「キツツキと雨」
2011年・日本/オフィス・シロウズ=配給:角川映画
監督:沖田修一
脚本:沖田修一、守屋文雄
撮影:月永雄太
エグゼクティブプロデューサー: 井上伸一郎、椎名 保
企画: 佐々木史朗、嵐 智史
「南極料理人」で注目された沖田修一監督による、ひなびた山あいの山村にやって来た映画撮影隊と無骨な木こりとの交流が織りなすハートフル・コメディの佳作。主演はこれが初共演となる役所広司と小栗旬。2011年・第24回東京国際映画祭で審査員特別賞、第8回ドバイ国際映画祭で最優秀男優賞(役所)、脚本賞、編集賞を受賞。
岸克彦(役所広司)は、60歳になるベテラン木こり。3年前に妻を亡くし、定職に就かない息子の浩一(高良健吾)とはギクシャクした関係。ある日突然、その村にゾンビ映画の撮影隊がやってくる。ひょんなことから撮影を手伝うことになった克彦は、自分の息子と同じ読み方の、気の弱そうなスタッフの青年幸一(小栗旬)がなんとなく気になるが、その幸一は実は本作の新米監督だった事が分かり…。
映画作りの話、というのは、F・トリュフォ監督の名作「アメリカの夜~映画に愛をこめて」(1973)とか、後にミュージカル「NINE」にもなったF・フェリーニ監督の傑作「8 1/2」(1963)とか、タヴィアーニ兄弟監督の、これもキネ旬ベストワンになった「グッドモーニング・バビロン!」(1987)とか、映画史に残る傑作が多い。クリント・イーストウッド監督も、映画「アフリカの女王」撮影中のジョン・ヒューストン監督をモデルにした「ホワイトハンター・ブラックハート」(1990)という佳作(個人的には好き)を撮っている。
日本映画になると、何故か、ピンク映画のロケ隊を描いた「ロケーション」(1984年・森崎東監督)とか、一応東映京都撮影所が協力してるけれど多分誰も知らない(笑)「ストップモーション」(2000年・寿野俊之監督)とかの、超マイナーな作品しか思い当たらない(後者は一応私、観ている)。日本映画の場合、どうしても貧乏くさい(笑)話になってしまうせいだろうか。
さて、そんなわけで、本作も過去のそうした日本映画の例に洩れず(笑)、撮影隊が撮ろうとしている映画は、いかにもチープなゾンビ映画。素人の克彦にまでゾンビ・メイクをさせて、大した演技指導もなく、監督の幸一はまるで自信なげで優柔不断。助監督には子供扱いされ、スタッフには「邪魔よどいて」と怒鳴られ、ベテラン・カメラマンから「やるの、やらないの」と突き上げられる始末。
最近の映画題名をもじれば、ものすごく小心で、ありえないほど弱気(笑)。
こんな調子では、まともな映画なぞ作れるのか、と他人事ながらこちらも心配になって来る。あげくに、幸一は撮影ほったらかして東京に逃げ帰ろうとし、気付いた助監督たちにとっ捕まってしまう体たらく。観ているこっちも、「そんなに根性ないなら、映画監督なんかやめちまえ!」と一喝したくなって来るくらいだ。
ところが、克彦の方は、ラッシュ試写で、ゾンビに扮した自分が映っている映像(遠景でほとんど豆粒にしか見えないのだが)を見て、次第に映画に対する興味が湧いて来る。幸一にストーリーを熱心に聞き、やがては率先して村人に協力を求め、エキストラも集め、映画作りの面白さにのめり込んで行く。
そうした克彦の熱意に圧される形で、幸一は次第に映画作りに対する自信を取り戻して行き、「OK!」の声もいつしか大きくなり、一人前の監督として成長して行くのである。また克彦の方も、幸一と語り合ううちに、息子との接し方を反省し、親子の絆を取り戻して行くのである。
脚本(沖田修一、守屋文雄)がなかなか良く出来ている。小道具の使い方や、ちょっとしたきっかけで二人が意気投合して行くプロセスにも工夫が凝らされている。
例えば、幸一が監督を辞めるつもりで、台本を克彦に譲るのだが、克彦はこの台本を読んで幸一が監督である事を知り、かつ幸一の映画に対する思いも理解する事となるし、その後台本を返してもらいにやって来た幸一と将棋をし、海苔を食べ合う事によって、両者の気持ちが接近して行く辺りの展開がうまい。
