「蠢動-しゅんどう-」
享保の大飢饉より三年が過ぎ、世の中が落ち着きを取り戻しつつあった享保二十年。舞台は山陰の因幡藩。幕府から遣わされた剣術指南役の松宮十三(目黒祐樹)の動きに不審な点があることを知った城代家老の荒木源義(若林豪)は、用人の舟瀬太悟(中原丈雄)に松宮の動向を探るよう命じる。一方、藩剣術師範の原田大八郎(平岳大)は、若き藩士の香川廣樹(脇崎智史)を目にかけ、本人が希望する剣術修行を叶えるべく奔走していた。そんな折、松宮が藩の内情を暴露する文書を幕府宛に送ろうとした事が判明。さらに幕府の使者西崎隆峰(栗塚旭)が検分の為因幡藩にやって来るとの報せが届く。このままでは因幡藩は改易、取り潰しになるとの危機感を抱いた荒木は、起死回生の謀略を練る。だがそれは、香川の運命を大きく変えるものだった…。
三上康雄氏は、高校時代からいくつもの短編映画を自主製作した後、大学在学中の1976年に60分の刑事アクション映画「荒野の狼」を製作・監督・撮影・主演で作り上げ、その後も中篇ながら、宮本武蔵を主人公にした「乱流の果て」(1977) 「二天一流」(1978)といった本格時代劇を作り続けた。大学を卒業してからも映画作りの夢が忘れ難く、とうとう1982年には本作の原型である16mm版「蠢動」を製作・原案・脚本・監督の他、自ら香川廣樹役で主演する等、文字通りワンマン映画として完成させた。
関西では、自主映画界の雄として有名な方である。
ここ数年は家業の会社経営に専念していたが、一昨年M&Aで会社を売却、時間と資金が出来て映画の虫が湧いて来たのか、「自分の観たい時代劇映画はない。だから、自分で創る」という信念で、自分のプロダクションを立ち上げ、31年前の自作を、今度は本格的劇場映画としてプロのスタッフを集めてリメイク、東宝系を中心としたシネコンで全国上映される快挙を成し遂げた。
出来の方は、撮影所経験のない素人とは思えない程しっかりした作りであり、ストーリー展開も面白く、美術、照明、音響等も素晴らしく、そしてラストのクライマックスにおける大チャンバラ・シーン(久世浩が殺陣担当)も迫力があって見応え十分、金を取って見せられるだけの見事な出来栄えである。
(以下ネタバレあり)
前半のストーリーは上記の通りだが、後半は急展開を見せる。幕府の使者が内情を知る松宮と会えば藩の裏金作りが露見し、藩取り潰しに至るのは間違いない。この窮地を逃れる為に城代家老・荒木が取った策は、松宮の暗殺、そしてその罪を、日頃から松宮を恨んでいる香川に着せ、討伐隊を差し向けて彼を討ち取る、という苛烈なものであった。
藩を守る為には、下級武士を利用し、その命を使い捨てにするのもやむを得ない、とする組織の非情さが強調される。
が、決して城代家老を悪人として描いているわけではない。藩を守る、という、悩み抜いた末の彼なりの苦渋の決断である。
そして、騙されたと知った香川と、追って来た討伐隊との間で壮絶な戦いが繰り広げられる。このチャンバラ・シーンはまさに時代劇の醍醐味、見応えがある。
また、香川の師である剣術師範・原田は、荒木に命ぜられ松宮を暗殺し、なおかつ香川を斬れとの命を受ける。
香川が無実であるのは原田が一番知っているのだが、それでも藩から下った命令は絶対である。苦悩の末、原田は藩命に従い、そして最後に、香川との一対一の対決となる。
武士道とは何なのか。組織を守る為には何をしてもよいのか。上の命令は絶対なのか。そして何が“正義”なのか…。さまざまな奥深いテーマが散りばめられた、これは見事な力作である。
キャッチコピーに「『切腹』『上位討ち』『仇討』から五十年、武士道の義を問う待望の正統本格時代劇」とある。
いずれも、1960年代に作られた、武士道という名の元、理不尽な仕打ちに晒される侍の悲劇が描かれた傑作ばかりであるが、映画を観れば判る通り、本作はこの3本の傑作時代劇のエッセンスを巧みに網羅してある。
お家を守るのが目的の家老と、その為命を蔑ろにされる下層の侍との対立構造は、「切腹」だし、差し向けられた討伐隊(その中には親友もいる)と、逃げる主人公との死闘がクライマックスとなるのは「上意討ち」である(この2本、どちらも原作:滝口康彦、脚本:橋本忍、監督:小林正樹である)。
また、非情な武士道の建前の為、たった一人、多勢と戦わざるを得なくなる主人公の悲劇が描かれたのが「仇討」(今井正監督)である。ちなみにこちらも脚本は橋本忍である。
三上監督が特に強い影響を受けたのが、「切腹」であって(注)、プロダクション・ノートには次のように書かれてある。
大学生の頃、「切腹」を観た。物語、映像表現のあまりの素晴らしさに、映画は娯楽に過ぎないと思っていた私の価値観は覆された。「切腹」における浪人・津雲半四郎の「人間としての正義」と家老・斎藤勘解由の「武士としての正義」の対立が生む緊迫感と様式美に圧倒された。
