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2011年12月31日 (土)

2011年を振り返る/追悼特集

早いもので、今年もあとわずかとなりました。

昨年末に行いました、この1年間に亡くなられた映画人の方々の追悼特集を、1年の締めくくりとして今年もやってみたいと思います。
映画史に残る超大物から、デビュー以来ずっと見守って来た、私の大好きな方々など、本当に多くの方が亡くなられてます。

 
ではまず、映画俳優の方々から。

Annefrancis 1月2日 女優のアン・フランシスさん  享年80歳
若い方ではもう知らない人もいるかも知れませんが、SF映画ファンなら思い当たるはず。
ロボット・ロビーが登場する名作「禁断の惑星」(56)で、惑星アルタイルに父と住む、スラリと足の長い美女で、まだ子供だった私をときめかせてくれた方(笑)。
映画は他に「暴力教室」(55)、「日本人の勲章」(55)などがありますが、もう一つパッとしませんでした。その後テレビに移り「ハニーにおまかせ」のハニー・ウエスト役が当り、これで覚えている方の方が多いかも知れません。

同じく1月2日 ピート・ポスルスウェイト氏  享年64歳
「ブラス!」(96)や「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」(97)の渋い演技でファンも多かったはず。「父の祈りを」(93)ではアカデミー助演男優賞にもノミネートされました。それにしても64歳とは、若い。

1月14日 スザンナ・ヨークさん  享年72歳
ロンドン生れで、「トム・ジョーンズの華麗な冒険」(63)、「ひとりぼっちの青春」(69)などが代表作ですが、個人的には「スーパーマン」(78)の、クラーク・ケントの母親役がお気に入り。夫役はマーロン・ブランドでしたね。

2月3日 マリア・シュナイダーさん  享年58歳
何と言っても、「ラスト・タンゴ・イン・パリ」(72)の大胆な演技でしょう。相手役は奇しくも、こちらもマーロン・ブランド。ガンだそうですが、若過ぎますね。

2月12日 ベティ・ギャレットさん  享年91歳
ミュージカル・ファンならお馴染み。「私を野球につれてって」(49)、「踊る大紐育」(49)でそれぞれジーン・ケリー、フランク・シナトラらと共演。夫は「ジョルスン物語」でアル・ジョルスンを演じたラリー・パークス。
久しぶりに「踊る大紐育」のDVDでも観て追悼しましょうか。

Janerussell 2月28日 ジェーン・ラッセルさん  享年89歳
なんと懐かしい名前! ハワード・ヒューズが監督した「ならず者」(43)で、大胆な悩殺ポーズを披露しました。が、当時はセクシー過ぎるとして宗教団体がクレームをつけ、上映禁止になる騒ぎとなりました。今じゃどうってことないんですがね(笑)。
あと、マリリン・モンローと共演した「紳士は金髪がお好き」(53)も有名。

2月28日 アニー・ジラルドさん  享年79歳
ルキノ・ヴィスコンティ監督「若者のすべて」(60)でアラン・ドロンと共演したほか、クロード・ルルーシュ監督「パリのめぐりあい」(67)もよかった。フランスを代表する名優でした。

Etaylor 3月23日 エリザベス・テイラーさん  享年79歳
これは誰でも知っている、映画史に残る超大物スター。ロンドン生れで、7歳の時渡米。11歳の時に「家路」(43)で主演、ついで「緑園の天使」(44)で一躍有名子役スターに。「花嫁の父」(50)、「ジャイアンツ」(56)、「クレオパトラ」(63)など代表作多数。“絶世の美女”という称号がピッタリの超美人。アカデミー主演女優賞2度。8度の結婚と7回の離婚を経験した事でも有名。晩年はエイズ撲滅運動でも積極的に活動していました。

5月3日 ジャッキー・クーパー氏  享年88歳
子役スターとして活躍。「チャンプ」(31)では観客の涙を誘いました。が、大人になってからはパッとせず、テレビ界に移って、製作者、監督として活躍しました。俳優として再び有名になったのは、テレビ「刑事コロンボ」の犯人役からでしょうか。後年では、映画「スーパーマン」(78~87)シリーズのホワイト編集長役が印象に残ります。

Peterfolk 6月23日 ピーター・フォーク氏  享年83歳
その、刑事コロンボ役で一躍有名になったのがこの人。しかし映画の方でも、「殺人会社」(60)、「ポケット一杯の幸福」(61・フランク・キャプラ監督)と2年連続でアカデミー助演賞にノミネートされたほどの実力派。個人的に好きなのは、「グレート・レース」(65)における、ジャック・レモン扮するフェイト博士のトンマな助手役ですね。後年はニール・サイモン脚本の映画「名探偵登場」(76)シリーズでも活躍しました。

9月10日 クリフ・ロバートソン氏  享年88歳
ケネディ大統領の若き日を描いた「魚雷艇109」(63)でケネディ役を演じて一躍有名になりました。「633爆撃隊」(64)、「燃える戦場」(70)、「ミッドウェイ」(76)と、戦争ものが多いですね。でも一番印象に残っているのは、アカデミー主演男優賞を受賞した、「アルジャーノンに花束を」の映画化作品、「まごころを君に」(68・ラルフ・ネルソン監督)ですね。

以下、日本
Hosokawatoshiyuki 1月24日 細川俊之さん  享年70歳
甘い二枚目で、舞台ミュージカル「ショーガール」などでも活躍されましたが、映画で有名なのは何と言っても、吉田喜重監督「エロス+虐殺」(70)の大杉栄役でしょうね。他では三谷幸喜監督「ラヂオの時間」(97)もありますが、個人的には、長谷部安春監督、梶芽衣子主演「女囚さそり 701号怨み節」(73)の執念深い刑事役が強烈に印象に残っています。

1月26日 花柳小菊さん  享年89歳
戦前から活躍していた名女優です。デビュー作は1935年「恋愛人名簿」。1937年のバンツマと共演したマキノ正博監督「恋山彦」で有名に。以後多数の、主に時代劇映画に出演。片岡千恵蔵主演作での共演が多い。東映の時代劇黄金期を支えた名優でした。

