「ヒッチコック」
2012年・アメリカ/フォックス・サーチライト・ピクチャーズ
配給:20世紀フォックス映画
原題:Hitchcock
監督:サーシャ・ガバシ
原作:スティーヴン・レベロ
脚本:ジョン・J・マクローリン
音楽:ダニー・エルフマン
製作:アイバン・ライトマン、トム・ポロック、ジョー・メジャック、トム・セイヤー、アラン・バーネット
サスペンスの巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督の最大ヒット作と言われるスリラー映画の傑作「サイコ」(1960)製作の裏に隠された知られざる物語を描く伝記ドラマ。ヒッチコック夫妻に扮するのは、共にアカデミー主演賞受賞歴のあるアンソニー・ホプキンスとヘレン・ミレン。監督は音楽ドキュメンタリー「アンヴィル!夢を諦めきれない男たち」で監督デビューし、劇映画はこれが初監督作となる新鋭サーシャ・ガバシ。
サスペンス映画の巨匠、アルフレッド・ヒッチコック(アンソニー・ホプキンス)が監督し、MGMが配給した「北北西に進路を取れ」(1959)は、作品的、興行的にも大成功を収める。余勢をかって次回作の作品探しを始めたヒッチコックはある日、実在の殺人鬼エド・ゲインをモデルとしたロバート・ブロック原作の小説「サイコ」と出会い、映画化を決意するが、陰惨かつ地味な内容を危惧したパラマウントは出資を渋り、製作は暗礁に乗り上げる。映画化に執念を燃やすヒッチコックは意を決し、自宅を抵当に入れて資金を調達し、最初は難色を示した妻アルマ(ヘレン・ミレン)もやがて積極的に協力するようになるが、映画製作が軌道に乗り始めると、今度は妻が浮気しているのではという疑念が生じ、ヒッチコックは次第にナーヴァスになって行く…。
ヒッチコックは私にとって、外国映画監督のベスト3の一人である(後の2人はチャップリンとビリー・ワイルダー)。ほとんどの作品を繰り返し何度も観ている。
後の映画作家たちに多大な影響を与えた点でも(スピルバーグは特に影響大)、またいわゆるスリラー・サスペンスやホラー・ショッカーというジャンルの典型パターンを生み出した点においても、映画史に永遠に残る天才作家である。
「サイコ」はそんなヒッチ作品中でも、きわめて異色の作品である。
(以下「サイコ」についてかなりネタバレとなります。「サイコ」未見の方は絶対読まないでください)
カラー全盛だった当時(1960年)、モノクロで(ヒッチ作品もほとんどカラーになっていた時期)、しかも開巻45分で主演女優(ジャネット・リー)が惨殺されてしまう、まったく先が読めない展開。
そして、当時としてはかなりタブーだった事項に思い切って斬り込んでいる。
当時のハリウッドは倫理基準が極めて厳しく、女性の裸はダメ、リアルな殺人シーンも、血が噴き出す場面もダメ、トイレすら写すな、という制約だらけであった。無論同性愛なんてとんでもない。S・キューブリック監督の「スパルタカス」(1960)では、アントナイナス(トニー・カーティス)とクラサス(ローレンス・オリヴィエ)の同性愛を匂わせる場面が映倫審査でカットされてしまったのは有名な話。
そんな時代にヒッチコックはこの作品で、乳首こそ出さないがシャワー室のシーンでジャネット・リーが全裸になり、しかもナイフでメッタ突きで惨殺され(ボカされているが、全身が写るシーンはヌードモデルによる吹替え)、おびただしい血が排水口に流れて行くシーン、等を画面に登場させた。
その前には、トイレも画面に写っている。今ではどうって事はないが、トイレがスクリーンに写し出されたのは本作が映画史上初めてである。
その上後半では、犯人のノーマンがマザコンで、しかも[多重人格者]である事も判明して来る。
どれも、当時としてはタブーだった事ばかりである。さらにヒッチは、体にナイフが刺さり、血が吹き出すシーンまで撮ろうと考え、胴体から血が吹き出すダミー・ボディまで用意していた。
結局そのダミーは使われなかったが、もしこれが実現していたら、黒澤明監督の「椿三十郎」より2年早く、人体から血が噴出する映画第1号となった可能性がある。
本作にも出てくるが、ヒッチコックは映倫と交渉を重ね、折れる所は折れて、これらのシーンを認めさせる事に成功し、以後ハリウッド作品において、さまざまなタブーが解禁されるきっかけとなった。
撮影技法にもあらゆる工夫を凝らすなど、ヒッチコックは常に映画の開拓者であった。
