「武士の家計簿」
2010年・日本/配給:アスミック・エース、松竹
監督:森田芳光
原作:磯田道史
脚本:柏田道夫
古文書「金沢藩士猪山家文書」の中に残されていた家計簿を分析し、幕末の武士の暮らしを読み解いた磯田道史による教養書「武士の家計簿 『加賀藩御算用者』の幕末維新」を元に、武士の生活ぶりを丁寧に描いた心温まる秀作。監督は時代劇が「椿三十郎」以来2作目となる森田芳光。
この所、時代劇が立て続けに作られているが、本作はそんな中で、“チャンバラ”アクションが全く登場しない風変わりな異色作。原作が小説ではなく、学術書である点も異色だが、下級武士の、(おおよそ剣の道とは無縁の)家計・財政・教育に主眼を置いた日常生活描写だけで全編が構成されている点もまた異色である。着眼点がいい。
主人公・猪山直之(堺雅人)は、代々御算用者(ごさんようもの・会計処理の専門家)として加賀藩に仕えて来た猪山家の八代目。だが、一家の借金が膨らみ、家計が破綻寸前であることを知るや否や、強力なリーダーシップを発揮、家財道具を売り払い、質素な倹約生活を実行することになる。
いかにも森田流の、ユーモラスでトボけた味の展開が楽しい。直之の母(松坂慶子)が愛着のある着物を手放したくないと駄々をこねたり、息子の着袴の祝いに親戚一同を招いた時、祝い膳にのせる塩焼き用の鯛が買えず“絵鯛”で代用したり…。全員が鯛の絵を持って廊下を歩くシーンが笑える。新妻の駒(仲間由紀恵)が、ポジティブな性格で明るく振舞えば、おばばさま(草笛光子)はどんな時も泰然と構えて、それぞれが、ともすれば暗くなりがちな一家、だけでなく物語全体の光明になっている。
また直之は、息子の成之に、そろばんや論語などを厳しく教え込む。それが、今だけでなく、将来にわたって猪山家を守って行く道と確信しているからだろう。
この、凛とした直之の生き方には心打たれる。
さまざまなエピソードが、ことごとく、閉塞感漂う現代の日本社会に対する教訓や示唆に富んでいて、考えさせてくれる。
役人の不正に、それを正す事の困難さ、子供の教育、本筋である財政再建…、そして何より、反撥や抵抗があろうとも、信念を持って突き進むトップの強力なリーダーシップの必要性、これに尽きるだろう。ぶれない信念とリーダーシップがあれば、“痛みを伴う改革”でも家族(国民)は甘受してくれるのである。
直之を演じた堺雅人がいつもながら見事な存在感を示す。軽いようでいて、実は揺るがぬ信念で家族を守る直之を演じられるのは、今の時代、彼しか思いつかない。その妻を演じた仲間由紀恵も、当初の猪山家の実情に対するとまどいと、やがて夫にどこまでもついて行こうと心に決める芯の強さとを絶妙のバランスで表現。「…と言ったら、どうなさいます?」というセリフの反復が楽しい。
その他、母の松坂慶子、父の中村雅俊、おばばさまの草笛光子も、それぞれに的確でユーモラスな助演ぶりが光る。
脚本(柏田道夫)も見事。あの学術書から、こんな心温まる素敵な物語を紡ぎ出した力技に脱帽。あまり名前を聞いた事のない人だが、小説家と舞台劇作家としてはベテランの部類だという。今後の活躍も期待したい。