3月21日 沖山秀子さん  享年65歳
今村昌平監督「神々の深き欲望」(68)の、少し頭の弱い現地女性役でいきなりデビューし、強烈な印象を残しました。森崎東監督の「喜劇・女は度胸」(69)、黒澤明監督「どですかでん」(70)、内田吐夢監督「真剣勝負」(71)など、代表作は多数あり。大柄な体格を活用した、どれも印象深い役柄でした。最近では荒戸源次郎監督「赤目四十八瀧心中未遂」(2003)でも元気な姿を見せていました。若過ぎる死が残念でなりません。

4月21日 田中好子さん  享年55歳
言わずと知れた、キャンディーズのメンバーの一人。解散後は女優としても活躍。何と言っても代表作は今村昌平監督「黒い雨」(89)の被爆少女役ですね。
もっと映画に出演して欲しかったと思います。

5月16日 児玉清さん  享年77歳
テレビ「アタック25」の司会でお馴染みでしたが、読書家としてブックレビューでも活躍されました。映画俳優としては、1960年から67年にかけて、多数の東宝映画に助演者として出演しています。「黒い画集 あるサラリーマンの証言」(60)などがありますが、ほとんど印象に残っていませんね。むしろテレビ、特にNHK大河ドラマなどの方が有名でしたでしょうか。

Nagatohiroyuki 5月21日 長門裕之さん  享年77歳
こちらは、特に日活映画「太陽の季節」(56)、今村昌平監督「にあんちゃん」(59)、「豚と軍艦」(61)など、忘れられない代表作が多数あります。後年は貴重なバイプレイヤーとして無数の作品に出演。若い頃は桑田佳祐にそっくりでした(笑)。
デビューは6歳の時、伯父のマキノ正博監督「続清水港」(40)というから古い。そしてバンツマ主演の映画史に残る傑作「無法松の一生」(43)での、未亡人の息子役が印象的でした(当時の芸名は沢村アキヲ)。
昭和の映画史に残る名優だったと言えるでしょう。

そして、ショックだったのが、
7月19日 原田芳雄さん  71歳
もう大好きな俳優です。ブログにも追悼記事を書かせていただきました(こちら参照)。悲しいです。

8月18日 高城淳一さん  享年86歳
NHKテレビの初期の傑作ドラマ「事件記者」(58~)での、怒鳴りまくるキャップ役で強烈な印象を残しています。日活で映画化された際にも同じ役で出演しています。
その他では、日活の大作「戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河」 (71)での特高刑事役、テレビ「大都会 PartⅡ」「大都会 PartⅢ」における捜査係長役などでも活躍されました。

8月21日 竹脇無我さん  享年67歳
甘い二枚目役者として、1960年代の松竹青春映画で活躍されました。特に加山若大将の向こうを張った「若社長」シリーズ(67)が楽しいですね。'70年の「姿三四郎」では主役の三四郎を快演。加藤泰監督の「人生劇場 青春・愛欲・残侠編」(72)での青成瓢吉役も記憶に残ります。
テレビでも、木下恵介アワー、「大岡越前」で活躍されましたが、私は松竹映画時代の方が印象深いですね。

9月21日 杉浦直樹さん  享年79歳
この人もテレビの印象が強いですね。「岸辺のアルバム」では、前掲の竹脇無我さんと共演しております。向田邦子さん脚本の「あ・うん」も代表作でしょう。
しかし私としては、日活、東映のアクション映画での活躍が鮮明に記憶に残っています。
その中でも、極めつけの代表作は石井輝男監督の「網走番外地 望郷編」(65)での、「カラスなぜ鳴くの」の口笛と共に登場する殺し屋役でしょう。ほとんど健サンを食っていると言ってもいいかも知れません。その他でもやはり石井輝男監督「ならず者」(64)が印象に残ります。

9月24日 山内賢さん  享年67歳
子役出身で、代表作は黒澤明が脚本を書き、堀川弘通監督のデビュー作となった「あすなろ物語」(55)の主人公でしょう。当時の芸名は久保賢。
成人してからは日活青春映画で活躍。その中の代表作は、鈴木清順監督の青春映画の快作「悪太郎」(63)ではないでしょうか。
エレキブーム時代は、和田浩治らとエレキバンドを結成。「青春ア・ゴーゴー」(66)などでエレキを気持ちよさそうに演奏してました。その縁でしょうか、ベンチャーズのヒット曲「二人の銀座」を和泉雅子とデュエットで吹き込み、大ヒットしました。同名の映画にも主演しております。
良くも悪くも、日活青春映画スターでした。日活がロマンポルノに転向して以降、映画界からはほぼ引退状態でした。日活青春映画に殉じた役者、と言っていいかも知れません。

12月25日 岩井半四郎さん  享年84歳
歌舞伎役者でしたが、1945年の黒澤明監督「虎の尾を踏む男達」で、源義経役で映画デビュー。当時の芸名は仁科周芳(本名)。
以後も大映、東宝、松竹他の時代劇に助演。時代劇がすたれ始めてからはテレビにも出るようになりましたが、本業はあくまで歌舞伎役者でした。

 
さて、監督に目を移しますと

1月9日 ピーター・イェーツ氏  享年81歳
スティーヴ・マックィーン主演の「ブリット」(68)のシャープな演出で名をあげましたが、ダスティン・ホフマンとミア・ファロー主演「ジョンとメリー」(69)も名作です。

4月9日 シドニー・ルメット氏  享年86歳
テレビ界で長く活躍の後、傑作テレビドラマ「十二人の怒れる男」(57)の映画化作品で映画監督デビュー。映画史に残る名作となりました。
以後も「女優志願」(58)、「質屋」(64)、「セルピコ」(74)、「オリエント急行殺人事件」(74)、「狼たちの午後」(75)と傑作、秀作を次々世に送り出し、ニューヨーク派の巨匠として活躍しました。
最近も「その土曜日、7時58分」(2008)で気を吐いた所でした。まだまだ映画を撮れる、と思っていた矢先の訃報でした。残念です。

