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2013年6月 6日 (木)

「はじまりのみち」

Hajimarinomichi

2013年・日本/松竹=衛星劇場
配給:松竹
監督:原 恵一
脚本:原 恵一
プロデューサー:石塚慶生、新垣弘隆
音楽:富貴晴美

「二十四の瞳」「喜びも悲しみも幾年月」等数々の名作を残した映画監督・木下惠介の生誕100周年記念作品。戦時中における木下監督の家族に関する知られざるエピソードを描く。「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」「河童のクゥと夏休み」等の傑作アニメーションを手掛けた原恵一監督が、初の実写監督作品に挑む。

太平洋戦争最中の昭和19年。木下惠介(加瀬亮)は「陸軍」を監督するが、内容が戦意高揚の役割を果たしていないとして当局から睨まれ、次回作の特攻隊をテーマとした作品の製作が中止になってしまう。失望した木下は松竹に辞表を提出、脳溢血で倒れた母、たま(田中裕子)が療養している郷里の浜松市・気賀に帰った。しかし戦局は悪化の一途をたどり、そこも安住の地ではなかった。惠介は山を越えた田舎の勝坂に母を疎開させることに決め、一台のリヤカーに寝たままの母を乗せ、兄・敏三(ユースケ・サンタマリア)と、身の回り品を運ぶ“便利屋さん”(濱田岳)と惠介の3人で勝坂に向かって出発するが…

原恵一は私が最も敬愛し、期待している監督の一人である。おバカギャグアニメのフォーマットの中で、家族愛、人間愛を描き感動させるという離れ業をやってのけた「クレヨンしんちゃん」の2本(「オトナ帝国」「戦国大合戦」)以降、「河童のクゥと夏休み」「カラフル」と、作る度に作品のクオリティが増している。いずれも、アニメでありながら、日常生活描写が繊細かつ丁寧に描かれ、心温まる感動作に仕上がっており、そんなわけで新作が作られるのを心待ちにしていた。

だが、不安点が一つあった。それは、アニメ作家が実写作品を作れば、それまでの秀作群とは似ても似つかぬ凡作になってしまうという結果をずっと見せつけられていたからである。「攻殻機動隊」「イノセンス」等の秀作アニメを作って来た押井守は、実写作品だと「アサルトガールズ」のような駄作を作ってしまうし、「エヴァンゲリヲン」等の庵野秀明も実写作品「キューティーハニー」では見事にズッこけた。「AKIRA」「MEMORIES」の大友克洋も、実写監督作の「ワールド・アパートメント・ホラー」はまるでつまらなかった。
従って、原監督初の実写作品である本作、内心祈る気持ちで観たのだが…

心配はまったくの杞憂であった。素晴らしい作品に仕上がっていた。何度も泣いた。これは本年屈指の傑作である。

 
物語は、病に臥せっていた母親を疎開させる為、リヤカーに乗せて山を越え移送した、という木下惠介自身の実話に基づいている。

有名人の伝記映画はこれまで数多く作られているが、大半は少年時代から下積みの苦労時代、そして成功してからの晩年まで…というような、長い時間経過を描いたものが多い。
ところが本作は、一般的にはあまり知られていないエピソードの、日数にしても僅か2日間ほどの出来事のみに絞っており、上映時間も96分と短い(木下作品のフッテージの挿入もあるから本編はさらに短い)。

だが、この大胆な試みが見事に功を奏している。その分、小さなエピソードの積み重ねや、母と子の心の交流、惠介が失意から立ち上がるまでの心の動き、等を丁寧に、繊細に描き、深い感動を呼び起こす事に成功している。

出色なのは、濱田岳扮する“便利屋”の存在である。こういう脇の狂言回し的キャラクターが絶妙のスパイスとなって、物語が生き生きとして来る秀作は多いが、本作もその例に洩れない。

