「さよなら渓谷」
美しい自然が残る渓谷の町でひっそりと暮らす、表向きは仲の良さそうな尾崎俊介(大西信満)と内縁の妻かなこ(真木よう子)。ある日、隣に住む女が幼い娘を殺害したとして逮捕され、マスコミが大勢押し寄せ、静かだった町は騒然となる。そんな中、容疑者である母親と俊介が以前から不倫関係にあったとの情報提供により、俊介に共犯の疑いがかけられる。事件の取材を続けていた週刊誌記者・渡辺(大森南朋)は、この夫婦に興味を持ち、2人の過去を調べ始めるが、やがて彼らに関する衝撃の事実を知る…。
上に挙げた作品名を見ても、これまで錚々たる力作、秀作に係わった個性的な人たちがこの作品に参集している事が分かる。それだけでも期待大だったのだが、観終わってズシリと胸に響いた。これは本年を代表する傑作である。
(以下ネタバレとなります。注意)
物語は、ある辺鄙な地方の町で暮らす男女の、濃密なセックス・シーンから始まる。家具も棚も見当たらない殺風景な部屋での刹那的な、ほとんど貪り合うかのような性行為からして、この二人が普通の夫婦とはどこか違う、暗い過去を抱えて生きている事を匂わせている。
そんな夫婦の隣家で起きた、非日常的な殺人事件をきっかけに、二人の間にさざ波が広がり、事件を取材する週刊誌記者・渡辺が男・俊介の過去に興味を持ち、調査を進めるうち、やがて俊介が、将来を嘱望された野球選手でありながら、15年前の大学時代に女子高生集団レイプ事件を起し、野球選手の道を閉ざされたという過去を持っている事が判って来る。
渡辺もまた、学生時代はラグビー選手として活躍していたが、怪我の為選手生命を絶たれるという挫折を味わっている。そして今は夫婦間にもすきま風が吹いている。
渡辺が俊介に興味を持ち、調べているのは、俊介と自分とは、共に同じような挫折の人生を歩んで来た事で、同病相哀れむとでも言う親近感を感じたからなのだろう(後に渡辺は、二人の隠された真実を知って、自分たちの生活を見直す事となる)。
ここでまた不可解な事が起きる。なんとかなこが、俊介と容疑者の母親とは不倫関係にあったと警察に通報したのである。警察は、俊介が殺人の共犯ではないかと疑い、この通報が元で警察は彼を殺人教唆で逮捕する事となる。
何故彼女は夫に罪をかぶせる行動に出たのか。ここでまず1つ目の謎が呈示される。
そしてさらに判明した驚愕の事実― かなこは、実はその15年前のレイプ事件の被害者=本名は水谷夏見=だった事が判る。
なぜ加害者と被害者が、夫婦として一緒に暮らしているのか…これが2つ目の謎である。かなこ(実は夏見)が密告したのは、15年前の復讐なのだろうか。二人は本当に愛し合っていたのだろうか。
映画は、渡辺を探偵役として、この二人に関する謎を解明して行く、ミステリー・タッチで展開する。
そして映画は中盤から後半にかけて、二人の秘められた過去が回想形式で明らかになって行く。
夏見はレイプ事件が心の傷となって、その後も結婚したものの、DV夫(井浦新)に苦しめられ、自殺を図ったりもしている。
一方で俊介は、彼女の人生を狂わせた事で罪の意識を背負っていた。
そして、運命の巡り合わせで、夏見と再会した俊介は、謝罪の意を示そうとし、夏見の後を追う。夏見はひたすら逃げるように歩き続ける。
この二人の、道行きともいうべき放浪の旅のシークェンスが素晴らしい。
夜の道を、日本海らしい、波が打ち寄せる海岸沿いを、夏見はただ黙々と後ろも振り返らずトボトボと歩く。その後を一定の距離を置いて歩く俊介。
最初は俊介に嫌悪感を抱いていたものの、そうした道行きの間に、二人の間の距離は徐々に縮まって行く。―それは二人の心の間の乖離が次第に縮まって来た事をも示している。
ある夜道の歩道橋の上で、夏見が振り返ると、俊介の姿はない。その時の真木よう子の表情が素晴らしい。
最初はホッとしたような表情を見せ、しかし居なくなったらなったで、今度は物足りなさそうな、むしろ寂しそうな顔をさえ見せる。その後、遅れて俊介が姿を見せると少し嬉しそうな顔になる。
その表情の変化で、夏見は俊介を憎みながらも、心のどこかに、自分の孤独感を埋めてくれる存在を求めている事が分かるのである。
ほとんどセリフを交わさずに、男女の、心の機微を見事に表現したこれらのシークェンスは、近年の日本映画においても出色の見事さである。