7月25日 マイケル・カコヤニス氏  享年89歳
アンソニー・クイン主演「その男ゾルバ」(64)という名作で知られる、ギリシヤ映画界の巨匠です。「魚が出てきた日」(67)という、核の恐怖をブラック・ユーモアで描いた問題作もあります。
寡作なうえに、我が国公開作品も数本しかありませんが、それにしても新聞等でもほとんど追悼記事がないのはどういう事でしょうか。

8月17日 グァルティエロ・ヤコペッティ氏  享年91歳
イタリアのドキュメンタリー作家で、62年の「世界残酷物語」は世界中で大ヒットし、無数の亜流残酷ドキュメント映画が便乗して作られる等の社会現象を巻き起こしました。我が国でも「○○残酷物語」とつくタイトルの映画が多数作られる等、映画界に与えた影響は計り知れません。リズ・オルトラーニ作曲の主題歌「モア」も大ヒットしました。
以後も、「世界女族物語」(62)、「さらばアフリカ」(66)等の残酷ドキュメントを撮り続けましたが、「ヤコペッティの残酷大陸」(71)からは一部再現ドラマも取り入れる等、方向性を変えようとはしましたが、興行的な失敗もあって人気を失って行きました。しかしほとんどのヤコペッティ作品で撮影を担当したアントニオ・クリマーティが後に「グレート・ハンティング」(75)シリーズを監督して大ヒットさせる等、残酷ドキュメンタリーの流れは脈々と続いて行きます。一つの時代を築いた作家と言えるでしょう。
しかし亡くなった時、テレビ、新聞でもあまり話題にならなかったのは、時の流れとはいえ寂しいですね。

 
以下日本

2010年12月26日 池田敏春さん  享年59歳
亡くなられたのは昨年ですが、ニュースになったのは今年に入ってからですのでここで取り上げます。
日活ロマンポルノで活躍し、中でも「天使のはらわた・赤い淫画」(81)は傑作でした。
日活を退社した後は、ディレクターズ・カンパニーに参加、「人魚伝説」(84)などの秀作があります。最近でも「秋深き」(08)という、しみじみとした味わいの佳作を発表しましたが、これが遺作となりました。「人魚伝説」の舞台となった三重県志摩市沖で自殺したそうです。何があったのでしょうか。残念なことでした。

ロマンポルノと言えば、
4月8日 加藤彰さん  享年76歳
71年、「女子学園 おとなの遊び」で監督デビュー。多数のロマンポルノ作品を監督しましたが、この方の監督作で忘れられないのが「恋狂い」(71)。
白川和子が映画館で痴漢にイタズラされる場面で、上映されている作品がなんと原田芳雄主演「反逆のメロディー」!さすがは日活ニューアクション後期にデビューした加藤監督らしいとニンマリしたものでした。原田芳雄と同じ年に逝去されたのも、何かの縁でしょうか。

4月17日 出崎統さん  享年67歳
手塚治虫の主宰する虫プロに入社、「鉄腕アトム」の作画等を経て監督に昇進。虫プロ制作「あしたのジョー」(70)のチーフ・ディレクターを担当して一躍有名となりました。その後も「家なき子」(77)、「宝島」(78)等で、止め絵、透過光などの斬新な演出を駆使し、多くのファンを獲得しました。あまりテレビアニメを見ない私でも、出崎さんが参加した作品には注目していました。劇場映画では「ゴルゴ13」(83)が印象に残っています。
67歳の死は早過ぎます。アニメ界の貴重な才能が失われてしまいました。残念な事です。

6月26日 井上和男さん  享年86歳
松竹で助監督を長く経験し、「悪の華」(61)、「無宿人別帳」(63)などを監督。アメリカ合作映画「勇者のみ」(64)の日本側監督も務めました。
しかし、この方のお仕事で印象深いのは、助監督も務めた小津安二郎監督の足跡を追ういくつかの著書、そして小津監督の生涯をまとめた記録映画「生きては見たけれど-小津安二郎伝」(83)の監督でしょう。いいお仕事をなさいました。

7月9日 田中秀夫さん  享年78歳
テレビドラマ「スケバン刑事(デカ)」シリーズや「花のあすか組!」で活躍。とくに「スケバン刑事」パート3では、忍者が現代で暴れたり、「スター・ウォーズ」のパロディが盛大に盛り込まれる等、映画ファンを喜ばせてくれました。私的にはカルト的傑作だと思っております(笑)。余勢をかって映画版「スケバン刑事」2本(87)も監督しました。

7月12日 武田敦さん  享年84歳
脚本家として山本薩夫監督「にっぽん泥棒物語」 (65)、「戦争と人間」(71~73)などに参加。プロデューサーとしても「金環蝕」 (75)、「ダイナマイトどんどん」 (78)、「敦煌」 (88) 等の骨太の作品を手掛けました。
監督作品としては「ドレイ工場」 (68) 、「沖縄」(70)がありますが、左翼独立プロの枠から抜け出せていない、可もなく不可もない出来だったのが残念です。
どちらかと言えば、山本薩夫監督のよき片腕として、名作群を支えた功労者として、記憶に留めたいと思います。

7月14日 貞永方久さん  享年79歳
松竹生え抜き監督として「黒の斜面」(71)、「影の爪」(72)等の清張ミステリーまがいのサスペンスを手掛け、75年、ようやく「球形の荒野」で清張原作ものを監督しました。その他にもいくつかのミステリー、サスペンスものを監督し、テレビでは「必殺」シリーズを数本手掛け、映画版も監督しましたが、これといった代表作がないのが残念です。
むしろ、原田芳雄の記念すべき劇場映画デビュー作、「復讐の歌が聞こえる」(68)で監督デビューした、と言う点で記憶に残ります。その原田芳雄の死去より5日前に亡くなられた、というのも、思えば不思議なめぐり合わせですね。

