「大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇」
2011年・日本/配給:ギャガ
監督:本田隆一
原作・脚本:前田司郎
劇団「五反田団」の人気劇作家、前田司郎の同名小説を、原作者自身の脚本により映画化。監督は「GSワンダーランド」の本田隆一。
同棲生活4年目にして、ようやく結婚したものの、はや倦怠感漂う大木信義(竹之内豊)と咲(水川あさみ)の新婚生活。そんなある日、近所のスーパーで出会った怪しい占い師(樹木希林)に勧められ、1泊2日の温泉付き“地獄ツアー”へ出かけることに。だが2人は、旅先で次々と不思議な出来事や奇妙な人々に遭遇し……。
前田司郎という名前は知らなかったのだが、調べると、2008年、戯曲「生きてるものはいないのか」で第52回岸田國士戯曲賞受賞、2009年、小説「夏の水の半魚人」で三島由紀夫賞受賞…と、なかなかの経歴。「生きてるものはいないのか」の書評では、“とぼけた「死に方」が追究されまくる脱力系不条理劇”とあり、本作もまた、なんともトボけた脱力コメディである。あまり期待しないで観に行けば、結構楽しめるウエルメイドな拾いものの佳作である。
主演の信義・咲夫婦に、コメディアンでもお笑い芸人でもない竹之内豊と水川あさみをキャスティングしているのがまず面白い。コメディアンが、オーバーな演技をして笑わせるばかりがコメディではない、と常日頃思っている私には、これはうまくツボに嵌った。
冒頭から、新居を構えたばかりなのに、荷物は解かない、料理を作るのも面倒くさい、炊飯ジャーはどこへ行ったか行方不明、となんとなくのんびり、まったり、ユルユル感が漂う。
こういう夫婦だから、「地獄旅行?なんとなく面白そう」と、普通ならアホか、と思える案内にもホイホイ乗ってしまういいかげんさもつい納得してしまう。
以後、全編こうしたトボけた、ユルユル、脱力感が充満したまま、のんびりしたテンポで地獄めぐり旅行が進んで行く。
(以下ネタバレあり)
どうやって地獄に行くのかというと、これがスーパーの屋上に何故か置いてある、汚らしいバスタブの水の中に飛び込むだけ(笑)。
本来は死んだ人間しか行けないはずの地獄に、生きた人間が一泊旅行で簡単に行けてしまうのもヘンだ。しかもツアー客も結構多くて賑わっている。
そして、地獄の風景や登場する人間(?)も、やっぱりヘンである。
我々がイメージとして持っている地獄(例えば、閻魔大王とか血の池地獄など)とはどこか違うのだが、考えれば誰も“地獄”の風景を見た人間などいないのだから、誰がどのように想像しようと、描写しようと、まったく自由である。
この作品で描かれる地獄は、原作者の前田司郎が、自由に、奔放にイメージを膨らませた、原作者の脳内イメージと言っていい。ハマるか、ノレないかは観客の自由である。私は結構ハマった。この独特のユルユル感がなんとも心地よい。
無論、既存の地獄イメージも、多少は反映されている。赤い顔、青い顔の地獄の住人は、赤鬼、青鬼のイメージだろうし、ビーフシチュー温泉は、色合いからしても血の池地獄を思い浮かべる事ができる。でっかい“ツノ切り”なる道具が置いてある事からして、赤い住人も青い住人も本来ツノは生えていたのだろう。
笑えるのが、赤い顔のでんでんが何人も出てきて追いかけられるくだり。「冷たい熱帯魚」を観ている人には、捕まったら透明にさせられるのでは(笑)と、思い出して笑えるやらコワいやら。頭髪の薄い、同じ顔をしたでんでんが集団で押し寄せるこのシーン、ジョン・マルコビッチが何人も登場する「マルコビッチの穴」を思い起こさせる。
地獄の甘エビ料理が出て来る夕食シーンもおかしい。ホテルの世話係、イイジマ(荒川良々)が真面目な顔をして、ゴム管を叩きつけるシーンのおかしさは抱腹絶倒。ユルいけれどもダサくはない、不思議なコメディ・センスが、ハマれば実に楽しい。
しかしこの作品、単なるナンセンス・コメディに留まってはいない。後半、青い顔のケイコ(橋本愛)に案内されて向かったナイトマーケットでの、ケイコの2人の弟たちも加わっての夜店めぐりシーンには、不思議な懐かしさが溢れている。
それらは、今では都会ではほとんど見られなくなった、秋祭りの縁日や露店、夜市の光景にそっくりである。思えば、昔の秋祭りにはいかがわしい見世物小屋が立てられたりしていたものだが、それらはどことなく地獄めぐりに近い妖しさがあったようにも思える。
いつしか、弟の一人と仲良くなった信義は、まるで親子のように楽しそうにジャレ合い、心を通わせる。赤い人の小屋に忍び寄り、追いかけられたりのささやかな冒険もあったりする。
ユルユル感漂う作品のムードも、実は人とのつながりも、心の触れ合いも薄れた、この今の時代に対する痛烈なアイロニーが込められているのかも知れない。だとしたら、意外とあなどれない作品だと言える。
妻を追いかけて地獄にやって来たイイジマも、寂しそうな顔を見せるケイコたち兄弟も、この現世では居場所を失い、心の拠り所を求めて地獄にやって来た、心寂しき人たちの象徴なのだろう。
生きているとは何なのか、夫婦とはどうあるべきなのか…、さまざまな事を考えさせられ、最後はほっこりとした爽やかな気分に包まれる、これは不思議な魅力を持った小品佳作である。 (採点=★★★★)
(で、お楽しみはココからである)
うっかり見逃しそうだが、ナイトマーケットのある店先に飾られていた写真に、故・丹波哲郎の顔があった。
丹波哲郎と言えば、「大霊界 ― 死んだらどうなる」などの映画製作で、霊界の案内人として知られており、これは監督も意識して登場させたのだろう。
その丹波哲郎と地獄とは、もう一つ繋がりがある。石井輝男監督の、そのものズバリ、「地獄」(1999)という映画の中で、丹波哲郎は、同じ石井輝男作品「亡八武士道」で演じた凄腕の浪人、明日死能役として再登場し、赤鬼・青鬼たちをバッタバッタ斬り殺して大暴れするのである。
低予算で、地獄のセットもチープだったが、石井監督らしい熱気に溢れた、ちょっと楽しい地獄映画であった。本作と併せて観ると、より楽しめるだろう。
もう一つおマケ。同じ石井輝男監督の代表作で、超ナンセンス・コメディの快作に「直撃地獄拳・大逆転」(1974)という作品がある。題名に“地獄”が付いてるだけでなく、この作品にも丹波哲郎が重要な役で出演しており、最後は美味しい役どころで場面をかっさらって行く。何かと丹波哲郎は、地獄に縁があるようだ。
DVD 石井輝男監督「地獄」
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