実はその直前、息子の浩一が家を出て行ってしまい、寂しい気持ちの所に幸一がやって来て、それを息子が戻ったと思って「浩一か」と声をかけ、幸一の方が「はい」と答えるのだが、この成り行きで、克彦が幸一を、つい息子のように感じて行く心境の変化が観客にもよく分かるのである。ここらはこっちもホロリとしてしまう。
その他、温泉場の湯船で二人が出会うシーンが2度登場するのだが、最初はスルスルと克彦の方から接近し、幸一が及び腰だったのが、2度目は幸一の方から接近する事で、幸一の心境の変化を巧みに表現している辺りもうまい。
そして撮影最終日、あいにくの雨で撮影を決行するかどうか、ここでの克彦のアドバイスと幸一の決断、そして村人たちと撮影クルーが一心同体となった、素晴らしいクライマックスが感動的である。
不満もないではない。あんな気弱な監督はいないだろうとか、25歳の若者がどうやって監督を任されるに至ったのか、その経緯がよく分からないとか、映画作りはロケで終わりではなく、この後セット撮影とか、CGとかのポスト・プロダクションとか、難関はまだまだあるのでは、とか、気になる点も多い。
しかし、この物語は、映画作りのリアルな実態を描くのが目的ではない。映画作りという題材を使って、チープな内容であろうが、素人の寄せ集めだろうが、一つの目標に向かって多くの人たちが力を合わせ、幾多の困難も乗り越え、全員一丸となってプロジェクトを成し遂げる…その事の大切さを描こうとしているのだろう。
そうしたプロセスは、今の先が見えない、混沌とした時代において、特に大切な事ではないだろうか。
沖田修一監督は、前作「南極料理人」でも、どことなくトボけた味わいながら、人間同士の心の触れ合い、奇妙な連帯感を独特の空気感で描いていた。その作風は本作でも健在である。
物語よりも、おかしな人間たちが醸し出す、その雰囲気、至福感を楽しむ映画である、と言えよう。今後が楽しみな監督として期待したい。 (採点=★★★★☆)
(付記)
この映画の製作母体は、オフィス・シロウズと言い、代表を務めるのが佐々木史朗氏。
このお名前、映画ファンにはおおっ、と来るビッグネームである。
1978年より、日本ATG代表に就任。以後積極的に若手監督にチャンスを与え、数多くの映画史に残る秀作を送り出して来た。
以下、代表作を挙げてみる。
「ヒポクラテスたち」(80年・大森一樹)、「ガキ帝国」(81年・井筒和幸)、「遠雷」(81年・根岸吉太郎)、「転校生」(82年・大林宣彦)、「 九月の冗談クラブバンド」 (82年・長崎俊一)、「家族ゲーム」(83年・森田芳光)、「逆噴射家族 」(84・石井聰亙)。
93年にはオフィス・シロウズを設立、「20世紀ノスタルジア」(97年・原将人)、「ナビィの恋」(99年・中江裕司)、「笑う蛙」(02年・平山秀幸)、「スクラップ・ヘブン」(04年・李相日)…と、多くの若手監督の意欲作・傑作を手掛け、後のブレイクに繋げている。
それまでは大島渚、篠田正浩、吉田喜重、羽仁進、黒木和雄…と、ベテラン、重鎮中心だったATG製作映画に、若手監督登用方針を打ち出した点は大いなる功績である。その眼力の鋭さは、これら監督のその後の活躍を見るだけで充分である。
ある意味、佐々木氏がプロデュースした新人監督は、その後ブレイクする、というジンクスというか信頼度がある。
その意味では、沖田監督も今後一流監督として出世する可能性は大である。
佐々木氏は当年で73歳。まだまだ頑張って、若手監督を発掘していただきたい。今後も注目である。
(なお、主にアニメの音楽プロデューサーとして活躍されている、同姓同名の方がおられるが別人である。allcinema等データベースで同一人物扱いしているケースがあるので要注意)
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コメント
謹言
酒飲んで処方薬飲み寝転がり鼻毛をむしりキツツキと雨
投稿: 春日 | 2015年3月 3日 (火) 19:05