「アジョシ」
2010年・韓国/配給: 東映TRY△NGLE
原題:아저씨
(英題: The Man from Nowhere)
監督:イ・ジョンボム
脚本:イ・ジョンボム
武術監督:パク・ジョンリュル
2010年に公開されるや、観客動員数630万人突破という大ヒットを記録し、韓国アカデミー賞〈大鐘賞〉8部門にノミネートされ、主演のウォンビンに主演男優賞をもたらした話題作。脚本・監督は「熱血男児」(2006年)に次いでこれが2作目となる新進、イ・ジョンボム。主演は「母なる証明」で高い評価を得たウォンビンと、「冬の小鳥」で絶賛された子役キム・セロン。なお日本での配給は、24年ぶりに洋画の配給を再開した東映。
過去のある事件をきっかけに、世間を避けるように、古ぼけたビルで質屋を営み、孤独に暮らしていたテシク(ウォンビン)。隣家の少女ソミ(キム・セロン)は母親が仕事で忙しく、テシクを「アジョシ(おじさん)」と呼び、たった1人の友だちとして慕っていた。そんなある日、ソミの母親が組織の麻薬を横取りした為に、ソミと母親が組織に拉致される。テシクはソミを守り抜くと決意し、一人で組織に乗り込んで行く…。
(以下ネタバレあり)
ウォンビンが凄い。前作「母なる証明」では、内気で無垢なように見えながらも、心に闇を抱く複雑な人間像を完璧に演じた彼が、ここでは一転してジェイソン・ボーンを思わせる、強靭な肉体を持った元特殊工作員を見事に演じている。同じ俳優とは思えないくらいだ。さすがである。
物語の前半では、テシクは髪を長く垂らして、片方の眼がほとんど隠れて見えない風貌であるのだが、これが、この男が暗い過去を持ち、心に傷を負ったが故に他人に心を閉ざし、ひっそりと生きて来た事の暗喩にもなっている。
一方、そんな彼の元を頻繁に訪れる隣家の少女ソミも、一見明るく振舞ってはいるが、彼女もどこか心に闇を抱いている。父親は居らず、母からは疎まれ、他に心を許せる人間がいないが故に、無愛想で普通の人から見れば取っつきにくいテシクにもなつく訳である。
この前半の、二人の交流を丹念に描いている為、いつしかソミはテシクを父親のように慕い、テシクも、ソミを娘のように可愛がる心の変遷が、観客にも無理なく理解出来るのである。
事実、ソミは窃盗で捕まった時、通りかかったテシクを、父親だと名指しする。
だが、他人に決して心を見せないテシクは、無視して通り過ぎる。…これは警官に調べられて過去を詮索されるのを避けたいという思いもあるのだろうが。
その後、誰もいない所でテシクはソミに謝るのだが、そこでソミがテシクにかける言葉が泣ける。「もしおじさんが悪い人でも嫌いにならない。おじさんまで嫌いになったら、私の好きな人がいなくなっちゃう」
こうした心をうつ名シーン、名セリフがあるからこそ、拉致されたソミを、テシクが命がけで救おうとする行動にも説得力が生れるのである。見事な脚本である。
その後、テシクにはかつて、身重だった最愛の妻を、敵との闘いの中で失ったという過去がある事が判明する。
この事実で、テシクが心を閉ざしていた訳と、ソミを娘のように思う、その2つの理由が同時に明らかになるのである。実にうまい脚本である。
妻のお腹の中にいたのは、多分娘だろう。自分の任務のせいで、妻ばかりか、娘も失ってしまった。生きていればソミのような女の子に育っただろう。
それ故、ソミを守る事は、自らの失った過去を取り戻す闘いでもあるのである。
もう二度と、愛する人を失いたくはない…その思いが彼を戦いの場に駆り立てて行く。
髪を短く刈り、武器の準備を整え、敵陣に乗り込んで行くクライマックス・シークェンスは、まるでかつての東映任侠映画の殴り込みを思い起こさせるほどにカッコいい。これぞ正統アクション映画の真髄である。
配給が、洋画配給としてはまったく久しぶりの東映になったのは、まことに不思議な縁である。
敵の用心棒であるベトナム人ラム・ロワン(タナヨン・ウォンタラクン)のキャラクターがまたいい。悪の側についてはいるが、どこかに優しい心を持っている。組織がソミの母を捕らえ暴行する場面では、ソミの目をそっとふさぐ気配りも見せる。
任侠映画で言えば、高倉健と敵対する、池部良のような役回りであろうか。あるいは、最後にテシクと死闘を繰り広げた末に倒される姿は、「座頭市物語」(第1作)における、敵の用心棒で死闘の末に最後に市に斬られる平手造酒(天地茂)を思わせる。
ネタバレになるので書かないが、ラストも泣ける。ハードなアクション映画でありながら、感動し、泣ける映画は珍しい。
韓国からは、一昨年の「チェイサー」(ナ・ホンジン監督)、昨年の「息も出来ない」(ヤン・イクチュン監督)と、毎年新人監督によるハード・バイオレンス映画の傑作が誕生しているが、本作もまぎれもなくその系列に入れる事が出来るだろう。イ・ジョンボム監督、今後も目が離せない。
