「ペコロスの母に会いに行く」
長崎生まれの団塊世代、岡野ゆういち(岩松了)は、離婚して子連れで故郷の長崎に戻り、広告会社に勤務するも、漫画を描いたり音楽活動をしたりと趣味にうつつを抜かし、仕事に身が入らない。そんなゆういちの母・みつえ(赤木春恵)が認知症になり、予測できないみつえの行動にゆういちは神経をすり減らす。思い悩んだゆういちはみつえを老人介護施設のグループホームに入所させるが、そこにはさまざまな認知症の老人たちがいた。やがてみつえは症状が進み、ゆういちの顔も分からなくなって行く…。
認知症の老人が登場するドラマはこれまでもいくつか作られているが、正直心が重い。私の家族も直面している問題でもあり、観ててやり切れなくなって来る。今年もミヒャエル・ハネケ監督の「愛、アムール」という映画が公開されており、秀作ではあるがあまりに絶望的な結末には心が沈んだ。
だが、さすが「喜劇・女生きてます」等の庶民の哀歓を骨太に描く人情喜劇を作って来た森﨑東監督、本作はなんと笑いと涙に溢れた、心温まる明るいヒューマン・コメディに仕上がっていた。これは本年を代表する日本映画の秀作である。
原作漫画自体が、丸みのある線でほのぼのとしたタッチなのだが、映画もその雰囲気を引継ぎ、認知症の老人が引き起こす騒動をユーモラスに描いて暗さを感じさせない。
認知症は、ネガティブに考えれば辛い症状だが、映画ではそれを逆手に取って、笑えるエピソードに転化している。
オレオレ詐欺の電話があっても、受話器を外してるうちに電話の内容を忘れてしまって被害を逃れる辺りは頬が緩むし、駐車場で息子の帰りを待つみつえの顔がテールライトに赤く照らされ、ゆういちが伝承妖怪の夜声八丁と勘違いして悲鳴を上げるシーンには大笑いした。
そして何より、主人公であるゆういちの生き方がポジティブであるのがいい。仕事の合間に、楽器を鳴らして自作の下ネタ満載のコミカルな歌を歌い、認知症の母との生活を隠す事なくマンガに描き、母に自分を認知してもらう為に堂々とハゲ頭を差し出す…。
原作者の岡野氏自身がそうした性格なのであろうが(主人公の名前が原作者と同一である事からしても、マンガに描かれているのはほとんど事実なのだろう)、この生き方・行動には感動した。
人間、生きて行く中で、辛い事や悲しい事があったり、絶望的な事態に直面する事もある。
だが、泣いていたって物事は解決しない。ポジティブに、前向きに生きていれば、開ける道だってあるのだ。
映画の中で、竹中直人扮する本田が、自分のハゲを恥ずかしがってカツラを被っているのだが、それを知ったゆういちは、自分のハゲを見せる事によって母ともコミュニケーションが取れ、グループホームの本田の母からも、先生と慕われている事を本田に告げる。
そのゆういちに感化され、本田はカツラを捨て、母にハゲ頭を示し、やがて親子のコミュニケーションは回復に向かう。
我々自身も、彼の生き方に学ぶ事は多い。
同時にこのテーマは、逆境にあっても、社会の底辺にあっても、たくましく、ふてぶてしく、おおらかに生きて行く庶民をコミカルに、エネルギッシュに描いて来た一連の森﨑監督作品とも共通するものがある。
そういう意味では、本作もまぎれもなく森﨑東監督作品なのである。
だが映画が描くのはそれだけではない。
物語は、認知症の現在を描きつつ、やがてみつえの過去…子供の頃から現在に至る、波乱に満ちた生涯のエピソードも描いて行く。
戦前の地方の例に洩れず、10人兄弟の長女として生まれて生活に苦労し、畑仕事で破れた弟や妹たちの服を繕い、長崎の原爆のキノコ雲を目撃し、戦後は結婚した相手が酒乱で暴力を振るわれ、それでも息子のゆういちを育て上げ、幼馴染のちえこ(原田知世)との遊郭での再会、そして別れ…。
認知症は、最近の事はほとんど記憶に残らず、やがては息子の顔も忘れる時も来る。
だが反面、昔の事は鮮明に覚えている場合がある。そして、良い想い出のみが残っている事もある。
(同じく認知症老人を描いたスペイン映画「しわ」でも、過去の素敵な想い出をいつまでも忘れずに生きる老婦人が登場していた)
みつえの過去が回想として描かれるのは、単にみつえの人生を辿るという意味以上に、認知症の人には、今を忘れても、過去の記憶はまだ忘れてはおらず、その想い出に浸る時間はまだ残されている、という現実とリンクしているとも言えるのである。
従って、回想シーンは、実はみつえの今の心象風景である、とも言えるのだ。
そうした、みつえの過去の記憶が蘇える、長崎ランタンフェスティバルでの、眼鏡橋上での幻想的再会シーン、
このシーンでは号泣してしまった。なんと美しく、せつなく、感動的である事か。
みつえは、これからも、美しい想い出を心の片隅に残し、生きて行くのだろう。
ラストでポツリとゆういちがつぶやく「ボケるとも悪かことばかりじゃなかかもな」のセリフにもまた泣けた。
