「一命」
2011年・日本/配給: 松竹
監督: 三池崇史
原作: 滝口康彦
脚本: 山岸きくみ
エグゼクティブプロデューサー: 中沢敏明、ジェレミー・トーマス
プロデューサー: 坂美佐子、前田茂司
滝口康彦が1958年に発表した時代小説「異聞浪人記」を、三池崇史監督が3Dで映画化。主演は歌舞伎俳優・市川海老蔵。なお同じ原作で'62年にも小林正樹監督により「切腹」のタイトルで映画化されており、本作は2度目の映画化となる。
江戸時代初頭、大名の御家取り潰しが相次ぎ、困窮した浪人たちの間では、裕福な大名屋敷に押しかけて切腹を申し出、なにがしかの金銭、あわよくば仕官も得ようとする「狂言切腹」が流行していた。そんなある日、名門・井伊家の門前に元福島藩浪人・津雲半四郎(市川海老蔵)が現れ、切腹を願い出る。井伊家の家老・斎藤勧解由(役所広司)は数ヶ月前、やはり同じように切腹を願い出てきた若い浪人・千々岩求女(瑛太)の凄惨な最期をを語り、切腹を思いとどまらせようとしたが…。
原作は30ページほどの短編である。'62年の「切腹」はその原作を、名脚本家・橋本忍がいくつかのエピソードを追加して長編シナリオ化し、名匠小林正樹監督が重厚な演出で堂々2時間14分の大作に仕上げ、同年度のキネマ旬報ベストテン3位にランクインされた他、翌年のカンヌ映画祭で審査員特別賞も受賞した、映画史に残る名作である。
私はこれをテレビも含め10数回は観ている。何度観ても圧倒され、ズシンと心に響く。脚本、演出、俳優の演技、撮影(これも名匠・宮島義勇)、音楽(武満徹)、どれをとっても完璧である。映画ファンなら必見である。
本作のプレスでは、「切腹」のリメイクではなく、原作の新たな映画化と謳っている。「十三人の刺客」を成功させた三池崇史監督のこと、さていかなる出来かと期待したのだが…。
(以下ネタバレあり)
なんとまあ、橋本忍の脚本をほとんどなぞっている。井伊家の門前に半四郎が訪れる冒頭、斎藤勘解由の語りに始まり、半四郎の回想を挟んだ全体の構成、最後の大乱闘…と、ほとんど同一脚本と言っても過言ではない。
特に、原作では後ろの方で明らかになる、求女の切腹場面を前に持って来て、しかも原作では詳細が描かれていない、竹光で切腹する残酷なシークェンスを追加したり、これも原作では1行であっさり片付けている半四郎の最期を、怒りに燃えた大乱闘アクションへと展開したり、といった橋本忍がオリジナルで改変し、膨らませた部分がそのまま登場している。
半四郎が井伊家の宝=赤備えの甲冑をぶっ壊す、これも原作にない橋本オリジナルの重要シーンも、若干変えてはいるがちゃんと盛り込まれている…等、これではどう見ても橋本忍脚本のコピーである。
ところが、クレジットのどこにも“橋本忍”の名前はない。これはどうした事か。
脚本クレジットは、“山岸きくみ”一人だけである。これはおかしい。ここまで橋本シナリオをなぞるなら、クレジットは「原脚本:橋本忍、潤色:山岸きくみ」とすべきである。それが偉大なる先人に対する敬意である。
橋本忍の名前を出さないのであれば、原作を橋本シナリオとは違う切り口でアプローチし、橋本忍が改変・追加した部分を極力排除し、独自性を持たせるべきである。
もっともそこまでするには、「座頭市 THE LAST」という昨年度ワーストの駄作を書いた山岸きくみでは力量不足である。あれで彼女の技量が判ったはずなのに、なんでまた懲りもせずこんな大作に起用したのか。他に適任のベテラン脚本家はいるはずなのだが。
さすがにそのまんまでは具合が悪いと思ったか、部分的に橋本脚本と変えてある所もあるが、その変えた部分がどれも面白くない。井伊家と貧乏長屋にそれぞれ対照的な運命の猫を登場させたり、勘解由が食べるサザエと半四郎たちが分けて食べる饅頭といった対比など、あまりに絵に描いたような図式でつまらない。
