「図書館戦争 革命のつばさ」
2019年(正化31年)、日本では公序良俗を乱す表現を取り締まるため「メディア良化法」が制定されていた。表現の自由を奪うこの法律から本を守るため、図書館側は独自の防衛組織「図書隊」を創設し、メディア良化委員会配下の武装グループ、メディア良化隊との戦いを繰り広げていた。折しも、原発を狙ったテロ事件が発生し、その手口が小説家・当麻蔵人(イッセー尾形)の作品内容と酷似していることから、メディア良化委員会は当麻を捕えようとしていた。図書隊に所属する笠原郁(井上麻里奈)と教官堂上篤(前野智昭)は、当麻の身辺警護を任されるが、良化隊の魔の手は身近にまで迫っていた…。
原作は未読。アニメ・シリーズを見ておらず、観る予定はなかったのだが、時間が空いて、他に観たい作品がなかったのと、制作したのが「ももへの手紙」等クオリティの高いアニメを作っているプロダクションIGという事もあって、過度な期待は抱かず鑑賞する事に。
なんとまあ、予想外に面白い!
原作は「阪急電車」で知られる有川浩。「『本の雑誌』が選ぶ2006年上半期エンターテイメント」で第1位になっている程だから、面白い原作だろうとは思っていたが、“もし国家が表現の自由を脅かす法律を作ったら”というパラレル・ワールドSF(元号も平成でなく正化)仕立てとなっている点がユニーク。
映画ファンなら即座に思い出すのが、レイ・ブラッドベリ原作、フランソワ・トリュフォ監督の「華氏451」(1966)。書籍の保有が一切禁じられた架空未来社会で、消防隊ならぬ火防隊が、火炎放射器で書物を次々焼き払うシーンが印象的だった。
本作でも冒頭辺り、赤い制服の良化隊の一団が、有害と認定された書物を一斉に書店から回収し、焼き払うイメージが出て来るが、ここらは「華氏451」へのオマージュっぽい。
主人公たちのキャラクターは、TVアニメ版で描かれたものが前提となっているが、TV版を観ていなくても冒頭数シーンで大体状況は分かるので特に問題はない。
劇場版では、国家権力から執筆権を奪われそうになる小説家・当麻蔵人を、図書隊の笠原郁と堂上篤の二人がチームを組んで守り抜く、というストーリーがメインになっている。
郁の発案で当麻を海外に亡命させる事となり、二人はさまざまな手を使って大使館への逃げ込みを図るが、敵も察知して警戒網を敷く。果たして当麻は逃げ切れるのか、そしてそこに郁と堂上との恋模様も絡み、知力を尽くした脱出に向けての逃避行がスリリングで飽きさせない。
当麻のキャラクターは、原作よりもやや気弱で、国家と戦おう、という気は最初の頃はなかったようだ。話題になる面白いものを書きたかっただけで、それが騒ぎになって当惑している様子がありあり。
だが、郁たちが必死で守ってくれる姿を見て、次第に郁たちと共に、表現の自由を守る戦いに参加する気になって行く。
秀逸なのは、彼らを除く一般大衆のほとんどが、図書隊と良化隊との戦いを、傍観者の立場で眺めているだけという点である。
一つには、日本人特有の、権力者に従順で、長いものに巻かれる国民性があり、もう一つは、自分たちに関係ないものには関心を持たない無関心さである。
当麻自身も、その無関心な人間の一人だったわけである。…この物語は、そうしてズルズルと流されて行くうちに、いつの間にか危険な道を歩んでしまっているという過去の歴史―それは今も進行しているのだが―に対する、痛烈な風刺と皮肉が込められているのである。
ラストは、大使館前に勢揃いした、良化隊の武装部隊に郁の運転する自動車が突っ込んで行くクライマックスとなるが、機関銃によって無数の弾丸が乱射され、自動車が蜂の巣となるシーンは、クリント・イーストウッド監督・主演の「ガントレット」を思わせ、ニヤリとさせられる。…もっとも、鉄板で蔽ってるわけでもないのに郁たちが無傷なのはちょいとご都合主義の気もするが。
ともかくも、時代への風刺、諧謔精神もたっぷり織り込みながら、全体としてはスリルとサスペンスとアクション、それに郁と堂上のラブロマンスもうまく配置され、これは見事なエンタティンメントの快作であると同時に、考えさせられる問題作にもなっているのである。見事。
原作を発表した頃は想像も付かなかっただろうが、今や現実はこの小説を想起させる事態が次々と起こっている。
例えば、東京都は2010年12月、東京都青少年健全育成条例を改定し、有害とする図書を規制する条例を実施した。これは基準があいまいであり、拡大解釈されると表現の自由を侵害しかねない。
また大阪では、大阪府が、大阪市北区の府立中之島図書館を廃止し、別の施設として活用する方針を表明した。
府立図書館の本館(中央図書館)は、東大阪市荒本という、府のはずれの辺鄙な所に移されていて、大阪府北部や南部、あるいは京阪神間から行こうと思えばすごく不便である。中之島図書館は梅田から歩いて行ける距離だし、絶版本や古書籍など貴重な蔵書も多く、また本館からの取り寄せが出来るので、私はここをよく利用している。中之島図書館が廃止されたら不便になり、大阪府に住む図書愛好家は本を読む機会が大幅に失われてしまう。
現大阪市長は知事時代にも、万博記念公園内にあった、70万点以上の資料を保存していた国際児童文学館も、利用者が少ないとかいう理由で、2010年に廃止してしまった。
保存資料は上記の、辺鄙な本館に移してしまったので、これまた読む機会は大幅に減ってしまった。
この人は、文楽協会への補助金も大幅にカットしようとしている。大阪府民は、文化・教養にたしなむ必要はないと言ってるに等しい。
そんな東京都知事、大阪市長はいずれも歯に衣着せぬ発言で人気があり、将来的には総理大臣の座も狙っているらしい。こんな人が首相になったら、本当にメディア良化法のような法律を作ってしまいかねない。怖い。
また、亡命と言えば、この5月に中国で、盲目の人権活動家、陳光誠氏がアメリカへの亡命を希望し騒ぎになった。中国では表現の自由が制限されており、CNNインタビューに、自らと家族の生命の危険を感じていると語っている。
「図書館戦争」の原作が発表されたのは2006年。映画の原作である「図書館革命」が発表されたのも2007年。5年も前である。原作者の先見性に目を瞠らされる。
まさに「現実がフィクションを模倣する」というフレーズを地で行ってると言えるだろう。
そういう意味でも、本作はアニメ・ファンだけでなく、もっと多くの人に観て欲しい問題作である。…欲を言えば、アニメでなく、実写で、よりリアリティを感じさせるハードな作りにして欲しかった。ともあれ、思わぬ拾い物の力作としてお奨めしたい。 (採点=★★★★)
(付記)
原作者によると、小説家の当麻蔵人(とうま・くらんど)という名前は、ポリティカル・サスペンス・ノベルの第一人者、トム・クランシーから拝借しているという。なるほどそう言えば、トム・クランシーには「恐怖の総和」(映画化題名「トータル・フィアーズ」)という、核弾頭を盗んだテロリストによる核テロを扱った作品があった。当麻の小説のテーマが原発テロだったのはそういう訳ね。
| 固定リンク
コメント