「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」
2011年・アメリカ/配給:20世紀フォックス
原題: Rise of the Planet of the Apes
監督: ルパート・ワイアット
脚本: リック・ジャッファ、アマンダ・シルバー
製作: リック・ジャッファ、アマンダ・シルバー、ピーター・チャーニン、ディラン・クラーク
製作総指揮: トーマス・M・ハメル
1968年に公開され、大ヒットとなって、その後続編が4本も作られた人気SF映画の、前章とも言うべき新作。監督は英国出身で、長編はこれが2作目となる新鋭ルパート・ワイアット。
製薬会社の研究所に勤める科学者・ウィル・ロッドマン(ジェームズ・フランコ)は、アルツハイマー病の新薬を開発中に、実験で投与していたチンパンジーの知能が飛躍的に発達していることに気付く。研究成果を発表しようとした矢先、そのチンパンジーが所内で暴れ射殺されてしまう。だがそのチンパンジーは妊娠しており、ウィルは残された赤ん坊チンパンジーを自宅へ連れ帰り、“シーザー”と名付け育てる。3年後、親猿の特殊な遺伝子を受け継いだシーザーは驚くべき知性を有し、すくすくと育っていた。一方、父・チャールズ(ジョン・リスゴー)のアルツハイマー進行に悩むウィルは、研究中止を命ぜられた新薬ALZ112をこっそり家に持ち帰り、父に投与すると、その結果、彼は驚くべき快復を見せる。だが、その新薬には人類の災厄を招く恐るべき副作用が潜んでいた…。
オリジナルの1968年作品は、SF映画史上に残る傑作である。人間と動物との支配関係が逆転した寓話的な設定と、そこから派生するさまざまなアイロニー、文明批判、そして衝撃的な結末。
とりわけ(既に有名であり、DVDのパッケージにもそのラストシーンの絵があるのでネタバレにはならないと思うが)、この惑星が実は地球だった、と言うオチには驚愕した。
実はリアルタイムで観ているのだが、何の予備知識もなく観に行って、あのラストで思わず「ああーっ"」と声を上げそうになった。
本新作のキャッチコピーである“これは人類への警鐘”そのまんまのラストだった。
既に結末が広く知られている現在において、このオリジナルを観る人は不幸である。何も知らないで観る方が確実に楽しめる(も一つ、あのネタバレDVDパッケージは止めて欲しい)。
…さらに言うなら、まだソ連が存在し、核戦争の脅威が根強く潜在しているあの時代(S・キューブリックのポリティカルSF「博士の異常な愛情」が公開されてからまだ4年しか経っていなかった)だからこそ、衝撃は何倍も大きかったわけなのだが。
キューブリックつながりで言うと、同じ1968年に、SF映画史上の大傑作「2001年宇宙の旅」が公開されている。
実は、私は「猿の惑星」を観た直後、同じ日にこの作品を観ている。
猿の映画でショックを受け、茫然自失状態のまま「2001年-」を観て、冒頭にまた猿が出て来たので、まだ続きを観ているのかとうっかり錯覚してしまった(笑)。私の映画歴でも、一生忘れられない日だった。
余談はさておき、本作だが、これもなかなか面白かった。オリジナルには及ばないが、今の時代に作られる意義は充分にある。
(以下、オリジナルも含めてネタバレがあります)
オリジナルを観終わった後、唯一疑問だったのが、“人類が滅びた後、何故猿が知性を得、人間の言葉を喋れるようになったのか”という点であった。
第1作に続くシリーズでは、第3作「新・猿の惑星」で、地球壊滅寸前に脱出したチンパンジー夫婦・コーネリアスとジーラの乗ったロケットがタイムスリップして1973年の地球にたどり着き、その子供・シーザーが第4作「猿の惑星 征服」で猿のリーダーになり、地球を征服する、という展開になる。
確かに、一見、それでシーザーが知性があり、言葉を喋れる理由にはなっているが、よく考えるとこれはおかしい。それだと、コーネリアスたちの祖先は、自分たちだった、という無限ループの自己矛盾に陥る事になる。ニワトリと卵、どっちが先かというのと同じ(笑)である。
本作はその矛盾を解消すべく、猿たちが知性と言葉を得るに至った理由をきちんと描き、同時に人類が滅びた原因についても匂わせる物語になっている。
その理由が、人間の老いと共に広がっている、アルツハイマー症を治す特効薬を開発する為、母猿に新薬を投与し、実験台にした事にある、というのが実に皮肉である。
人類が産み出した、発達したテクノロジーが、却って人類を滅ぼす元凶になった、という物語は、1950年代以降数多く作られた、終末ものSFにその例を見る事が多い。
