「ALWAYS 三丁目の夕日'64」
2012年・日本/ROBOT・阿部秀司事務所 = 配給:東宝
監督: 山崎 貴
原作: 西岸良平
脚本: 古沢良太、山崎 貴
エグゼクティブプロデューサー: 阿部秀司、奥田誠治
プロデューサー: 安藤親広、高橋望、飯沼伸之
西岸良平のコミックを原作に、昭和30年代の東京下町に暮らす人々の悲喜こもごもを描いた大ヒット・シリーズ3作目で、シリーズ初の3D作品。脚本・監督、そしてほとんどの出演者も、前2作と同じメンバーが結集した。
舞台は、前作「ALWAYS 続・三丁目の夕日」(2007)から5年後となる昭和39年。東京オリンピックの開催もひかえ夕日町三丁目の人たちも熱気に沸いていた。茶川竜之介(吉岡秀隆)と結婚したヒロミ(小雪)は出産間近、鈴木オートに住込み勤務する六子(堀北真希)は近所の病院に勤める菊池孝太郎(森山未來)に淡い恋心を抱く日々。竜之介の子となった古行淳之介(須賀健太)は東大目指して猛勉強中だが、小説家になる夢を捨てきれないでいた。そんなある日、少年誌に連載していた竜之介の冒険小説が、謎の作家が書く人気SF小説に圧され、連載が打ち切りになってしまい…。
いつもながら、昭和30年代の風物、流行(シェーも登場)、時代を反映したアイテム(注1)がふんだんに登場し、登場人物も、おせっかいだが世話好きで心温かい三丁目の住人たち同士の交流が人情味豊かに描かれ、安心して観ていられる。
そうした下町人情描写も踏まえ、私は前作の批評で、このシリーズは“21世紀の「男はつらいよ」シリーズ”ではないか、と書いたのだが、本作では益々その傾向が強まっている。
短気で喧嘩っぱやく、早とちりでそそっかしいが、人情もろい鈴木オートの則文(堤真一)は、まるで寅さんそっくりになって来たし、六子の結婚話に最初は猛反対したり、結婚式には父親代りに紋付袴で出席する則文の姿は、さくらの結婚騒動で笑わせ泣かせた「男はつらいよ」第1作の寅さんとこれまたそっくりである。
父親に勘当され、家を飛び出して東京で暮らす竜之介は、これも「男はつらいよ」でさくらの旦那となる諏訪博の出自とそっくりである。
思えば、竜之介役の吉岡秀隆は言うまでもなく寅の甥・満男役で有名だし、その父親役を演じた 米倉斎加年は「男はつらいよ」シリーズ数本で、警官その他の役で準レギュラー出演している。
私たちが「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズに心洗われ、感動するのは、これも前作批評で書いたが、「男はつらいよ」シリーズと共通する、東京の下町に展開する、昔ながらの人情、心の触れ合いがきめ細かく描かれ、大いに笑わせ、泣かせてくれるからである。
本作では、さらに“家族”、“親子”というテーマが強調されている。竜之介の、田舎の父との葛藤、その父の真の愛情を知って泣き崩れる竜之介、その竜之介と淳之介の親子愛、はたまた六子を実の娘のように可愛がり、最後は親代りに六子の結婚式まで面倒を見る鈴木夫妻の細やかな愛情に、また我々は涙してしまう。
こうした、“家族”、“親子”というテーマもまた、山田洋次監督が題名通り、「家族」(1970)、「息子」(91)等多くの作品で繰り返し描いて来たものである。
我々が本シリーズに感動するのは、単なるノスタルジーからだけではない。山田洋次作品に見るのと同様に、現代では失われつつある(しかし決して忘れ去ってはいけない)、家族の交流、親と子の絆、隣近所との心のふれあい、等が丁寧に描かれているからである。
さて、人気シリーズであるだけに、続編を望む声も多いだろうが(パート4の声もあるようだ)、個人的には、シリーズは本作で打ち切って欲しいと思う。
それは、原作とは違って、時間を進めてしまったからである。
原作では、「サザエさん」や「コボちゃん」、「クレヨンしんちゃん」等のマンガ・アニメと同様、登場する子供たちはいつまでも子供のままだし、誰も歳を取らないし、時間は進まない。原作「三丁目の夕日」の世界では、いつまでも時代は昭和30年代中期のままである。
映画では、時代は昭和39年まで進み、一平や淳之介は1作目の小学生から、高校生にまで成長してしまった。
