「その夜の侍」
鉄工所を営む 中村健一(堺雅人)は、5年前に妻( 坂井真紀)をひき逃げ事件で失って以来、妻との思い出に囚われ、生きる気力も失っていた。一方、ひき逃げ犯の木島宏( 山田孝之)は刑期を終え出所したが、相も変わらぬ粗暴な暮らしぶりで反省とは無縁の生活を送っていた。そんな木島のもとに、“復讐決行日”までをカウントダウンする匿名の脅迫状が届くようになる…。
まず奇妙なタイトルに惹かれた。“侍”とあるが現代劇である。監督の赤堀雅秋はこれが映画演出としてはデビュー作だが、舞台での演出経験は豊富である。予備知識なしで鑑賞したのだが…。
物語は復讐劇である。妻を殺した男・木島は、反省もなく傍若無人に生きている。中村は包丁を携帯し、木島を殺す機会を窺っている。
これだけならありきたりで、面白くもない。
だが、面白いのは、この2人の男のキャラクターである。中村は無口で、度の強い眼鏡をかけ、他人との関りも避けて孤独に生きている。毎日、プリンを何個も食べ、妻が残した最後の留守番電話を何度も再生して復讐心を燃やしている。おまけに妻のブラジャーを肌身離さず持ち歩いている。
なんとも薄気味悪い人物である。
妻が殺されたからそうなったのかと思えばそうでもなく、妻の留守電には、プリン食べ過ぎを注意するメッセージがあるし、中村は自宅にいるのに妻のその電話を取ろうともしない。…元々からそんな性格だったようである。
木島に殺意を抱いてはいるが、彼に近づく事も出来ず、“○日後に殺す”という脅迫状を送るくらいしか出来ない、気弱な男でもある。
対する、木島のキャラクターがまた強烈。
中村の妻を轢いた直後も平然として、「サバ味噌の匂いがする」とつぶやいたり、警察への通報も拒否したり。理性が欠落しているかのよう。
さらに出所後も、傍若無人な振る舞いを繰り返し、仲間の男・星(田口トモロヲ)を、密告したと言いがかりをつけて殴る蹴る、あげくに灯油をかけて焼き殺そうとする。
通りがかりの女性警備員・ 関由美子(谷村美月)の財布を奪い、返して欲しければついて来いと茂みに連れ込む。
あるいは、中村の義兄・青木(新井浩文)に対して、中村の脅迫状の件で逆に金をせびりとろうとし、捕まえて生き埋めにしようとまでする。
まさに、悪意と狂気のかたまりである。とんでもない悪人である。
ところが、不思議な事に、そんな木島に、殺されそうになった星にしても、強姦されそうになった由美子にしても、彼から逃げようとせずにその周囲に居続ける。5年前の轢き逃げの車に同乗していた小林(綾野剛)もまた、今も彼の傍に居る。
木島は、何故か人を惹きつける、オーラのようなものを持っているのだろうか。
(以下、ネタバレあり。注意)
そこで物語を振り返ってみると、木島は、星や青木を殺そうとしたように見えるが、結局殺してはいない。殺す気はないのだろう。
由美子についても、観客はてっきり木島が彼女を強姦したかのように思ってしまうが、実は映画ではそんなシーンは描かれていない。
ひょっとしたら、木島は彼女に対して何もしていないのかも知れない。
他人が見ている所では、強がって粗暴に振舞うが、他人のいない所で2人だけになれば、意外と優しさをみせるのかも知れない。
それなら、由美子が木島に心を許しているのも納得出来る。
木島は、実は心の内面に、底知れぬ孤独を抱えているのかも知れない。寂しさを紛らせる為、ことさらに粗暴な振舞いを見せているのだろうか。
とすれば、彼の周囲に集まってくる、小林、星、由美子らもまた、それぞれに内なる孤独を抱えた、心寂しき人たちなのかも知れない。互いに孤独ゆえに、引き寄せ合っているのだろう。
中村もまた、妻を失い、孤独な日々を送っている。
この映画は、都会の片隅で、それぞれに孤独を抱えた人たちが織成す、魂の叫びを描いた作品である、と言えるだろう。
もう一つの、この作品の魅力は、一見暗い、やりきれないドラマのように見えて、随所にユルい、コミカルなシーンが挟まれ、不思議な味わいを醸し出している点である。
中村をなんとか元気付けようと、見合いを画策する青木の努力も(特に妻に頼んで弁当を作らせたり)なんだかおかしいし、中村が、決行前日、カラオケ好きなホテトル嬢(安藤サクラ)と過ごすシーンなんかはまるでコントのようで、思わず笑いがこみ上げる。
そしていよいよ、豪雨の中の中村と木島の対決シーンがクライマックスとして訪れる。
ここで明らかになるのが、[中村は実は木島を殺すのではなく、木島に殺されるように仕向け、殺人罪で彼を死刑にしようとする計画だった]点である。
ところが、ここでも中村は気弱な性格が災いし、殺す事も、殺される事も出来ずに終わってしまう。
最後、妻の留守電を消去した中村は、吹っ切れたようにプリンとも決別する。
さまざまに、カッコ悪く、無様に、孤独をかみ締め、それでも人間は生きて行くのである。
この現代に生きる、孤独な人間模様を、多様なキャラクターとさりげないエピソードを配して掬い取った赤堀雅秋の脚本・演出は見事。一見の価値ある佳作である。
ちなみに、本作は本年度の「新藤兼人賞」を受賞している。 (採点=★★★★☆)
(さて、お楽しみはココからである)
この作品のタイトルに、何故“侍”とつけたのか。
そのヒントとなる作品がある。
それは、山本周五郎原作の時代劇「ひとごろし」である。
過去に2度映画化されている。
1本目は1971年の松竹作品「初笑い びっくり武士道」(野村芳太郎監督)、
2本目は1976年の大映作品「ひとごろし」(大洲斎監督)。
1本目はなんとコント55号(萩本欽一、坂上二郎)主演のコメディ、2本目は松田優作主演で、ストーリーはほぼ同じ。
おそろしく気の弱い侍、双子六兵衛(萩本欽一、松田優作)が、仇討ち役に命ぜられ、強い武芸者、仁藤昂軒(坂上二郎、丹波哲郎)を仇として追う羽目になる。
どうしても昂軒を倒す事が出来ない六兵衛は、切羽詰ったあげく、遠くから「ひとごろし」と叫び続ける。何度もそれを繰り返すので、とうとう昂軒はノイローゼになってしまい、結局昂軒の髷をもらって一件落着というコミカルな味の作品で、
仇を討とうとするけれど、気が弱くて、遠くから執拗に「ひとごろし」と名指し続ける、という展開が、本作のストーリーと共通する要素がある。気の弱い中村の、執拗な脅迫状は、六兵衛の作戦とどことなく似通っている。
山本周五郎作品の、トボけた、人情味ある作品世界は、“復讐劇であるが、どことなくズレている、人間のおかしさ”を描いた本作と相通じるものがあるように思えるのは、私だけだろうか。
| 固定リンク
コメント