そして何より、森田芳光の演出である。ここ数年は「海猫」や「サウスバウンド」、「椿三十郎」等、今ひとつな出来の作品が続いて我々ファンを落胆させていたが、本作では全く久しぶりに、見事な演出ぶりを見せている。森田の最高作と言えば「家族ゲーム」(1983)だが、本作はそれに次ぐ力作である。奇しくも、どちらも“家族”に関するドラマであるのが興味深い。そして「家族ゲーム」と言えば映画史に残る、“横一列の食事風景”が忘れられないが、なんと、本作のチラシにも、横一列の家族の食事シーンが登場している(下)。これは偶然か、意図しての事か。
いずれにせよ、森田監督の久々の本領発揮に、胸が熱くなった。これからも、この調子を落さず、日本映画に活を入れて欲しいとエールをおくっておこう。 (採点=★★★★☆)
(さて、お楽しみはココからだ)
“武士の日常生活”という本作のテーマを聞いて思い出すのが、黒澤明監督の傑作「七人の侍」が誕生するまでのエピソードにまつわる話である。
脚本家・橋本忍氏の著書「複眼の映像-私と黒澤明」には、その経緯が詳しく書かれている。
黒澤明は、「生きる」(1952)の次回作として、「侍の一日」を描こうとした。―朝、侍が起き、支度をして登城し、城の勤めをし、些細な失敗で夕刻、切腹するまでの話である。テーマは、侍の日常生活を、徹底したリアリズムで描こうとするもので、橋本忍が膨大な文献を読み漁って武士の日常生活を調べた。
だが、侍がどんな日常を送っていたかの資料はほとんどなく、中でも、当時の侍は、弁当を家から持参していたのか否かという点が問題になった。シナリオでは、弁当を持参するという設定で書かれたのだが、東宝文芸部員を総動員して調べた結果、徳川時代前期には、まだ1日2食で、弁当を持参する習慣はなかったらしい事が判明する。橋本忍は苦渋の末に、このシナリオを没にする事を決断する。“リアリズムを主眼にした以上、ウソは書けない”という信念に基づくものである。さすがは我が国最高峰の名脚本家・橋本忍ならではである。
橋本忍は黒澤に語る。「日本の歴史は事件の歴史です。…しかし、人間が飯を食うとか、風呂に入るとか、そんな生活に関することには、正確な歴史は一行も触れていない」 「我が国には事件の歴史はある。しかし、生活の歴史はないんです!」
こうして、「侍の一日」の企画は闇に葬られる。…しかしその侍に関する文献収集の苦労が、後の「七人の侍」創作に生かされる事となる。
本作では、朝、妻たちが夫に弁当を渡すシーンが何度か登場し、昼に弁当をパクつくシーンもある。江戸時代末期という事もあり、また「金沢藩士猪山家文書」のような古文書も発見されたりで、「侍の一日」が企画された57年前よりは、“生活の歴史”に関する資料はかなり揃うようになって来ているのではないか。
そういう意味でも、“武士の日常生活”を描いた本作の登場は意義深い。橋本忍氏が本作を観たなら、どう思うだろうか。
奇しくも、本作のエグゼクティブ・プロデューサー、原正人氏は、黒澤監督の「乱」、黒澤明の遺稿「雨あがる」(小泉堯史監督)をプロデュースした人でもある。森田も「椿三十郎」のリメイクを手掛けており、本作と黒澤明作品とは、いろんな点で繋がっているようである。
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コメント
森田芳光監督、前作「わたし出すわ」が演出の個性だけの映画で、何が言いたいのか「はあ?」みたいな映画でしたので、突如このようなしっかりした正統派な映画が出てきて、当方困惑しております。
まあ、良かったですね。
そういえば「家族ゲーム」って、助監督は金子修介氏ではなかったでしょうか。「ばかもの」良いですよ!
