自由学校 (1951)
獅子文六の人気小説を、「本日休診」や同じ獅子文六作品の映画化「てんやわんや」等の秀作コメディで知られる渋谷実が監督。なお本作は大映(吉村公三郎監督)と共作となり、同タイトルでかつ同じ日(1951年5月5日)に公開され、どちらも大ヒットしたという珍しいケースの作品。
5月の連休を“ゴールデン・ウィーク”と呼ぶようになったのは、この大ヒットからだと言われている。―つまりは、元は映画興行界用語である。
会社勤めの男・南村五百助(佐分利信)は仕事が面白くなく、妻に無断で会社を辞めてしまう。それを知った妻・駒子(高峰三枝子)は怒りのあまり五百助を家から追い出してしまう。かねてから自由になりたかった五百助は、街をさまよううち、バタ屋の親父・長谷川金次(東野英治郎)と意気投合し、ルンペン生活を楽しむようになる。一方妻の駒子も、自分が自由になったことに気づき、戸惑いながらも新生活を楽しむが、やがていろんな男どもが近づいて来て…。
役者の顔ぶれがすごい。佐分利信、高峰三枝子、淡島千景、佐田啓二、杉村春子、笠智衆、東野英治郎、清水将夫、高橋豊子、小沢栄(栄太郎)、三津田健…と、小津安二郎や木下恵介作品の常連でもある名優ばかりである。この人たちの名演技を見るだけでも値打ちがある。
が、観て驚いたのは、それぞれの俳優が、後の小津映画等からは想像もつかない程、ハジけてぶっ飛んだ怪演(珍演?)をしている点である。
なにしろ、高峰三枝子はグータラな亭主にぶち切れて、まるで猫のように佐分利信の首根っこをつかんで持ち上げ、ぶん投げるのである(笑)。足元しか見えないからスタッフがサポートしてるのだろうが、まずこれにびっくり。
佐分利信のグータラぶりも凄い。冒頭では会社の出勤時間だというのに、パジャマ姿で縁側に寝そべって、妻にせっつかれてもグダラグダラしてるし、ルンペンになってからの、ボロ服にムサ苦しい格好で、クズカゴかついでシケモク拾ってる姿が爆笑もの(右)。
淡島千景も、蓮っ葉で男を振り回し佐分利信にアタックする、現代風の若者(当時はアプレゲールと呼んだ)を怪演。「夫婦善哉」で森繁が頼りにするオバハンを演じたのが、本作よりたった4年後というのが信じられない。
その淡島に振り回される情けないお坊っちゃん・隆文を演じる佐田啓二がまた凄い。爪にマニキュアし、おネエ言葉でクネクネと動く姿は、これがあの「君の名は」(1953)等の甘い二枚目俳優と同一人物とはとても思えない。イメージとしては、同時期の大泉滉に近い感じである(後で調べたら、大映版ではその大泉滉が隆文役を演じていたと知ってまたびっくり(笑))。
笠智衆は、米屋の親父を演じているが、駒子に惚れ込んで言い寄り、フラれるとキレて暴力的になり、南村家の家財道具を片っ端から放り投げ、メチャメチャにぶっ壊してしまう。これも小津作品での、もの静かな人物像からは想像出来ない。
つまりは、映画史的に有名な作品において、渋く落ち着いた演技を見せている名優たちが、それらを観ている観客が抱いている一般的イメージを、ことごとく覆すような怪演を見せているのである。高峰や淡島は、早口でまくし立てるし。とにかくテンポがいい。
そういった演技合戦ぶりを見るだけでも楽しいが、テーマとなっているのは“自由って何だろう”という、なかなか奥の深い問題である。
戦後6年(原作が発表されたのはその前年)、戦前と違って人々は自由を謳歌している。若者は好き勝手に風俗、恋愛を楽しんでいるし、女房たちも家父長制が強かった戦前とは変わって、亭主と対等になり、自立し始めている。
この作品の佐分利演じる五百助は、給料を家に運ぶサラリーマン生活すらも窮屈と感じ、もっと自由に行きたいと望む。ルンペンになってからは、最初のうちこそ楽しんでいたものの、気のよさが災いして小沢栄扮する怪しげな男に騙され、詐欺の片棒を担がされてしまい、警察に捕まって留置場に放り込まれてしまう。
自由には、それなりの代償を伴うものだという視点が辛辣である。
一方、駒子は亭主がいなくなってこちらも自由を楽しむが、それを知った周囲の男たちが次々と言い寄って来る。亭主を追い出したとは言え、本気で五百助と別れたいとは思っていない駒子は、男どもから逃げる為四苦八苦。
その気持ちを示すシーンが冒頭すぐにある。亭主を追い出しながらも、その晩寝床に入った駒子からカメラが引くと、ちゃぶ台の上にはちゃんと晩ごはんを作って置いてある。さりげないが秀逸なショットである。
最後は、伯父の尽力で五百助を引き取った駒子は、五百助とヨリを戻す。五百助も駒子も、つかの間の自由な生活を経て、何かを学んだようである。
ラストが秀逸。なんと今度は駒子が働きに出て、五百助が主夫になっている(五百助が割烹着姿で家事をし、駒子に小遣を渡すという、冒頭と男女が逆転したシーンが傑作)。女性の自立や、家事をする夫、というのはここ数年目だって来ている実態だが、なんと60年前の映画に、既に描かれていたとは驚きである。
時代を遥かに先取りしていた作品、と言えるのではないか。
時代の空気を敏感に捕え、かつ戦後における価値観の崩壊から、なし崩し的に自由と欲望を求める風潮への痛烈な風刺精神がここにはある。
この作品が、テレビでもあまり放映されていないのは残念である。現在NHK-BSで放映中の「山田洋次が選ぶ名作・喜劇編」のラインナップにもない(渋谷実作品では「好人好日」が入っているのみ。これも悪くはないけれど)。
観る機会があれば是非。 (採点=★★★★☆)
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