「クロワッサンで朝食を」
エストニアの小さな町で暮らすアンヌ(ライネ・マギ)は、長い介護生活の末に母を看取ったばかりだった。そんな折り、多少フランス語が話せる彼女にパリでの家政婦の仕事が舞い込んでくる。意を決して憧れのパリに向かったアンヌを待っていたのは、しゃれた高級アパートで寂しく暮らす、気難しいエストニア出身の老婦人フリーダ(ジャンヌ・モロー)だった。フリーダの意地悪な態度にアンヌはエストニアに帰ろうとするが、カフェの支配人でアンヌの雇い主ステファン(パトリック・ピノー)に励まされ、やがてフリーダとアンヌは少しづつ心を通わせて行くが…。
ジャンヌ・モロー…懐かしい。
私にとっては伝説の女優である。
私が本腰入れて映画を観始めたのは1970年代からであるが、もうその時には、彼女の主演作、「死刑台のエレベーター」(1957) 、「恋人たち」(1958) 、「突然炎のごとく」(1961) といった、フランス・ヌーヴェルバーグの諸傑作群が既に歴史的名作として知られており、その後も「小間使の日記」(1963)、「マドモアゼル」(1966)、「黒衣の花嫁」(1968)等の出演作を名画座で追いかけて観たが、70年代以降は助演に回った事もあって、もう目立たない存在になっていた。
オードリー・ヘップバーンとかカトリーヌ・ドヌーヴなどは、70年代以降も主演作が封切られた事もあって、わが同時代の名女優、というイメージが強いが、ジャンヌ・モローについては主演作がその頃には名画座でしか観られない=即ち、マレーネ・ディートリッヒのような(実際にはマレーネよりずっと後の世代なのだが)伝説の大女優のような感覚で捕えていた。
その後も結構コンスタントに映画に出てはいるのだが、そして何本かは出演作を観ているはずなのだが、印象に残っていない。フィルモグラフィを見ると、リュック・ベッソン監督の「ニキータ」(1990)にも出演しているが、映画には感動したけれど、今思い返してもジャンヌ・モローが出ていた記憶がない。この頃には既に60歳を超えていたので、気が付かなかったのかも知れない。
数年前に、久しぶりに「死刑台のエレベーター」を観て、改めてジャンヌ・モローの素晴らしさを再認識した。
ここ数年は、出演作が途絶えていた事もあって、(失礼ながら)もう彼女は、亡くなったのかと思っていた。
こうした経緯もあって、本作が公開され、ジャンヌ・モローが全く久しぶりに主演している事を知って驚いた。あの伝説の大女優が、まだ現役で、元気な姿をスクリーンで見せてくれる。…もうそれだけで感激してしまった。ちなみに御歳85歳である。
前置きが長くなってしまったが、さて本編の感想である。
(以下やや物語の詳細に触れます、注意)
ジャンヌ・モロー扮する老女フリーダは、エストニアからパリにやって来た移民である。
長いパリ生活の間、自由気儘に生きてきたのだろう。友人は居てもほとんどが今は疎遠のようだ。
アンヌに対しても、傍若無人。口は悪く、言いたい放題。朝は必ずクロワッサンと聞いて、アンヌがスーパーで買ったものを出すと、「私にプラスティックを食わす気?」と、まあ憎たらしいこと(笑)。
元々美人ではなく、役柄も犯罪者(「死刑台の-」)や悪女(「マドモアゼル」)が多かったので、本作の役柄はまさにピッタリ。同世代の老女優― 例えば最近も元気な所を見せたヴァネッサ・レッドグレーヴやエマニュエル・リヴァでは人柄の良さがにじみ出て、こんな意地悪ばあさんは演じられないだろう。
最初は、やってられない、とばかりに辞めようとするのだが、初めて訪れた美しい夜のパリを散策するうちに、気も紛れ、なんとか仕事をこなして行こう、と思い直すまでを、ほとんどセリフ無しで演じるライネ・マギがいい。ちなみに彼女はエストニアの女優である。
エストニアから異邦の地、パリにやって来て、辛酸を舐めたであろうフリーダの心を同じエストニア人として理解しようとし、甲斐甲斐しく世話するアンヌに、フリーダも次第に心を許し、彼女を受け入れて行く。
極力セリフを抑え、短いショットを積み重ねて、二人の女の間の距離が縮まって行く過程を簡潔に描いたラーグ監督の演出が丁寧でとてもいい。
また、毎夜パリを散策し、ウインドゥショッピングをするうちに、少しずつアンヌの身なりが洗練されて行き、顔も垢抜けて行くさりげない演出もうまい。
何気ない所に、細かい演出上の配慮がされているのである。
アンヌがフリーダの気を紛らわそうと、ちょっとした好意で昔のフリーダの友人たちを呼んだ事が却ってフリーダの逆鱗に触れ、二人の仲が気まずくなったりはするけれど、それでもいつの間にかアンヌは戻って来て、フリーダも何事もなかったかのように受け入れる。
フリーダの口の悪さ、頑固さという表面の部分は、多分これからも変らないだろう。
でも、内心で、二人の間に芽生えた心の絆は、固く結ばれているに違いない。
大きな事件が起こるわけでもなく、ドラマティックな展開があるわけでもない。
それでも、人が人を理解する、分かり合える、とはどういう事なのか、生きて行くとは何なのか、を深く考えさせてくれる、これは静かな秀作である。
家族あるいは介護士が、老人介護を行う時の、老人と付き合う場合の、一つのヒントにもなっているのではないか。そういう意味では、冒頭で母を看取るくだりが伏線にもなっているようだ。うまい。
最初はひっそりと公開されたが、口コミでジワジワと感動の輪が広がり、予想以上のヒットになっていると聞く。素敵な事である。多くの人に観ていただきたい。そして、ジャンヌ・モロー、いつまでもお元気で、と祈りたい。 (採点=★★★★☆)
(さて、ちょっとだけお楽しみ)
原題は「パリのエストニア人」である。映画ファンにはジーン・ケリー主演のMGMミュージカル「パリのアメリカ人」を連想させてニヤリとさせられるが、邦題を「クロワッサンで朝食を」としたのは、オードリー・ヘップバーン主演の「ティファニーで朝食を」を多分意識したのだろう。何故なら、同作の冒頭で、ヘップバーンが朝食として食べていたのがクロワッサンであったからである(右)。
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コメント
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
投稿: 履歴書の書き方 | 2013年10月26日 (土) 11:11