「ももへの手紙」
小学6年生の少女もも(美山加恋)は、父親が海の事故で他界した為、母のいく子(優香)とともに親戚のいる瀬戸内海の汐島に引っ越してくる。父はももに「ももへ」と一言だけ書き残した手紙を残していた。些細な事で喧嘩した父と和解出来ないままだったももは、父が何を書きたかったのかが気がかり。そんなある日、ももは「見守り組」と名乗るイワ(西田敏行)、カワ(山寺宏一)、マメ(チョー)の3人組の妖怪に出会う…。
沖浦監督の前作「人狼 JIN-ROH」は傑作であった。パラレル・ワールドとしての、もう一つの昭和30年代の東京を舞台に、武装する反政府勢力と特殊治安部隊との抗争の中で翻弄されて行く、一組の男女の悲しい愛を、じっくりと丁寧かつ鮮烈に描き、感動的であった。
この作品は、押井守が実写で監督した「紅い眼鏡」、「ケルベロス・地獄の番犬」に続く「ケルベロス」シリーズ第3作に当り、脚本も押井が書いているが、実際には沖浦監督がかなり手を加えていると聞く。それは前2作と比べたら、人物造形、ストーリー展開共に格段に厚味が増し、緻密な作りになっていて見応えある作品に仕上がっている事からも納得出来る。東京・下町の風景描写や、人物の微妙な感情の起伏もリアルに描かれていた(作品評はこちら)。
なおこの作品は、第54回毎日映画コンクール・アニメーション賞、ファンタスポルト1999最優秀アニメーション賞・審査員特別大賞、モントリオール・ファンタジア映画祭アジア映画部門2位等、内外で数多くの賞を得、キネマ旬報読者選出ベストテンでも第9位に入選している。
監督の沖浦啓之もこの作品で高く評価され、次作が待たれていたが、その後は押井守監督「イノセンス」(2004)のキャラクターデザイン・作画監督・原画を担当した後、2005年から本作「ももへの手紙」に着手し、完成までに7年かかったという事である。
アニメーション制作は前作と同じプロダクションIG。ここの制作作品は、「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」(沖浦がキャラクターデザイン・作画監督を担当)や「BLOOD The Last Vampire」、「キル・ビル」のアニメ・パート等、ハイテク・メカやハード・バイオレンスがメインの作品が多く、本作のようなほのぼのとしたメルヘンチックな作品は多分初めてではないだろうか。そこがやや不安だった。
だが、さすが前作でも緻密でリアルな画作りを行っていた沖浦監督、本作でも、瀬戸内海の小さな島の美しい自然や人物の心理のあや等が、前作以上にじっくり丁寧に描かれ、見応えある作品に仕上がっている。
ストーリー展開から見れば、“都会から辺鄙な田舎に引っ越して来た少女が、へんてこな妖怪に出会う”という出だしは「となりのトトロ」に似ているし、おまけにスタッフにも作画監督に「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」の安藤雅司、美術監督に「魔女の宅急便」の大野広司等、宮崎駿作品に関った人たちが参加している事からも、ジブリ・アニメに近いと思う方も多いだろう。
特に後半のクライマックス、肉親の危機に、少女が矢も盾もたまらず全力で走り出す場面や、その少女を支援する為、妖怪たちの集団が建設途中の連絡架橋上を爆走するシーンは、「トトロ」のクライマックス、猫バスの疾走を連想する方も多いだろう。思えば、初めて妖怪の姿を目撃するのが雨宿り、という辺りもトトロと同じだ。
が、一連の宮崎アニメと似て非なるのは、この作品のバックボーンが、“最愛の父を亡くし、その喪失感を背負って生きる、母と娘の心の葛藤”にある点である。
(以下ネタバレとなります)
心にもなく喧嘩をしてしまったまま、突然に、別れを言う事も出来ずに死んでしまった父。「ももへ」と書かれた手紙に、父は何を言いたかったのか。