この次作られるとするなら、一平たちも大学生、社会人になってしまうだろうし、何より時代は高度成長期を迎える昭和40年代に突入してしまう。
そうなったら、昭和30年代をノスタルジックに描く「三丁目の夕日」の世界ではなくなってしまうのである。
これが、実写映画の難点である所である。アニメだったら、一平や淳之介は何作作られようとも、永遠に子供のままでいられただろうに。
私も、このシリーズには愛着があるし、続けて行って欲しいとは思うが、昭和40年代が登場する「三丁目の夕日」なら、それは見たくはない。
変な話になってしまうが、せっかく最新のCG技術を使っているのだから、もしパート4以降を作るのなら、一平たちはモーション・キャプチャーを使って、CGで小学生のまま描き、昭和30年代から時間を進めないでおくことだ。…それも気持ち悪いのでやっぱり作らないで欲しいが(笑)。
話が逸れてしまったが、ともかくお話がよく出来ている。笑いと涙と、人情味がほどよくブレンドされ、シリーズのファンなら安心して観ていられる秀作である。
ただ3D上映について一言。冒頭、上空から見た東京タワーの先端がこちらに飛び出して来る3D映像はなかなかの見せ物だが、これ以外は、則文にぶっ飛ばされた孝太郎がスローで飛んで来る程度で、あまり大した3D効果は見られない。しかも、元々ややくすんだ色調の本シリーズを3Dメガネで見ると、余計に画面が暗くなって見づらい。3D映画がお好きな方ならともかく、そうでなければ2Dで充分ではないかと思う。 (採点=★★★★☆)
(関連作品)
「ALWAYS 三丁目の夕日」
(注1)
一平が結成したエレキバンドも当時から流行りだし、一大ブームとなったものだが、昭和39年当時はまだ一部アマチュアバンドが手掛け始めた程度で、ブームに火がつき、我も我もとエレキを弾き始めるのは翌40年1月のベンチャーズ来日公演(厚生年金会館)あたりからである。またセリフに登場する加山雄三のエレキが話題となるのは、これも昭和40年12月に公開の「エレキの若大将」からである。
(さて、お楽しみはココからだ)
シリーズ3作を通して観て気付くのは、前述の山田人情喜劇を生んだ、松竹大船映画のタッチ…中でも小津安二郎作品の味わい…が巧妙に継承されている点である。
1作目で展開される、“血の繋がらない子供を無理矢理育てる羽目となり、最初は邪険に扱いながらも、やがては我が子のようにいとおしくなって離れられなくなる”という物語は、小津監督の代表作「長屋紳士録」と同じパターンである。
紆余曲折の末に、めでたく娘の結婚式で締めくくられる物語展開は、「晩春」、「秋日和」、「秋刀魚の味」等のいくつかの小津作品でお馴染みである。
そして、昭和35年公開の小津作品、「秋日和」の冒頭では、東京タワーが印象的に登場しているのである。
ちなみに、松竹大船映画の傑作、木下恵介監督作品「お嬢さん乾杯」(1949)の主人公(佐野周二)の職業は自動車修理工場経営であった。
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コメント
お久しぶりです。この批評を書いてくださるのを今か、今かと待ってました!「続」には、夕日町の人々が金で賞を買うという展開やエピソード間のつながりに、褒め切れないもやもや感がいまだにあるのですが、今回の「64」、大傑作ではないでしょうか。「やけど、怪我、しみ、しわ、全て一生懸命働いている人の証」もう、このせりふだけで、六ちゃんを応援している自分、結婚を許す時の鈴木オートの、「りんごのほっぺ」や「シュークリーム」のせりふに、うんうんとうなずいている自分。「1」とまったく同じシチュエーションなのに今度は龍之介と淳之介の別れのシーンに、あれ、同じじゃんと思いながら号泣している自分。書いているだけで泣けてきます。そして演じていた俳優も立派に成長してリンクしているという事実。須賀君もいいし、ウェディングドレスを着た堀北真希のきれいなこと!ついでに、今また旬(?)の三浦友和がおいしいところをさらっていき、おまけに「1」の夕日、「続」の特急こだまと山崎監督が言っていた映画の神様が、今度は小雪のお腹に降りてきた(と、私は勝手に思う!)