「LIFE!」
2013年・アメリカ/サミュエル・ゴールドウィン=ニューライン・シネマ
配給:20世紀フォックス映画
原題:The Secret Life of Walter Mitty
監督:ベン・スティラー
原作:ジェームズ・サーバー
原案:スティーブ・コンラッド
脚本:スティーブ・コンラッド
撮影:スチュアート・ドライバーグ
製作:サミュエル・ゴールドウィン・Jr.、ジョン・ゴールドウィン、スチュアート・コーンフェルド、ベン・スティラー
製作総指揮:ゴア・バービンスキー、メイヤー・ゴットリーブ、G・マック・ブラウン
ジェームズ・サーバーの短編小説で、1947年にもダニー・ケイ主演で映画化された"The Secret Life of Walter Mitty"(邦題「虹を掴む男」)の2度目の映画化。監督・主演は「ナイト・ミュージアム」、監督作は「トロピック・サンダー/史上最低の作戦」以来となるベン・スティラー。
グラフ誌「LIFE」の写真管理者であるウォルター・ミティ(ベン・スティラー)は、何ひとつ変わりばえのない日々を繰り返している。不器用かつ人付き合いも下手な性格で、密かに熱烈な想いを寄せている経理部の同僚シェリル・メルホフ(クリスティン・ウィグ)に話しかけることもままならない。そんな彼の唯一の楽しみは、むなしい現実から逃避する刺激に満ちた空想をすることだった。ある日、ウォルターはLIFE誌の最終号の表紙を飾る大切な写真がないことに気付く。見つからなければクビが待っている。ウォルターは、写真を撮った伝説のカメラマン、ショーン・オコンネル(ショーン・ペン)を探すため、人生を変える波乱万丈の旅に出る。
ダニー・ケイ主演の「虹を掴む男」(ノーマン・Z・マクロード監督)のリメイク、と言われているが、主人公ウォルター・ミティが時々空想の世界に浸る、という点が共通するだけで、お話はまったく違う。あっちの作品は、雑誌社の校正係である主人公がひょんな事から宝石が絡む事件に巻き込まれ、悪漢一味から逃げ回るドタバタ・コメディである。主演のダニー・ケイが物語とは関係なく、お得意の一人芸(物まねや、舌を猛烈に速く動かしてクラシック音楽等を口まねでやって見せたり、まあタモリとジム・キャリーを足したような(笑)芸だ)を延々をやったり、他愛ないっちゃ他愛ない作品である。
そんなわけだから、「虹を掴む男」とはほとんど別の作品だと考えた方が正しい。
その唯一の共通項である空想癖すらも、本作においては物語が進むにつれて次第に登場しなくなって行き、後半ではまったく空想する事もなくなる。
じゃ原作権を得る必要もなかったんじゃないか、とも言えるのだが、以下の2つの点で原作の要素が重要な意味を持つ。それは、
①主人公が空想世界に浸る理由、②タイトルにある"SECRET LIFE"の意味する所、である。
ウォルターは、性格的に気が弱く引っ込み思案、どちらかと言うと“引き篭りオタク”に近い。好意を寄せるシェリルに想いを伝える事も出来ず、仕事場も雑誌社の地下の写真保管室という、あまり人と接する機会もない場所である。膨大な量の写真を黙々と管理する仕事自体が引き篭り的、逃避的である。
そのウォルターが唯一、自由奔放に想いを叶える場所が、“空想の世界”である。その中で彼は、勇敢なヒーローとなって犬を助けたり、嫌な上司とアメコミばりの大アクションを展開したり、シェリルに想いを堂々と伝えたりする。悪く言えば、現実から逃避し、空想の世界に逃げ込んでいるわけである(これが"SECRET LIFE"という事だ)。
そんな、何とも情けない主人公だが、ある時、「LIFE」の最終号の表紙に掲載する写真のネガが行方不明となり、リストラ担当上司からその写真を出せとしつこく迫られる。写真が見つからなければクビである。彼は窮地に立たされる。
思い余ったウォルターは、写真を撮影した伝説のカメラマン、ショーンを探す旅に出発する。
ここからは、俄然、外の世界=現実世界における旅が始まる。雄大なグリーンランドや、アイスランド、さらにはアフガニスタンやヒマラヤへと、まさに世界を股に掛けての冒険の旅である。
この旅を通して、ウォルターは勇気を奮い起こす事、自分の足で現実を見つめる事、思いを実現する為には進んで行動する事、の大切さを学んで行くのである。そうなれば、逃避世界である空想に浸る必要もなくなる。グリーンランドで空想の中のシェリルに歌で勇気づけられた以降は、まったく空想をしなくなるのも当然なのである。
外の世界で、ウォルターはいろんな人とも出会い、いろんな人々の人生を見て、自らの人生を見つめ直す。"SECRET LIFE"ではなく、"REAL LIFE"を生きる事となるのである。
そしてようやくヒマラヤで、ウォルターはショーンを探し当てる。ショーンに聞いて、探していたネガは、実はすぐ身近にあった事を知る。
長い旅の末に、“探していた幸福は身近な所にあった”という「青い鳥」や「オズの魔法使い」のテーマをちょっと思い出した。
そして最後に明らかになる、「LIFE」誌最終号の表紙の写真、これにはジーンと来てしまった。
