「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」
2011年・ドイツ・フランス・イギリス合作/配給:ギャガ
原題:Pina
監督:ヴィム・ヴェンダース
脚本:ヴィム・ヴェンダース
製作:ヴィム・ヴェンダース、ジャン=ピエロ・リンゲル
「ベルリン・天使の詩」「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」で知られるヴィム・ヴェンダース監督が、2009年に他界したドイツの天才舞踊家ピナ・バウシュの世界を、3D映像を駆使してさまざまな角度から捉えたドキュメンタリーの秀作。
ピナ・バウシュという人物については、まったくと言っていいほど知らなかった。ただ、ヴィム・ヴェンダースの作品は好きだったので、その名前につられて観に行ったのだが…
圧倒された。打ちのめされた。なんという素晴らしいダンス・パフォーマンスだろう。斬新で、躍動的で、独創的で、観る者を惹きつけて離さない。3D映像がさらにその魅力を増幅させている。ダンスにあまり興味のない方が観ても充分堪能できる。
実は、観る前はヴェンダースがなんで流行の3D映画なんか撮るのだろうか、時流に乗るタイプの作家ではないはずだが…と怪訝に思っていたのだが、インタビューを読むと、実は準備にかかったのは2008年頃で、「アバター」が公開される1年半も前だったという。2009年に、3Dで撮影を始めた頃も、まだ「アバター」は公開前だったそうだ。
時流に乗ったのではなく、ジェームズ・キャメロンより早く、3Dの映像表現としての可能性をいち早く見出していた、という事なのだろう。
なぜ3Dかと言うと、それは“(平面に映される)映画と違って、生身の肉体が踊る舞台の上でのパフォーマンスは、それ自身が立体的である”という事だからである。つまりは、舞台を観ているのと同じような感覚を観客に味わっていただこうとしたら、それは立体映像にするしかない、という事になるわけである。
ロングで捕らえた映像は、奥行きがあり、確かに舞台を観ているかのような気分にさせてくれる。
ヴェンダースは、本来はピナ自身が躍る姿をカメラに収めたいと思い、彼女の生前から準備をしていたのだが、撮影開始直前、ピナは急逝する。
一時は映画製作をあきらめようともヴェンダースは思ったらしいが、「ダンサーの中には20~30年と彼女とすごし、彼女の目線をそれだけの長い間に感じていた人もいるわけです。言葉ではなく、体でピナはどういう人であったか、彼女の目線はどういったものであったかをきちんと伝えてくれると思い、それで心機一転してこの映画を撮ることにしたのです」(インタビューより)
と思い直し、ピナが芸術監督を務めていたドイツ・ブッパタール舞踏団のダンサーたちが、彼女の遺志を継いで本作に参加し、映画は完成した。
映画では、生前にピナが映画用にと選んでいた、「カフェ・ミュラー」「春の祭典」「フルムーン」「コンタクトホーフ」の4つの舞台を再現、さらにカメラは街中にも飛び出し、街の交差点や公園で、ダイナミックなダンスが繰り広げられる。
この辺りの演出、ちょうど周防正行監督の「ダンシング・チャップリン」で、名ダンサー、ルイジ・ボニーノによる舞台上のダンスに、新緑の公園で撮影した野外ダンス・シーンを随所に配分した演出を思い起こさせる。
が、ヴェンダースが製作を開始したのは「ダンシング・チャップリン」が公開されるより前であり、影響を受けたわけではない。やはり優れた芸術家は同じような事を考えるものなのだろう。
舞台装置も凝っていて、舞台上一面に土を敷き詰めたり、はたまた水を張って、その上で群舞を繰り広げたり、無数の椅子を配置して、その間を縫うようにダンサーが躍る。
特に、水上での群舞は、水の飛沫もまたキャラクターを持っているかのように人間とぶつかり合い、弾け飛ぶ、そのダイナミズムは圧巻である。
ヴェンダース演出は、クレーン移動や俯瞰撮影も縦横に駆使し、3Dの立体感も相まって、まさにピナが表現しかったであろう、人間が躍動するその美しさを存分に捕らえ、見事である。
実際の、生身の人間が躍る舞台で鑑賞したならもっと素晴らしいだろうと思わせてくれる。
そして、残念に思うのは、もしピナが健在で、スクリーンの中で本人が踊っていたなら、もっと感動出来たのではないか、という点である(本人の映像も打合せやレッスン・シーン等、少しだけ登場するが)。
ともあれ、ダンスや、ミュージカルがお好きな方なら必見である。また、3D映画の新たなる可能性を見い出した、という点でも本作の位置は重要である。
付記すると、DVDでは立体感も得られないし、画面は小さいし、その感動は劇場での数十分の一も体感出来ないだろう。是非劇場の大画面で観て欲しい。 (採点=★★★★☆)
トレーラー
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