「ランウェイ☆ビート」
2011年・日本/配給:松竹
監督:大谷健太郎
原作:原田マハ
脚本:高橋泉
プロデューサー:齋藤寛朗
エグゼクティブプロデューサー:間瀬泰宏
原田マハのケータイ小説を、「とらばいゆ」、「NANA」の大谷健太郎監督が映画化した青春ドラマ。脚本は「ある朝スウプは」で日本映画監督協会新人賞を受賞した新鋭高橋泉。
…と、原作はともかく、若手注目株の高橋泉+大谷健太郎の名前につられて見に行ったのだが、ガックリ。どうしようもない駄作である。
高校2年の塚本芽衣(桜庭ななみ)のクラスに、“ビート”こと溝呂木美糸(瀬戸康史)が転校してくる。天才的なファッションセンスを持つビートを中心に、クラスメイトたちは文化祭のファッションショー成功させるべく奮闘を開始するが、折しも学校は廃校の危機に直面していた…。
作品のパターンとしては、矢口史靖監督の「ウォーターボーイズ」、「スウィングガールズ」、猪股隆一監督「書道ガールズ!! わたしたちの甲子園」等の高校部活もののバリエーションである。いずれも、笑えて泣ける爽快な感動作で、とりわけ「ウォーターボーイズ」は興行的にもスマッシュヒットだっただけに、文化祭の出し物を、より若者向けのファッションショーに置き換えて、何匹目かのドジョウを狙おうという魂胆が感じられる。
それで多少は面白く見れるのならいいのだが、ただいろんなウケる要素をあれもこれもとってつけたように羅列しただけで、お話の整合が全然取れていない。支離滅裂、お粗末極まりないシロモノと言うしかない。
並べてみよう。高校の部活+ファッションショー+引き籠り+イジメ+難病+三角関係+父親との確執+アパレル企業間戦争+学校の廃校問題…
よくまあ思いつくままにぶち込んだものである。しかも、どれも底が浅く、有機的な連携も出来ていないから話が繋がらなくなってる部分さえある。
(以下ネタバレあり)
だいたい、学校の文化祭での催し、という設定だったはずなのに、いつの間にか校外でどこやらの施設を借りて、ものすごく大がかりな規模になってる。準備期間も、いったい何カ月かかってるのやら。その上大手アパレル会社が妨害活動をするに至っては、いつの間に高校文化祭が企業戦争に発展したのかと呆れるばかり。
ビートが転校して来た学校は生徒不足で近々廃校になるという話もヘンだ。それだったら舞台となる町は、過疎化が進む地方都市といった所だろう。
ところが、ビートの父も、ライバル会社も、まるで六本木ヒルズのような高層ビルに事務所を構えているし、同級生でファッションモデルのミキが仕事場とする写真スタジオや雑誌社も、家から車で通える所にあるようだ。ビートの幼馴染だというきらら(水野絵梨奈)が入院している病院だって、かなり設備の整った立派なものである。
これでは、どうみたって学校のある場所は東京のような大都市またはその近くでないとおかしい。後先何も考えずに設定してるとしか思えない。
この他にも、この学校には芽衣のクラス以外に生徒はいないのかとか、勉強そっちのけでファッションにうつつを抜かしてて、先生も親たちも誰も反対しないのかとか(普通の親なら勉強しろと怒るだろう)、校庭をバカでかいファッション会場に改造して、他の野球部やサッカー部は何も言わないのかとか、ツッコミどころを挙げて行けばキリがないくらいだ。
まあどうせ若者向け作品なのだから、多少のザツな所は目をつぶってもいいとは思う。
だが、私がこの作品で許せないと思ったのは、金銭感覚のどうしようもないルーズさである。
いったい、この大規模なファッションショーにかかったお金はどこから出たのだろうか。教室に何台も置かれたミシンとか、何十と並んだマネキンの列はどうやって揃えたのか(この高校は洋裁学校か(笑))。
親たちは散髪屋とかもんじゃ焼き屋とか、ごく庶民的で金など持ってなさそうだし、ビートの父は金出す雰囲気ではないし。そもそも資金集めに苦労するエピソードがまったくないのはあまりに不自然。
「ウォーターボーイズ」は、費用と言えば海パンだけだし、「スウィングガールズ」や、これも部活青春ものの傑作「青春デンデケデケデケ」では、どちらも楽器を買う為に生徒たちがアルバイトして資金を稼ぐくだりがきちんと描かれている。
細部のリアリティを手抜きしては、感動など得られるはずもない。当り前の事である。
他にも、ビートが父からカードを渡され、学生服屋でカードが使えない為、仕方なく祖父の作った詰め襟服を着ていたのが、数日後にはいつの間にかブレザーの制服を着ている。どうやってこれを買ったのか。ここにも金銭感覚の無頓着さが出ている。それなら中途半端に詰め襟を着ているシーンなど出さない方がいい。
何かを得ようとすれば、必ず代償が伴う。派手な事をしようとすれば、派手になるほど代償が膨らむ。金がかかるなら、働いて代償を得なければならないし、その分勉強する時間が犠牲になる。それをカバーする為には、寝る時間や、遊ぶ時間も犠牲にしなければならない。
未成年の若者たちにはなおの事、その大事さをきちんと伝えなければならない。それが大人の役目である。素敵な青春映画には、そうした事がきちんと描かれているはずである。
前述の「青春デンデケデケデケ」では、アルバイトするシーンは無論の事、上達するまでの猛特訓の積み重ねとか、祭りが終わった後の空虚感とか、大学受験勉強とかのシーンも丁寧に描かれている。それらもあって、この作品は青春映画の傑作となった。
その他の前記高校部活ものにしても、いずれも、目標に向けて、ひたむきに努力し、練習・訓練を積み重ね、汗を流す、その事の大切さがきちんと描かれている。
本作には、そうした視点が、ほぼ皆無である。汗を流し、努力する事もなく、人がデザインした服を着て見栄を張るだけ。それをカッコいいと若者に感じさせてしまうのは困った事である。細部の手抜きや、人物描写の薄っぺらさなどの難点も、これに比べたら大した問題ではない。
こんな映画の製作に、松竹やTBSや新聞社等の大手会社が係っている点も問題である。「最後の忠臣蔵」で有望株として注目された桜庭ななみも、本作では全く精彩を欠いている。大谷や髙橋泉なども含め、日本映画の将来を担う人材を潰すつもりなのだろうか。
昔なら、辣腕プロデューサーがいて、脚本に欠陥部分があれば徹底的に直させたものである。そんな人材も今はいない。このままでは、日本映画の将来が不安になって来る。
興行的にはベタコケのようだが、こんなものは見せない方が正解である。本年度のワースト候補に挙げたい、困った作品である。 (採点=×)
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