三上監督がこの作品のテーマを、“それぞれが持つ正義と正義の対立”である、と分析しているのが興味深い。
半四郎も、家老・勘解由も、それぞれに自分の正義を持っている。それが相容れないが故に両者は対立し戦わざるを得ない。
単純に勘解由側が悪だとは言い切れない。互いの正義がぶつかり合い、その対立の狭間で、多くの若い命が散らされて行く。
このテーマは本作にも明確に受け継がれている。城代家老・荒木には藩を守る、という正義があり、原田にも上司の命令には従わなければならない正義がある。そして香川には、理不尽な藩の仕打ちに怒りを燃やす正義がある。また、幕府から与えられた使命を忠実に実行する松宮にも己の正義がある。単純な、善と悪の対立ではないのである。
それぞれが、正しいと信ずる正義の道を突き進み、それが悲劇へと繫がる。
まさしく、「切腹」の基底音たる“武士道への疑問”というテーマが明快に貫かれた、正統本格時代劇の1本だと言えるだろう。
役者も、若林豪、栗塚旭といったベテランが貫録の演技。香川を演じた脇崎智史はやや硬さがあるが、よく頑張っている。
原田を演じた平岳大は、俳優平幹二郎の息子である。さすが父親によく似ている。今後の活躍を期待したい。
無論、突っ込もうと思えば突っ込みどころはある。若い藩士たちの演技が拙いとか、香川があれだけ大勢と戦ったら、返り血や傷も負うだろうとか、雪が全く血に染まっていないとか。
だが、血がほとんど流れていないのは、これは監督が意識しての事ではないかと思う。
最近の、リアルなチャンバラ映画では、血まみれになるのが当たり前のようになっているが、この映画のテーマから見て、粗っぽいアクション映画や、陰惨な残酷ドラマにはしたくなかったのだろう。
実際、「切腹」をはじめ、この時代までの時代劇では、斬り合いにおいて血はまったくと言っていいほど流れたりはしない(「切腹」では、石浜朗が竹光で腹を突いた時に血が滴り落ちる程度)。斬られた体から血が噴出するようになるのは、1963年の黒澤明監督作「椿三十郎」以降である。
舞台劇のような悲劇のドラマとして見れば、これはこれで納得出来る。
その他は確かに難点ではあるが、製作条件上、これは仕方のない事だろう。
だが、三上監督の“本格的な時代劇を作りたい”という熱意がそれを上回り、観終ってズシンと心に響いた。オリジナルで、ここまでやってくれたら充分である。
むしろ、プロの映画作家こそ、こうした本格時代劇に(リメイクではなく)果敢にチャレンジすべきだろう。これは、熱烈な時代劇ファンであるアマチュア作家が、プロの映画製作者に突き付けた挑戦状なのである。
是非多くの人に観て欲しい。時代劇ファンは必見の問題作である。 (採点=★★★★☆)
(注)三上監督の学生時代の作品「荒野の狼」、「乱流の果て」、 「二天一流」の脚本クレジットが、いずれも津雲半四郎名義である。無論「切腹」の主人公の名前である。いかに「切腹」に思い入れがあるかがよく分かる。
(さて、お楽しみはまだある)
観終って思ったが、これは映画化された藤沢周平原作作品ともいくつかの共通点がある。
舞台が、地方の小藩(藤沢作品では架空の海坂藩)で、しかも冬は雪が降り積もる。
主人公が、藩命によって、親友と対決せざるを得なくなるのは、「隠し剣 鬼の爪」と同じ。
藩の老獪な上席者の奸計によって、主人公が罠に嵌められ、大勢の藩士たちと戦わざるを得なくなるクライマックスは、「必死剣鳥刺し」と同じである。
が、オリジナルの16mm版が作られたのは1982年、当時はまだ藤沢作品は1本も映画化されていない。「隠し剣」シリーズが刊行されたのは1981年頃からなので、藤沢作品を読んだとしても、そんなに短期間でこれらをヒントにして物語を作ったとは思えない。
むしろ、これら「隠し剣」シリーズのテーマ自体が、2本の滝口康彦原作作品(「切腹」の原作は「異聞浪人記」、「上意討ち」の原作は「拝領妻始末」)の影響を受けている、と見る事も出来る。
そういう意味では、三上作品も、藤沢作品も、滝口作品から生まれた二卵性双生児、と言っていいのかも知れない。
(おマケ)
1982年の16mm版「蠢動」の予告編を見つけた。 ↓
「蠢動」1982年版16mm 予告編
香川廣樹に扮するは監督の三上康雄自身。気持ちよさそうに演じている。
東映の脇役俳優、西田良が原田大八郎に扮し、加藤泰作品でお馴染みの汐路章が、幕府の使者・西崎を演じているのが見どころ。
松宮十三に扮しているのが、なんと映画評論家の松田政男氏。あの役をどんな風に演じているのか興味がある。本編も観てみたいですね。
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