求女が竹光で切腹するシーンは、橋本+小林「切腹」(以下「切腹」)の方がずっといい。腹に刺さらないのでとうとう体重をかけて竹光にのしかかり、ズブズブと腹に食い込んで鮮血がほとばしる描写は当時としてはショッキングであったし、演出もスピーディで無駄がなかった。本作では時間がかかり過ぎる上に、半分に折れた竹光で刺したのでは衝撃度が弱い。
その後、介錯人の沢潟彦九郎(青木崇高)が、なかなか求女の首を刎ねないので、見かねた勘解由が代わりに介錯するくだりも私には釈然としない。あれでは、勘解由は多少人間的な情を持っている侍、という事になってしまう。
だったら、何故竹光でなく、真剣で切腹させてやらないのか。
あるいは、求女が「しばらくの猶予を、必ず戻って参ります」と懇願した時、何故一応理由を聞いてやらないのか。性格付けが中途半端である。
勘解由が、食い詰め浪人なぞ人間と思っておらず、竹光切腹で苦悶する求女の惨状を平然と見下ろしている冷酷な人間であるからこそ、半四郎の井伊家に対する怒りが観客にもダイレクトに伝わるのである。
またこのシーンでは、あまりの凄惨さに彦九郎の腰が引けているように見えるのもマイナス。これでは彦九郎があまり強いように見えず、終盤における半四郎と彦九郎との対決に緊迫感が生れない事となる。
「切腹」では、彦九郎は苦悶する求女を悠然と見下ろし、激痛のあまり求女が舌を噛み切ったのを見届けてから首を刎ねている。ここは彦九郎を演じた丹波哲郎の名演もあって、この男が凄腕の剣の使い手である事が十分納得出来、後半の半四郎との対決シーンが盛り上がるのである。
「切腹」での、仲代達矢と丹波哲郎の決闘シーンは、まるで黒澤明監督のデビュー作「姿三四郎」のラストの決闘を思わせる、風吹きすさぶ草原で行われ、この作品の見どころとなっている。
ラストの大チャンバラ・シーンも含め、これらのアクション・シーンは結構エンタティンメントしており、暗い内容でありながらも観客を楽しませるサービス精神にも溢れていたのである。本作はその辺も気配りが足りない。
ただ、本作ラストの立ち回りでは、「切腹」と異なり、真剣でなく竹光を使った、というのは新しい発想であり、これはこれでアイデアである。それを評価する人も多い。
だが、私にはこれは物足らなかった。
そもそも、橋本忍脚本で、なぜ最後に半四郎が井伊家の家臣たちを斬りまくったのか(「切腹」では死者3名、重傷者8名が出たと語られる)、その意図をきちんと理解しないと、この物語のポイントを見失う事となる。
本作で半四郎が、井伊家の面目を潰す為、“お主らには真剣を使うのもばからしい”とばかりに竹光で闘った、という考えも分からないではない。
だが、半四郎が(あるいは作者が)訴えたかったのは、同じ侍でありながら、一方(井伊家)は驕り高ぶり、他方(改易浪人)は貧窮の淵にあえぎ、恥を忍んで狂言切腹にまで走らざるを得ない、時代の理不尽さに対する怒りである。
一面では、井伊家は強請りに毅然と対応したまで。恨むのは筋違い、逆恨みとする見方もある。
だが半四郎が立ち向かったのは井伊家だけではなく、その背後にある、権力者が作り上げた「武士道」という見えない呪縛そのものなのである。
半四郎は言う。「侍とて人間である」。武士道にも、「武士の情け」があってしかるべきではないか、と問う。
だが、井伊家は、哀れな求女に情けをかけようとはしなかった。竹光切腹で苦悶する求女を、誰も助けようとしなかった。
自分が頑なに守り続けて来た大義=武士道とは、この程度のものだったのか…その怒り、絶望感が、井伊家の全家臣たちへの憎悪と殺意に向かうのも当然なのである。
井伊家にとっては、理不尽な逆恨みであろう。だが半四郎にとっては上記のような結論から、この行動が理不尽である事も、逆恨みである事も十分認識した上で事を起したわけなのである。もはや武士道など、信ずるに足らず。…だから半四郎は、悪鬼となって井伊家の家臣たちを次々と斬り倒して行くのである。
