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2012年10月23日 (火)

若松孝二監督 追悼

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「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」等、多くの問題作を発表して来た若松孝二監督が10月17日、交通事故で入院先の病院で亡くなられました。享年76歳でした。

このニュースはショックでした。今年は山田五十鈴さん、新藤兼人さん等、昭和の映画史に残る偉大な映画人が亡くなられていますが、若松孝二監督もまた、半世紀に亙って日本映画史に多大な足跡を残した、素晴らしい映画作家でした。

まだまだ製作意欲旺盛で、来年公開予定の「千年の愉楽」を撮り上げたばかり、福島原発に関する映画も撮りたいと言っておりました。
日本映画にとって、その損失は計り知れないものがあります。
 

一般的には、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」「キャタピラー」11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」等の、近年の話題作が代表作として挙げられるケースが多いようですが、若松監督が映画ファンの間で熱烈な支持を集めていたのは、今から40年以上も前の、学生運動がピークの時代の頃でした。

以前、「キャタピラー」評の“お楽しみコーナー”で、「若松孝二監督論」を書きましたので、過去の主な代表作についてはそちらを参照していただきたいと思いますが、本当に半世紀近くに亙って、数多くの問題作、秀作を休みなく作って来られた、その旺盛な製作意欲には感服いたします。

 
若松孝二氏の、映画監督デビューは、1963年の「甘い罠」。当時ようやく作られ始めたばかりの、低予算の独立プロ製作の成人映画=いわゆる“ピンク映画”でした。

最初の頃は、数多く作られていた他のピンク映画とあまり変りばえはしませんでしたが、やがて新劇人や、大学生、大手の日活に所属する助監督といった人たちが若松監督の周りに集まって来るようになり、若松作品は次第に時代を反映した作風へと変貌を遂げて行きます。

若松監督の下に参集したのは、日活からは、鈴木清順監督「殺しの烙印」にも脚本参加していた、曽根義忠(後の中生)大和屋竺、新劇界からは、大島渚「日本の夜と霧」にも出演した吉沢京夫、学生映画界からは足立正生…といった面々です。
その彼らに自由に脚本を書かせ、若松氏が監督した作品(脚本クレジットは共同ペンネームの“出口出”、“大谷義明”等)が一部の批評家や大学生たちの間で評判となり、若松孝二は次第に注目される存在になって行きます。

曽根中生と吉沢京夫が脚本を書き、吉沢が主演男優として出演した「壁の中の秘事」(1965)は、壁にスターリンの肖像画が掛かっていたり、夫婦が戦争批判的ディスカッションを繰り広げたりと、吉沢が出演した大島渚監督作品からの影響が垣間見えます。

この作品がどういうわけかベルリン映画祭に出品され、「国辱」と騒いだマスコミもありましたが、映画祭としてはこういう、時代を反映する先鋭的な映画をこそ望んでいたのでしょうから。批判する人たちは多分映画を観ていないのでしょう。

この後、若松氏は“若松プロダクション”を設立し、自身が監督するだけでなく、才能ある若い作家たちに自由に映画を作る機会を与えるようにもなって行きます。

まず、いくつかの若松作品で脚本を書いていた大和屋竺が、若松氏のプロデュースで「裏切りの季節」(66)で監督デビューを果たします。次いで、足立正生も若松プロデュースによる「堕胎」(66)を監督。以後この二人は若松プロで、監督、あるいは若松監督作品の共同脚本家としていくつもの傑作、秀作を量産して行くこととなるのです。

若松プロで腕を磨いた大和屋、足立は、やがて脚本家としても映画史に残る傑作を発表して行きます。
大和屋竺は日活に戻り、「野良猫ロック・セックスハンター」「八月の濡れた砂」、足立正生は大島渚監督の「絞死刑」(68)、「帰って来たヨッパライ」(69)、「新宿泥棒日記」(69)等の錚々たる秀作群にそれぞれ共同脚本家として名を連ねています。

