「アジアの純真」
2009年・日本/配給: ドッグシュガームービーズ
監督: 片嶋一貴
脚本: 井上淳一
エグゼクティブプロデューサー: 小曽根 太、石川 始
プロデューサー: 木滝和幸、門馬直人
ラインプロデューサー: 安藤光造
2009年に完成しながら、政治的かつ過激な内容の為、2年以上も公開の目処が立たなかったという問題作。監督はプロデューサーとして活躍し、「小森生活向上クラブ」等の監督作もある片嶋一貴。
2002年、北朝鮮に拉致されていた被害者5名が帰国し、日本国内に反朝鮮感情が高まっていたそんな頃。不良に絡まれていた気弱な日本人高校生(笠井しげ)を、一人の少女(韓英恵)が助け、以来少年は少女の姿を探していた。ようやく見かけた少女はチマチョゴリを着ていた。彼女は在日朝鮮人だった。だがその直後、少女はチンピラに絡まれ、大勢の目の前で殺害されてしまう。少年はやがて知り合った少女の妹(韓英恵二役)に誘われるままに、旧日本軍が埋めたマスタード・ガスを掘り起し、少女はそれを使って無差別テロを実行する。二人は自転車に乗って旅に出るが、彼らのの逃避行はやがて思いもよらぬ事態へと発展して行く…。
(ネタバレあり)
随分過激な内容である。日本人チンピラが在日朝鮮人を殺害、被害者の妹が日本人への復讐と称し毒ガスをバラ撒いて無差別テロを実行する。その最初の標的はなぜか北朝鮮拉致被害者の家族会だ。最後には原爆を入手し、東京で爆発させるシーンまで出て来る。どこまでも過激で尖がっている。
これでは劇場側が尻込みするはずだ。2年経ったとはいえ、公開に至ったことは喜ばしい。チラシでは、荒井晴彦、若松孝二、足立正生、青山真治、寺脇研といった、いかにもクセのある面々がコメントを寄せている。これは映画ファンとしては見逃せない所である。
だがねぇ、プロットだけを見るなら面白そうなのだが、シナリオが随分粗っぽい(脚本は「パートナーズ」等の井上淳一)。いろんな類似テーマの映画・小説のサワリ部分を片っ端から寄せ集めて来たような印象である。
監督の片嶋一貴は、若松孝二監督作品のスタッフや、井筒和幸、村上龍らの監督作品の助監督を経験し、鈴木清順監督の「ピストルオペラ」「オペレッタ狸御殿」のプロデューサーも努めている。脚本の井上淳一は、一番好きな映画として長谷川和彦監督「太陽を盗んだ男」を挙げている。
そんなわけで、本作にはこれらの作家たちからの影響(と言うか引用)がモロに出ている。
冒頭の、在日朝鮮人少女を恋してしまった日本人少年…という辺りは井筒和幸「パッチギ!」風だし、反体制テロ実行シークェンスは若松孝二あるいは足立正生作品的だし、後半どんどん異世界へと逸脱して行くパンクな演出は鈴木清順を思わせるし、原爆を抱えて東京の町を歩くくだりは長谷川和彦「太陽を盗んだ男」を思い出させる。
そして問題なのが、“旧日本軍の製造したマスタード・ガスを盗み出してテロを計画する”というプロットが、村上龍原作の「共生虫」とそっくりな点である。本作で最初にマスタード・ガスを掘り出す引きこもり青年の人物像も、「共生虫」の主人公に似ているようである。これはパクリではないのか。ちなみに、村上龍原作の「昭和歌謡大全集」でも、最後に原爆の爆発シーンが登場する。
まあ別に、きちんとした物語の中にオマージュ風にいろんな作品からの引用を盛り込むのは構わないと思うのだが、寄せ集めだけで構成され、全体に一本芯が通っていないような作品では困るのだ。
最初は、気の弱い少年の初恋物語風に始まり、途中から毒ガス・テロに移行し、犯罪者同士の逃避行、その末に警官に撃たれ、瀕死の少女を船に乗せ二人で海に漕ぎ出す所までは70年代犯罪ロード・ムービー的、そして最後は(イリュージョンだろうが)原爆の爆発から、世界地図の上に核ミサイルが次々着地する、キューブリック「博士の異常な愛情」のような幕切れとなる。
私は、若松孝二や鈴木清順に代表される、異能作家による過激な作品もぶっ飛んだ作品も好きな方である。従って本作のラストのぶっ飛びぶりも、そこに至るプロセスがきちんと作られていたなら大笑いして楽しめただろう。