り。も一つ、森山未来の医師の設定は、吉岡秀隆のDr.コトーを意識していると、コレも私は勝手に思ってしまう。「続」で、この展開おかしいじゃんと思わせた反省か(金で賞を買うというのがどうしても気になっているのは、私だけではないと思う。もちろんそれなりの答えを手塚理美と小日向文世に言わせているが…)、今回の脚本はその辺を逆手にとって(と、私は勝手に思っている!)笑わせてくれる。全然出てこない龍之介が産婆を連れて突然現れたり(ここでトモエの名せりふ「何のこと」をヒロミに言わせる素晴らしさ!)、六ちゃんの両親は違うんじゃ…と観客に気がつかせておいて、一平に代弁させる間の良さ。
3Dの暗さは映画館の上映環境にもよるようです。正直違う劇場で2回見ましたが、1回目は冒頭のシーン、模型飛行機が空に上がるまで真っ暗でよくわからなかったのですが、2回目はそれなりに明るかったです。この3D、評判今イチですが、個人的には東京タワーの先端よりも、その前の飛行機が夕日町の電線を飛び越えていくあたりに感激しまして、「1」の冒頭の長回しのように話に入り込む効果はあったと思います。長くなってすいませんでした。全然まとまってませんね、でもうれしくて。
投稿: オサムシ | 2012年1月30日 (月) 23:31
原作を読んでいるので、1作目の最初の方はちょっと違和感がありました。
三作目ともなると安心して見ていられます。
今回も面白かったです。子役が大きくなっていてびっくり。須賀健太くんちょっと松田龍平に似てきてません?
おなじみの配役も楽しいですが、森山未來、大森南朋といった新メンバーも良かったです。
こうなれば4作目も見たい気がします。
投稿: きさ | 2012年1月31日 (火) 05:20
◆オサムシさん、お久しぶりです。
凄い長文の、熱のこもったコメントありがとうございます。
本当に本作は見どころ一杯ですね。私はトモエが六ちゃんにネックレスをプレゼントするシーンで泣いてしまいました。
ラストシーンも含め、1作目の繰り返しシーンがいくつか出て来るのも、シリーズ・ファンに対するサービスでしょうね。
◆きささん
もうこのシリーズは、西岸さんの原作とは離れて、映画独自の世界を作りあげていると思いますよ。
4作目はどうでしょうかね。昭和45年の万博を舞台に、という話もありますが、個人的には上に書いたように、30年代から進めて欲しくないんですがね。
投稿: Kei (管理人) | 2012年2月 1日 (水) 02:18
こんにちは。
う~ん。
ぼくは、この時代が終わって
『男はつらいよ』に移行したというイメージが強いんです。
寅さんは、家に安住できず、
町を出て放浪する…
そこに時代が一歩次の段階へ行った気がします。
と、それはさておき、
登場人物に歳をとらせたこの映画、
原作から離れて別の方向へと進もうとしているのかもしれませんね。
投稿: えい | 2012年2月 2日 (木) 23:31
書き込み及びトラックバック有り難う御座いました。
カラーテレビ、当時は正に高嶺の花だったでしょうね。我が家は父親が新し物好きだったので、早い時期に可成り無理をして購入。(当時は「ローン」なんて洒落た言葉が無く、「月賦」と呼んでいた様な。)テレビ画面に仰々しい「扉」が付いていて、其の上に埃除けの布が掛けられていたのを覚えています。
当時の家電製品は兎に角良くおかしくなったものですが、「叩けば直る。」と良く叩いていましたね。テレビも例外では無く、画像が乱れると、良く叩いて直したもの。
原作は原則、昭和30年代だけを描いていますので、自分も映画の続編が作られるのかどうかが気になっています。時系列で言えば、次は昭和40年代になってしまうし、何よりも“子役”の子達が既に大きくなり過ぎた感が在ります。でも私見を言えば、続編を作って欲しいなと。あの雰囲気が堪らなく好きなので。
投稿: giants-55 | 2012年2月 6日 (月) 00:07
Keiさん、はじめまして、団塊世代のやまももと申します。