残酷なシーンもいくつかあるので、それを覚悟の上で観る必要があるが、それでも映画ファンなら観ておくべき、本年屈指の傑作である。お奨め。 (採点=★★★★★)
(さて、お楽しみはココからだ)
この映画には、過去のいくつかの傑作映画のエッセンスも巧みに盛り込まれている。
ストーリーの骨子は、リュック・ベッソン監督の名作「レオン」(1994)が下敷きになっていると思われる。これは多分映画ファンならすぐに思いつくだろう。
が、もう1本、「タクシー・ドライバー」(1976)の要素も入っていると思われる。この作品も、少女(ジョディ・フォスター)を救う為に、男が銃で武装して殴り込むシーンが見せ場である。
それだけでなく、テシクが殴り込む前に髪を切っているシーン。鏡の前で、上半身裸で準備を整えるカットが、「タクシー・ドライバー」で、トラヴィスが鏡の前で銃の練習をするシーン(右)によく似ているのである。
それにしても、前者で少女を演じたナタリー・ポートマン、後者で少女を演じたジョディ・フォスター、どちらも今やハリウッドを代表する大女優に成長した。
本作のキム・セロンも天才少女と言われているが、前記二人にあやかって大女優に成長して欲しいものである。
それからもう1本、子供を臓器売買目的で拉致しているシーンが出てくるが、これは我が国の阪本順治監督の秀作「闇の子供たち」(2008)にインスパイアされている可能性がある。あの映画の舞台はタイだったが、韓国でも同じ問題を抱えているのだろうか。
…と思っていたら、公式ページを覗くと、ラム・ロワンを演じたタイ人俳優、タナヨン・ウォンタラクンは、その「闇の子供たち」に出演していたそうである。
この映画を見たイ・ジョンボム監督が、彼の目が気に入り、すぐに「アジョシ」のオファーをしたのだそうだ。
それから判断すると、イ・ジョンボム監督が本作に子供の臓器売買テーマを盛り込んだのは、その「闇の子供たち」に触発された可能性が大である。
阪本順治監督と言えば、韓国人ヤクザが登場するバイオレンス・ヤクザ映画「新・仁義なき戦い。」(2000・これも東映製作・配給)も手掛けている。
イ・ジョンボム監督、案外阪本順治監督のファンなのかも知れない。
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コメント
ジェイソン・ボーンを彷彿とさせるような、只者ではない身のこなし。
そこからはもう、ウォンビンに釘付けになりましたね。
鍛え抜かれた肉体に高いスキル。
かつての韓流四天王の一人で、それまでは、ピュアな雰囲気が魅力的なウォンビンだったが、この映画「アジョシ」では、男臭い魅力を前面に出していて、そのギャップがまたいいんですね。
隣の少女と言うだけで、どうしてここまで身体を張るのか?
一つには、お互いの”孤独な魂”が共鳴したんでしょうね。
ウォンビンが演じるテシクは、訳あって、人付き合いを避けて、ひっそりと暮らしている。
一方、隣の少女のソミの母親は、だらしなく、まともな育児をしていない。
ソミが慕うのは、隣のおじさん(=アジョシ)のテシクだけ。
ソミ本人から、「知らん顔されても、おじさんを嫌いにならない。好きな人がいなくなるから」と言われたら、孤独な叫びが、胸に響くというものでしょう。
だんだん、テシクの過去が判明していくのですが、彼は軍の特殊作戦部隊の要員で、そのために、妊娠中の妻が殺されてしまったんですね。
もし、その時の子が生きていればと、ソミと重ね合わせて見る事もあっただろうし、妻子に対する贖罪の気持ちもあったのだろう。
そして、2度とあの喪失の苦しみを味わいたくないとも思ったのだろう。
それらの理由から、テシクは、ソミを守らなくてはと心に決めるのだった---------。
たった一人で、大勢を相手にし、爆発するかのごとく相手を倒していく。
敵のマンシク兄弟は、いやらしさたっぷりの悪い奴らで、テシクがやっつける事でカタルシスを感じるようになっている。
ベトナム人の殺し屋ラム(タナヨン・ウォンタラクン)は、テシクと同じような目でソミを見つめ、テシクに多少、共感する所があったような表情でしたね。
印象深い存在で、この二人には、日本の任侠映画に通じる男気を感じましたね。
ラスト、テシクとソミが抱き合うシーンは、なかなか感動的です。
「今度は助けに来てくれたんだよね」と愛を確認するソミ。
父親の様に大きな愛で包むテシク。
贖罪からもやっと解き放たれて、優しい笑顔を見せるんですね。
ウォンビンは立ち姿もスラッとして美しいし、アクションが、すごくシャープでとにかくカッコ良いですね。
目だけで哀愁、優しさ、精悍さを表現しているのも、また素晴らしかったですね。
投稿: オーウェン | 2023年12月22日 (金) 14:13