12月16日 大槻義一さん  享年84歳
1951年、松竹に入社後、「カルメン純情す」(52)以降「笛吹川(60)までのすべての木下恵介監督作品に助監督として付きました。監督作品としては「流し雛」(62)、「七人の刑事」(63)などがありますが、これといった記憶に残る作品はありません。66年以降はテレビで活躍されました。
晩年は奥様共、闘病生活を送られていたようで、発見された時は奥様も一緒に亡くなっていたようです。どちらかがお元気なら、病院に連絡出来、一命を取り止めていたかも知れません。痛ましい事でした。

そして、最大のショックだったのが、
Moritayosimitsu 12月20日 森田芳光さん  享年61歳
あまりに若過ぎます。訃報を聞いて愕然となりました。
81年、「の・ようなもの」で商業映画デビューし、83年の「家族ゲーム」がキネマ旬報ベストワンになる等、映画賞を独占し、新風を巻き起こしました。
そして85年にも「それから」がまたまたキネ旬ベストワン。この時私は完成披露試写会が当って観に行ったのですが、森田監督は挨拶で上映前に、「この映画で日本の映画賞を総ナメにします」と豪語したのでびっくりしました。それが本当になったのでまたびっくり。まるで落合監督ですね(笑)。
その後も「バカヤロー」シリーズ(88~91)で製作総指揮と脚本を手掛け、新人監督を次々デビューさせたり、「(ハル)」(96)でまだ珍しかったパソコン通信を取り上げたり、「失楽園」(97)を大ヒットさせたり、「39 刑法第三十九条」(99)で刑法の問題点に切り込む等、常に話題を振りまいて来ました。

しかし、個人的に残念だったのは、せっかく「家族ゲーム」等で、日本映画の次代を担う大物監督と期待されながら、軽い作品も連発したり、「模倣犯」(2002)や「海猫」(2004)などの駄作を作ってしまったりした点です。
実力があるのだから、寄り道せずにもっと毎年、ベストテンを賑わす力作、骨太の問題作を作って欲しかったと思います。ベストワン作品が1986年以降なく、ここ数年でのキネ旬ベストテンで、最高位が「阿修羅のごとく」(2003)の5位だというのは寂しい限りです。「模倣犯」はキネ旬57位、「海猫」は70位、ですよ。
黒澤明監督の「椿三十郎」をリメイクした時は本当にガッカリしました。森田監督が目指すべきは、黒澤の模倣作品ではなく、黒澤に追いつき、追い越し、世界に日本映画あり、とその底力を見せつける傑作・秀作を作り出す事ではないか、と今でも思っています。
なんだか、追悼にならない文章になってしまいましたが、それだけ私は、森田監督にずっと期待して、その映画作りを見守って来たわけです。
もはや期待は叶わぬ事となりましたが、若い監督さんには、森田監督を乗り越え、日本映画に風穴を開けて欲しいと強く願います。

  *関連記事: 森田芳光監督版「椿三十郎」について

 
さて、その他のジャンルについては簡単に紹介いたします。

1月30日 ジョン・バリー氏(音楽)  享年77歳
映画音楽の第一人者として、特に「007/ドクター・ノオ」(62)に始まり、「007/リビング・デイライツ 」(87)に至るまでの、ほとんどの007シリーズの音楽を担当し、シリーズの大ヒットに貢献しました。
その他でも、「野生のエルザ」(65)、「さらばベルリンの灯」(66)、「真夜中のカーボーイ」(69)、「フォロー・ミー」(72)、「ある日どこかで」(80)と、耳になじんだ名曲は数限りなくあります。

5月5日 アーサー・ローレンツ氏(脚本家)  享年93歳
何と言っても、「ウエストサイド物語」(61)の原作者であり、他ではヒッチコック監督の「ロープ」(48)、F・サガン原作「悲しみよこんにちは」(57)の脚本、「追憶」(73)、「愛と喝采の日々」(77)の原作・脚本が有名です。

5月9日 岡田茂氏(映画製作者)  享年87歳
説明は不要でしょう。東映創設時よりプロデューサーとして活躍。任侠映画、実録路線、そして東映エログロ路線、とひたすら東映娯楽活劇を開拓し、成功に導きました。
批判もありましたが、氏がいなかったら、大映、日活と同じく、東映は倒産していたかも知れません。日本映画最後の大物カツドウ屋、と言えるでしょう。

5月20日 安藤庄平氏(カメラマン)  享年77歳
日活のカメラマンとして、「私が棄てた女」(69)、「野良猫ロック・ワイルドジャンボ」(70)、そして日活ロマンポルノでも「八月はエロスの匂い」(72)、「(秘)色情めす市場」(74)など多くの作品で大活躍。
その傍ら、小栗康平監督の「泥の河」(81)、根岸吉太郎監督の「遠雷」(81)でも撮影を担当し、傑作誕生に貢献しました。それにしてもこの2本が同じ年の作品というのが凄い。

6月29日 馬場当氏(脚本家)  享年84歳
松竹を中心に活躍。代表作は「乾いた花」(64・篠田正浩監督)、「復讐するは我にあり」(79・今村昌平監督)。

Roranputy_2 7月10日 ローラン・プティ氏(振付家)  享年87歳
不覚にもお名前を始めて知ったのが周防正行監督「ダンシング・チャップリン」(2011)。その見事な振付ぶりに圧倒されました。活動歴は古く、フレッド・アステアの振り付けも担当したそうです。「ダンシング・チャップリン」公開で、映画ファンの多くが名前を知った年に亡くなられたのが、せめてもの幸いです。