曽根中生は日活で助監督修業の後、ロマンポルノ「色暦女浮世絵師」(71)で監督デビューを果たし、やがていくつものロマンポルノの傑作を発表する事となります。

その後も若松プロダクションには、多くの若い才能が集まり、山本晋也、小水一男、沖島勲、高橋伴明、磯村一路といった人たちが若松プロで監督作品を発表して行き、高橋伴明、磯村一路はやがて一般映画に進出し、力作、秀作を発表して一流監督へと成長して行ったのです。

こうした、低予算エロ映画の量産その現場で才能ある若手作家を育て、一流作家への道を拓いた、という若松孝二氏の仕事ぶりと功績は、そのままあのロジャー・コーマンとそっくりです。
まさに若松氏は、日本のロジャー・コーマン、と言えるかも知れません。

また、それまでは単に、露骨な性描写以外に見るべき所はなかったピンク映画において、テーマ性、思想性、同時代性といった要素を盛り込み、“何箇所かの性描写さえあれば、あとは自由に映画を作っていい”という手法を定着させた功績も大であると言えます。

日活が業績不振から、ロマンポルノに活路を求めた時、多くの監督たちが会社を辞めずに進んでロマンポルノに取り組み、結果として多くの優れた作品を生み出すことが出来たのも、この若松方式の映画手法=“ポルノ映画の枠組みの中で、自由に作家としての主体性を持った映画を作る”=が生かされた事に他なりません。

そして、以前にも書きましたが、ロマンポルノや、ピンク映画界から、今の日本映画を支える多くの作家が育って行ったわけですが、歴史的に見れば、若松孝二氏がその先駆者であり、パイオニアであったのは上記からもお分かりいただけるでしょう。

また、プロデューサーとしても、大島渚監督の話題作「愛のコリーダ」(76)、神代辰巳監督「赤い帽子の女」(82)を手掛ける等、まさに八面六臂の活躍ぶりです。

若松氏が日本映画に果たした功績は、実に多大であると言えます。こうした面も、マスコミはもっと取り上げていただきたいものです。

 
76歳の死は若すぎます。まだまだ活躍出来たはずなのに。惜しみて余りあります。残念でなりません。謹んで、冥福を祈りたいと思います。 合掌。

 
*関連記事
 「キャタピラー」評と若松孝二監督作品論
 「おくりびと」アカデミー賞授賞とピンク映画論

 
(付記)

思い出したけど、もう一人若松プロに出入りしていた、後の著名映画人がいるので追記しておきます。

「ヴァイブレータ」(2003)や「大鹿村騒動記」(2011)で知られる脚本家・荒井晴彦も、若松孝二監督「秘花」(1971)の脚本を足立正生と共同で書き、プロ脚本家デビュー作を果たしております。
同じ年、やはり足立との共同脚本私は濡れている」が若松孝二監督によって映画化されました。いずれも製作は若松プロダクション。荒井はその数年後、日活ロマンポルノでいくつかの秀作脚本を手掛け、一流作家へと飛躍して行くこととなります。

荒井晴彦もまた、若松スクールの優等卒業生だと言えるでしょう。

  
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DVD「若松孝二 初期傑作選」1~2

 
*収録作品

「新宿マッド」

「性賊/セックスジャック」

「天使の恍惚」

 

 
*収録作品

「狂走情死考」

「処女ゲバゲバ」

「裸の銃弾」

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コメント

園子温監督の「希望の国」を観て、「若松孝二監督だったらどう作っただろう」と思いました。

園子温監督も「最後の闘う映画監督」と述べてます。

園子温、故・若松監督の遺志を継ぎたい…「最後の闘う映画監督」と哀悼
http://www.cinematoday.jp/page/N0046973

もっと若松監督の作品を観たかったです。

投稿: タニプロ | 2012年10月24日 (水) 12:29

◆タニプロさん
若松監督も、次は東電を告発する映画を作る、と言ってたらしいですね。
かえすがえすも惜しい事です。もし製作が実現していたら、どんな映画になっていたでしょうね。

園子温監督、若松監督の遺志を引き継ぎたいとのこと。
もっと過激に、エネルギッシュに国家や社会を告発する映画を作り続けて欲しいと願いたいですね。
そして、さらに園監督以外にも、若松監督の後継者が出て来る事を切望してやみません。
若松監督、安らかに…。

投稿: Kei(管理人) | 2012年10月28日 (日) 17:13

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