口が悪く、お喋りで、、最初は文句が多かったりするが、実際は人情味があり、ひょうきんで、暗くなりがちな物語に明るさをもたらしている。古くは島津保次郎から山田洋次作品にまで連なる、いかにも(惠介が所属する)松竹映画らしい、名もなき庶民を代表するような役柄でもある(本作も松竹製作)。
濱田岳、今まであまり意識しなかったが、こんなにうまい役者だとは思わなかった。特に、休憩中にパントマイムで好物のカレーライスを食べ、ビールをうまそうに飲む仕草をするシーンは絶品である。今年の助演男優賞候補に推したい。

その存在がさらに生きているのが、河原で便利屋が惠介に、映画館で見た「陸軍」にとても感動した事を述べるシーンである(便利屋は、惠介がその映画の監督である事を知らない。惠介の胸に付けた名札の名前が本名の「木下正吉」なのも巧妙な伏線になっている)。
当局からは貶されたが、名もなき大衆は彼の作品に熱いエールを送っている事を知って惠介は涙ぐむ。ここは我々も泣かされる。

ここで、その「陸軍」の有名なラスト10分弱にも及ぶ、田中絹代扮する母が出征する息子の後を追いかけるシークェンスがまるまる挿入されるが、ここは圧巻である。
このシーンがある事で、木下惠介をあまり知らない人も、「陸軍」がいかに素晴らしい作品か、かつ木下惠介がいかに凄い監督であるか(これはまだデビュー4作目の作品である)、そして「陸軍」という作品が実は、母と子の愛情というテーマを持つ本作と密接にリンクしている事にも気が付き、さらには当局がこれを女々しいと非難した事がいかに理不尽であるかも観客に理解させる、というさまざまな効果を一度にもたらしている。
この見事な構成には唸らされた。別の映画の1場面を挿入するという手法は珍しくはないが、これほどまでに絶妙に本編とリンクした作品は思い当たらない。原監督、凄い!

この事も契機となって、惠介は少しづつ、映画に戻る意欲を取り戻して行く。

そしてラスト間際の母とのエピソードがまたいい。

脳溢血の後遺症であまり言葉が喋れない母たまは、不自由な体で惠介に手紙を書くのだが、そこには「木下惠介監督。あなたは松竹に戻りなさい。木下惠介の映画がまた観たい」と書かれている。
ここでまた私はドッと泣かされた。母の、子を思う愛の強さ、そして何よりも、夢を失いかけた男に、夢を持ち続ける事の大切さを訴える力強い励ましの言葉に、涙が止めどなく流れた。

こうして惠介は一人、浜松へ、そして映画監督に復帰する為に、元来た道を戻って行く。その先は暗いトンネルである。戦争はまだ終わらず、日本の進む道は暗いが、そこを抜ければいつか必ず明るい未来が待っている、このシーンはその事をも暗示している。
この道こそ惠介にとって、今度は本格的に映画監督となる、“はじまりのみち”なのである。

この後、「わが恋せし乙女」から「新・喜びも悲しみも幾年月」までの木下惠介監督の代表作数本の名場面がダイジェストで挿入される。
原監督が選び抜いたこれらの映像は、よく観れば本作のテーマとも重なり合う名シーン(家族愛、人間の喜び、悲しみ等)がいくつか引用されており、単なる名場面集ではない点も重要である。
木下映画ファンであるなら、ここでまた泣かされるだろう。

私はこの名場面集を観て、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の秀作「ニュー・シネマ・パラダイス」のラストを思い出した。映写技師、アルフレードが残した名作映画の珠玉のラブシーン集の洪水に、ボロボロ泣いた記憶があるが、考えれば本作のこの木下映画名場面集も、親子、夫婦、そして先生と生徒の師弟と、まさに愛の名場面集である。
そう思えば、本作での「映画監督に戻りなさい」と諭す母の言葉は、「ニュー・シネマ-」でアルフレードがトトに「映画監督になれ」と勧めて送り出すシーンとも呼応している気がする。