しかし前述のように、脚本が粗過ぎる。登場人物たちの性格付けもきちんと出来ていないし、その後のフォローも手抜きが目立つ。突っ込みどころ満載である。
主人公の少年は、危ない所を助けてくれた少女の危機を目撃しても何も出来ない。男だったら体を張ってでも助けに行くべきだし、その勇気がないとしても、警官を呼びに行く事くらいは出来るだろう。ただ見てるだけの情けないヘタレな主人公には共感しようがない。
少女を殺したチンピラたちのその後が全く描かれないのも困る。少年を含め、多くの目撃者がいるのだから、すぐ捕まりそうな気がするのだが。
旧日本軍のマスタード・ガスを、素人が簡単に盗み出せるのも変だ。ニュースになってるくらいなのだから、警察なり自衛隊が交代で監視してないとおかしい(その点、村上龍の「共生虫」では、忘れられたような防空壕跡に忍び込んだら、偶然毒ガスを発見するという具合に無理がない)。こんな危険物が大量になくなったら、大ニュースになるし厳戒体制が敷かれるはずだが、その様子もない。
さらに、少女の復讐の対象が、なぜ拉致被害者の家族会なのか。その説明は全くない。復讐なら、チンピラたちのたむろする場所を狙うべきだろう。
そしてこれが一番問題なのだが、少女は韓国系なのか、それとも北朝鮮系なのか、この点があいまいである。
韓国系なら、韓国も北朝鮮によって拉致された被害者は多い。思いは共通のはずである。そもそも北朝鮮による拉致がなければ在日朝鮮人が苛められることもなかっただろう。復讐の矛先は北朝鮮に向けるべきである。
北朝鮮系なら、日本人を拉致した加害者側として、日本人に詫びる立場である。北と南で、立場は全然変ってしまうのである。あいまいにすべきではない。
― と言うより、どっちであっても、拉致被害者の会を含め、日本人への無差別テロを行う理由は極めて乏しい。
その犯行声明をビデオに録り、マスコミに送りつける少女の行動は全く不可解である。チマチョゴリを着て顔を晒している。こんな事をすれば、少女の家族・縁者は、世間から袋叩きの目に会うし、在日韓国・朝鮮人はますますバッシングの嵐に晒される。後先考えない身勝手さといい、秋葉原の無差別殺人と同レベルの短絡さである。
この映画を、“毒(気のある)映画”と呼ぶ人は、荒井晴彦をはじめ多い。確かに若松孝二や石井輝男や三池崇史やQ・タランティーノなどによって、毒気が充満した映画は作られて来たし、私もそんな映画は好きである。
しかしそれらの作家たちは、無数のプログラム・ピクチャー、娯楽映画を作って来て、その分野で確固たる地位を築いた人たちばかりである。映画作りの基本をマスターしているからこそ、毒映画にも作家のポリシーが貫かれており、ファンも許容出来るのである。
無論、娯楽映画の経験の少ない作家でも、新人作家でも、毒のある映画を作るのは一向に差し支えない。 片嶋一貴監督の果敢なチャレンジ精神は大いに歓迎である。
しかし、毒映画を作るのは、娯楽映画を作るより難しい。本作は、一生懸命に毒を盛り込もうとはしているが、脚本の粗さもあって、本物の毒映画になり得ていない。残念な出来である。
船が波間に漂うシーンで、海を黒いビニールシートで表現しているのは、予算が足りなかったのだろうか。狙いとするなら、まるで1970年代のATG映画である(低予算を逆手に取って、書割を背景にした作品がいくつかあった)。わざとモノクロ映像にしているのも、ラストのイリュージョン映像も、ATG映画を連想させる。70年代だったら、反体制的な作りも含めて多くの支持を集めたかも知れない。しかし今の時代にはもはや古臭く色褪せて見えるのである。
とまあ、いろいろ叩いたけれども、こういう作品は嫌いではないし、作者たちの意欲は買いたい。万人にはお奨め出来ないが、クセのある映画が好きなコアな映画ファンなら、見ておいて損はないだろう。 (採点=★★★)
| 固定リンク
コメント
DVDになったら観てみます。小規模な映画過ぎてならなかったらイヤだな・・・
ところで一足先にベストテンと寸評書きました。
http://d.hatena.ne.jp/tanipro/20111216
よかったらお読みください。
投稿: タニプロ | 2011年12月24日 (土) 01:48