互いに伝えられなかった想い。そして気丈に振舞いながらも、実は深い悲しみを背負って生きていた母…。そうした、人が思いを胸に秘めて生きる悲しみ、苦しみが、やがて土地の人とのふれあい、変な妖怪との交流等を通して癒され、浄化して行くプロセスが丁寧に描かれ、胸をうつ。
最初は内向的で、村の少年が誘ってくれた海への飛び込みにも引っ込み思案だったももが、嵐の中、母を救う為に決死の覚悟で勇気を振り絞って走り出すシーン、それに呼応して妖怪たちがまさにひと塊になって応援するクライマックスは感動的だ。
その後に、今度はちゃんと海に飛び込めるようになったもも。彼女はまさしく、悲しみを乗り越えて一回り成長したのである。
そしてラスト、故人の魂を鎮める為に海に放った藁舟が戻って来て、そこに父からの手紙を見るシーン。題名の「ももへの手紙」の本当の意味がここで明らかになる。
伝わらなかった、伝えられなかった思い…。亡くなっても、天からやさしく見守っている父の思いに、私はドッと泣けた。涙が止まらなかった。大切な人を亡くした経験のある人なら、誰もが泣けるだろう。
製作はあの3.11以前からであったが、本作はまさに、あの大震災で大切な人を亡くした、多くの人にこそ観て欲しい、素晴らしい作品になっている。
大切な人を失う事はとても悲しい。だけど、あの世に行った人たちはきっと空から、残された人たちを見守っている…。その思いに応える為にも、残された人たちは勇気を出して、前を向いて生きて行くべきなのである。強く生きる事こそが、亡くなった人に報いる手段なのである。
沖浦監督が、7年もかけて、丁寧に丁寧に作った本作は、まさに本年を代表する、心をうつ傑作となった。多くの人に―特に大人の人にこそ是非―観て欲しいと思う。 (採点=★★★★★)
(追記)
本作は先ごろ、第15回ニューヨーク国際児童映画祭の長編大賞、イタリア・ボローニャで開催された第14回フューチャーフィルム映画祭で最高賞のプラチナグランプリを受賞したそうである。沖浦監督、おめでとうございます。
(さて、ココからがお楽しみ)
この作品の舞台となる島の上にかかる建設途中の橋は、おそらくは尾道・今治を結ぶ本四架橋だろう。別名“しまなみ海道”。ちなみに全橋梁の完成は1999年5月。従って物語の時代は1998年秋くらいではないか。
ところで、その本州側の拠点・尾道は、大林宣彦監督の多くの作品の舞台でもある。
大林監督の尾道を舞台とする作品は、いわゆる“尾道三部作”、“新・尾道三部作”等があるのだが、そのうちの新・尾道三部作には、前三部作と異なる大きな共通点がある。
それは、3作とも、“別れも言えずに最愛の人を亡くした者たちの、死者を思う気持ち”を丹念に描いた作品である、という点である。
第1作「ふたり」(1991)では、主人公の実加(石田ひかり)は突然姉の千津子(中島朋子)を失い、やがて千津子の幽霊に見守られ、成長して行く。
第2作「あした」(1995)では、嵐で遭難した小型客船・呼子丸に乗っていて亡くなった人たちが幽霊となって現れ、それぞれに伝えられなかった思いを伝え合う。
そして最終作「あの、夏の日 とんでろ じいちゃん」(1999)では、おじいちゃん(小林桂樹)が、肺病を患った初恋の人(宮崎あおい)に思いを伝えられないまま、死に別れてしまった、その悲しみが描かれていた。
しかも「あの、夏の日-」では、丁度完成したばかり(1999年!)の、くだんの尾道・今治本四架橋が全編に背景となって登場しているのである。
多分沖浦監督は、この新・尾道三部作をベースにして、本作の構想を思いついたのではないだろうか。
そうそう、大林宣彦監督作品にはもう1本、子供の時に突然事故で死んでしまった両親の幽霊と出会い、互いに思いを伝え合う「異人たちとの夏」(1988)という傑作もあったなあ。
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