 
原恵一監督は、木下惠介監督の大ファンなのだそうである。言われてみれば原監督の過去の作品には、木下作品に通ずる、親子の愛、家族の絆(クレしんシリーズ)、人のふれあいの大切さ(河童のクゥ)がしっとりと描かれていたように思う。
本編の中にも、明らかに後の代表的な木下監督作品を思わせるシーンがいくつか、さりげなく登場しているのも木下監督ファンには嬉しいおマケである。それらを見つけるのも映画ファンのお楽しみである。

ともかくも、これは私にとっては久しぶりに、爽やかに泣けた映画である。ちょっと早いかも知れないが、今年のマイ・ベストワン候補に挙げておこう。

木下惠介監督のファンであるなら必見であるが、映画を愛する人なら誰でも観ておくべき、本年を代表する秀作である。
また、原監督ファンであるなら、ラストのラストに登場するカットにも嬉しくなるだろう。これは本編を観てのお楽しみである(ヒントは)。

ついでに要望しておきたいが、原監督には是非これからも実写映画を監督していただきたい。もっと素晴らしい傑作が生まれる気がする。が、アニメも作り続けてもらいたいし…。大谷翔平選手ではないが、二刀流監督を目指してくれないだろうか(笑)。   (採点=★★★★★

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(さて、お楽しみはココからだ)

本作の、特に濱田岳扮する便利屋を観てて思い出したのが、木下監督のライバルと言われる黒澤明監督の「虎の尾を踏む男達」(1945)である。

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歌舞伎の「勧進帳」を題材とした「虎の尾-」には、エノケン扮する強力(ごうりき)が狂言回し的役柄で登場しているのだが、この強力と本作の便利屋とは、いくつもの共通点がある。

どちらも、荷物運びとして雇われた男である。
実在の人物が多く登場する物語の中で、唯一、作者が創造した架空の人物である(と思われる)。
かつ、登場人物の中で唯一、名前がない
同行する主人公が、実は有名な人物である事を最初は知らない
キャラクター的にも、おしゃべりで、ひょうきんなコメディ・リリーフであり、重苦しい物語の中で笑いを取り、息抜きとなる存在である。
登場人物たちはこの男に、最初はうるさくて閉口するが、人なつっこい性格にやがていつしか心が癒されて行く
最後の別れ際に、主人公たちはこの男に約束以上の礼金をはずむ

ついでに、物語自体がどちらも、険しい山を越える話である。

原監督は、木下監督ほどではないが、多分黒澤監督作品も愛好しているフシがある(「戦国大合戦」は黒澤作品「乱」へのオマージュが感じられる)。おそらく便利屋のキャラクターは、エノケンの強力をかなり参考にしているのではないか。

なお「虎の尾を踏む男達」撮影されていた時期は昭和20年の初夏頃で、ちょうど本作の、木下惠介たちが母親と共に山越えをした頃(同年6月)と重なる、というのも、不思議な縁である。

 

木下惠介監督作品

DVD[陸軍」
DVD「二十四の瞳」

 

DVD[楢山節考」
DVD「笛吹川」

 

長部日出雄・著
「天才監督・木下恵介」



木下恵介について書かれた本の中では一番読み応えがあります。
映画の元となった山越えのエピソードについても詳しく書かれてあります。

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コメント

映画も素晴らしいけど、
Keiさんのレビューも素晴らしい。
またまた勝手にツイッターでご紹介させていただきました。
いつもながらの事後報告ですみません。

投稿: えい | 2013年6月 6日 (木) 23:15

素晴らしいレビューですね。
便利屋の解釈には思わず膝を打ちました。
確かに言われてみれば色々な符合がありましたね。
ああ、もう一回観たくなってきた!

