「ブラック・スワン」
2010年・米/配給:フォックス・サーチライト・ピクチャーズ
原題:Black Swan
監督:ダーレン・アロノフスキー
原案:アンドレス・ハインツ
脚本:マーク・ヘイマン、アンドレス・ハインツ、ジョン・マクローリン
製作:マイク・メダボイ、アーノルド・W・メッサー、ブライアン・オリバー、スコット・フランクリン
「レスラー」で名を上げたダーレン・アロノフスキー監督による、バレエ界を題材とした心理スリラー。主演のナタリー・ポートマンが、第83回米アカデミー賞の主演女優賞を獲得した。
ニューヨークのバレエ団に所属するニナ(ナタリー・ポートマン)は、元バレリーナの母(バーバラ・ハーシー)が成し遂げられなかった夢を果たすべく、厳しいレッスンを積み重ねていた。そんなニナに「白鳥の湖」のプリマを演じるチャンスが巡ってくるが、新人ダンサーのリリー(ミラ・クニス)が現れ、ニナのライバルとなる。役を争いながらも友情を育む2人だったが、やがてニナは自らの心の闇にのみ込まれていく…。
母親の期待を背負い、プリマに抜擢してくれた舞台監督トーマス(ヴァンサン・カッセル)の厳しい指導、さらに主役を奪われかねないライバルの猛追…と、ニナはさまざまなプレッシャーにさいなまれる。
加えて、トーマスはニナに、白鳥を演じるには十分だが、黒鳥(ブラック・スワン)を演じ切るには官能的表現が足りないと言う。
いくら努力し、練習を積み重ねても、黒鳥になりきれないニナ。彼女はいつしか、精神に異常をきたし始める。
この、白(善人)だけでは駄目だ、黒(ダークサイド)も演じられないと完璧とは言えない、という葛藤は、いろんな過去の作品を連想する事が出来る。
例えば、手塚治虫原作マンガ「鉄腕アトム/電光人間の巻」では、悪役・スカンクが「アトムは完全ではない。なぜなら悪い心を持たないからだ」と言う。善の心も、悪の心も、両方の心を兼ね備えているのが完璧な人間なのだという事である。
手塚治虫は以後も、“人間の心に潜む善と悪という相反する二つの心”というテーマの作品を「バンパイヤ」、「MW-ムウ」と描き続けて行く。
クリストファー・ノーラン監督の「ダークナイト」でも、ホワイト・ナイトだったハービー・デントがジョーカーにそそのかされ、善悪二面をそのまま顔半分づつに持ったトゥー・フェイスに変身する。
「スター・ウォーズ/シスの復讐」では、最初は正義の戦士であったアナキンは、パルパティーン卿にそそのかされ、恋人アミダラを救いたいが為にダークサイドに落ちてしまう。ここでも、“善の心だけでは足りない、悪の心も兼ね備えてこそ完全だ”という手塚作品のテーマに似たファクターが垣間見える。…そのアミダラ役を演じたのが、本作のヒロイン、ナタリー・ポートマンだったというのも奇しき因縁である。
閑話休題(ここからネタバレ注意。一部隠しています)
ニナは黒鳥になり切ろうとさまざまなチャレンジを行う。そのプロセスで、それまでの無垢な心を持った、表の自分とは別の、悪意を持ったもう一人の自分が顕在化して来る。
これを的確に映像として表現する手段として、鏡が効果的に使われている。手前の実像とは別に、鏡の中の虚像が別の動きを始める。
これは映像効果としては、リナが次第に精神に異常をきたしている事を観客に伝える伏線にもなっているのがうまい。
そして、リリーが自分のプリマ役を奪うのではないかと妄想したニナが、リリーの体を突き飛ばした先にも鏡がある。
この場面における出来事(殺人)は、後にすべて妄想である事がラストで明らかになるのだが、鏡の中は、錯乱したリナにとっては虚像(妄想)である、との前述の伏線が巧妙に生かされている。
ここで鏡が割れる、という事は、ニナの心が完全に壊れた事も意味している。
さらに、鏡に映る姿は、もう一人の(悪意を持った)自分である故、ニナが刺した相手は、実は鏡の中のもう一人の自分なのである。
だから、クライマックスのバレエで、白鳥(善の心)から、黒鳥(邪悪な心)に変身し、完璧な演技を終えた時、鏡の中にいたもう一人の自分の姿も実体化し、リナは刺した相手が実は自分自身であった事を知るのである。
映画という表現手段が面白いのは、そこに描かれているのが、実体なのか、主人公の心の中の幻想なのかが観客には区別がつかない点である。文章なら、主観的内面表現と、客観的表現との微妙な違いが読者の判断材料にもなる場合があるだけに。
ズルいと言えばズルいのだが。
本作は、この特性を最大限に生かし、巧妙に観客を幻惑し、めくるめく妖しい世界にリードし、魅了し続けるのである。
そうした演出テクニックもうまいが、やはり圧巻なのはナタリー・ポートマンの、まさに、ほとんど主人公ニナと一体化したかのような鬼気迫る演技、並びにバレエである。幼少の頃にバレエを習っていたとは言え、バレエ・シーンの演技は本物のバレリーナが踊ってるかのようである。アカデミー主演女優賞も納得だ。
ダーレン・アロノフスキー監督、「レスラー」にも感動したが、今作ではさらに映像テクニックと、人間心理の内面を鋭く抉る奥行きの深さ、それぞれにおいて卓抜な演出力を見せ、堂々たる一流監督の仲間入りを果たしたと言える。次回作がさらに楽しみだ。
なお、ニナの母親役を演じたバーバラ・ハーシー。懐かしい名前である。ニューシネマの佳作「去年の夏」(1969)、マーティン・スコセッシ監督の出世作「明日に処刑を…」(1972)という2本の作品に主演し、鮮烈な印象を残した青春スターだった。残念ながらそれから以後は作品にも恵まれず、すっかり忘れられた存在だった。本作は彼女にとっても久しぶりの復活作と言えるのではないか。「レスラー」のミッキー・ロークと言い、アロノフスキー監督は忘れられた過去のスターの再生が得意のようである。 (採点=★★★★☆)
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