二人はやがてある小さなホテルに泊まる事となる。「お名前を」と受付に促された夏見は宿帳に「かなこ」と書く。
それは、レイプ事件の時に一緒にいた彼女の友人の名前で、かなこは「トイレに行く」と言って現場を立ち去った事からレイプを免れているのである。
その逃げた友人=かなこの名前を騙ったという事は、夏見はここで自分の人生をリセットし、もしあの時自分が、レイプされなかったかなこであったなら、自分の人生はどう変っていたのだろうか…もしやり直せるなら、かなことしての人生を生きたい、と思ったのだろう。
やがて二人は現在の町に移り住み、夫婦としての人生を歩み始めるのだが、かなこの意志で食器棚も家具も置かない。
それはこの生活もまだ、仮のものでしかない、かなこは本当に俊介を許したわけではなく、心の奥底には未だ憎悪の残り火が燻り続けている事を暗示しているのかも知れない。
かなこが俊介を警察に密告したのは、その許せぬ思いが事件を契機にふっと現れたのかも知れない。
またあるいは、彼女はこれで俊介を試そうとしたのかも知れない。密告した事で、俊介が怒るのであれば、二人はもう終りだろう。
だが俊介がそれでもかなこを許してくれるのなら、かなこは俊介を今度は本当に心から許す事が出来るかも知れない…という、一つの賭けであったのだろう。
そして面会に訪れたかなこに俊介は、何事もなかったかのように、冷蔵庫の残り物の心配等、いつもと変らぬ会話をする。
二人の間には、許す事、許される事、それぞれの思いが錯綜し、心の重りが徐々に解き放たれて行く。
俊介の今の気持ちを知ったかなこは、警察に、密告は嘘だったことを告げ、俊介は釈放される。家に帰った俊介とかな子の会話も、いつもと何ら変らない。
二人の生活は元通りになったのである。
だが、大きく変った事がある。かなこの心から、俊介への憎しみがほぼ完全に消え去ってしまった事である。
ラストで明かされるのだが、かなこと俊介は、「一緒に不幸になろうと約束した」にも係わらず、今回の事件で、その約束が破られる(=幸福になる)事となる。
不幸続きだった自分の人生が、これで幸福になるとは思えない。幸福になれるはずがない。…かなこ(夏見)はまた深く悩んだ事だろう。
そしてかなこは、俊介の元から姿を消してしまう。―彼女自身が選んだ、哀しい人生の道である。
運命を甘受するのか、運命に逆らって生きるのか、答は何処にもない。映画はあえて答を出さない。
我々観客もまた、その答を自分で見つけ出すべきなのだろう。深い余韻を残す、これは見事な傑作である。
………
日本映画には昔から、“腐れ縁で結ばれた男女の数奇な遍歴”を描いた傑作が多い。
その代表的な傑作が、成瀬巳喜男監督の「浮雲」(1955)である。森雅之と高峰秀子扮する二人の男女が、戦中、戦後と、勝手な男を憎みながらも女は離れる事が出来ず、腐れ縁を継続してズルズルと堕ちて行く男女の道行きが描かれる。
小津安二郎をして「俺にはとてもあんな映画は作れない」と言わしめた、成瀬巳喜男の最高傑作である。
もう1本、こちらはコメディ・タッチの豊田四郎監督「夫婦善哉」(1955)がある。こちらは森繁久弥と淡島千景扮する、だらしない男と、それでも別れられない勝気な女との腐れ縁模様が軽妙なタッチで描かれる。これもまた映画史に残る力作である(注1)。
そして、本作のもう一つのテーマである、“加害者の男と被害者の女との恋愛関係”…これもまた少ないようで結構秀作が多い。
こちらもまた、成瀬巳喜男監督の、これは遺作でもある「乱れ雲」(1967)。
交通事故で女の夫を轢き殺してしまった男と、被害者の妻である女が主人公で、彼女に詫び続ける男と、彼を憎悪する女とがいつしか結ばれて行く物語である。
贖罪意識が、やがて女への愛へと移行する男(加山雄三)、女(司葉子)が最初は男を憎みながらも、いつしか彼との距離が縮まって行く展開といい、本作と似た要素は多い。(注2)。
もう1本、これも名匠木下恵介監督「永遠の人」(1961)がある。
これはなんと、将来を誓った相手がいたのに、地主の息子の男(仲代達矢)にレイプされ、仕方なくその男の妻になった女(高峰秀子)が、男を憎みながらも数年に亙って夫婦生活を続けている、という、これまた本作とそっくりな展開となる(男が罪の意識を感じていない所は異なるが)。木下恵介らしからぬ異色作である。
