「凶悪」
ある日、雑誌社に拘置所の死刑囚から手紙が届く。自分にはまだ誰にも言っていない余罪の殺人事件がある。ついてはこれを告白するので、記事にして、自分の共犯者を告発して欲しい、という内容。雑誌ジャーナリストの藤井(山田孝之)は早速拘置所に出向き、その差出人、死刑囚の須藤(ピエール瀧)と面会する。須藤は、死刑判決を受けた事件のほかに、3つの殺人に関与しており、そのすべてに「先生」と呼ばれる首謀者がおり、自分以上に悪辣と思われる人間が塀の外側でのうのうと社会生活を送っているのが許せないのだという。半信半疑ながらも取材を進めていく中で、次第に藤井は、須藤の告発は本物に違いないとの確信を深めて行き、そしてついに「先生」と呼ばれる男・木村(リリー・フランキー)にたどり着く…。
これが、実際にあった事件である事に驚く。事実は小説より寄なりという言葉を思い出した。
2005年、新潮社発行の雑誌「新潮45」の記者、宮本太一氏が死刑囚の告発を聞いて、丹念な調査の末、「新潮45」にレポートを発表し、これが元で闇に埋もれていた事件が明るみに出て、「先生」と呼ばれる犯人逮捕へとつながった、犯罪史上極めて特異な事件であった。
後に、この記事を本に纏めたものが「凶悪 ある死刑囚の告発」というタイトルで新潮社から刊行され、本作はこれを元に、監督の白石和彌と高橋泉が脚本を書き上げ、映画化したものである。
(以下ネタバレあり、注意)
特に興味を惹くのは、「先生」と呼ばれる男・木村の存在である。見た目は柔和な感じで、「先生」というくらい、周囲からは信頼されている人物のようである。
が、実際は、目的の為に平然と人を殺す、鬼畜である。須藤もヤクザだから元々凶悪な性格なのだが、木村が絞殺した老人の死体の始末を木村に依頼され、須藤が焼却炉で焼く辺りは、木村の狂気に煽られ、さらに凶暴性を増幅して行った可能性もある。
本職の俳優ではないピエール瀧と、リリー・フランキーが、この凶悪二人組を、これまでの善人的イメージをかなぐり捨てる快(怪?)演。このキャスティング、二人から狂気の演技を引き出した白石監督の演技指導、共に絶妙である。
最も衝撃だったのが、借金を重ねた老人が手に余った家族が、木村に殺害を依頼するくだり。
切羽詰まったにせよ、夫であり親である肉親を金の為に殺すのである。それも、一人だけならまだしも、一家全員である。
悪人が悪いのは当然だが、普通の生活を営んでいた人間ですら凶悪事件に手を染めてしまう現実に、暗澹とならざるを得ない。
それを含めた、木村が関わった3件の事件が、いずれも表に出なかったという事実も不可解である。よほど木村の隠蔽工作が巧妙だったのか、警察が怠慢だったのか。
こういう事件は、まだまだ闇に隠されているのかも知れない。
ところで、映画では「明潮24」となっている雑誌の記者である藤井が、須藤と面会した事から事件にのめり込んで行くのだが、原作における藤井のモデルである宮本太一氏は、「フォーカス」「週刊新潮」で辣腕ぶりを発揮したやり手の記者で、死刑囚の告発を聞いて、昼間は仕事をきちんとこなし、夜間や休みの日を利用し、寝る間も惜しんで事件の取材を続け、女性編集長が体調を心配するほどの頑張りぶりだったという。
(この努力が評価され、のちに「新潮45」の編集長に就任した)。
藤井という男をこの原作通りに描けば、主人公はジャーナリストの鏡のような、正義のスーパーヒーローという事になるだろう。それはそれで一昔前のアメリカ映画(例えば「大統領の陰謀」など)が描いた様な、痛快なドラマになっただろうが、監督はそれでは満足しなかったようだ。
「展開があまりに完璧すぎて、これをドラマにするにはどうしたらいいか、ずっと悩ましいところでした」 「そこで映画では、完璧な主人公にはしたくないという気持ちが強く働いた」と白石監督は語っている(「新潮45」10月号より)。
そこで白石監督は脚本家の高橋泉氏と相談の上、原作から変更し、藤井を、認知症の母の介護から逃れたい為に事件に没入して行く、やや自分勝手な人物に造形した。仕事の方も取材にかこつけサボっているようにも描いた。
証拠探しの為、雨の日、目を血走らせ穴を掘り続ける藤井は、自身もまた狂気に取り憑かれたかのようだ。
ラストで木村に面会した藤井は、「俺を一番殺したがっているのは、お前だよ」と指差され、愕然となる所で映画は終わる。
一人の人間を死刑にする(=殺す)為に、家族も犠牲にし、とことん追い詰めて行く藤井も、根底では木村と同類の人間ではないのか…即ち、どんな人間も、心の奥にデモーニッシュな悪意を内在しているのではないか、というテーマは重く心に響く。これこそ監督が描きたかったものなのだろう。
こうした改変を行った事で、本作は原作以上に、奥の深い力作に仕上がったと言える。
反面、原作に感動した読者、あるいは原作者の宮本氏からは反感、反撥を食いそうな改変でもあり、極めてリスキーな作り方でもある。
だが、映画を見た宮本太一氏は、自分自身も気付かなかった、心の内に狂気を抱えていた事に気付かされ、監督の視点に感心したという。
妻・洋子(池脇千鶴)が言う、「楽しかったんでしょ。こんな狂った事件、必死で追いかけて。あなたは楽しくて楽しくて仕方がなかったのよ」というセリフに、心の内を見透かされたようで、重く心に響いたという(前掲「新潮45」10月号)。
原作者から、こうした言葉をかけられただけでも、この映画が高い完成度を持った力作である事が分かる。
(それにしても宮本太一という人、心の広い、本当に尊敬に値する人だなと改めて思った。映画を観て、誤解する人がいない事を望みたい)
白石監督、さすが若松孝二に師事しただけの事はある。今後の活躍が期待出来る有望な新人監督の誕生に拍手を送りたい。 (採点=★★★★☆)
原作本(新潮文庫)
| 固定リンク
コメント