映画は、ほとんどが、苦労・紆余曲折の末に成功を収め、有名になるまでか、あるいは晩年の姿を描いたものが大半である(代表的なものとしては、「グレン・ミラー物語」、「愛情物語」、新しい所では「レイ Ray」、「五線譜のラブレター」等がある)。

Nowhereboy1_2 
本作は、ジョン・レノンの少年時代、―特に、一般的にはあまり知られていない、2人の母との確執に焦点を絞っている点がユニークである。物語の最後も、アマチュアバンド、クォーリー・メンを結成し、成功の糸口となった西ドイツ・ハンブルグに向かう所で終わっている(ビートルズとして有名になるのはそれから数年経ってからである)。

従って、本作はミュージシャン伝記映画と言うよりは、一人の悩める若者が音楽と出会い、愛を求めて彷徨い、かけがえのない友人(ポール、ジョージたち)と出会い、やがて自分の生きる道を手さぐりでつかんで行く、青春映画の色合いが強い。そこが新鮮である。

そして何より、人生とは、自分を導いてくれる、大切な人の存在がとても大きい事を、丁寧に、きちんと描いている点がいい。

ジョンは、小さい時、父と別れ、母とは引き裂かれて厳格な伯母の元に預けられ、グレて悪さばかりしていた。…そのままだったら不良少年となって最悪の人生を送っていたかも知れない。

そんなある日、近くに実の母が住んでいる事を知ったジョンは、伯母に隠れて母に会いに行く。
母は奔放で、気ままに生きているが、そのおかげでジョンは母からバンジョーの弾き方を教えてもらい、音楽の楽しさと可能性を知る。

厳格な伯母との暮らしと、母のいない寂しさで、鬱屈した思いを抱いていた時期に、音楽と出会ったからこそ、それはジョンにとって自分を救う道であったのだろう。単に、母親と何不自由ない暮らしをしていたら、母にバンジョーを教えて貰っても音楽にのめり込む事はなかったかも知れない。そうであったら、ビートルズは誕生しなかったかも知れない。無論、それプラス、エルヴィス・プレスリーの衝撃的な登場、という要因もあったにせよ。

もう一人、音楽活動の過程での、ポール・マッカートニーとの出会いも大きい。ポールとのコラボが相乗効果となり、ジョンの音楽性を飛躍的に高めた事もまぎれもない事実である。
運命とは、出会いとは不思議なものである。無論、ポールにとってもジョンとの出会いは大きかった事も間違いはない。

ビートルズ・ファンとして楽しいのは、ポールに「それはバンジョーのコードだ」と指摘されてジョンがクサッたり、クォーリー・メンのメンバーに、楽器を買えず洗濯板を楽器代用でかき鳴らしていた者がいた、等の(ファンなら知っているが)トリヴィアなネタが描かれている点である。左利きのポールがガットギターの弦を上下逆さに張って左利き用ギターとして使うシーンも芸が細かい。無論すべて事実である。

ラストがいい。ハンブルグに旅立つ直前、ミミ伯母さんの家に立ち寄り、身分証に身元保証人のサインを貰うのだが、「親の欄、それとも保護者?」と尋ねる伯母さんに、ジョンは少し照れながら「両方だよ」と答えるシーンは感動的である。ここは泣けた。

人間にとって大切なのは、奔放だろうと、厳しかろうと、深い愛情をこめて見守ってくれる人がいるという事。そしてそれらの愛を、しっかりと受け止め、心の糧にする事こそ大切なのだ、という事である。ジョンの作った歌に、すべての人への“愛”をこめた作品が多いのもそれで理解出来る。エンディングに流れるジョン作曲の“MOTHER(母)”も、改めて聴くと、深い思いが込められている事が分かる。

監督のサム・テイラー=ウッドは美術家出身で、故・アンソニー・ミンゲラ監督に才能を見出され、映画監督の道を歩む事になったという(エンドロールには、ミンゲラ監督への献辞がある)。…ここでも、“導いてくれる人との出会い”があり、作品のテーマと二重写しになっているようで感慨深いものがある。

ジョンに扮するアーロン・ジョンソンや、ポールに扮するトーマス・ブローディ・サングスターがあまり本人と似てないのはご愛嬌だが、アーロンは、観ているうちに気のせいか、だんだんジョンに雰囲気が似て来たように見えた。さすがである。

題名は、ジョンの作ったビートルズのヒット曲「ノーウェア・マン」から採っている(同曲の日本語タイトルも「ひとりぼっちのあいつ」である)。が、冒頭、素行不良で教師から「お前はどこにも行き場のない奴(ノーウェア・マン)だ」と言われるシーンがあり、これが本当に教師からそう言われたのか、それともビートルズ・ナンバー「ノーウェア・マン」からタイトルを頂いた故の創作なのかは定かでない。前者だとしたら、このエピソードは「ノーウェア・マン」という曲の誕生秘話とも言え、興味深い。今度じっくり聴いてみよう。

