「英国王のスピーチ」
2010年・英・オーストラリア/配給:ギャガ
原題:The King's Speech
監督・脚本:トム・フーパー
脚本:デビッド・サイドラー
製作:イアン・キャニング、エミール・シャーマン
製作総指揮:ジェフリー・ラッシュ、ティム・スミス、ポール・ブレット、マーク・フォリーニョ、ハーヴェイ・ワインスタイン、ボブ・ワインスタイン
現イギリス女王エリザベス2世の父ジョージ6世にまつわる感動のエピソードを、コリン・ファース主演で映画化した歴史ドラマ。監督は英テレビ・ドラマ演出家で、2005年にはヘレン・ミレン主演の「エリザベス1世 ~愛と陰謀の王宮~」でエミー賞ミニシリーズ作品賞等、数々の受賞歴がある39歳の俊英トム・フーパー。第83回米アカデミー賞で作品、監督、脚本、主演男優賞を受賞した。
英国王ジョージ5世の次男ヨーク公(コリン・ファース)は、幼い頃から吃音というコンプレックスを抱え、人前に出ることを極端に恐れる内向的な性格となり、成人してからも自分を否定し続ける人生を送っていた。吃音を克服すべく、何人もの言語聴覚士の治療を受けるものの一向に改善の兆しは見られない。そんな夫を心配する妻エリザベス(ヘレナ・ボナム・カーター)が最後に頼ったのはスピーチ矯正の専門家というオーストラリア人のライオネル・ローグ(ジェフリー・ラッシュ)。彼は王子に対しても遠慮のない物言いで次々と風変わりな治療法を実践していく。そんな中、国王に即位した兄エドワード8世が、王室が認めない女性との愛を貫き、突如王位を返上してしまい、結局彼はジョージ6世として王位を継承せざるを得なくなるのだが…。
実話をベースにした、イギリス王室の歴史ドラマ、というふれ込みから、少々硬い作品と思われがちだが、なかなかどうして、よく観れば、娯楽映画の基本パターンもきちんと押さえた、見事なエンタティンメントの快作に仕上がっている。
この、娯楽映画の基本パターンという点について、もう少し詳しく説明すると、
この映画のストーリー展開には、過去のいろんな典型的、秀作娯楽映画との類似性が至る所に見られるからである。
一例を挙げると、例えば周防正行監督「シコ、ふんじゃった。」、あるいは矢口史靖監督「ウォーターボーイズ」などがその代表作である。
これらの作品のストーリー展開をかいつまんで述べると、
①主人公がひょんな事から、あるいは行きがかりや好奇心から、特定のプロジェクトに参加する。
②だが、本人の技術不足や経験不足から、最初の挑戦は大失敗し、主人公は落ち込む。
③だが、やがてリベンジを誓い、周囲の励ましに支えられたり、よき仲間と出会い、猛特訓を繰り返す。そのプロセスで、主人公は人間的にも成長して行く。
④そしてクライマックスの大舞台で、見事大成功(大勝利)を収め、ハッピーエンド。
…こうしたパターンの作品は、他にも李相日監督「フラガール」、あるいは大林宣彦「青春デンデケデケデケ」、最近の例では昨年のラデュ・ミヘイレアニュ監督「オーケストラ!」等々、枚挙に暇がない。いずれも、上記①~④のパターンは着実に押さえられており、それぞれに楽しく、感動的な秀作ばかりである。
(この点は過去の「フラガール」評、「オーケストラ!」評で解説済)
で、本作に戻ると、まず冒頭、大英帝国博覧会において、主人公は国王の代理でスピーチをするハメになるのだが、生来の吃音が災いし、大失態をやらかす。
ここは上記の②のパターン通りである。
やがて、妻のエリザベスの励ましがあったり、言語療法士ライオネルと出会い、猛特訓を繰り返す辺りも③のパターンそのままである。
ジョージとライオネルとの間に、友情にも似た強い絆が生まれてくる辺りも、前記の作品との共通性がある。
そして最後のクライマックス、国民に向けたラジオ放送、ここで主人公ジョージ6世はヒットラーと戦う決意を述べた一世一代の名演説を披露し、多くの人を感動させる。ここはまさに④のパターン通りである。
いかがだろうか。本作が娯楽映画の王道パターンをきちんと踏まえている事が分かるだろう(国王になる道を描いているから、これが本当の王道だ(笑))。
実はその前に、戴冠式の宣誓を無難にこなしており、そこで終わってもいいのだが、“ヒットラーとの対決姿勢”をクライマックスにもって来る辺りがうまいのである。これは、吃音を克服しただけでなく、ジョージ6世が、まさに人間的成長を遂げ、毅然とした自己主張をする事によって、名実共に国民の為の、本当の国王となった事を示しており、それ故に大きな感動を呼ぶのである。
(さて、お楽しみはココからだ)
このラストシーンで思い出すのが、チャップリンの代表作「独裁者」(40)である。
独裁者と瓜二つのユダヤ人のチャップリンが、マイクの前でドイツ国民に演説するのだが、最初はオズオズ、訥々と話し始める。
だが、次第に熱を帯びて、堂々と、人間の自由と尊厳を奪うファシズムを痛烈に非難する素晴らしい演説に至る。
本作でも、ジョージ6世は、最初は訥々と、やがて次第に熱を帯びて、ナチス・ドイツに対する毅然とした声明を発表する。
国民はそれを聞いて惜しみない拍手を寄せるのだが、この流れも「独裁者」とよく似ている。
おそらく、脚本にも参加したトム・フーパー監督の頭には、このチャップリンの名作のラストが浮かんでいたに違いない。
もう一つ、アルフレッド・ヒッチコックの代表作「海外特派員」(40)との類似性もある。
この作品のラストでも、主人公(ジョエル・マクリー)はドイツによるロンドン空襲のさなか、ラジオ局のマイクの前で、ナチス・ドイツに対して国民が立ち上がるよう語りかけるのである。
奇しくも、「独裁者」、「海外特派員」とも同じ年、1940年製作で、共に、ナチス・ドイツがどんどん勢力を伸ばしていた、まさにその戦時下で、痛烈なナチス批判をしている所が凄い。この勇気ある行動そのものが、ジョージ6世の勇気ある演説と底流で繋がっているようにも、私には思えるのである。
ちなみに、チャップリン、ヒッチコック、どちらもイギリス出身である。
ジョージ6世を演じたコリン・ファース、ライオネルを演じたジェフリー・ラッシュ、共に見事な名演である。ファースのアカデミー賞受賞は当然だが、ラッシュも助演賞に値する名演技である。受賞を逃がしたのは惜しい。エリザベス妃を演じたヘレナ・ボナム・カーターも、いつもと違い落ち着いた気品ある演技を見せている。俳優陣がみな素晴らしい。見応えある、そして静かな感動を呼ぶ秀作であるが、そこに私の大好きな、娯楽映画の王道パターンが巧みに網羅されているのだから、もうこれは満点を付けざるを得ない。お奨め。 (採点=★★★★★)
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