そう、我々だって歳を取れば、みつえのような老後を送らざるを得ないかも知れない。
でも、悪い事ばかり考えても仕方がない。前向きに、ポジティブに、そして美しい想い出を心に強く刻み込んで、そして生きて行くべきではないだろうか。
森﨑東監督、当年86歳、まったく衰えを見せない演出ぶりにも感動した。89歳の赤木春恵さんの、ギネスに乗る最高齢初主演ともども、元気な老人パワーにこちらも元気をもらった。お二人に深く感謝したい。
認知症老人を抱える人や、老境にさしかかった人は、必見の素敵な作品である。
いや、それ以外の多くの人にも是非観て欲しい、これは素敵な人生賛歌、人間賛歌の物語なのである。 (採点=★★★★★)
| 固定リンク
コメント
お久しぶりです。と言いつつ、ずっと拝読はしていたので私自身は、あまりその感覚がないのですが…コメントは、本当に本当にご無沙汰でしたので…。ここ1ケ月くらい更新されていなかったので、お体の調子でも崩されたのかな…と心配しておりました。が、今日のアップ拝読し、安心しました。『ペコロス』私は今年のベストです。うちも79の父が数年前から認知症ですが、今年に入ってから急激に進行(悪化)し、老々介護の母は半狂乱になるし、一人っ子の私は仕事をしつつ、それを全て受けて疲労困憊の毎日でした。そんな中で観たこの作品には、本当に救われました。『恍惚の人』をはじめ、認知症やその介護の壮絶な面が取り上げられた作品は多々あれど、こんなにあたたかな眼差しの明るい作品はなかったように思います。自らの境遇が前提にありますから、一作品として冷静に鑑賞し評価できているかは判りませんが、とにかく今年の我が1位です。先日、原作者の岡野さんが御母さんにペコロス頭を叩かせてコミュニケーションをとっているユーモラスな動画も拝見しましたが(タイトルが「リハビリ用はげ頭」というのも笑ってしまいましたが)、私も岡野さんの爪の垢でも煎じて飲まなければ、と心底思いました。森﨑監督の演出は、老いて凝り固まるどころか、ますます柔軟で軽やかになっておられるようで、驚嘆しております。
投稿: ぴよ | 2013年11月24日 (日) 21:31
◆ぴよさん
ご心配かけてすみません。体は問題ないのですが、仕事が立て込んだのと、ぴよさんと同じく母の介護の件とで何かと忙しく、文章を書く時間が取れませんでした。
本作のペコロスのお母さん、私の母の姿とダブって、私も冷静に評価出来ません。でも傑作である事は間違いないです。「はじまりのみち」とどっちを1位にするか、ベストテン選考では悩んでます。ほとんど同率1位です。
偶然か、どちらも老いた母を懸命に世話する息子の物語で、どちらにも加瀬亮が出演してますね。
今年は認知症を扱った映画では、本文でも取り上げた「しわ」もほのぼのとした味わいの心温まる作品です。DVDが出たら是非ご覧になってください。
お互い、ポジティブな気持ちで頑張りましょう。書き込みありがとうございました。
投稿: Kei(管理人) | 2013年11月24日 (日) 23:02
記事を読んでて、映画を思い出してウルっと来てしまった。あの眼鏡橋で集ってるシーンを見て、『異人たちとの夏』を思い出しました。あの映画では夏が過ぎて異人たちは去って行きましたが、この映画では冬が来て、異人たちが戻って来るみたいでもあります。
投稿: ふじき78 | 2013年11月27日 (水) 07:53
あの橋のシーン、やはり泣かれましたか。
認知症の介護の話と思って見ていたら、
きっちり、ひとりの“女性”史になっている。
そして、その向こうに“この国”がある。
もう、たまりません。
今年の邦画の個人的ベスト…かも?
投稿: えい | 2013年12月 1日 (日) 18:39
◆ふじき78さん
「異人たちとの夏」、私も大好きな作品です。あの作品でも泣けましたね。
>この映画では冬が来て、異人たちが戻って来るみたいでもあります。
そう言えばあのランタンフェスティバルは1月でしたね。
あの幻想的な美しい風物は、亡き人がこの世に現れる背景にピッタリなのかも知れませんね。
◆えいさん
>ひとりの“女性”史…
言い得てると思いますね。さすが多くの“女”シリーズを監督して来た森崎東さんならではの作品でした。
あのラストに現れる人たちは、本来はみつえにとっては悲しい、嫌な想い出にまつわる人たちばかりなんですね。
でも、あの橋の上ではみんなみつえと、とても幸せそうに再会を喜んでいました。
嫌な事は忘れて、美しい想い出だけがよみがえる…
「ボケるとも悪かことばかりじゃなかかもな」―この言葉通りなのだと思いますね。
それを思って、私の母の事も思い出して、泣いてしまったのです。
私も、今年一番、心が震えた作品に出会えました。
投稿: Kei(管理人) | 2013年12月 5日 (木) 01:37