« 「哀しき獣」 | トップページ | 「J・エドガー」 »

2012年2月12日 (日)

追悼 バート・シュナイダー

調べものをしていたら、たまたま見つけたサイトで、バート・シュナイダーが昨年亡くなっていた事を知った。
亡くなったのは、2011年12月12日。享年78歳だった。

Easyrider バート・シュナイダー…と言っても、ピンと来る人はあまりいないかも知れないが、アメリカン・ニューシネマの傑作「イージー・ライダー」で製作総指揮を務めた、と聞けば、思い出す方もいるだろう。

それだけではない。その他にも多くの異色作、秀作を世に送り出すのに貢献し、映画史に輝く足跡を残している。

以下のフィルモグラフィを見れば、その功績が多大である事に納得するだろう。

1968年 「ザ・モンキーズ/恋の合言葉 HEAD!」(監督:ボブ・ラフェルソン) 製作総指揮 

1969年 「イージー・ライダー」(監督:デニス・ホッパー)  製作総指揮

1970年 「ファイブ・イージー・ピーセス」(監督:ボブ・ラフェルソン)  製作総指揮

1971年 「ドライブ、ヒー・セッド」(日本未公開・監督:ジャック・ニコルソン)  製作総指揮

1971年 「ラスト・ショー」(監督:ピーター・ボグダノヴィッチ)   製作総指揮

1974年 「ハーツ・アンド・マインズ ベトナム戦争の真実」(監督:ピーター・デイヴィス)  製作

1975年 「放浪紳士 チャーリー」(監督:リチャード・パターソン)  製作

1978年 「天国の日々」(監督:テレンス・マリック)  製作

 
どれも異色の問題作である。「イージー・ライダー」だけでなく、「ラスト・ショー」はアカデミー作品賞、監督賞にノミネートされ、ベン・ジョンソン、クロリス・リーチマンにそれぞれ助演賞のオスカーをもたらし、日本ではキネ旬ベストワンを獲得した。
また、ベトナム戦争記録映画「ハーツ・アンド・マインズ ベトナム戦争の真実」は第47回アカデミー賞でドキュメンタリー長編賞を受賞し、数多くのベトナム戦争映画に多大な影響を与えた。
そして、今では伝説の映画監督とも呼ばれ、昨年は「ツリー・オブ・ライフ」で話題を呼んだテレンス・マリックの出世作「天国の日々」の製作にも手を貸している。

これほどの功績を残しているのに、我が国マスコミはどこも訃報を載せなかった。けしからん事である。

 
以下、経歴を簡単に。

バート・シュナイダーは1933年5月5日生れ。父親はコロンビア映画の社長を務めた事もあるエイブラハム・シュナイダー。
1960年代前半に、コロムビアのテレビ部門であるスクリーン・ジェムズに入社。ここで映画監督を目指していた
ボブ・ラフェルソンと意気投合、二人で制作会社、レイバート・プロダクションを設立した。

1964年、イギリス出身のビートルズが全米でも大人気となり、その加熱ぶりを目の当たりにした二人は、アメリカでもそれにあやかったグループを作り出そうと考え、オーディション広告で若いミュージシャンを集め、その中から4人を選んでザ・モンキーズを結成させ、テレビ番組「ザ・モンキーズ」をスタートさせた。これは我が国でもテレビ放映された。
この番組は1966年から2年間続き、勢いに乗ってモンキーズ主演の映画「HEAD」(邦題「ザ・モンキーズ/恋の合言葉 HEAD!」)を製作し、監督はラフェルソンが務め、脚本にはラフェルソンと親しかったジャック・ニコルソンが参加した。
当初の企画では、ビートルズ主演の「ハード・デイズ・ナイト」のような作品になるはずであったが、ラフェルソンとニコルソンが自由奔放にイメージを膨らませ、出来上がった映画はとりとめのないシュールな映像がランダムにコラージュされた、マカ不思議な怪作になった。この為、同作品は我が国では未公開となり、ようやく劇場公開が実現したのは1981年であった。

しかし、この作品で映画作りに自信を深めたシュナイダーは、やがてニコルソンを通じて、自分たちの映画を作りたがっていたピーター・フォンダとデニス・ホッパーと知り合い、レイバート・プロの製作によって「イージー・ライダー」映画化が実現する事となったのである。

「イージー・ライダー」の成功で、シュナイダーは次々と映画企画を実現して行く事となる。 Fiveeasypieces_2 70年には盟友ラフェルソン監督により、ニコルソン主演「ファイブ・イージー・ピーセス」を製作、これもアメリカン・ニューシネマの秀作として高く評価された。

シュナイダーが映画プロデューサーとして活躍したのは、1968年からわずか11年であったが、残した映画はいずれも映画史に燦然と輝いている。特に「イージー・ライダー」、「ラスト・ショー」、「天国の日々」と、短期間にこれだけの傑作、秀作を手掛け、ジャック・ニコルソン、デニス・ホッパー、ピーター・ボグダノヴィッチ、テレンス・マリックを、いずれも一躍スターダムに押し上げた功績は眼を瞠るものがある。
「ザ・モンキーズ/ 恋の合言葉 HEAD!」も今ではカルト的問題作として評価が高まっている。

なお、弟のハロルド・シュナイダーもプロデューサーであり、「天国の日々」をバートと共同製作の後、単独で異色のオカルト・ホラー映画「エンティティー/霊体」(82年・監督:シドニー・J・フューリー)、これも異色のハイテク・クライシス・ムービーの佳作「ウォー・ゲーム」(83年・監督:ジョン・バダム)、ジャック・ニコルソンが監督も務めた「黄昏のチャイナ・タウン」(90年)等の話題作をプロデュースし活躍している。

ネットでいろいろ調べてみたが、マスコミだけでなく、ネットでもバート・シュナイダーの訃報に触れたものはほとんどなかった。割と細かく訃報を載せている訃報ドットコムでも載っていなかった。功績に比べて不当ではないだろうか。残念でならない。

デニス・ホッパーも亡くなった事だし、今夜は「イージー・ライダー」のDVDを引っ張り出して2人を追悼する事にしようか。合掌。

 ランキングに投票ください → ブログランキング     にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

「モンキーズ HEAD!」 「イージー・ライダー」DVD  同・ブルーレイ

 

「ファイブ・イージー・ピーセス」  「ラスト・ショー」DVD 「ハーツ・アンド・マインズ」

 

「天国の日々」DVD

|

« 「哀しき獣」 | トップページ | 「J・エドガー」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 追悼 バート・シュナイダー:

« 「哀しき獣」 | トップページ | 「J・エドガー」 »