Ichikawashinnichi_2 12月10日 市川森一氏(脚本家)  享年70歳
「ウルトラセブン」「帰ってきたウルトラマン」等のテレビ特撮番組からスタートし、「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」でショーケンの魅力を引き出した他、NHK「黄金の日々」(78)も手掛ける等、多くの秀作を残しました。
私が個人的に大好きなのは、TBSテレビで放映された「港町純情シネマ」(80)。毎回映画のワンシーンが登場し、西田敏行が主人公になり切って妄想する、映画ファンの心の琴線を揺すぶる楽しい作品でした。続く同じTBS製作、大山勝美プロデュース、西田敏行主演の「寂しいのはお前だけじゃない」(82)、これは傑作です。売れない舞台俳優たちが仕掛ける一世一代の大芝居。「スティング」を思わせます。もう一度見たい作品です。
映画では、大林宣彦監督「異人たちとの夏」(88)が傑作。晩年はこれといった作品がないのが残念ですが、70~80年代のテレビの傑作群は忘れられません。現在BSで「傷だらけの天使」が放映中。お奨めです。

12月20日 吉田哲郎氏(脚本家)  享年82歳
大映一筋の名脚本家。何と言っても「大魔神」シリーズ(66)は傑作だと思います。その他「妖怪百物語」(68)、「妖怪大戦争」(68)、「東海道お化け道中」(69)、「透明剣士」(70)と、大映時代劇特撮路線で大活躍。特撮もの以外では、岡本喜八監督「座頭市と用心棒」(70)もあります。
あと、調べたら、57年から2年間で8本も作られた、竹内つなよし原作漫画の実写映画版「赤胴鈴之助」の脚本を一手に引き受けていました。これは私が夢中になって劇場に通った楽しい作品です。

最後に
10月5日 スティーヴ・ジョブズ氏(アップル創設者)  享年56歳
この方も説明不要でしょうが、映画界においても多大な貢献をしています。
1980年代、コンピュータ・グラフィック(CG)映像の可能性に着目し、ルーカス・フィルムでお荷物扱いされていたCG部門を買収し、ピクサーを創設、長い時間をかけてCGアニメの研究・開発を支え、遂に1995年、「トイ・ストーリー」を世に出し、大成功を収めました(ジョブズ氏は製作総指揮としてクレジット)。ジョブズ氏なくしては、今の3DCGアニメーションは誕生しなかったか、あるいはずっと誕生が遅れていた事でしょう。
ジョブズ氏が亡くなった今年になって、そのルーカス率いるILMが、やっと「ランゴ」で本格的なCG長編アニメを完成させたというのも、思えば皮肉な話です。

 

本当に、多くの映画人が亡くなっています。いずれも、映画界に貢献する、多くの足跡を残されて来ました。慎んで哀悼の意を表したいと思います。

 

今年1年、おつき合いいただき、ありがとうございました。来年もよろしく、良いお年をお迎えください。

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2011年12月29日 (木)

「宇宙人ポール」

Paul2011年・米=仏=英合作/ユニバーサル=配給:アステア、パルコ
原題:Paul
監督:グレッグ・モットーラ
脚本:ニック・フロスト、サイモン・ペッグ
製作:ニラ・パーク、ティム・ビーバン、エリック・フェルナー
製作総指揮:ライザ・チェイシン、デブラ・ヘイワード、ナターシャ・ワートン、ロバート・グラフ

「ショーン・オブ・ザ・デッド」「ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!」のサイモン・ペッグとニック・フロストのコンビが主演・脚本を務めたSFコメディの快作。監督は日本未公開作「スーパーバッド 童貞ウォーズ」等のグレッグ・モットーラ。

SFオタクのイギリス人青年クライヴ(ニック・フロスト)とグレアム(サイモン・ペッグ)は、キャンピングカーを駆って全米最大のコミックイベント、“コミコン”と米中西部のUFOスポットをめぐる旅を楽しんでいた。その途中、ネバダ州のエリア51を通りかかった2人は、ポールと名乗る本物の宇宙人と遭遇。ポールは60年前に地球に不時着して以来、政府機関に 囚われの身となっていたのだった。クライブとグレアムは、アメリカ文化に染まりきったポールの言動に戸惑いつつも、彼を故郷の星に帰すべく、車で目的地に向かうのだが…。

いやあ!これは楽しい。基本ストーリーは上にあるように、主人公たちが協力し、政府機関の裏をかいてエイリアンを故郷の星に帰すという、S・スピルバーグの「E.T.」とほぼ同じ展開なのだが、秀逸なのが、宇宙人のポールのキャラクターである。
60年も地球にいたおかげで、流暢に英語を喋るのはいいが、スラングは混じる、下品なジョークは連発する、タバコもマリワナも吸うなど、子供と心を通わせたE.T.とは大違いの、俗物的なアメリカ文化に毒されてしまってるわけで、それはまた、クライブたちイギリス人の目から見た、辛らつなアメリカ批判にもなっている。

(以下ネタバレあり)
二人がバーに立ち寄ると、ゲイに誤解され、冷たい視線を浴びるシーンがあるが、これは「イージー・ライダー」の有名なワンシーンを思い出させる。ご丁寧に、焚き火を囲んでマリワナを回し飲みする「イージー・ライダー」まんまのシーンも出て来る。進化論を信じない狂信的なキリスト教原理主義者も出て来たりで、いたる所に垣間見えるアメリカ文化への痛烈な批判精神は、ペッグとフロストの二人が係わった前2作よりさらに強まっていると言える。只のコメディではないのである。

こうしたポールの傍若無人ぶりに振り回されながらも、クライヴたちが次第にポールに愛着を感じて行くプロセスもいい。そこに「未知との遭遇」やら、「インディー・ジョーンズ」やら、「スター・ウォーズ」やら、「メン・イン・ブラック」やら、「プレデター」やら、数多くのSF・冒険映画へのオマージュもふんだんに散りばめられ、映画ファンであるほど楽しめる作品になっている。彼らがたどり着いた最終目的地の光景には、感動すら覚えてしまう。森の中で、ゆっくりと降りて来るオレンジ色の光には、当然アレかと思わせて実は…という捻りも映画ファンにはたまらない。

