「戦火の馬」
イギリス・デボン地方の農家で両親と暮らす少年アルバート(ジェレミー・アーバイン)は、父が買った農耕馬のジョーイを大切に可愛がっていた。だが第一次大戦が勃発し、ジョーイは生活に貧した父によって軍馬を求める英国陸軍大尉に売られ、フランスの戦地へ向かう。ジョーイは戦火の中、さまざまな人の手に渡り、数奇な運命にさらされる事となる。一方アルバートはジョーイに会いたい為に、志願して激戦下のフランスに向かうが…。
戦争は残酷である。愛する者は引き裂かれ、多くの命が奪われて行く。特に第1次大戦中、英国では100万頭の馬が軍に徴用され、6万頭しか生き残れなかったという。
この物語は、ジョーイという一頭の馬に焦点を絞り、ジョーイが過酷な戦場において、戦車に追いかけられたり、鉄条網に引っかかって身動き出来なくなる等、何度も死の淵をさ迷う描写を積み重ねる事によって、戦争の空しさ、悲痛さを訴え、また一方、少年との交流を通して、絆で結ばれた友情の崇高さ、この地上に生きる人間、生き物たちそれぞれの、命の尊さを力強く謳い上げているのである。
とりわけ、少年と馬の交流、という、子供たちが観ても心打たれるストーリーを中心に置く事で、子供たちにも戦争の愚かさをストレートに伝える事も出来るわけで、これは幅広い世代にアピールする反戦映画の秀作になっている。
スピルバーグ監督の演出は、まさに正攻法、ベタではあるけれども、泣かせ、最後に感動させ、しみじみとした余韻を残して物語を締めくくる。まさに映画の王道を行く作り方である。
撮影のヤヌス・カミンスキー、音楽のジョン・ウィリアムズ、編集のマイケル・カーン、そして製作のフランク・マーシャル、キャスリーン・ケネディ、といった、これまでにも長きに亙ってスピルバーグを支えてきた人たちが結集しているのも強みである。特に撮影のカミンスキー、音楽のウィリアムズはここ近年でもベストに近い見事な仕事ぶりである。
さらにとりわけ印象深いのは、さまざまな映画的記憶が縦横に散りばめられている点である。
これまでにも、「ジョーズ」を始めとし、「インディー・ジョーンズ」シリーズや「E.T.」等に、過去の名作のオマージュや引用を取り入れて来たスピルバーグであるが、本作にはそれとなく、過去の名作のいいシーンが、本編を邪魔する事もなく、巧みに取り入れられている。
冒頭の、イングランドの農村風景を空撮で捕えたシーン、これはジョン・フォード監督のイギリス・ウェールズ地方を舞台にした「わが谷は緑なりき」やウィリアム・ワイラー監督の「嵐が丘」、近年ではデヴィッド・リーン監督の「ライアンの娘」にまで至る、イギリス独特の風土を丁寧にカメラに収めた名作群を連想させる。
中盤の、イギリス軍騎馬部隊がドイツ軍に奇襲をかけるシーン、ここはやはりジョン・フォード監督の西部劇―特に「捜索者」のラスト間近のクライマックス―における、インディアン部落への奇襲攻撃シーンと構図がそっくりになる。
その後、ドイツ軍の反撃に合って騎馬部隊が全滅するシークェンス、ここでは部隊が銃弾に倒されるシーンを直接見せず、カメラが引くと無数の馬と兵士が死に絶え、横たわっている姿が映し出されるシーンは、明らかに黒澤明監督の「影武者」の引用だろう。
黒澤明とジョン・フォードをこよなく愛するスピルバーグらしいオマージュである。
塹壕の中の長い縦移動シーンは、やはり第一次大戦を舞台としたスタンリー・キューブリック監督の反戦映画の傑作「突撃」を思わせる。
そしてラストシーン、真赤な夕焼け空の下、ジョーイにまたがったアルバートが我が家に帰って来るシーン、この印象的な夕焼け空は、いやでもヴィクター・フレミング監督「風と共に去りぬ」を思い起こさせる。
これらのシーンは、巧みに物語に溶け込んでいる為、前記の名作群を観ていなくても十分映画を楽しめるが、これらの名作を観ている人には余計楽しめる事となるだろう。
