「苦役列車」
時代は昭和の終りも近い、1986年。子供の頃に父親が性犯罪で捕まり、一家は離散し、天涯孤独となった北町貫多(森山未來)は高校にも進学出来ず、日雇い労働でその日暮らしの生活を続けていた。ある日、同じ現場で働く専門学校生・日下部正二(高良健吾)と親しくなった貫多は、正二に後押しされる形で、密かに恋心を抱いていた古本屋で働く女子大生の桜井康子(前田敦子)と友達になる。しかし、これまでまともな人付き合いも出来なかった貫多は、康子に嫌われる行動を取ってしまい…。
いやはや、貫多という男、まったくどうしようもないクズ人間である。19歳という若さなのに、酒とタバコと、連日の風俗通いで家賃もまともに払えず、正二に仲介してもらえなければ好きな女の子に声もかけられない気の弱さ。そのくせ酔っては中卒のコンプレックスをぶちまけ、悪態をついて友人を辟易させ、職場ではやる気のない態度を注意された上司に逆ギレして暴行を振るう有り様。
最初のうちは、観てて不愉快な気分にさせられる。こんな人間が周囲にいたら、近付きたくない。
正二も、よく付き合うなと感心する。
やがて正二にも、普通のガールフレンドが出来る。が、一っ端のサブカル知識をひけらかす彼女にキレた貫多は、悪態をついて正二とも疎遠になってしまう。
が、映画が突然面白くなり出すのは、この貫多の悪態ぶりからである。
ここで彼が吐くセリフはほぼ原作通りなのだが、単なるグチでなく、当時のニューアカとか、サブカルをもてはやす風潮への、痛烈な批判になっている。
「何が下北だよ。ぼくら生粋の江戸っ子は、あの辺を白眼視して絶対に住もうとは思わない」
「このコネクレージーどもめが!」
というセリフは、ある意味爽快である。
貫多は、自堕落な生活を送ってはいるが、本を読むのが大好きで、いずれは小説を書きたいという夢は持っている。
だから、決して人生投げやりではない。最底辺の生活の中で、周囲の人物を観察し、批評眼を養い、その生活を肥しに、着実に何かを学び取って行こうとしているのだ。
ダメな人生を送ってはいるが、人間としてダメになっているわけではない。彼なりに必死で、精一杯生きようとしているのである。
そう思い出した辺りから、この貫多という主人公に、不思議と愛おしさが湧き上がって来る。頑張れ、と言いたい気になって来る。
脚本、演出のマジックである。
(ここからややネタバレあり)
この貫多に、影響を及ぼした人間が二人登場する。
一人は、原作には出て来ない清廉な少女、桜井康子であり、もう一人は職場仲間の高橋(マキタスポーツ)である。
康子は、映画の中でミューズとして輝いている。見るからにダサい貫多に、友達になってあげてもいいと快諾し、海辺では下着姿になって貫多や正二と水浴びに興じる。
しかし、雨の中、貫多が抱きつこうとすると拒絶し、「友達のままではいけない?」と言う。
それまでは風俗に通ったり、ブサイクだけどヤラせてくれる彼女がいたり、女はセックスの対象だと思っていた貫多に、“心を通わせる人間としての女性”もまた存在する事を、彼女は思い至らせるのである。
前田敦子が好演。不思議な透明感がある。今後が楽しみ。
原作にないこの少女を創造した事は、脚本の大勝利である。この点で映画は原作を超えたと言っていい。
もう一人の人物、高橋は、冴えないハゲのオッサンで、ずっと日雇い生活を送って来たようで、ある意味では未来の貫多の姿であろう。
だが、事故で足に怪我をして仕事が出来なくなった高橋に、会社からの見舞金を届けたカラオケで、貫多は高橋から、かつては歌手になろうとした事もあり、今もその夢は失っていないと聞かされる。
そしてヘタな「襟裳岬」を歌っていた男からマイクを取り上げ、意外な美声で歌う。
この辺りから、貫多は、自分の夢を追う事も悪くはないかなと思い始める。
人生の、一つの転機である。
これがラストに生きてくる。3年後、貫多はテレビで、歌う高橋を発見する。
ささやかとは言え、夢を実現した高橋を見て、貫多は確実に変わろうとする。
裸にされ、ブリーフ1枚で道路を走る貫多の姿には感動を覚えた。文字通り、“裸一貫”からの出直しである。
高橋を演じたマキタスポーツという人、全然知らなかったのだが、いい存在感を示している(お笑い芸人だそうだ)。
歌も歌えるし、将来は泉谷しげるのようなキャラクターになれる可能性も秘めている。
