「舟を編む」
1995年、玄武書房の営業部に勤める、名前通りの真面目で気の弱い馬締光也(松田龍平)は、定年間近のベテラン編集者・荒木(小林薫)に言葉に対するセンスを買われ、新しい辞書「大渡海(だいとかい)」を編纂する辞書編集部に迎えられる。個性的な編集部の面々に囲まれ、光也は辞書づくりに生きがいを見い出し、仕事に没頭する日々を送る。そんなある日、下宿先の大家(渡辺美佐子)の孫娘、林香具矢(宮崎あおい)と出会った光也は彼女に心ひかれるが、口べたな光也は香具矢に思いをうまく伝えられず苦悶する…。
厖大な数の言葉を網羅した辞書を作る為、1995年から2010年まで、15年にも亘る、出版社編集部の、地道で気の遠くなるような作業の日々を描いた作品である。
こういう題材に着目した三浦しをんの原作もユニークだが、これを映画にするのは、辞書作りにも増して大変だと思った。
なにしろ、ひたすら黙々と“言葉”を集め、その意味を定義する“語釈”の執筆、編集、校正…と、地道な作業の繰り返し。
単調だし、動きは少ないし、“絵”になり難い話である。ヘタな監督が作ったら、退屈な出来になってしまった事だろう。
だが、さすが「川の底からこんにちは」以来、ひと味違った人情コメディを作って来た石井監督、この難しい題材を見事楽しめるエンタティンメントに仕上げている。
まず、登場人物のキャラクターが面白い。主人公に名前通りマジメで人付き合いベタな馬締光也、辞書編集部の面々は、実直そうなベテラン編集者・荒木(小林薫)に、お調子者の西岡(オダギリジョー)、契約社員だけれど結構仕事場を取り仕切っている佐々木薫(伊佐山ひろ子)、そしていつもおだやかな笑みを浮かべる監修の松本先生(加藤剛)。
これらの人々が、キャラに見合った絶妙のやりとりを見せるので、重苦しくなりかねない話が軽妙にテンポ良く進んで行く。
それぞれの役者が皆うまい。最初の頃は現代的でチャラい若者だった西岡が、年月が進むにつれて、次第に仕事に使命感を持ち、逞しく頼りになる社員へと変貌して行く、この変化を演じ分けたオダギリジョーが特に見事。私は最初、オダギリと気付かなかったくらいである。
馬締役、松田龍平も、絵に描いたような気弱、人見知りぶりを見せながらも、仕事に打ち込む中で、周囲の人たちの温かい目と励ましに支えられ、恋も知り、最後は編集部のリーダー的存在にまでなって行く、その人間的成長ぶりを的確に演じている。
久しぶりに見た、佐々木薫に扮した伊佐山ひろ子もいい。目立たない位置にいながらも、要所で活躍する。馬締が思いを寄せる香具矢が料理店で板前をやっていると知るや、即座に予約を入れる当意即妙ぶりが楽しい。
そして、泰然と構え、穏やかな表情ながらも、編集部をキリリと引き締めて辞書作りを牽引して行く松本先生役の加藤剛が素晴らしい。まさに“舟”の船長的存在である。
その他、下宿の大家・タケさん役に渡辺美佐子、松本先生の奥さん役に八千草薫と、日本映画を支えてきた大ベテラン女優も出番は少ないながらも味わい深い好演を見せる。
演出的に出色と思えるのは、物語をテンポ良く進める為に、大胆な省略技法を用いている点である。
例えば、馬締の母親的存在でもあった大家のタケさんの死去や、馬締と香具矢の結婚式などは共にまったく描かれていない。一気に時代を辞書編集の追い込み時期である12年先に飛ばし、ここからは緊張感漂う人海戦術の編集作業描写を積み重ねて行く。
松本先生が入院し、病死するくだりも簡潔である。馬締が病院に駆けつける場面から一転、馬締と香具矢が通夜から自宅に帰って来るシーンへと飛ぶ。
ともすればジメついてしまいがちな愁嘆場、泣けるシーンはバッサリとカットし、目的に向かって突き進む疾走感を重視した演出が見事である。
そして最後、発刊パーティの席で荒木が馬締に見せる、松本先生からの手紙。
この手紙には泣かされた。それまで、感傷的なシーンをストイックに省略して来たが故に、このシーンは余計涙腺を刺激されてしまうのである。うまい。
石井演出は、随所にトボけたユーモアを挟み(見出し語の解釈、毛筆のラブレター等)、後半は一気にスリリングな編集追い込みシーンをたたみかけ、緩急自在なテンポと、役者たちのアンサンブルとも相まって、見事な秀作が完成した。
映画作りも、辞書作りも、どちらも大勢のスタッフが集まり、スケジュールを組んで、気の遠くなるような細かい作業を積み重ね、時間をかけて完成させる、という点において、非常に共通していると言える。
丁寧に、時間をかけ、いいものを作ろう、という意欲と、出演者やスタッフたちの思いが一つになれば、傑作が生まれるのだろう。
仕事に悩みを抱いていた若者が、やがて天職をみつけ、仕事に熱中し、人間的に成長して行く、という展開は、傑作「おくりびと」ともテーマ的に共通するものがある。ちょっと変わった地味な職業を題材にしている所も共通する。
そう言えば、伊佐山ひろ子の役柄は、「おくりびと」の余貴美子の役柄とも似ている。
石井監督のこれまでの過去3作は、いずれもオリジナル企画で石井本人の脚本によるものだったが、本作は始めて、原作もので、かつ脚本も本人以外の人(渡辺謙作)が担当している。―そう言えば、配給もこれまでのインディペンデントではなく、初のメジャー(松竹)配給である。思えば、「おくりびと」も松竹配給だった。
