「神様のカルテ」
2011年・日本/配給: 東宝
監督: 深川栄洋
原作: 夏川草介
脚本: 後藤法子
音楽: 松谷卓
テーマ曲: 辻井伸行
製作: 市川南、小林昭夫、大西豊、藤島ジュリーK.、石田耕二、町田智子
現役医師の作家・夏川草介によるベストセラーで、2010年本屋大賞第2位にも選出された同名小説を映画化。監督は「60歳のラブレター」、「半分の月がのぼる空」、「白夜行」の俊英・深川栄洋。
栗原一止(櫻井翔)は、信州・松本市の総合病院、本庄病院で勤続5年になる若い内科医。この病院は24時間・365日対応医療を看板にしている為、患者が引きも切らず訪れ、一止は看護士たちと力を合わせながらも連日激務に追われていた。そんな一止にとって、同じアパートに住むちょっと変わった仲間たち、そして最愛の妻・榛名(宮崎あおい)の存在が、疲れた心を癒し元気を与えてくれる何よりの支えとなっていた。或る日、研修で母校の信濃医大病院を訪れた一止は、教授に気に入られ、医局での勤務を打診される。一止は最新医療が結集した医局に魅力を感じつつも、本庄病院の患者のことが気に掛かり、決断出来ない。研修期間を終え、本庄病院に戻った一止の前に、研修中に診察した末期ガンの患者、安曇雪乃(加賀まりこ)が現れる。
主演がアイドルグループ「嵐」の櫻井翔と聞いたので、また人気アイドルを使った安易な企画かと最初はあまり触手が動かなかった。題材が最近食傷気味の、余命何日の難病ものらしかったので、これも足が向かない要因。まあ久しぶりに加賀まりこのお顔を見たかったので、気が向かないままに鑑賞。
ところが、原作も良かったのだろうが、意外にも感動し泣かされた。やはり映画は観てみないと分からない。
主人公のキャラクターが面白い。夏目漱石を愛読し、そのせいか会話が文語体で、本人によるナレーションもどこか淡々、昔のNHKテレビ小説のような味わいがある。女性看護士が親しく話しかけて来る度、「私は妻ある身ゆえそのような誘いは…」と返すのがなんともおかしい。
住んでいる借家が、玄関ガラス戸に“御嶽旅館”と書かれてある元は古い旅館で、住人もどこか浮世離れしていて、写真家の妻・榛名も若いのに、どんな時にも泰然と構え、一止を優しく包んでくれる。礼儀正しく朴訥な会話も含め、まるで昭和の古い日本映画(とりわけ、小津安二郎作品)を観ているようである。
このムードがなんとも心地よい。そしてこの、優しさと人間くささに満ち溢れた登場人物たちのムードが、映画の最後で強調される、”病気を治すだけが医療ではない、心のケアこそが大切なのだ”というテーマにも繋がって行くのである。
(以下、ネタバレあり注意)
後半は、医大病院から誘われ、一止は出世を取るか、小さな病院で患者と向き合うかの決断を迫られる。だが、医大病院で余命半年と知らされ、「あとは好きなことをして過ごして下さい」と見放された末期ガン患者・安曇さんが、一止を訪ねて本庄病院までやって来た事から、物語は大きく転換する。
現代医療では、延命治療は出来ても、安曇さんの命を救う事は出来ない。「好きな事をして過ごしてください」という医大病院の言葉も間違ってはいない。だが、そう言われても絶望の淵にある患者は何をしてよいか分からず、ただ嘆き悲しむ日々を送るしかない。
一止は安曇さんの残された日々を、心を込めて向き合って行く事にする。亡くなった夫が好きだったというカステラを榛名に買って来させ、食べさせたり、安曇さんの誕生日には、医大のセミナーをキャンセルしてまで付き合ってあげ、屋上から信州の美しい風景を見せてあげる。…これらは、医療行為を逸脱しているのは無論である。だが、残された日々を、充実した心で過ごさせてあげる事も、死に行く人を看取る医者にとっては重要な仕事ではないだろうか。むしろ、人との繋がりが薄れた現代だからこそ、なお心のケアはもっと重視されるべき要素ではないか。…作者はそう訴えたいのだろう。