投稿: ノラネコ | 2013年6月 6日 (木) 23:46

良かったですねー。まさか本当に病気の母親を疎開先へリヤカーで運ぶだけの話だったとは。一代記でも半生記でもなく、人生のほんの一瞬の出来事の話なのに、木下監督の人となりがものすごく伝わってくる。やっとの思いで旅館に着いて、でも母親をきれいにしてから宿に入れようとするところ、たまりませんでした。田中裕子の顔がだんだん活き活きしてくるのがわかるんですよね。凄い演技力。それと濱田岳、本当にこれは助演男優賞ものですよ。原監督を信じて見に行って良かったです。「陸軍」をはじめ出てきたすべての木下恵介作品を見てみたい。あの日本初のカラー映画という「カルメン故郷に帰る」はひょっとしてミュージカルですか?観たいっ!!(「喜びも悲しみも幾歳月」だけは、あの印象的なテーマソングを覚えているのでたぶん見ている。)最近、いかにも的な何でもCG多用とか、殺す瞬間・斬る瞬間・ぶつかる瞬間など何でもそのまま見せちゃうアメリカ映画に辟易としてまして、そういうときに本作や「舟を編む」とか見ると、日本映画のほうが全然いいじゃんと思う今日この頃です。こういう映画がカンヌとか、アカデミー賞候補推薦作になればいいのにと思います。(「藁の楯」のカンヌ出品は???でした。日本映画ですが。)

投稿: オサムシ | 2013年6月 7日 (金) 00:46

◆えいさん
いえいえ、どうぞご遠慮なく。
えいさんに取り上げていただけるのが、何よりの励みです。(ちょっとプレッシャーですが(笑))。


◆ノラネコさん
膝を打ちましたか。それは何より(笑)。

ついでに言えば、濱田岳もエノケンも、どちらも体格が小柄ですし、ラストの退場の仕方も、濱田は軽やかにスキップ踏んで、エノケンは(歌舞伎の)六方を踏んで、と、どっちも踊るように退場する所まで似てましたね(さすがにそこまでは監督も意識してないでしょうが(笑))。
私ももう一度じっくり観直したくなりました。

投稿: Kei(管理人) | 2013年6月 8日 (土) 01:09

◆オサムシさん
田中裕子も良かったですね。彼女も助演女優賞候補ですね。

「カルメン故郷に帰る」は、ミュージカルではないですが、高峰秀子がなんとストリッパーの役で、それで故郷の広々とした草原で得意の歌と踊りを披露してるわけです。
あのシーンは開放感と楽しさに溢れていますね。
「破れ太鼓」も「お嬢さん乾杯」も実に陽気で楽しい作品ですし、「楢山節考」「笛吹川」は一転アヴァンギャルドな映像が目を瞠る実験的な作品です。実に幅の広い監督ですね。是非探してご覧になってください。
海外の映画祭にも是非出して欲しいですね。原監督、そして木下恵介監督作品を、改めて評価するきっかけになって欲しいと切に望みたいですね。

投稿: Kei(管理人) | 2013年6月 8日 (土) 01:34

本作は見たいと思っていたのですが、やっと見ました。
いやあ、良い映画でした。私も泣きました。
私は原監督の大ファンですが、あまり木下惠介監督の映画は見ていないのです。
でも良かったですね。
原監督にはぜひアニメと実写の両方をどんどん作っていただきたいです。
濱田岳いいですね。
最初に着目したのは「ゴールデンスランバー」ですが、「THE LAST MESSAGE 海猿」でも良かったですし、「ロボジー」も良かったです。
本作は私も金子修介監督の「百年の時計」と並んで今年のベストワン候補です。

投稿: きさ | 2013年6月20日 (木) 22:43

◆きささん
濱田岳は今年初めに公開された「みなさん さようなら」もとても良かったですよ(こっちは主演です)。予感ですが、今年の映画賞をかなり賑わしそうな気がします。安藤サクラに続いて、主演・助演ダブル受賞もアリかな、と期待しております。

実は「百年の時計」昨日観たばかりですが、お書きのようにこれも凄い傑作でした。近日映画評をアップする予定です。
これ、ロケ地に個人的な思い入れがありまして、懐かしさも相まって感涙ものでした。詳しくはそちらで書きますのでお楽しみに。

投稿: Kei(管理人) | 2013年6月21日 (金) 00:26

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