ポールは、E.T.と同じように、生命を蘇らせる不思議な能力を持っているが、これがギャグに使われたりしながらも(死んだハトを蘇らせた後のポールの行動には大笑い)、ラストでもう一度大技として使われる等、伏線の張り方も周到である。

最後に顔を見せる、政府機関のリーダーが、エイリアンに縁の深いあの人。これも楽しい。

そんなわけで、これは根っからの映画オタク、SFオタク(注)であるサイモン・ペッグとニック・フロストが仕掛けた、映画ファンのための、究極の映画愛に満ちた快作である。スピルバーグ・オマージュでは本年、「スーパーエイト/SUPER8」という作品があったが、こちらの方がずっと面白く、楽しめ、感動させられる。「未知との遭遇」「E.T.」をこよなく愛する人は特に必見である。フロスト+ペッグのコンビ作はこれからも目が離せない。    (採点=★★★★☆

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(注)サイモン・ペッグは、イギリスで1999年から始まったTVシリーズ、「Spaced」で、「スター・ウォーズ」オタクの役で主演し、脚本も手がけ、かつ友人であったニック・フロストを共演者として呼び寄せた。実生活でも彼は「スター・ウォーズ」の大ファンだそうである。またこのシリーズの監督を担当したのがエドガー・ライトであり、後にこの3人が組んで「ショーン・オブ・ザ・デッド」「ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!」を産み出す事となるのである。

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2011年12月24日 (土)

「リアル・スティール」

Realsteel12011年・米/ドリームワークス=配給:ディズニー
原題:Real Steel
監督:ショーン・レビ
原作:リチャード・マシスン "Steel"
ストーリー:ダン・ギルロイ、ジェレミー・レビン
脚本:ジョン・ゲイティンズ
製作:ドン・マーフィ、スーザン・モントフォード、ショーン・レビ
製作総指揮:ジャック・ラプケ、ロバート・ゼメキス、スティーブン・スピルバーグ、スティーブ・スターキー、ジョシュ・マクラグレン、メアリー・マクラグレン 

スピルバーグの出世作「激突!」の脚本や「アイ・アム・レジェンド」等の原作者として知られるリチャード・マシスンが1956年に発表した短編小説『四角い墓場』の映画化。製作総指揮にはS・スピルバーグに加え、ロバート・ゼメキスも参加する豪華布陣。監督は「ナイトミュージアム」のショーン・レビ。

西暦2020年、リモコンで遠隔操作されたロボット同士が戦う“ロボット格闘技”が大流行。かつては将来を嘱望されたボクサー、チャーリー・ケントン(ヒュー・ジャックマン)も、今はロボット格闘技のオペレーターとして食いつなぐしがない日々。そんなある日、離婚のため離れて暮らしていた11歳の息子マックス(ダコタ・ゴヨ)を預かることになり、慣れない父子の共同生活が始まる。そんな折、ロボット部品調達で忍び込んだ廃棄場で、マックスが見つけた旧式ロボット“ATOM”を持ち帰った事から、2人の運命が大きく変わって行く。

いかにもスピルバーグらしい、SF的設定の中に、かつては一流ボクサーだった男の、夢への再挑戦、親子の絆といった古典的なストーリーを絡ませ、最後に感動のクライマックスを用意する、エンタティンメントの王道的作品である。

 
ボクシングものは、昔から感動する名作が多い。古くは1931年のキング・ヴィダー監督「チャンプ」があり、“かつてはチャンピオンだったが今は落ちぶれしがない生活を送る中年男が、息子に励まされ、再びリングに上がることを決意する”という内容からして本作にインスピレーションを与えている事は明白。後に'79年にはフランコ・ゼフレッリ監督、ジョン・ボイト主演でリメイクされている。

その他でも、ロバート・ワイズ監督、ポール・ニューマン主演の「傷だらけの栄光」(56)は、実在のボクサー、ロッキー・グラジアノの伝記であり、後のシルヴェスター・スタローン脚本・主演「ロッキー」の主人公の名前にも引用された名作である。いずれも、どん底からはい上がり、最後は栄光を目指しての迫力あるタイトル・マッチがクライマックスとなる。

我が日本にも、「あしたのジョー」がある。本作のクライマックスで、倒れたATOMにマックスがかける言葉「立て!立つんだ!」で、「あしたのジョー」を思い出した人も多いだろう(笑)。

こういった具合に、ハングリー・スポーツであるボクシング映画は、元々感動する要素が多い。そこに子供を持ってくれば感動は倍加するわけで、SFでなくても十分映画として成り立つ。

本作が面白いのは、チャーリーが、自分が失ったボクシングの夢の再生をロボットに託すわけで、これはチャーリーの復活の物語であると同時に、一度は棄てられたロボット・ATOMの復活・再生の物語でもあるわけなのである。

クライマックスの試合では、シャドー機能を活用して、まるでチャーリー自身が試合をしているような気分にさせてくれる。うまい設定である。

最初は疎遠でギクシャクしていた父と息子が、やがて共同でATOMを復活させ、勝利を重ねるプロセスで、親子の絆を回復して行く展開もまさに親子ものの王道。

実の父と子ではないけれど、共同生活を送るうちに、本物の親子のような絆を深めて行くという話も、チャップリンの「キッド」をはじめ、わが日本でも、丸根賛太郎監督、バンツマ主演の「狐の呉れた赤ん坊」(1945)などがあり、いずれも泣ける名作揃いである。
本作は、そうした作品からもいろいろとインスパイアされているようだ。

そんな、泣かせと感動の要素が巧みにブレンドされているのだから、面白いのは当然である。ショーン・レビ監督の演出もツボを心得、ウエルメイドなエンタティンメントの快作に仕上げている。

今年はスピルバーグ製作のSF大作が数本公開されたが(「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」「スーパーエイト」「カウボーイ&エイリアン」等)、本作が一番成功しており、興奮し、感動させてくれる。お奨めである。

