「キック・アス」
2010年・米=英/配給:カルチュア・パブリッシャーズ
原題:Kick-Ass
監督:マシュー・ボーン
脚本:マシュー・ボーン、ジェーン・ゴールドマン
原作:マーク・ミラー、ジョン・S・ロミタ・Jr.
マーク・ミラー原作の同名コミックを、「スターダスト」のマシュー・ボーン監督が映画化したアクション・コメディの快作。
アメコミ・ヒローものはこれまで無数に作られて来たが、いずれもスーパー・パワーを持っているか、強力な武器(又はスーツ)を持っており、それらを利用して悪と闘う…。カッコいいし、勧善懲悪、というパターン通りで多くのアメコミ・ファンの支持を得て来た。
だが、それらはコミックの世界における、荒唐無稽とでも言うべきフィクションであって、現実世界では、我々はスーパー・パワーを持たないし、巨額の費用がかかる武器やパワード・スーツを用意する事も出来ない。
現実世界では、ヒーローにあこがれ、ヒーローになりたいと思っても、実現は不可能なのだ。
この物語の主人公であるディヴ(アーロン・ジョンソン)は、ヒーロー・オタクで、ヒーローになりたいと思い続け、とうとう自分でヒーローになろうとする。
だがスーパー・パワーも金もないディヴが用意出来るのは、通販で買った(!)ヒーローのコスチュームだけである。
当然ながら、コスチュームをまとっただけではパワーは得られない。街に出て悪(といってもチンピラ程度だが)に立ち向かうものの、ボコボコにされ、車にはねられ、散々な目に会う。
夢と現実とはまったく違うものである。夢を見続けたディヴは、夢を実現しようとして、手痛いしっぺ返しをくらってしまうのである。
これは、ディブが抱く疑問「誰もがスーパーヒーローを好きなのに、なぜ、誰もスーパーヒーローになりたがらないのか」に対する、残酷な回答である。
普通の人間は、空想と現実とは異なるものだと知っているからである。映画を見たり、コミックを読んでいる間は空想世界に浸り切っているが、終われば人は元の現実世界に戻って行くのである。
“虚”と“実”は表裏一体なれど、境界は越えられない。
コメディに見えて、この映画はかなり哲学的なテーマを持っているのである。
だが、それでもディヴはあきらめない。再びコスチューム姿で街に出たディヴは、曲がりなりにもチンピラと戦い、その姿がユーチューブにアップされて、少しづつヒーローの世界に近付いて行く。
ここで登場するのが、ビッグ・ダディ(ニコラス・ケイジ)とヒット・ガール(クロエ・グレース・モレッツ)である。
元警官で、悪の総元締めであるフランコによって罠に嵌められた過去があるビッグ・ダディは、11歳の娘ミンディを幼い時から徹底して、殺人マシンとして育て上げる。
ご丁寧に、本人はバットマンのコスチュームを身に付け、娘には相棒のロビンによく似たコスチュームを着させている。…尤も、パープルヘアーにスカートと、少女らしさを取入れてはいるが。
この展開が、本作のユニークな所である。実は、この映画自体が“虚”の、空想の世界である事に観客はやっと気付く。
ディヴのキャラクターは、我々と同じ現実世界に近い存在であったはずである。そして当初は現実世界の中だけで活動していたのが、やがていつの間にか不思議の国のアリスよろしく、空想との境界に入り込んでしまうのである。
ヒット・ガールの活躍ぶりは、11歳の少女とは思えない、あり得ないムチャクチャさで、荒唐無稽と言っていい。
この世界で、自身はまだ何の能力もパワーも身に着けてはいないけれど、ディヴはヒーローとは何か、ヒーローになる為には、どれだけの血の滲む努力をしなければいけないかを学んで行き、男として成長して行くのである。
ラストでヒット・ガールは、父の仇を取るべく、「キル・ビル」のブライドよろしく敵のアジトに殴り込んで行く。
この戦いのシークェンスは、ジョン・ウーの香港ノワールから西部劇に至るまで、いろんなアクション映画のエッセンスが詰め込まれている。ここらも見どころである。
そして、ヒット・ガールがピンチになった時、ディヴは颯爽と現れ、ガトリング砲で敵をなぎ倒して行く。
戦い終わり、傷ついたヒット・ガールを抱え、ディヴはまさにヒーローとして(スーパーマンのように空を飛んで)去って行くのである。
これは、ヒーローにあこがれ、ヒーローを夢見た男が、さまざまな試行錯誤や苦闘の末に、現実の壁を乗り越え、本物のヒーローに成長して行く物語なのである。
三池崇史監督の「ゼブラーマン」とも、テーマは共通している。見比べるのも面白いだろう。
ヒット・ガールに扮したクロエ・グレース・モレッツが最高にキュートでカッコいい。女で、子供という、本来は二重に庇護されるべき、か弱い存在が大の男をバッタバッタなぎ倒すから、余計カッコいい。ディブに扮するアーロン・ジョンソンは「ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ」でジョン・レノンを演じた人。見事な変わりようである。アメコミ大好きのニコラス・ケイジも楽しそうにビッグ・ダディを演じている。その他悪役もみんな役に嵌ってお見事。
スカッとするアクション映画の快作であるが、ヒーロー論映画としても考えさせられる問題作である。お奨め。 (採点=★★★★☆)
(さて、お楽しみはココからだ)
ヒット・ガールの敵陣殴り込みシーンで、クリント・イーストウッド主演「夕陽のガンマン」のテーマ曲が流れる。
そこから思い起こせば、この殴り込みシークェンスには、イーストウッド映画、並びにさまざまな西部劇からの引用が見て取れる。
例えば、少女が危地に陥った時、颯爽とヒーローが助けに駆けつける、というパターンでは、イーストウッド監督・主演の「アウトロー」がある。少女を演じたのはソンドラ・ロック。
イーストウッドの極めつけ「ダーティ・ハリー」の3作目では、チビだけど負けん気の強い女性刑事(タイン・デイリー)を助け、そしてラストでは、犯人に向かって、バズーカ砲をぶっ放すのである。
ディヴが後から駆けつける時に乱射するガトリング・ガンも古い兵器で、西部劇でよく使われるものである。特にマカロニ・ウエスタンに多い。
少女を助ける西部劇と言えば、近々コーエン兄弟がリメイクする「トゥルー・グリット」のオリジナル、「勇気ある追跡」では、御大ジョン・ウェインが少女キム・ダービーを助けて活躍する。
ジョン・ウェインつながりでは、ジョン・フォードの西部劇の傑作「捜索者」では、9歳の時に誘拐された娘をウェインが執念で追いかける。そしてこれは山田宏一さんの指摘だが、ラストでウェインは数年ぶりにやっと見つけた少女を抱き上げ「家へ帰ろう」というのだが、このセリフ、ディブが最後にヒット・ガールを抱いて帰る時につぶやくセリフと同じなのである。
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