これら以外にも、貫多の元カノの男で変な動物ごっこをやってみせる柳光石とか、貫多と取っ組み合いする上司を演じた高橋努とか、これまで知らなかったけれど、味のある名演技を見せる役者が揃ってるのもいい。
古本屋で康子らしい後姿を見て、振り返ったらこれが「ジャーマン+雨」の野嵜好美だったのには笑った。本当に役者の人選が秀逸である。
決して楽しい映画ではない。観てて不愉快になる人もいるかも知れない。
だが、これもまた人生であり、青春の一断面である。最後まで付き合えば、人間というものの不可思議さ、哀しさ、それでも生きて行く事の大切さを感じ取る事が出来るかも知れない。
山下敦弘監督、「マイ・バック・ページ」に続いてまたも、昭和の、迷いながら生きる青春像を見事に描き切った。力作である。 (採点=★★★★☆)
(さて、ココからは少しだけ補足)
この映画、ミニシアター向けかと思ったらなんとシネコンでロードショー。
製作・配給が大手の東映、というのも異色で、「モテキ」をヒットさせた森山未來主演とはいえ、こんな引いてしまう根暗男が主人公の文芸作を、よくまあOKを出したものです。
案の定と言うか、興行収入は1週目で既に10位圏外。ベタコケのようです。
東宝だと「悪人」とか「告白」とか「モテキ」とかの難しい作品でも大ヒットさせてるんだから、当社でもやってみろ、てな事なのかも知れません。
ま、あちらは興行網が厚いのと、これらを手掛けた川村元気という辣腕プロデューサーがいて、ヒットさせるノウハウを蓄えてるおかげでもある訳ですが。
ちなみに、本作を手掛けたのは、東映の若手プロデューサー、川田亮氏。同じ“川”が名前にあるのも何かの縁でしょうか。
ちなみに川田プロデューサーの手掛けた前作は、森田芳光監督の「僕達急行 A列車で行こう」。これもユニークな意欲作です。偶然でしょうがどちらも題名に“列車”が入ってます(笑)。
まあこれにメゲず、東映も意欲的な作品をヒットさせるよう頑張っていただきたいものです。
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コメント
細かな演出がイマイチで少し乗り切れない部分はあるが、キャラクターは素晴らしい。
それが「苦役列車」の個人的な印象である。
中卒で日雇い人足として生計を立てる19歳の男、北町貫多を主人公にした、西村賢太の芥川賞受賞作が原作だ。
この北町貫多が本当にひどい奴だ。
言動は粗野な部分が多く、金を得ても、酒を飲むか、風俗に入れあげる始末で、家賃も払おうとしない。
卑猥な言葉を相手に向かって平気で吐くし、ときに粗暴なふるまいもすれば、卑屈な態度を取ったり、僻みから相手に怒りをぶつけたりもする。
基本的に貫多は人の心を読めないタイプだと思う。
それが原因でトラブルになったり、友だちもやがてはそんな貫多の態度にうんざりして離れていく。
原作を読んでも思ったが、映像で見ると改めて思う。この人はダメ人間だと。
そんな貫多を演じる森山未來の演技が素晴らしかった。
貫多のキャラクター同様、彼の全身から発する空気は、見事なまでにすさんでいる。
自堕落で、欲望に忠実で、無責任に他人に甘えるような男の雰囲気がにじみ出ていた。
画面の中にいたのは、スマートなイメージのある森山未來ではなく、どうしようもなく、ろくでもない、北町貫多だった。
まさしくリアルで、それゆえ強いインパクトを残すのだ。
そんな役になりきった、森山未來の演技の凄みに終始惹き付けられた。
このように、役者に関しては、大満足なものの、筋運びに関しては、どうも合わなかった。
一言で言えば、少し力が入りすぎているように思えたからだ。
たとえばラストの海のシーンなんかは、どう見ても、作為が入りすぎている。
見ていて私は少し引いた。こういう演出って嫌いだな。
それ以外の場面でも、いくつか似たようなことを感じた。
役者に関しては、その力の入り具合が、うまい具合に回転していた。
けれど、筋の運びや細かな演出では、それも空回りしているように見える。
個人の趣味だと言えばそれまでだけど、どうも、もどかしい。
ケチをつけたくなる作品ではある。
だけど俳優たちの力により、心に残る作品になり得ているのは間違いない。
俳優とキャラクターの存在感をまざまざと見せつけられる作品だと思う。
投稿: | 2023年11月 2日 (木) 23:09