その多くが、核戦争が起き、放射能が地球上を覆うというパターンで、ロジャー・コーマン監督の「原子怪獣と裸女」(55)など、B級ものが多いが、A級の代表作としては、スタンリー・クレイマー監督の秀作SF「渚にて」(59)がある。
宮崎駿監督のアニメ「未来少年コナン」、「風の谷のナウシカ」もその範疇に入れる事が出来るだろう。
小松左京原作の「復活の日」は、生物兵器開発の過程で作られた猛毒ウィルスが世界に蔓延し、人類が絶滅の危機に曝されるという物語で、これ以降、ウィルスが人類滅亡の原因というパターンが多くなる。
本作は、そのウィルス滅亡ものの要素も含んでいる。
さらに、ジェームズ・キャメロン監督の原案・監督による「ターミネーター」シリーズも、“人類の幸福の為に開発されたはずの人工知能スカイネットが核戦争を引き起こし、さらにスカイネット指揮の機械軍によって、人類は滅亡の危機に瀕する”という物語で、よく考えたら、機械軍(ターミネーター)を猿に置き換えたら、本作とパターン的にはそっくりである。
オリジナルの「猿の惑星」も、人類が滅びた原因は核戦争、という事になっていた。
コンピュータがらみで挙げるなら、1970年の「地球爆破作戦」(ジョセフ・サージェント監督)では、国防ミサイル制御システムとして開発されたスーパー・コンピュータが、自我を得て、人類をコントロールするようになる、という展開で、この萌芽は実はあの「2001年宇宙の旅」にも既に見る事が出来る。
本作はそうした、“人類の幸福の為に開発されたはずのハイテクノロジーによって、人類が滅亡の危機に曝される”という、一連のシニカルSF作品の、言わば集大成的な作品である、とも言えるのである。
本作がよく出来ていると思えるのは、猿のシーザーが、檻に入れられ、人間による差別、虐待に苦しめられ、知性を得たが故に、その理不尽さに怒り、苦悩し、遂には人間に対し反乱を企てるプロセスが丁寧に描かれている点である。
パフォーマンス・キャプチャーにより、その第一人者であるアンディ・サーキスが演じるシーザーは、表情が実に豊かになり、悩んだり、怒ったり、悲しんだりといった感情表現も、人間のそれとほとんど変わらないほどに見事である。
アイデンティティーを持ったが故にシーザーは、自分勝手で、猿を一段低く見る人間を、次第に許せなくなって行くのである。
そして遂にある日シーザーは仲間たちと共に反乱を起し、人間たちの束縛から逃れ、自由の身になる事を決意し、その計画を実行に移す。
そのプロセスは、まるで奴隷や被差別民たちが自由を求めて反乱を起す、歴史ドラマのメタファーのようである。
映画で例を挙げるなら、旧約聖書の、モーゼの「出エジプト記」を題材とした「十戒」(セシル・B・デミル監督)とか、カーク・ダグラス主演「スパルタカス」等の歴史大作がその代表作だろう。
ちなみに、「十戒」の主演が、「猿の惑星」の主演者でもあるチャールトン・ヘストンであり、「スパルタカス」の監督が「2001年-」のスタンリー・キューブリックである、というのも、不思議な因縁である。ちなみに「スパルタカス」には、ジュリアス・シーザーもちょこっと登場している(笑)のも、偶然にしては出来過ぎている。
思えば、「2001年-」も、“猿がある外的要因(モノリス)によって、知性を得る”というエピソードが発端であった。
CGをフル活用した、猿たちと人間たちとの大バトル・シーンも見ものである。この猿たちがすべてCGというのが信じられない。ここはテクノロジーの発達に素直に感動しよう。
ラストは、ウィルと決別し、森に立てこもったシーザーたちの姿で終るが、これは単にサンフランシスコのある地域の猿たちが、人間たちから逃げて自由を得た、というだけに過ぎない。この後、猿たちが地球全土を支配するまでには、まだまだ長い物語が続くものと思われる。続編ではその辺りが描かれるのではないか。期待したい。
思えば、この作品が、東日本大震災の起きた同じ年に公開されたのも、不思議な因縁を感じる。
原子力発電は、人類の幸福の為に開発されたハイテクノロジーの象徴だったはずである。
それが一たび事故を起すや、制御不能となり、災厄となって多くの人間に不幸をもたらしている。
高度な科学技術の発達は、本当に我々に幸福をもたらすのか、逆に牙を剥くモンスターにもなり得るのではないか。
本作も、原発事故も、その事に深く思い至らせ、人間の驕り、傲慢さに対し、警鐘を鳴らしている点ではまさに共通するのではないか。
多少物足りない所はあれど、そうしたいろいろな事を考えさせてくれた点でも、また、さまざまな映画的記憶をも呼び起こしてくれた点でも、これは大いに評価したい作品である。
(採点=★★★★☆)
原作本(ピエール・ブール)
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