さまざまな、世界的に有名な出来事や人物が表紙を飾っていた「LIFE」誌。その最後を飾ったのは、地味だけれど実は重要な仕事の写真…その仕事に報いようとするショーンの粋な計らいに感動した。
どんな地味な仕事だって、裏方の仕事だって、それも大切な人生(LIFE)である事に間違いはない。
雑誌のタイトルが「LIFE」であるのは象徴的である。その意味では、邦題をずばり「LIFE!」としたのは秀逸。原題よりずっと味がある。
ジェームズ・サーバーの原作はごく短い短編なのだが、そこからこれだけ奥の深い物語を紡ぎ出した原案・脚本のスティーブ・コンラッド、及び監督、ベン・スティラーの仕事は素晴らしい。最初の映画化作品「虹を掴む男」よりもずっと上出来の作品と言っていい。
役者では、伝説のカメラマンを演じるショーン・ペンが風格ある名演。あとウォルターの母親役のシャーリー・マクレーンもさすがの存在感を見せる。
ベン・スティラー、監督としても円熟して来た気がする。次回作が楽しみである。 (採点=★★★★☆)
(さて、お楽しみはココからだ)
本作のプロデューサーの中に、サミュエル・ゴールドウィン・Jr.の名前がある。
名前を見れば分かる通り、古い映画ファンにはお馴染みの、戦前から活躍していた大物プロデューサー、サミュエル・ゴールドウィンの息子である。
親父さんのサミュエル・ゴールドウィンがプロデュースした代表作には、「孔雀夫人」(1936)、「嵐が丘」(39)、「偽りの花園」(41・いずれもウィリアム・ワイラー監督)、「ステラ・ダラス」(37・キング・ヴィダー監督)、「打撃王」(42・サム・ウッド監督)等々、映画史に残る名作が並ぶ。
戦前には「ゴールドウィン・ピクチャーズ」を創設し、後に1924年、同社とメトロ映画、やはり大物プロデューサーのルイス・B・メイヤー率いるプロダクションの3社が合併して大手のMGM映画(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)が設立される契機ともなった(本人は設立前にゴールドウィン・ピクチャーズを離脱)。
そんな偉大な父親の跡を継いで、ゴールドウィン・ジュニアも製作者となったが、親父さんに比べてプロデュース作はいまいちこれといった作品はない。B級っぽいアクション映画や軽い青春もの程度で、2003年のピーター・ウィアー監督「マスター・アンド・コマンダー」が目立つ程度である。
やや注目されたのが1990年の「ステラ」(ジョン・アーマン監督)と96年のペニー・マーシャル監督「天使の贈り物」くらいなのだが、この2本、共に親父さんが製作した上掲の「ステラ・ダラス」、及び1947年のヘンリー・コスター監督「気まぐれ天使」のそれぞれリメイクである。
そして上に挙げた、本作の最初の映画化作品である「虹を掴む男」も実は親父さん、サミュエル・ゴールドウィンの製作作品なのである。
つまりはゴールドウィン・ジュニア、親父さんが製作した名作を3度にわたってリメイクした事になる。ちょっとした記録だが、そんな親の遺産を食い潰すような真似は、比較されるだけ損でやめた方がいいのにと思う。
しかし3度目の正直、上に書いたように本作の出来は、「虹を掴む男」を凌ぐ、見応えある作品に仕上がっている。これでちょっぴり、親父さんの鼻を明かした、と言えなくもない。
そのゴールドウィン・ジュニアも、当年で88歳!。父と同じ夢を追い求め、晩年に至ってようやくちょっとだけ追いつけたと言えるのかも知れない。その夢は、本作に共同プロデューサーとしてクレジットされている息子のジョン・ゴールドウィン(つまりはゴールドウィン・シニアの孫)に引き継がれて行くのだろう。まだこれといった作品はないが、この孫の今後の活動にも注目しておきたい。
サントラ盤 |
DVD「虹を掴む男」 |
DVD「ステラ」(1990) |
オリジナル「ステラ・ダラス」 |
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コメント
これ、見ました。
原作も読み、ダニー・ケイ主演の旧作も昔見ていますが、本作は確かにまるっきり違う映画ですね。
面白かったです。
前半の夢想シーンよりもデビッド・ボウイの「スぺイス・オデッセイ」の鳴り響くヘリコプターのシーンからの冒険がいいですね。
ベン・スティラーは良かったです。ヒロインのクリステン・ウィグもいい感じ。
ショーン・ペンのカメラマン役も印象的でした。
久々に見た主人公の母親役のシャーリー・マクレーンも老けましたが、良かったです。
邦題の「LIFE!」は秀逸だと思いました。
投稿: きさ | 2014年4月 3日 (木) 23:39
◆きささん
お書きのように、「スペース・オデッセイ」を聴いてヘリコプターに飛び乗るシーン以降(つまり夢想しなくなる)からが面白くなるのですね。
前半の夢想は、あえて荒唐無稽でバカバカしいものにしてあるが故に、そんなくだらない夢を見てるより、現実に向き合う事が大切だ、というテーマがより強調されている気がします。
投稿: Kei(管理人) | 2014年4月 6日 (日) 01:43