石上三登志氏追悼
石上氏は、私にとって、映画の面白さを、―マイナーな扱いを受けている映画、埋もれたB級映画の面白さを教えてくれた大恩人であり、尊敬する、映画の師でもあります。
氏が執筆した評論を読んで、「そういう観方があるのか」と目から鱗が剥がれ落ちたことも何度か。一般にあまり知られていないけれど、氏の紹介してくれた映画を観て、その面白さに唸った事もしばしばありました。
その着眼点のユニークさ、論旨の巧みさ、文章の面白さ…。何度読み返しても飽きません。本当に読み応えがありました。
私が映画の魅力にとりつかれ、映画ファンとして今も映画を観続け、拙い文章をこうしてブログに発表しているのも、ひとえに石上氏のおかげでと言っていいでしょう。
石上氏のこれまでの著作・評論活動に付いては、氏が最近上梓した、「私の映画史―石上三登志映画論集成 」について、以前当ブログに書いた時に併せて紹介いたしましたので、そちらを参照ください。
とにかく、守備範囲の広い方です。
早くから、ロジャー・コーマンに着目したり、一般の評論家からはゲテモノ扱いされていた低予算B級ホラー・怪奇映画や、我が国では未公開だったりテレビのみ放映のマイナー系SF映画、西部劇の異色作について、独特の観点からその面白さを分析したり、これもあまり陽が当らない“特殊効果マンの系譜”についての研究を行ったり、さらには量産される日本製のB級アクション映画、時代劇の中から、隠れた秀作を探し出して紹介したり(鈴木清順、加藤泰、岡本喜八、三隅研次、沢島忠を早くから評価していたのも石上氏です)…つまりは、“低予算のB級大衆娯楽映画の中にだって、探せば面白い映画はいっぱいある”と語り、その中で悪戦苦闘しながらも、観客を楽しませようとしている映画作家を発掘するのも、映画ファンの楽しみではないか、と主張していたのです。
無論、氏の活動はそれだけでなく、「刑事コロンボ」の面白さを誰よりも早く紹介したり、さらには手塚治虫作品論や、ミステリー評論、雑誌編集(「映画宝庫」等)、洋書の翻訳など、実に多岐に亙ります。
しかも、本職は電通のCMクリエイター(本名の今村昭名義)。これだけの多面的なお仕事が、本職の合間を縫って行われてるのですから、その超人的なご活躍ぶりには驚嘆いたします。
氏のおかげで、ロジャー・コーマン作品の面白さ、先見性を再認識させられたり、サム・ペキンパーや岡本喜八、三隅研次監督作品の楽しみ方を教わったり、私の映画の観方を変えさせていただくほど、本当にお世話になりました。感謝しても感謝しきれないほどです。
石上氏は最近も、ハヤカワ・ミステリ・マガジンに「トーキョー・ミステリー・スクール」、キネマ旬報に「映画ノートはドタバタ史」という2つの連載を執筆していて、共に毎号欠かさずに読ませていただいておりました。
ところが、昨年秋頃にこの連載がいずれも中断となり、心配していた所、「私の映画史―」の後書で、骨髄異形成症候群という病気を患い、闘病生活中であった事が分かりました。
その後、キネマ旬報の本年5月下旬号に掲載の、野村正昭氏との対談でお元気そうな姿を拝見し、中断していた連載も8月から再開するとの報告を聞いて一安心、と喜びました。
…ところが、8月を過ぎても連載は再開されませんでした。
もしや、と不安を抱いていたところに、今回の訃報です。とても悲しいです。
まだまだご活躍していただきたかったのに。もっともっと、いろんな映画の面白さを語って、新しい才能を発掘していただきたかったのに…。73歳、若すぎます。
石上さん、本当にありがとうございました。今頃は天国で、ペキンパーや、加藤泰さんや、岡本喜八さんや、三隅研次さんと語り合っておられるでしょうか。
謹んで、ご冥福をお祈りいたします。
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映画の本 「私の映画史―石上三登志映画論集成 」
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コメント
石上三登志さんが亡くなったのはとても残念です。
私が石上さんを初めて知ったのは「奇想天外」という雑誌でした。
73歳は若いですね。残念です。ご冥福を。
投稿: きさ | 2012年11月25日 (日) 09:01