私は映画「ALWAYS」シリーズを全て観て、その感想を拙ブログ「ポンコツ山のタヌキの便り」に書いているのですが、どうも第1篇より第2篇、第2篇より第3篇と流す涙の量が増加しており、身体のポンコツ度が進んで足腰が弱り、それに比例して涙腺もどんどん緩んできているようです。今回の「ALWAYS'64」では、涙をウルウル流しっぱなしでした。特に鈴木オートの六子ちゃん(堀北真希)や茶川家の淳之介(須賀健太)の鈴木家や茶川家から巣立ってそれぞれの新たな人生に飛び立っていく行く姿には滂沱の涙を流してしまいました。観終った後、喉の渇きを覚え、一緒に映画を観ていた妻から携帯用の小型ポットをもらって水をグイグイ飲んだものです。どうも脱水症状を起こしていたようです。上映時間が2時間20分以上もあったのに、映画に見入って(魅入って)しまい、私にはこの映画の上映時間がとても短く感じられました。
この映画は前回までの作品と同様に安心して観られる予定調和的なハッピーエンドものです。しかし、前作で川渕康成(小日向文世)が茶川竜之介(吉岡秀隆)の書いた作品「踊り子」を批評して、それがハッピーエンドの終わっていることに対し、「現実はこうはいかない。願望だな。実に甘い」と痛烈に批判していました。そうですね、確かに川渕康成の言う通りでしょう。しかし、だからこそ映画では登場人物の幸せな笑顔を観たいと観客は思うのです。
この「ALWAYS」シリーズは、Keiさんが「男はつらいよ」シリーズと同様に「東京の下町に展開する、昔ながらの人情、心の触れ合いがきめ細かく描かれ、大いに笑わせ、泣かせてくれる」とコメントしておられますが、「男はつらいよ」シリーズの観客たちが葛飾柴又の帝釈天門前の草団子屋で寅さんたちが繰り広げる人間ドラマに心を癒されていたように、「ALWAYS」シリーズの観客も夕日町の鈴木オートや茶川商店という架空の空間で演じられるドラマに同じテイストを感じて心を癒されているのですね。
またKeiさんが「人気シリーズであるだけに、続編を望む声も多いだろうが(パート4の声もあるようだ)、個人的には、シリーズは本作で打ち切って欲しいと思う」、「それは、原作とは違って、時間を進めてしまったからである」とコメントしておられますが、私も同感です。団塊世代の私には子ども時代を過ごした昭和30年代までがセピア色にぼかされた懐かしい過去であり、ましてそれより若い人たちにとっては生々しい現実社会から遠く隔絶した昔のお話として楽しめるからです(実際は本質的な違いはないと思うのですが)。
投稿: やまもも | 2012年2月16日 (木) 18:19
◆えいさん
すみません。せっかくコメントいただいてたのに、遅くなりました。
>ぼくは、この時代が終わって『男はつらいよ』に移行したというイメージが強いんです。
それは私も感じます。ただ、柴又の町の人たちの隣近所の交流、人情味、気さくさは本作と通じるものがあるとも思っています。
思えば、昭和39年は、山田洋次が「馬鹿まるだし」で初めて喜劇を手掛け、注目されるようになった記念すべき年でもありますね。
そして同年公開のシリーズ2作目「いいかげん馬鹿」で、都市化の波にさらされ、故郷に居場所がなくなってしまう主人公(ハナ肇)の哀しみを描き、まさに故郷に安住できない寅さんの原型が既に登場していた年でもあるのですね。
いろんな意味で、この年は節目になった年であると言えるでしょう。
◆giants-55さん
>当時はテレビ画面に仰々しい「扉」が付いていて、其の上に埃除けの布が掛けられていたのを覚えています。
そうそう、私の家では扉の代りにゴブラン織り(?)のような布が前面を覆っていて、テレビを見る時はそれをおもむろに上に上げてからスイッチを入れてました(笑)。
◆やまももさん、ようこそ
長文の、愛着のこもったコメントありがとうございました。
映画は現実から離れて、つかの間の夢の世界を映し出してくれる装置だと思っております。
>現実はこうはいかない。願望だな…
そう、その現実世界ではもはや見られなくなってしまった、見果てぬ願望がスクリーンの中では現実になっている…だからこそ観客は涙するのだと思います。
私も多分やまももさんと同世代だと思います。これからもよろしく。
投稿: Kei(管理人) | 2012年2月22日 (水) 01:10