女を演じたのが「浮雲」の高峰秀子であるというのも不思議な縁である。
これらはいずれも、愛と憎しみとの間で揺れ動く女の感情を繊細かつ丁寧に描いており、巧みに練られた脚本、名匠の格調高い演出ともども必見の秀作である。
本作は、そうした日本映画の巨匠たちが産み出して来た傑作男女愛憎恋愛映画群のDNAを、確実に受け継いでいると言える傑作である。本年のベストワン候補として推奨しておきたい。
監督の大森立嗣は、デビュー作「ゲルマニウムの夜」以降、社会の片隅に住む人たちの、愚かしくも哀しい人生模様をじっくりと観察するタイプの作品が得意のようである。
近年はそうした、自分の資質に合った題材に恵まれず、これといった秀作は少なかった。前作「ぼっちゃん」でようやくその萌芽が見られたが、優れた原作を得た本作で、彼の持ち味が一気に開花した感がある。今後の更なる飛躍を期待したい。
男を演じた大西信満、女を演じた真木よう子、いずれも本年度主演俳優賞に値する名演であった事も忘れず特筆しておきたい。。 (採点=★★★★★)
(注1)
ちなみに、「浮雲」と「夫婦善哉」は共に同じ年(1955年)に公開されており、どちらも東宝配給、そしてキネマ旬報ベストテンでは僅差で1位(浮雲)、2位(夫婦善哉)を分け合っている。
なお、これら傑作群ほどではないが、近年においても下記のような、いくつかの男と女の腐れ縁ムービーの佳作が作られている。
竹中直人の監督デビュー作「無能の人」(1991)は、ダメな男(竹中)と、それでも男について行く女(風吹ジュン)との腐れ縁がペーソスを漂わせ描かれる。
ごく最近では、業田良家のマンガが原作の「自虐の詩」(2007・堤幸彦監督)においても、暴力亭主(阿部寛)と、そんな男から離れられない女(中谷美紀)とのおかしくも哀しい腐れ縁模様が綴られる。
(注2)
あとで知ったが、原作の文庫版の巻末の解説文において、柳町光男監督が、やはり本作と、成瀬監督「乱れ雲」との加害者と被害者の関係という点の類似性を指摘している。
ちなみに「乱れ雲」には、女がバスで旅行中、奥入瀬辺りの渓谷を通りかかった時に、亡き夫と渓谷を散策した想い出を回想するシーンがある。
(さらに、お楽しみはココからだ)
“加害者の男と被害者の女との恋愛関係”というテーマではもう1本、是非とも挙げておきたい傑作がある。
これがなんと股旅時代劇「沓掛時次郎・遊侠一匹」(1966・加藤泰監督)である。
この映画は、一宿一飯の義理で六ッ田の三蔵(東千代之介)を斬った時次郎(中村錦之助)が、三蔵に頼まれ、三蔵の妻・おきぬ(池内淳子)を故郷に届けるべく旅をする話なのだが、夫の仇・時次郎を最初は憎みながらも、いつしか彼を愛するようになるおきぬの揺れ動く思いを描いた、時代劇ながらもラブストーリーの傑作である。
夫を殺した男と、その妻である女との恋愛模様は、「乱れ雲」とそっくりだが、作られたのはこちらの方が1年早い。
逃げるように早足で歩く女(おきぬ)と、その後を追う男(時次郎)。その距離が、時間を経るごとに近づいて行くという流れも本作と似ているが、やがて時次郎を愛するようになると、今度は最愛の夫を裏切る事になるという思いの間で心が揺れ動き、やがておきぬは時次郎の前から姿を消してしまう。この流れも本作と似ている。
この映画の中に、「人間の心って奴はてめえでどうこう出来るもんじゃねえ、勝手に動き出しやがる…」という時次郎のつぶやきが出てくるが、これぞまさしく、男と女の、また人間の、心の不可思議さを端的に表わした名セリフではないかと思う。
数奇な運命で結ばれた男女のせつないラブストーリーの傑作としてお奨めである。映画ファンなら是非観ておいて欲しいと思う。
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コメント
実に見応えのある人間ドラマでした。
「ぼっちゃん」も見事でしたが大森監督は脂がのってきている感がありますね。
わかりやすく、結論を出してしまう作品が多い中、基本的に人の心の中なんて分からない。
でもそれ故にドラマが成立するという本作のスタンスはまことに納得でした。
今年を代表する一本になりそうですね。
投稿: ノラネコ | 2013年7月16日 (火) 01:35