投稿: タニプロ | 2010年12月13日 (月) 17:57
こんにちは
淡々と描かれているようで、じつは現代社会に対する強烈なメッセージを感じました。
面子とか見栄のために無駄な金を使うより、生きたお金を使うこと。私も経理マンとして全く同感であります。
「森田監督の久々の本領発揮に、胸が熱くなった。」確かに、私もそう思いますよ。いずれにせよ良い映画でした。
投稿: ケント | 2010年12月13日 (月) 21:04
◆タニプロさん
本作の面白さは、企画の着想の良さと、柏田道夫の脚本力に負う所が大だと思います。原正人プロデューサーからオファーがあり、引き受けたという事で、自分の企画・脚本でなかった事が良かったのかも(笑)。
「ばかもの」大いに期待しております。
しかしタイトルがねぇ。別の題名に変えた方が良かったかも。客の入りに響きそうな気がします。
◆ケントさん、ようこそ
>現代社会に対する強烈なメッセージを感じました。
まさにその通りですね。無駄な道路やハコモノいっぱい作って、気が付けば膨大な借金抱えてしまった今の日本の縮図そのものですね。
しかし猪山家と違って、今の日本は売る骨董品もない(笑)。
投稿: Kei(管理人) | 2010年12月17日 (金) 01:01
Kei様
ご無沙汰しておりましたが、面白い映画を沢山ご覧になっておいででしょうか
「自主映画制作工房Stud!o Yunfat 映評のページ」の管理人しんです。
約一年前に当ブログで企画しました「ブロガーによる00年代映画ベストテン」にご協力いただきありがとうございました。
その「ブロガーによる00年代映画ベストテン」が、このたび講談社のセオリームックシリーズ「映画のセオリー」という本で取り上げられました。
大きな扱いではなく色々な映画ランキングに混じって私たちのランキングが紹介されているだけではありますが、それでもこうして世に出ることができましたのも、ご協力頂いたKei様をはじめとしたブロガーの皆さんのおかげと感謝しております。
件の本につきましては当ブログに紹介記事を書きましたので、そちらを参照してください。
年末年始という我ら映画ファンには個人ベスト選出であれやこれやと悩ましくも楽しい時期を迎えようとしております。Kei様のベスト、楽しみにしています。またよろしくお願いします。
投稿: しん | 2010年12月17日 (金) 21:53
◆しんさん
連絡ありがとうございます。
私も参加させていただきましたベストテンが、天下の“講談社”の本に掲載されるなんて、とっても光栄な事ですね。我が事のように喜びました。おめでとうございます。
ベストテンの季節ですね。
大阪では、12月に入ってから、恐らくは我がベストテンに入りそうな作品がドッと公開されてます。
「ヘヴンズ・ストーリー」「ノルウェイの森」「最後の忠臣蔵」「ばかもの」「モンガに散る」「シチリア!シチリア!」「トロン・レガシー」「キック・アス」「白いリボン」
仕事が忙しくて、観るのに一苦労しそうです。「ヘヴンズ-」なんて、観る時間が取れるかな(もっと早く公開して欲しかったなぁ。トホホ)。
てなわけで、悩ましい年末になりそうです。来年もよろしくお願いいたします。
投稿: Kei(管理人) | 2010年12月19日 (日) 21:35
まだ映画は見ていないのですが、どうしても気になって…。
写真①祝い膳を真上から見た図では、絵鯛が左向き(焼き魚は普通左向きですョね)
それが
写真②家族全員が一列に並んで膳についいている時は、絵鯛が右向きなのは
何か…映画ストーリー上、特別な理由があるのでしょうか?
例えば、絵鯛を膳の上から見えない方へパラリとめくると、絵鯛の一辺が皿にくっ付いてて写真②のように膳の向こう側に垂れ下がる…を家族全員パラパラパラとやってみるとか。
あぁ…でも答えは、明日直接映画館で見て来ます!
投稿: の・ | 2010年12月21日 (火) 07:48
◆の・ さん
細かい所によく気がつきましたね。
はっきりとは覚えていませんが、多分1枚の紙の裏表に、絵鯛が書かれていたのではと思います。左右に裏返すと、向きが逆になるようにです。廊下を全員で行進する時、右から左へ、また戻って左から右へ…、どちらも進む方向に絵鯛の頭が向いていた記憶があります。
写真②は、お膳の上に寝かせて置いていた絵を立てた状態で、家族たちから見れば左向き、しかし観客から見れば右向きになるわけです。
映画館で是非確認してみてくださいね。
投稿: Kei(管理人) | 2010年12月22日 (水) 00:27
見て来ました~!
絵鯛は山折りされた紙に、前面(頭が左)と裏面(頭が右)に描かれていました。嫁ぐ前、加賀友禅の手伝いをしていた母(仲間由紀恵)の手によるものですが…袴着の前の晩、笑顔で母(仲間)が絵鯛を描き・笑顔で父(境雅人)が絵鯛の紙を折って糊で貼るとかの演出があれば良かったな
出演者が好きな役者さんばかりで、特に嶋田久作と小木茂光が悪役じゃなかったのが嬉しい。
* 営業担当に【江守徹】ってあったのが気になりました。見間違いかもしれないけれど。
投稿: の・ | 2010年12月22日 (水) 20:49