「奇跡」 (2011)
小学6年生の航一(前田航基)と小学4年生の龍之介(前田旺志郎)は仲の良い兄弟。しかし両親が離婚してしまい、それぞれの親に引き取られた2人は鹿児島と福岡で離ればなれに暮らしていた。ある日、九州新幹線の一番列車がすれ違う瞬間を目撃すれば願いが叶うという噂を耳にした航一は、家族4人が再び一緒に暮らせる事を願い、仲間たちを誘って冒険の旅に出発するが…。
主演の小学生二人は、実の兄弟の漫才コンビだという。バラエティやお笑い番組をほとんど見ない私は、そんな事は全然知らなかったのだが、結構達者な演技を披露している。明るく振舞いながらも、内心では家族一緒の生活を願い、心を痛めている長男航一。無邪気で、屈託のない笑顔を見せる龍之介。彼らから自然な演技を引き出した是枝監督の演出が光る。
噴煙を上げる桜島の風景をうまく配置したロケ効果もいい。
(以下ネタバレあり)
彼らの冒険旅行は、子供の知恵の限界か、行き当たりばったり。朝早く新幹線のすれ違いを見る為には一泊が必要だが、泊まる所も決めていないし、夜、子供たちだけで歩いていたら、パトロールのお巡りさんに咎められ、交番で油を絞られ、親が迎えに来てこっぴどく叱られたあげくに、奇跡を見る事も出来なくなるのがオチである。
地図で見当をつけた現地に着いて見れば、線路は高架ばかりで場所探しにウロウロしたあげく、案の定一人はパトロール警官に捕まってしまう。
これで冒険旅行も終わりか、と思われた時、龍之介のクラスメートの恵美(内田伽羅)が、たまたま目にした老女を、自分のおばあちゃんと偽って窮地を切り抜ける。そのうえ彼らは、子供好きと思われる老夫婦の家に泊めてもらう事となる。
これで、宿泊と、警官との遭遇という2つの難問を同時にクリア。おまけに翌朝には、老夫婦の車で見晴らしのいい場所まで送ってもらえる事となる。なんとまあ幸運なこと。これこそが“奇跡”である。
目的の、一番列車がすれ違う瞬間は、子供たちが一生懸命、願いを叫びはするが、映像的にはごくあっさりしている。感動を盛り上げるような、あざとい演出もないが、それによって、この物語は“奇跡が実現するファンタジー”ではなく、子供たちの自然な日常生活を描いた、セミドキュメンタルな作品である事が強調されるのである。
子供たちだけの、ささやかな冒険旅行、という点では、スティーヴン・キング原作の傑作映画「スタンド・バイ・ミー」(ロブ・ライナー監督)を思わせる。ちなみに、どちらの作品も“列車”が重要なキー・アイテムになっている。
この映画が素敵なのは、子供たちが冒険旅行を通じて、人との触れ合い、大人たちの善意、思いやる心、というものに出会い、それらの大切さを学び、ちょっぴり成長した事が爽やかに描かれている点である。
そうした、さまざまな、貴重な体験を経て、やがて彼らは大人になって行くのである。
航一は、家族一緒に暮らせるより世界平和を取った、なんてキザな事を言っているが、これは航一が老夫婦の善意に触れて、奇跡とは、他力本願で与えられるものではなく、自分たちで行動し、努力して掴み取るものである事、を学んだ証しでもあるのだろう。
老夫婦だけでなく、航一たちの冒険の成功は、優しい祖父(橋爪功)や、学校の先生(長澤まさみ)等の助力にも支えられていた事も重要だ。
子供たちを守り、育てるのは、そうした周囲の大人たちの、さまざまな援助の手、優しく見守る目、こそが大切なのである。
是枝作品「誰も知らない」で描かれる悲劇は、そうした大人たちが近くにいれば、確実に防げたはずなのである。
言わばこの作品は、「誰も知らない」の悲劇を防ぐ、一つの答え、であるのかも知れない。
是枝監督作品らしい、子供たちに注ぐ優しい視線が心を揺さぶる、多くの大人にこそ観て欲しい、これは素敵な秀作である。 (採点=★★★★☆)
(お楽しみ、とまでは行かないちょっとした補足)
この作品のクライマックスとなる、九州新幹線の開業日は、今年の3月12日であった。――という事はその前日、航一たちが冒険の旅に出発した、丁度そのころ、あの東日本大震災が起きていた事になる。
航一は、桜島の大噴火を願い、画用紙に噴火の絵を描いている。一番列車のすれ違いシーンでは、その絵の桜島大噴火がアニメで動くシーンもある。
火山の噴火と東日本大震災、という2つのキーワードから思い浮かぶのは、“原発事故と富士山の大噴火”が登場する、黒澤明監督の「夢」(1990)である。
そのエピソードが登場するのは、第6話「赤富士」であるが、まさか黒澤が危惧(と言うか予言)した事が、本当に起ってしまうとは。まさに天才は預言者でもある、という言葉通りである。
実は、「夢」の当初のシナリオでは、最終話(第9話)のエピソードは、『素晴らしい夢(平和がくる)』と題され、世界中の人々が一堂に会し、アナウンサーが「世界に平和が来た」と叫んでいる、という話であった。
結局は、予算がかかり過ぎるので、このエピソードは割愛されたという。(出典:『黒澤明研究会誌 N0.11』)
本作で航一は、「家族一緒に暮らせるより世界平和を取った」、と言っているのだが、この言葉は、黒澤作品「夢」の実現しなかった、上記の幻の最終話ともリンクしているように思える。
是枝監督がそれ(黒澤作品「夢」に関する件)を知っていたかどうかは分からないが、原発の大事故、火山の大噴火、そして世界平和への言及…と、ここまで共通のキーアイテムが重なるのは、人知の及ばぬ不思議な力が働いていたとしか思えない。これこそ、“奇跡”である。
ちなみに、航一が桜島の噴火で降って来る火山灰に悩まされるエピソードからは、黒澤作品と放射能の脅威、という共通テーマで思い浮かぶ「生きものの記録」に登場する、原爆実験で降って来る“死の灰”を想起してしまうのも、これまた奇妙な因縁ではある。
DVD 是枝裕和監督「誰も知らない」
DVD 黒澤明監督 「夢」
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