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2014年5月18日 (日)

鈴木則文さん追悼

Suzukinorifumi

映画監督の鈴木則文さんが、5月15日、脳室内出血の為亡くなられました。享年80歳でした。

ショックでした。私の尊敬する、大好きな監督でした。80歳はまだ早過ぎます。
山田洋次も、クリント・イーストウッドも、80歳をとっくに超えた今もバリバリ映画を監督していますし、森﨑東さんは昨年、85歳で監督した「ペコロスの母に会いに行く」でキネマ旬報ベストワンを獲得し、気を吐きました。同じ鈴木姓の鈴木清順さんも81歳で「オペレッタ狸御殿」を監督しています。
それだけに、鈴木さんには今一度、映画を撮っていただきたかったのですが、叶わぬ夢となりました。

近年、「映画秘宝」誌を中心に、鈴木則文監督の再評価がなされており、またここ数年、「トラック野郎風雲録」「東映ゲリラ戦記」と著作も相次ぎ、またキネマ旬報誌にも定期的に映画評を発表する等、精力的な活動を続けており、まだまだお元気、気力は十分だとお見受けしておりました。
それだけに、ショックは大きいものでした。訃報を目にして、しばらくは夢かと信じられませんでした。

 
鈴木則文監督作品といえば、一般的には「温泉みみず芸者」(1971)に始まる、“東映ポルノ路線”(ピンキー・バイオレンスとも呼ばれる)、「伊賀野カバ丸」をはじめとする漫画原作もの、そして大ヒットとなった「トラック野郎」シリーズ等の、東映プログラム・ピクチャーの中心的存在として知られておりますが、当時における監督としての評価は、“東映エログロ&おバカ映画等の低予算B級映画を何でもこなす職人監督”とみなされ、極めて低いものでした。

それが21世紀に入って、なぜ再評価され出したのか。
一つには、代表作「トラック野郎」シリーズが今も根強い人気があり、またCSの東映チャンネルやニコ動等で放映された作品を観た若い視聴者が、その面白さに魅了され、新しいファンを獲得したという事もあるが、もう一つの要因は、Q・タランティーノやチャウ・シンチー、エドガー・ライト等の映画作家による、バカバカしくてマニアックでB級テイストにあふれた作りの映画がウケるようになって、昔鈴木監督作品を観ていたファンや評論家が、「あれ?、これ鈴木則文作品と同じじゃねーか」と気づき始めた事にあると思います。

まず、「映画秘宝」誌が2005年3月号において「鈴木則文大特集」を掲載、映画評論家の柳下毅一郎氏や轟夕紀夫氏が鈴木監督を賛美する文章を寄稿し、その面白さを徹底分析しました。(「映画秘宝」誌掲載の柳下氏の鈴木監督論はこちら)
それが契機となったのか、翌2006年7月、金沢21世紀美術館が「鈴木則文監督特集上映」を行い、「エロ将軍と二十一人の愛妾」他10本の鈴木作品を上映しました。
この流れは、2007年4月の東京・シネマヴェーラ渋谷における、「鈴木則文レトロスペクティヴ」特集上映、さらに同年9月発行の映画ムック「Hotwax」誌の鈴木則文特集へと繋がる事となります。

 

 
 
 
 
鈴木作品のどこが素晴らしいのか、それについては上掲の柳下氏の評論、並びに金沢21世紀美術館の特集上映記事にも詳述されていますが、私個人の意見としては以下の通りです。

鈴木作品に常に通低している理念、それは“弱いもの、虐げられたものに寄せる深い情愛”であり、そうした“社会の最底辺に位置する弱者の居直り”がアクションへと転化する爽快感であり、“権力を振りかざす者への痛烈な怒りと哄笑”へと繋がる諧謔趣向、アナーキーな笑いであると言えるでしょう。

以前、鈴木さんの近著、「東映ゲリラ戦記」の紹介記事でも書きましたが、1970年代初め、石井輝男監督によるエロ・グロ路線が飽きられ、その後釜を命ぜられた鈴木さんが監督したのは、まだ十代だった池玲子、杉本美樹を中心とした、コメディ仕立ての青春ポルノものでした。

特に強調されたのは、「女番長(スケバン)」シリーズに代表されるような、“女性たちの自立と反乱”です。
それまでのエログロ路線では陵辱され、虐げられていた立場だった女性たちが、鈴木作品では、権力にあぐらをかく、腐りきった大人たちに反旗を翻し、徹底して抵抗し、戦いを挑むのです。まさにタイトル通り、弱者によるゲリラ戦です。