日本人は大人しいけれど、アメリカ人ならきっと、クライマックスでは足踏み鳴らし、自分がチャーリーになった気分でシャドー・ボクシングの真似をしつつ「そこだ、やれ!」と叫び大喜びするだろう。

 
…だがね、よく考えると、西部劇、ボクシングものというのは、それ自体が一つのジャンルだったはずである。それが「カウボーイ&エイリアン」といい、SFと合体しないと、もはやジャンルとして成立しない時代になってしまったのだろうか。

さらに、王道コメディの第一人者、矢口史靖までもが、ロボットものコメディ「ロボジー」を監督している。

王道ジャンルがこうもロボットものに侵食されて来ているのは、なんだか複雑な心境である。ロボットが世界を侵略するのは、「ターミネーター」の映画の中だけの話であって欲しいと望むのは考え過ぎだろうか。    (採点=★★★★☆

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(という所で、お楽しみはココからだ)

本作は、ご承知のように、ロボットの名前が“アトム”である所からして、「鉄腕アトム」へのオマージュになっているのは明白である。

だが私の観るところ、実はもう一つのロボットものの名作、「鉄人28号」へのオマージュも隠されているのではないかと思う。

Realsteel2 チャーリーが買った、胴体に「超悪男子」と漢字で書かれた日本製ロボット、ノイジー・ボーイは、丸みを帯びたフォルムに、ダークブルーの胴体カラーといい、鉄人28号とそっくりなデザインである(右参照)。

さらに、ロボットを動かすのはリモコン操縦機なのだが、これもまた「鉄人28号」そのままである。鉄腕アトムは人工知能で、自分で考えて行動するが、鉄人は人間が操縦する通りにしか動けない。本作のロボットたちは、その点では鉄人28号に近い。

そう考えれば、最後に戦う相手、ゼウスのデザインも、鉄人のライバル、ブラック・オックスとどことなく似ている気がしたのは私だけだろうか。

Tetujin28
ところで、「鉄腕アトム」と「鉄人28号」とは不思議な縁があって、どちらも昭和30年代初め、「少年」という同じ雑誌に並んで連載されていた。

さらに昭和34年、「鉄腕アトム」の実写ドラマがテレビで放映開始されると、その翌年には「鉄人28号」も実写ドラマ化。ちなみにどちらも同じ製作会社(松崎プロダクション)が製作した。

が、どちらもあまりにチープな作りにファンは失笑し、次には怒った(笑)。鉄人28号に至ってはドラム管に手足を生やしたような、コントかと思えるふざけたデザインであった(笑)。ちなみに身長も人間サイズ。

次に昭和38年、「鉄腕アトム」が虫プロ製作でアニメ化され、テレビ放映されると、これまた同年、「鉄人28号」も追っかけてテレビアニメ化。スポンサーはどちらも製菓会社(明治製菓と江崎グリコ)であった。

こんな具合に、「鉄腕アトム」と「鉄人28号」は不思議とライバルというか、同時期に同じようなスタイルでしのぎを削っていたのである。

日本が、ロボットもので世界の先陣を切って来たのは、この2本の傑作が、互いにいろんなメディアにおいてパイオニアとなって来たからに他ならない。アメリカ映画が両者に等しくオマージュを捧げているのも、故に当然なのである。

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2011年12月11日 (日)

「アジアの純真」

Pureasia2009年・日本/配給: ドッグシュガームービーズ
監督: 片嶋一貴
脚本: 井上淳一
エグゼクティブプロデューサー: 小曽根 太、石川 始
プロデューサー: 木滝和幸、門馬直人
ラインプロデューサー: 安藤光造

2009年に完成しながら、政治的かつ過激な内容の為、2年以上も公開の目処が立たなかったという問題作。監督はプロデューサーとして活躍し、「小森生活向上クラブ」等の監督作もある片嶋一貴。

2002年、北朝鮮に拉致されていた被害者5名が帰国し、日本国内に反朝鮮感情が高まっていたそんな頃。不良に絡まれていた気弱な日本人高校生(笠井しげ)を、一人の少女(韓英恵)が助け、以来少年は少女の姿を探していた。ようやく見かけた少女はチマチョゴリを着ていた。彼女は在日朝鮮人だった。だがその直後、少女はチンピラに絡まれ、大勢の目の前で殺害されてしまう。少年はやがて知り合った少女の妹(韓英恵二役)に誘われるままに、旧日本軍が埋めたマスタード・ガスを掘り起し、少女はそれを使って無差別テロを実行する。二人は自転車に乗って旅に出るが、彼らのの逃避行はやがて思いもよらぬ事態へと発展して行く…。

(ネタバレあり)
随分過激な内容である。日本人チンピラが在日朝鮮人を殺害、被害者の妹が日本人への復讐と称し毒ガスをバラ撒いて無差別テロを実行する。その最初の標的はなぜか北朝鮮拉致被害者の家族会だ。最後には原爆を入手し、東京で爆発させるシーンまで出て来る。どこまでも過激で尖がっている。

これでは劇場側が尻込みするはずだ。2年経ったとはいえ、公開に至ったことは喜ばしい。チラシでは、荒井晴彦、若松孝二、足立正生、青山真治、寺脇研といった、いかにもクセのある面々がコメントを寄せている。これは映画ファンとしては見逃せない所である。

 
だがねぇ、プロットだけを見るなら面白そうなのだが、シナリオが随分粗っぽい(脚本は「パートナーズ」等の井上淳一)。いろんな類似テーマの映画・小説のサワリ部分を片っ端から寄せ集めて来たような印象である。

監督の片嶋一貴は、若松孝二監督作品のスタッフや、井筒和幸、村上龍らの監督作品の助監督を経験し、鈴木清順監督の「ピストルオペラ」「オペレッタ狸御殿」のプロデューサーも努めている。脚本の井上淳一は、一番好きな映画として長谷川和彦監督「太陽を盗んだ男」を挙げている。