そこで本作だが、「サイコ」についてその製作過程を追ったスティーヴン・レベロによる「アルフレッド・ヒッチコック&ザ・メイキング・オブ・サイコ」という本があり、映画はこれをベースに、「サイコ」製作の裏話を描いている。
しかしこの映画のポイントは、レベロのメイキング本よりさらに奥に踏み込み、ヒッチコックがブロック原作のモデルである殺人鬼、エド・ゲインの亡霊と対話したり、壁に穴を開けてヴェラ・マイルズの姿を覗き見したり、シャワールーム殺人シーンでは、ヒッチ自身が狂気のようにナイフを振り下ろして見せたり、といったエピソードを描く事によって、ヒッチコックが「サイコ」映画化に異様な執念を燃やしたのは、エド・ゲインに、ヒッチ自身の潜在願望と重なる面を見たからではないかと大胆に推察している点にある。
あるいは、アルマが脚本家のホィットフィールド(ダニー・ヒューストン)と親しそうにしている所を窓から見て、妻が浮気しているのではないかと疑う場面もある。
つまりは、天才監督といえども、一皮剥けば、内面ではコンプレックスや猜疑心、倒錯的な異常心理といった、負の一面も有する生身の人間であると言っているのである。
だからと言って、本作はヒッチコックを否定的に描いているわけではない。天才的な作家はどこか狂気や幼児性を内面に潜めている場合が多々あり、そうした影の部分や潜在的欲求を曝け出す事で傑作が生まれる場合もある事を、この映画は描いているのである。
そんな弱さも抱えるヒッチコックが、それでもひたすら映画作りに情熱を燃やし、さまざまな困難、トラブル、悩みを乗り越え、妻とも力を合わせ、最後にはプロジェクトを大成功に導く、という、結果として王道の物語に纏め上げているのが秀逸である。
そしてまた、共同脚本家であり、優れた編集者であり、そして最大の理解者でもある妻アルマが傍にいたからこそ、ヒッチコックは数多くの傑作を生み出す事が出来たのだろう。
これは、生涯の良きパートナー、アルマとヒッチコックの、夫婦愛の物語でもあるのである。
ともあれ、この映画をより楽しむ為には、元の「サイコ」は絶対観ておくべきである。もし未見であるなら、レンタル屋にDVDが置いてあるはずなので、借りて先に観ておく事をお奨めする。
なお、冒頭と最後に、ヒッチコックが映画について語るシーンがあるが、これはテレビで放映された「ヒッチコック劇場」のパターンと同じである。音楽も「ヒッチコック劇場」のテーマ曲、グノーの「マリオネットの葬送行進曲」を使っているのも心憎い。
ラストで、「次回作のアイデアは多分空から降ってくるでしょう」と言うヒッチの肩にカラスがとまる所にはニヤリとさせられる。
クレジットが中央で裂けて左右にズレる、という「サイコ」のタイトルのパロディも楽しい。
ヒッチコック映画ファンなら、いろいろと楽しめるシーンが満載の、素敵な作品である。 (採点=★★★★)
(お楽しみはココからだ~「サイコ」に関するあれこれ)
「サイコ」が日本で公開された当時の劇場の様子は今も覚えている。
本作の中にも出て来るが、日本でも、劇場の前に、文書を持ったヒッチコックの等身大の看板を立て、そこには「監督の意向により、上映開始後の入場はお断りします。また、結末は決して誰にも話さないでください。」と書かれていたと記憶している。
私はまだ子供だったので、この作品は公開当時は観れなかったが、「なんか凄い映画らしい」との噂は広まっていた。宣伝方法としては実に効果的である(ラスト30分以降の入場を禁止したとする資料もあるが、私の記憶では上記であった)。
なお、今じゃ座席指定の入替制が当たり前なので、映画が半分も進んだ頃に入場する観客がいるのかと思う人もいるだろうが、当時は上映終了しても入替などなかったので、途中から入り、終わってもそのまま座席に座り、次の回を頭から観て、前の回観た所まで来ると出て行く、という観客が結構多かったのである(後で、頭の中でストーリーを繋げるのでしょうね。器用な観方だ(笑))。
なお「サイコ」はパラマウント社配給だが、撮影はユニバーサル・スタジオを借りて行われた。不気味なノーマン・ベイツの屋敷とモーテルのセットは取り壊さずに残したので、ユニバーサル・スタジオ・ツァーの目玉となった他、「サイコ」製作から22年後にはなんとこのセットをまるまる利用して、ユニバーサルの製作・配給で続編「サイコ2」が作られた。1作目の出演者アンソニー・パーキンス、ヴェラ・マイルズも同じ役で出演。さらにそのまた続編「サイコ3」まで作られた。ユニバーサルは製作資金を出してないのに、このセットのおかげで大儲けしたわけである。