Tokugawasexkinsirei

特に痛快なのが、「徳川セックス禁止令・色情大名」です。童貞のお殿様がセックスの快楽を知り、下層庶民がこんないいコトをヤッてるのはけしからんと、「閨房禁止令」を発令し、殿様以外のセックスを禁止してしまうのです。
その条例が“第百七十五条”というのも笑えます。無論、日本の刑法第175条は「わいせつ物頒布罪」です。これは当時、日活ロマンポルノを摘発した警察へのオチョクリであり、あてつけです。
映画の最後で、「あらゆる生命の根源たる性を支配し管理する事は、何人にも許されない。たとえ神の名においても」と字幕が出るのですが、ここまで公然と公権力を批判した映画はかつてなかったでしょう。

こうした、権威、権力者への痛烈批判・哄笑の精神は、多くの鈴木作品に見られる特徴です。あの「トラック野郎」にも、取り締まる警察権力をおちょくったり、批判したりするシーンが頻発しますし、最後には壮絶なカーチェイスで追ってくるパトカーを翻弄します。

下品な下ネタ、特にウンコは鈴木作品の特徴でもありますが、これも社会の最底辺で、貧しくともふてぶてしく生きる人間賛歌、バーバリズムの象徴である気がします。

アクションものを作れば、「忍者武芸帖・百地三太夫」「吼えろ鉄拳」といったように、徹底したB級娯楽活劇の王道を見せてくれます。

また一方、シリーズの生みの親であり、ほとんどのシリーズで脚本を手がけた「緋牡丹博徒」シリーズ等、脚本作りのうまさにも定評があります。加藤泰監督の助監督として多くの作品に協力した他、「車夫遊侠伝・喧嘩辰」「明治侠客伝・三代目襲名」「緋牡丹博徒・花札勝負」「同・お竜参上」といった諸傑作の脚本に参加し、加藤泰監督を側面から支えた陰の功労者である点も見逃せません。

Hibotanisshuku

そして唯一、シリーズの監督を手がけた2作目「緋牡丹博徒・一宿一般」、これは個人的に鈴木則文さんの最高傑作だと思っています。娯楽活劇のツボをきちんと抑えているだけでなく、陵辱された娘にかける、優しくも凛と気高い名セリフに号泣させられました。ぜひ観て欲しい隠れた秀作です。

 
エロ、アクション、コメディ…あらゆるB級ムービーを手がけ、どんなジャンルにおいてもてを抜かず、笑い、涙、ナンセンス、アナーキーなまでの諧謔精神等、サービス精神にあふれた娯楽映画を作って来た鈴木則文さんの作品世界を、今のふやけた毒にも薬にもならない映画を作っている映画作家たちは見習うべきではないでしょうか。

 
 
 

実は私、40年来の鈴木監督の大ファンであり、1975年頃、仲間たちと自主上映会をやっていた時に、鈴木則文監督オールナイト上映会を企画し、その事を聞きつけた鈴木監督ファンの方の尽力で、鈴木監督を大阪にお呼びして、上映の合間に講演をやっていただく事も実現しました。
ただ、一部に熱心な鈴木監督ファンはいたものの、ごく少数だったのでしょうし、PR不足もあって観客は70人程度、大きな赤字を出してしまいました。

ただ、これを機に鈴木さんと親交が深まり、その後も何度か大阪に来られる時にお会いしたり、年賀状も交わしたりと、監督との交流は最近まで続いておりました。

「映画秘宝」誌の特集の中で轟氏は「日本の現実がようやく則文に追いついた」と記していますが、まさに、やっと鈴木則文さんが正当に評価される時代がやって来たのだとわが事のように喜びました。
鈴木監督はもっと評価されるべきだと、私などはずっと昔から思っていただけに、近年の再評価は嬉しく思っております。欲を言えば、もっと早く評価していただきたかったとは思いますが、ご存命中に間に合っただけでよしとすべきでしょう。

時間に余裕が出来たら、一度上京して鈴木さんに長時間インタビューして、本にまとめようと思っておりましたのに、残念ながらその夢は実現出来なくなりました。かえすがえすも無念です。

ともあれ、長い間お疲れさまでした。今ごろは、3年前亡くなられた戦友、天尾完次さんとあの世で再会されておられるでしょうか。
謹んで、冥福をお祈りしたいと思います。

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