どっしりと、楷書のように端正なスピルバーグ演出は、もはや前記に挙げた監督たちと並ぶ、巨匠の風格すら感じられる。本年を代表するだけでなく、スピルバーグ監督作品中でも上位に挙げられる、見事な秀作である。必見。 (採点=★★★★★)
(さて、お楽しみはココからである)
この映画を観て、もう1本、思い出した映画がある。
山本嘉次郎監督の1941年作品「馬」である。
冒頭に、馬のセリ市のシーンが登場するし、中盤では仔馬の出産シーンがあり、生れたばかりの仔馬がヨロヨロ立ち上がるシーンもある。
そして物語の中心となるのは、少女(高峰秀子!)と、この仔馬との心の交流である。この少女が、馬が大好きで、冒頭のセリ市で馬をじっと見つめているシーンもある。
最後には、もう一度冒頭と同じようなセリ市のシーンが登場し、少女が丹精込めて育てた馬が軍馬として売られる事となる。
原作者が本作を観ているとは思えないのでこれは偶然だろうが、ここまで似たシーンがあるのも興味深い。
そしてもっと興味深いのは、この作品の完成に深く係わっていたのが、黒澤明だったという点である。
黒澤はこの作品のチーフ助監督で、クレジットでは製作主任となっているが、本作の大部分を占めるロケ撮影については、山本監督は黒澤に任せっきりで、実質的には黒澤が監督に近い状態だった。また、脚本は山本名義であるが、実際は黒澤がかなりの部分を執筆している上に、編集、ダビングなどのポストプロダクション作業も黒澤が担当しており、実質、黒澤の処女作に近い作品とも言える(wikipediaより引用)。
スピルバーグは、映画の撮影前や制作に行き詰まった時には、その都度黒澤の「七人の侍」を繰り返し観るくらいの、大の黒澤明ファンである事は知られており、本作で「影武者」を引用したのもその現れであろうが、スピルバーグが作った“馬”が主人公の映画が、黒澤の実質処女作品と非常によく似ている、というのもこれまた不思議な偶然である。映画の神様が、二人をこうして繋げているのかも知れない。
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コメント
面白かったですが、割とストレートな話でしたね。
原作は82年の作品ですが児童文学だそうなのでそれでクラシックな感じなのかな。
60年代くらいの映画みたいな感じでした。
なるほど、フォードと黒澤ですか。
冒頭の主人公とジョーイのエピソードはちょっと冗長な感じも。
後半は第1次大戦史という感じで、騎兵、機銃、バイクや戦車、毒ガスと
兵器の移り変わりを描く感じもあります。
個人的にはどうせなら飛行船や航空機も出して欲しかったですが、まあ馬が主人公ですからね。
ラストは王道の展開でさすがに盛り上がります。
投稿: きさ | 2012年3月14日 (水) 05:12
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
投稿: 添え状 | 2012年4月 7日 (土) 15:54
◆きささん
超遅レスですみません。
>冒頭の主人公とジョーイのエピソードはちょっと冗長な感じも。
確かにゆったりとしたペースですが、大ヒットした舞台劇をスピルバーグが見て、映画化を決意した、という経緯ですから、舞台劇的な流れに沿っているものと思われます。
個人差はあるかも知れませんが、私は十分堪能しました。歳のせいかも知れませんが(笑)。あそこを時間をかけて描いているからこそ、ジョーイとアルバートとの深い友情がジンと心に沁みるのですね。
◆添え状さん、ようこそ
お褒めいただき、ありがとうございます。またいろいろ、ご感想お寄せください。
投稿: Kei(管理人) | 2012年4月17日 (火) 23:16