パラマウントが自社で「サイコ」を製作しておれば、セットもパラマウント・スタジオ内に作っただろうに。パラマウントは大魚を逃がしてしまった事になる。
それだけでなく、パラマウントに愛想をつかした為か、ヒッチコックは次作の「鳥」以降の全監督作をユニバーサルで作っている。
また、「サイコ」のビデオ、DVDの販売もユニバーサル・ピクチャーズが行っている。
パラマウント社も、製作を渋った事がここまで影響するとは想像だにしなかっただろう。つくづく、映画作りは水物である事を痛感する。
DVD 「サイコ」 |
Blu-ray 「サイコ」 |
DVD 「サイコ2」 |
DVD 「サイコ3怨霊の囁き」 |
本作の原作「アルフレッド・ヒッチコック&ザ・メイキング・オブ・サイコ 」 |
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コメント
クラシック映画の監督ではビリー・ワイルダー監督と並んで最も好きな監督なので楽しく見ました。
アンソニー・ホプキンスがメイクでヒッチコックに扮していますが、自作の映画や予告編によく登場したヒッチ監督なのでそれほど似てはいない印象です。
奥さんのアルマ役のヘレン・ミレン、アンソニー・パーキンス役のジェームズ・ダーシーの方が似ています。
スカーレット・ヨハンソンとジェシカ・ビールは特に似てはいませんが、どちらもきれいでした。
ちょっと驚くのは「サイコ」のモデルになった実在の殺人者エド・ゲインが登場する事。
面白く見ましたが、劇場映画デビュー作のせいもあって演出はいまいちだったかな。
投稿: きさ | 2013年4月20日 (土) 09:00
史実をベースにはしてるんでしょうが、描かれてる内容は脚本家が原作以外の資料から大幅に膨らませてるっぽいですね。
ホプキンスのキャラクターが愛らしくて、かなり好きな作品になりました。
ちなみに「サイコ2」は結構面白く観た記憶がありますが、「3」「4」は全く内容を覚えてない・・・
「3」は監督トニパキでしたね。
投稿: ノラネコ | 2013年4月21日 (日) 21:23
◆きささん
きささんも、ヒッチコックとビリー・ワイルダーのファンなのですか。嬉しいですね。この2人が好きな方は本当の映画ファンです(キッパリ)(笑)。
ジェームズ・ダーシーはホント、パーキンスによく似てましたね。その割りに出演シーンが少なかったのは残念。
演出は、新人の割りには頑張ってましたが、もう少しヒッチに習って、ユーモアとシニカルさが欲しかったですね。でもまあ及第でしょう。
◆ノラネコさん
同感ですね。「サイコ2」は「サイコ」へのオマージュ満載で楽しんだ記憶があります。「サイコ3」はさすがに厳しかったですね。冒頭のシーンは「めまい」が入ってて、そこだけは喜んだ記憶があります。
「サイコ4」はTVムービーでしたかね。さすがにこれは見る気がしませんでした。
それにしてもアンソニー・パーキンス、生涯、ノーマン・ベイツに呪縛されてしまった人生でしたね。ちょっと気の毒な気がします。
投稿: Kei(管理人) | 2013年4月21日 (日) 23:48
「本当の映画ファン」などと本当の映画ファンの管理人さんに言わると素直にうれしいです。
実は小林信彦の受け売りです。
高校時代から小林信彦のエッセイを愛読していて、小説も映画も勧められるものを読みました。
小林信彦、ヒッチコック、ワイルダー、ジョン・フォードの三人を高く評価していましたしね。
ジョン・フォードも見てはいますが、やはりヒッチコック、ワイルダーほどの思い入れはないかな。
投稿: きさ | 2013年4月22日 (月) 22:45
◆きささん
小林信彦さんに留まらず、ヒッチコック、ワイルダーをベスト3に挙げる評論家や映画ファンは多いです。
ただ、3人目が人によってやや異なるでしょうね。私はチャップリンが3人目です。フォード作品では「駅馬車」「荒野の決闘」が大好きですが、それ以外に大好きと言える作品がいま一つないのですね。まあ年代の違いもありますし、リアルタイムで見ているかどうかでも変わって来るでしょうね。
投稿: Kei(管理人) | 2013年4月23日 (火) 01:08
フォードだと「駅馬車」「荒野の決闘」「リバティ・バランスを撃った男」が好きですが、おっしゃる通り私もヒッチコック、ワイルダーほどではないかな。
投稿: きさ | 2013年4月23日 (火) 05:57