安曇さんが安らかな気持ちで夫の元に旅立った後、一止に宛てた安曇さんの手紙を読むシーンでは泣けた。タイトルの意味もここで明らかになる。
そして一止は上司の貫田医師(柄本明)に、医局への誘いを断り、この病院に残る事を告げる。ある程度予想は出来たが、爽やかで気持ちいい幕切れである。
実は、古ダヌキと仇名される貫田自身も、かつては信濃医大の医局にいたのだが、そこを捨てて本庄病院にやって来た変り種である。
貫田は一止を、「まるでオレの若い時にそっくりだ」と言うのだが、ならば、出世よりも地方医療を選んだ貫田と同じ道を一止が辿るのも、ある意味当然であったのかも知れない。残念そうに貫田は言うが、実は予想していたのかも知れない。さすが古ダヌキである(笑)。
私はこのラストで、黒澤明監督の秀作「赤ひげ」を思い起こした。あの作品も、最初は出世欲に燃えていた若い医師・保本(加山雄三)が、小石川養生所で赤ひげ(三船敏郎)に鍛えられ、貧しい人々を治療したり、死に行く人々を見送る中で人間的に成長して行き、やがて出世を捨てて、養生所に留まる決意を固めるまでを描いている。
テーマといい、主人公の心の変遷といい、よく似ている。貫田のキャラクターも赤ひげとそっくりである。
医局への誘いを断った一止に、貫田は「後悔するぞ」と言い、「お前はバカだ」と言うセリフもある。
実は「赤ひげ」でも、養生所に留まると言った保本に対し、赤ひげはやはりこの2つのセリフを口にするのである。
「お前は馬鹿だ」というのは原作にもあるが、「後悔するぞ」という言葉は原作にはない。あるいは監督(もしくは脚本家)は、「赤ひげ」が頭にあったのかも知れない。
安曇さんを演じた加賀まりこがとてもいい。かつては小悪魔と呼ばれ、「月曜日のユカ」(中平康監督)などでコケティッシュな魅力をふり撒いていたが、もうこんな気品ある老女を演じる歳になったのか。感無量である。
その他柄本明、信濃医大・高山教授を演じた西岡徳馬、看護士を演じた吉瀬美智子、池脇千鶴、みんなそれぞれいい味を出していて好演。無論宮崎あおいもいい。櫻井翔は、ベテラン陣に圧されて分が悪いが、まあ頑張った方だろう。
そして盲目のピアニスト、辻井伸行さんが作曲したテーマ曲がまたいい。山々が連なる信州の風景といい、音楽といい、死んだ人をおくる「おくりびと」を思い起こした。こちらの方は、“死に行く人をおくる”もう一つの「おくりびと」とも言えるだろう。
と、一応誉めたが、難点もいくつかある。御嶽荘の住人のエピソードがうまく一止の心の成長にからんでいない。特に学士(岡田義徳)のキャラクターが中途半端。桜吹雪で見送る所は感動の場面のはずだが、大学生だと偽ってフラフラ生きているだけのこの人物に感情移入出来ないから、感動が盛り上がらない。原作通りなのだが、もう少し脚本で掘り下げて人物像に深みを持たせるべきである。
榛名さんが、どうやって一止と知り合ったのか、彼の何処に惹かれたのかも知りたい所。いつの間に子供を作ったのかも描かれていない。フラッシュでの回想でもいいから押さえておいて欲しかった。
同じような医療テーマの昨年の「孤高のメス」が出色だったのは、ベテラン加藤正人が推敲に推敲を重ねた見事な脚本の力による所が大きい。やはり映画は脚本次第。本作も、加藤か、奥寺佐渡子クラスの実力派ライターが手掛けていれば、本年を代表する傑作になったかも知れない。そこが残念である。
…とは言え、感動出来るウエルメイドな佳作には仕上がっている。観ておいて損はない。主人公の名前に引っ掛ける訳ではないが、イチ押しである。 (採点=★★★★)
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