こうして、新境地に挑んだ事もあってか、演出にも風格が増し、一皮剥けた感がある。監督としても、本作でメジャーになったと言えるだろう。石井監督の次回作を楽しみに待ちたい。 (採点=★★★★☆)
(で、お楽しみはココからである)
宮崎あおいについて書き忘れたが、無論彼女も好演。ただ、他の個性的なキャラの間ではやや存在感が薄れているような。
で、宮崎あおいの役柄、どうもデジャブのような既視感があって気になっていたのだが、思い出した。2011年の深川栄洋監督作品「神様のカルテ」である。
偶然だが、これも2010年の本屋大賞で第2位を獲得している。
この作品においても、宮崎あおいは、ちょっと変わった主人公(栗原一止と名前がヘンな所も共通)に、ふんわりと寄り添うおとなしい妻を演じている。
もう一つ、この夫婦が住むアパートが、元は古い旅館で、木造の古い建物であるのが、本作における馬締たちが住む古い木造アパートと何となく似ている。
そう言えば、二人の会話も“です、ます”調の古風なやりとりである所まで似ている。
主人公が古い本を愛読し、その為話す言葉が文語体なのだが、本作の馬締の方はラブレターを毛筆で書くといった具合に、どちらも昔の人間を思わせるキャラクターである。
そして、ラストで死んだ老人(こちらもやはり日本映画のベテラン俳優、加賀まり子)が残した手紙を読んだ主人公が泣き出す所まで出て来る。
ついでに、池脇千鶴もどちらの作品にも出演している。
こんな具合に似ている所が多いのは偶然だろうか。まあどちらにしてもちょっと面白い。見比べてみてはいかがだろうか。
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コメント
明日、舟を編むを見に行きます。楽しみ!
投稿: 牧村利光 | 2013年4月28日 (日) 03:31
この間、大阪十三の第七藝術劇場で「約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯」と若松孝二監督の遺作となった「千年の愉楽」を観てきました。
全く関連の無い二作品なのですが、千年の主役の寺島しのぶさんが約束のナレーションを担当されていて、約束で若き日の奥西さんを演じた山本太郎さんが千年で刑事の役で出演されてました。
約束はセミドキュメンタリーの力作! 千年は高貴で汚れた血の物語! それぞれ感動的でした。
投稿: | 2013年4月28日 (日) 03:44
辞書作りの苦労が描かれていますが、その点が面白く原作を読んでみたくなりました。
女性の観客が多かったのはやはり松田龍平とオダギリジョーが出演しているからでしょうか。
八千草薫、小林薫、加藤剛といったベテラン俳優も素晴らしかったです。
伊佐山ひろ子が重要な役で出ているのが、古くからの映画ファンには嬉しいところです。
実は今年の初日本映画です。日本映画はやはりいいですね。
投稿: きさ | 2013年4月28日 (日) 11:03
満島ひかりの大ファンで、その結婚相手(!)という理由だけで見始めた石井作品。まさに「中の下」を生きている私には「川の…」はドツボだったのですが、今回のじわじわ来る感じもたまりません。初日に一人、感想を家で話したら「見たい!」と言うので、2日目に家族で見にいったら2回目の方が泣けました。映画的な事件は何も起きないのに、辞書を作る大変さや、プライベートの恋する思いとかがしっかり伝わってくる。後半は、松本先生のために何とか早くと祈りながら見ている自分がいました。皆が主人公を応援し、意図的に邪魔をするような悪者が全く出てこない映画、最近年のせいかこういう映画大好きです。そして石井監督、こういう映画、うまい!満島ひかりと同じくらい(?)好きになりそうです。オダギリ・ジョー良かった!!余談ですが、宮崎あおいって満島ひかりとまったく誕生日同じなんですよね(月日だけでなく年まで)。
投稿: オサムシ | 2013年4月29日 (月) 18:59
◆牧村さん
私も「約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯」と「千年の愉楽」、観ました。個人的には「約束」を評価したいですね。若松さんの遺作としては、もっと過激さと毒気が欲しい思いました。力作ではあるのですがね。
「舟を編む」多分気に入ると思いますよ。観たら又お越しください。
◆きささん
伊佐山ひろ子さん、いい味が出てましたね。もっと映画に出て欲しいですね。
>今年の初日本映画です。
それは少ないですね。「東京家族」「草原の椅子」「横道世之介」など、いい作品が沢山ありますよ。今週も「図書館戦争」「藁の盾」とスケール感ある力作が目白押しです。是非追いかけて観てください。
◆オサムシさん
>2回目の方が泣けました。
もう2回も観たのですか。私も多分もう一度観たらまた泣けるでしょうね。
宮崎あおいと満島ひかりがまったく同じ誕生日とは知りませんでした。私も満島ひかりの大ファンです。が、最近これといった作品がないのが寂しい。石井監督、是非ひかりちゃんの代表作となる作品を監督してくださいとお願いしておきましょう。
投稿: Kei(管理人) | 2013年5月 1日 (水) 00:44