「42 世界を変えた男」
2013年・アメリカ
配給:ワーナー・ブラザース映画
原題:42
監督:ブライアン・ヘルゲランド
脚本:ブライアン・ヘルゲランド
製作:トーマス・タル
製作総指揮:ディック・クック、ジョン・ジャシュニ、ジェイソン・クラーク
史上初の黒人メジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンの不屈の人生を、ブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)のジェネラル・マネージャー、ブランチ・リッキーとの交流を軸に描いた感動ドラマ。脚本・監督は「L.A.コンフィデンシャル」、「ミスティック・リバー」等の傑作を書いた脚本家であり、「ペイバック」、「ROCK YOU!」等で監督としても実績のあるブライアン・ヘルゲランド。
1947年、ブルックリン・ドジャースのゼネラルマネージャーを務めるブランチ・リッキー(ハリソン・フォード)は、ニグロリーグで活躍する黒人青年ジャッキー・ロビンソン(チャドウィック・ボーズマン)に目をつけ、周囲の反対を押し切って彼とメジャー契約を結ぶ。だが黒人がまだ差別されていたこの時代、初の黒人メジャー・リーガーとなったロビンソンはファンやマスコミ、チームメイトからも誹謗中傷を浴びせられる。それでも、リッキーの励ましとアドバイスを受け、屈辱にも耐え、ひたむきにプレーに徹するロンビンソンの姿は、やがて人々の心も変えて行く…。
ジャッキー・ロビンソンが黒人初のメジャー・リーガーであり、後の黒人メジャー・リーガー輩出の起爆剤となった事はよく知られている。
その背景には、アメリカ社会に蔓延していた、根強い黒人差別があった。彼が登場するまでは、どんなに実力があっても、黒人はメジャー・リーガーにはなれなかった(注1)。
その黒人差別がいかに酷いものだったかは、話には聞いてはいたが、やはり目で見ると、そのインパクトは強烈である。
相手チーム監督の、聞くに耐えないヤジは、観ているこっちまで、こいつを殴り倒してやりたいと思ってしまうほどだ(笑)。
それでも、ジャッキーに目をかけてくれた恩人・リッキーの教えを守り、さまざまな迫害にも耐え、実力で白人たちを見返して行く。そんなひたむきな姿に、次第にチームメイトの中にも彼の味方が増えて行き、やがてはチームメイトからも、ヤジを飛ばしていた白人観客からも尊敬を勝ち取って行く。
そして、優勝を懸けた試合で、ジャッキーが見事にホームランを打つ辺りは、王道ながらも素直に感動し、泣けた。
映画は、そこに至るまでの2年間ほどに絞って描いており、その後は字幕で示されるだけである。
この無駄のない展開もうまい。
脚本家として、いくつかの名作を書いて来たブライアン・ヘルゲランドだけあって、話の運び方はさすがである。
監督としても数作があるが、監督作としては本作がこれまでの最高の出来である。
ハリソン・フォードの、抑えた渋い演技にも感動した。もはや名優の域に達したと言ってもいい。
しかし、この映画で私が一番心を打たれたのは、リッキーがジャッキーに言う「やり返すよりも、やり返さない勇気が必要だ」のセリフである。
「半沢直樹」でも有名になった「やられたらやり返せ」は、普段でもよく耳にする。
子供が学校で苛められた親は、大抵子供に「やられたら、やり返してやれ」とけしかける。
アメリカという国自体が、歴史においても常にやられたらやり返して来た国である。
第二次大戦でも、日本軍に真珠湾攻撃をされたら、リメンバー・パール・ハーバーを合言葉に、日本に対してまさに倍返しの報復を行った。原爆まで使って日本を焦土にしてしまった。
9.11テロに対しても、徹底した報復を実行した。
だが、その憎悪の連鎖が、戦争の泥沼化を招き、紛争も、テロもなくならず、アメリカ帰還兵の多くはP.T.S.Dに悩まされる事となった。
武力でやり返せば解決する時代ではなくなって来たのである。
クリント・イーストウッド監督は、その現状を痛烈に批判した傑作「グラン・トリノ」を発表した。
この作品でイーストウッド監督は、まさしく“やり返さない勇気”を痛切に描ききり、多くの感動を呼んだ(詳細は拙映画評参照)。
本作が、今の時代に作られた意義は、そういう意味からも大きい。
ブランチ・リッキーが残した功績は、黒人にメジャー・リーグの門戸を開いた事も大きいが、この21世紀の今の時代にこそ、その精神が大きな意味を持っている事を改めて痛感する。本当に偉大な人である。
ジャッキー・ロビンソンは無論だが、ブランチ・リッキーをこそ、歴史に残る偉人としてもっと評価すべきではないだろうか。
ちなみに、ブライアン・ヘルゲランドは、クリント・イーストウッド監督の秀作「ブラッド・ワーク」、「ミスティック・リバー」の2本の脚本を書いている。これも不思議な縁である。 (採点=★★★★☆)
(注1)
凄い例がある。野球ファンなら知ってるだろうが、サチェル・ペイジという投手はニグロ・リーグで大活躍し、約2500試合に登板、2000勝以上をあげ、うち完封勝利は350以上、ノーヒットノーラン55試合というとてつもない記録を残している(半ば伝説に近いという説もある)。球速は、スピードガンがない時代なので定かではないが、見た人の多くが170km/hを超えていたと証言している。それでもメジャー・リーグには上がれなかった。
ジャッキーの活躍でメジャー・リーグの「カラーライン」が破られ、やっと黒人にもメジャー・リーグへの門戸が開放された時、サチェルは40歳になっていた。1948年、遅まきながら彼は42歳でメジャーのインディアンズに入団したが、年齢の衰えはいかんともしがたく、メジャー通算成績は28勝31敗に終わった。
もっと早くメジャーに入っておれば、もの凄い成績を残した事だろう。残念である。(参考文献:Wikipedia及び佐山和夫著「史上最高の投手はだれか」より)
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コメント
これはいい映画でした。
ハリソン・フォードが良かったですね。
脚本を読んで監督に出たいと直訴したとか。
この映画の公開に合わせてジャッキー・ロビンソンの奥さんレイチェルさんが来日していたそうです。
91才で健在!
http://weblog.hochi.co.jp/hiruma/2013/10/post-dc73.html
投稿: きさ | 2013年11月30日 (土) 13:09