そんなわけで、本作にはこれらの作家たちからの影響(と言うか引用)がモロに出ている。
冒頭の、在日朝鮮人少女を恋してしまった日本人少年…という辺りは井筒和幸「パッチギ!」風だし、反体制テロ実行シークェンスは若松孝二あるいは足立正生作品的だし、後半どんどん異世界へと逸脱して行くパンクな演出は鈴木清順を思わせるし、原爆を抱えて東京の町を歩くくだりは長谷川和彦「太陽を盗んだ男」を思い出させる。

そして問題なのが、“旧日本軍の製造したマスタード・ガスを盗み出してテロを計画する”というプロットが、村上龍原作の「共生虫」とそっくりな点である。本作で最初にマスタード・ガスを掘り出す引きこもり青年の人物像も、「共生虫」の主人公に似ているようである。これはパクリではないのか。ちなみに、村上龍原作の「昭和歌謡大全集」でも、最後に原爆の爆発シーンが登場する。

まあ別に、きちんとした物語の中にオマージュ風にいろんな作品からの引用を盛り込むのは構わないと思うのだが、寄せ集めだけで構成され、全体に一本芯が通っていないような作品では困るのだ。

最初は、気の弱い少年の初恋物語風に始まり、途中から毒ガス・テロに移行し、犯罪者同士の逃避行、その末に警官に撃たれ、瀕死の少女を船に乗せ二人で海に漕ぎ出す所までは70年代犯罪ロード・ムービー的、そして最後は(イリュージョンだろうが)原爆の爆発から、世界地図の上に核ミサイルが次々着地する、キューブリック「博士の異常な愛情」のような幕切れとなる。

私は、若松孝二や鈴木清順に代表される、異能作家による過激な作品もぶっ飛んだ作品も好きな方である。従って本作のラストのぶっ飛びぶりも、そこに至るプロセスがきちんと作られていたなら大笑いして楽しめただろう。

しかし前述のように、脚本が粗過ぎる。登場人物たちの性格付けもきちんと出来ていないし、その後のフォローも手抜きが目立つ。突っ込みどころ満載である。

主人公の少年は、危ない所を助けてくれた少女の危機を目撃しても何も出来ない。男だったら体を張ってでも助けに行くべきだし、その勇気がないとしても、警官を呼びに行く事くらいは出来るだろう。ただ見てるだけの情けないヘタレな主人公には共感しようがない。

少女を殺したチンピラたちのその後が全く描かれないのも困る。少年を含め、多くの目撃者がいるのだから、すぐ捕まりそうな気がするのだが。

旧日本軍のマスタード・ガスを、素人が簡単に盗み出せるのも変だ。ニュースになってるくらいなのだから、警察なり自衛隊が交代で監視してないとおかしい(その点、村上龍の「共生虫」では、忘れられたような防空壕跡に忍び込んだら、偶然毒ガスを発見するという具合に無理がない)。こんな危険物が大量になくなったら、大ニュースになるし厳戒体制が敷かれるはずだが、その様子もない。

さらに、少女の復讐の対象が、なぜ拉致被害者の家族会なのか。その説明は全くない。復讐なら、チンピラたちのたむろする場所を狙うべきだろう。

そしてこれが一番問題なのだが、少女は韓国系なのか、それとも北朝鮮系なのか、この点があいまいである。

韓国系なら、韓国も北朝鮮によって拉致された被害者は多い。思いは共通のはずである。そもそも北朝鮮による拉致がなければ在日朝鮮人が苛められることもなかっただろう。復讐の矛先は北朝鮮に向けるべきである。

北朝鮮系なら、日本人を拉致した加害者側として、日本人に詫びる立場である。北と南で、立場は全然変ってしまうのである。あいまいにすべきではない。
― と言うより、どっちであっても、拉致被害者の会を含め、日本人への無差別テロを行う理由は極めて乏しい。

その犯行声明をビデオに録り、マスコミに送りつける少女の行動は全く不可解である。チマチョゴリを着て顔を晒している。こんな事をすれば、少女の家族・縁者は、世間から袋叩きの目に会うし、在日韓国・朝鮮人はますますバッシングの嵐に晒される。後先考えない身勝手さといい、秋葉原の無差別殺人と同レベルの短絡さである。

 
この映画を、“毒(気のある)映画”と呼ぶ人は、荒井晴彦をはじめ多い。確かに若松孝二や石井輝男や三池崇史やQ・タランティーノなどによって、毒気が充満した映画は作られて来たし、私もそんな映画は好きである。

しかしそれらの作家たちは、無数のプログラム・ピクチャー、娯楽映画を作って来て、その分野で確固たる地位を築いた人たちばかりである。映画作りの基本をマスターしているからこそ、毒映画にも作家のポリシーが貫かれており、ファンも許容出来るのである。

無論、娯楽映画の経験の少ない作家でも、新人作家でも、毒のある映画を作るのは一向に差し支えない。 片嶋一貴監督の果敢なチャレンジ精神は大いに歓迎である。

しかし、毒映画を作るのは、娯楽映画を作るより難しい。本作は、一生懸命に毒を盛り込もうとはしているが、脚本の粗さもあって、本物の毒映画になり得ていない。残念な出来である。

船が波間に漂うシーンで、海を黒いビニールシートで表現しているのは、予算が足りなかったのだろうか。狙いとするなら、まるで1970年代のATG映画である(低予算を逆手に取って、書割を背景にした作品がいくつかあった)。わざとモノクロ映像にしているのも、ラストのイリュージョン映像も、ATG映画を連想させる。70年代だったら、反体制的な作りも含めて多くの支持を集めたかも知れない。しかし今の時代にはもはや古臭く色褪せて見えるのである。

とまあ、いろいろ叩いたけれども、こういう作品は嫌いではないし、作者たちの意欲は買いたい。万人にはお奨め出来ないが、クセのある映画が好きなコアな映画ファンなら、見ておいて損はないだろう。     (採点=★★★

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