竹光で闘う、というのは、半四郎が、まだ武士の体面、武士道の大義を棄てていない事を示している。これでは中途半端なのである。
おまけに、いきなり雪が降り出す。これもあまり意味がないと思うが。まさか三池作品「スキヤキウエスタン・ジャンゴ」のラストのパロディではないだろうな(笑)。
だいたい雪でせっかくの立ち回りが見えづらい事この上ない。もし3D効果を強調する為にわざわざ入れたのなら、邪道である。
「十三人の刺客」では、稲垣吾郎扮するバカ殿のキャラクター設定が秀逸であったり、首をサッカー・ボールのように蹴る、いかにも三池タッチの描写があったり、豪快で工夫を凝らしたチャンバラ・シーン、さらに「ワイルドバンチ」のオマージュもあったりと、オリジナルを超えた楽しい快作に仕上げていたのに、本作はそうしたエンタティンメント性、過激性が身を潜め、暗く重い作品に留まっていたのが残念である。これでは奇才・三池崇史に監督させた意味がない。
どうせなら、半四郎に徹底的に、バンツマ「雄呂血」のクライマックスに匹敵するくらいの大チャンバラをやらせ、井伊家家臣をほとんど全員斬りまくり、最後に命乞いする勘解由も斬り殺した後、半四郎が壮絶に切腹して果てる……
そのくらいの過激なカタルシスを盛り込んでくれれば、脚本の齟齬など大目に見て、さすが三池崇史監督、と絶賛を惜しまなかったのに。残念である。
無論、上記のような評価は私の個人的な思いである。前作「切腹」を観ていなければ、これは十分見応えのある作品である。観ておいて損はない。但し3Dは不要。2Dで十分である。
だが、私の一番の不満は、クレジットに橋本忍の名前がなかった事。この点を配慮出来ておれば、それと3Dなんかに色気を出さなければ、もう少し採点は良くなっていただろう。悪しからず。 (採点=★★)
(さて、お楽しみはココからである)
主演の海老蔵が、孫のいる中年男を演じるには若過ぎるのではないか、という声がある。
そこでクイズだが、「切腹」で津雲半四郎を演じた時の仲代達矢と、本作に出演した時の市川海老蔵とは、どちらが年上か、当てていただきたい。
多分、仲代の方が年上だろうと思う人が多いだろう。
で、正解を。海老蔵は現在33歳。それに対して、「切腹」出演時の仲代は、29歳!
つまり、仲代の方が年下なのである。―仲代は 1932年12月13日生まれ。「切腹」公開は1962年。海老蔵は1977年12月6日生まれである。
上の写真を見比べれば分かるが、どう見ても仲代は初老の中年男にしか見えない。
これは、メイクアップや、本人の役作り等にもよるのかも知れない。前年の同じ小林正樹監督「人間の條件」に出演している時の仲代はもっと若く見える。
従って、海老蔵がこの役を演じても、年齢的には別に問題はない。問題は、40歳くらいに見えるよう、メイクで工夫をするなり、減量して痩せるなりの努力をすべきではなかったかという点である。
この点でも、本作は「切腹」に負けている、と言えるだろう。
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コメント
今晩は。
初めてのコメントにもかかわらず誠に申し訳ありませんが、「Kei」さんのご見解の鋭さには心底敬服しつつも、見解を異にする点があります。
それをこちらのコメント欄に記載するには字数制限等があって難しいため、拙ブログの該当記事〔特に、(3)〕に記載しておきました。
もとより、未熟な者の単なる思いつきばかりですから、「Kei」さんにおかれては、更に様々な異論がおありになると思われます。
お忙しいところ恐縮ですが、コメントなりともいただけましたら幸いです。
投稿: クマネズミ | 2011年10月30日 (日) 18:05