ともあれ、これはビートルズ・ファンなら必見の作品であり、またファンならずとも、瑞々しい青春映画の佳作としてお奨めしたい力作である。    (採点=★★★★

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(付記)

レノンの伝記映画としては、レノンが肉声で生い立ちを語るナレーションを挿入し、その生涯を追ったドキュメンタリー「イマジン -ジョン・レノン-」(アンドリュー・ソルト監督・ワーナー配給)がある。ミミ伯母さんの事、母の交通事故死についても簡単ではあるが、本人の口から語られている。ジョン・レノンの伝記としては最も丁寧に作られており、本作に感動した方、ジョンに興味を持った方にはお奨めである。

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2010年11月14日 (日)

「ナイト&デイ」

Knightandday2010年・米/20世紀フォックス
原題:Knight and Day
監督:ジェームズ・マンゴールド
製作総指揮:ジョー・ロス、アーロン・ミルチャン、E・ベネット・ウォルシュ
脚本:パトリック・オニール

久しぶりで、少し間が開いてしまった。

なにかと公私共に忙しくて、書き込む時間が取れない。この作品も鑑賞してかなり時間が経っている。細部はもう忘れかけている。

そんなわけで、今回はぐっと簡単に。

「バニラ・スカイ」でコンビを組んだトム・クルーズとキャメロン・ディアスが再び共演するスパイ・アクション・コメディ。監督は昨年「3時10分、決断のとき」という傑作西部劇を発表し脂の乗ってるジェームズ・マンゴールド。

 
前作でも、いろんな秀作西部劇のエッセンスを巧みに網羅して映画ファンを喜ばせたマンゴールド監督、本作も、アメリカ映画の伝統的パターン、スクリューボール・コメディの要素が随所に組み込まれている。

スクリューボール・コメディとは、「常識外れで風変わりな男女が喧嘩をしながら恋に落ちるというストーリーの作品。スクリューボールとは野球における変化球の一種のひねり球で、転じて奇人・変人の意味を持つ」(wikipediaより)。

つまり、偶然出会った男と女が、最初は意見が合わず喧嘩ばかりしながらも、結局一緒に旅(あるいは冒険)を続ける事となり、最後は恋に落ちてハッピーエンド…となるパターンで、有名なのはフランク・キャプラ監督の「ある夜の出来事」(1934)である。

本作品はさらに、ヒッチコック作品でお馴染みの、“巻き込まれ型サスペンス”の要素もブレンドされている。
平凡な人間がある日突然、事件に巻き込まれてしまい、訳も分からず逃げているうちに、やがて反撃に回って真犯人を追っかける(時には異性と恋に落ちたりする場合も)パターンで、ヒッチコックの代表的作品にはこのパターンが多い。

その典型的傑作が「北北西に進路を取れ」(1959)である。実はこの作品には前述の、スクリューボール・コメディの要素も巧みに取り入れられており、そのおかげでヒッチ作品中でも、サスペンスでありながら、ロマンチックで楽しい作品に仕上がっている。

さて、そう考えながら観てみると、本作はこの「北北西に進路を取れ」がかなり下敷となっている事が見えて来る。

(以下はネタバレです。「北北西-」をご覧になっている方のみ反転してください)
“男女のうち、一方は平凡な人間(A)、他方はスパイ機関の人間(B)で、Aがひょんな事からスパイ事件に巻き込まれ、Bと行動を共にしながら逃げるが、やがてAは危地に陥ったBを助ける為に果敢な行動を開始する”…これが「北北西に進路を取れ」のストーリーである。よく似ているのが分かるだろう。但し男女の立場は逆転しているが。

「北北西-」では、男のケーリー・グラントが普通のサラリーマンで、女のエバ・マリー・セイント(ヒッチの大好きな金髪美女)が謎のスパイ、という展開で、やはり時代というか、最後には男がヒーローとなって女を救いに行く、男性優位のパターンであった。

本作では逆に、女の方が次第に逞しく成長して行き、トムを救う、という展開で、女性が強くなった時代を反映していると言えよう。

ちなみに、キャメロン・ディアスも金髪である。これも、ヒッチコックを下敷にしている、というサインなのかも知れない。

そんなわけで、これはロマンチックなスクリューボール・コメディの伝統を今に蘇えらせた作品、として楽しむのが妥当だろう。

なお、粋でダンディなスパイの男が、美女とチームを組んで組織と対決する、という展開では、007ジェームズ・ボンド・シリーズ(特に初期の「ロシアより愛をこめて」「ゴールドフィンガー」辺り)を思い出すと、余計楽しい。特に、二人でバイクに跨り、美女が向かいに座って拳銃を撃つ、というアクションはボンド・シリーズ「007/トゥモロー・ネバー・ダイ」から拝借していると思えるだけに。

ちなみに、「ロシアより愛をこめて」のヒロイン(ボンドガールと呼ばれる)、ダニエラ・ビアンキ、「ゴールドフィンガー」のヒロイン、オナー・ブラックマンは、共に金髪であった事を知っておくと、また楽しい。  (採点=★★★★

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